過去編 楠千尋・Challenger

33話 「となりの秋義くん」


「千尋! あんたは何でできないの!? 隣の秋義君を見習いなさい!」


 ――これは僕が、十数年言われ続けてきた言葉。今の僕を作り出すに至った、魔法の言葉である。


 僕と秋義は、家が隣同士。つまり、家族ぐるみの付き合いがある。どちらかの親が居ない時にはいる方の家で預かってもらっていた。僕と秋義は、お互いの家のほとんどを知っていたし、いつも一緒に遊んでいた。


 幼稚園が終わる頃、秋義は英会話を習いだした。遊びがメインの、塾とは呼べないシロモノであったが、僕の家族も入れるか少し悩んでいたことをよく覚えている。


「ちひろもいっしょにやろうよ!」


 秋義の一言がきっかけで、僕は親に英会話をやりたいと願った。両親は不安がありつつも了承し、僕を体験会場に連れて行った。


 僕らは小さい頃から劇やミュージカルを観ていた。だから人前に出て喋ることや、初対面の中でコミュニケーションを取ることはできる。そう思っていた。


 結果だけ先に言うと、僕は初回だけしか行かなかった。コミュニケーション能力は、僕にはほとんど無かったのだ。思えば、秋義としか遊んでいなかった幼稚園時代、別の人や大人数との意思疎通の経験が無いのだ。


 体験会場で大泣きし、訳が分からないまま、両親は僕を連れて帰った。


 ――そこから、両親は僕と新田を比べるようになった。二人の違いに、差に気づき始めたのだ。


 小学校に入る頃、秋義とは行き帰りだけ一緒になるようになった。スポーツ万能で、足も速い秋義は直ぐにクラスの人気者になった。何もしなくても人が集まり、反比例するかのように僕は一人になった。


 小学校時代の委員長には、いつも秋義の名前が出ていた気がする。実際に、良く纏まっていた。奴はリーダーシップも持っていたのだ。


 ――夕食の話題に、新田が上がることが多くなった。


 テストが終わると、決まって親は僕と秋義を比べた。奴に勝ったことはほとんど無かったが、数少ない勝ちを伝えても、字が汚いや、ケアレスミスが勿体ないと、手放しで褒めることはしなかった。


 受験をする訳でもないのに、なぜここまで比べられなければいけないのだろう。


 疑問を口にしても、返答は無かった。親は、僕と秋義が同じ能力で、一緒なのだと認識してたのだろう。そして、その差を、僕の方が劣っていることを、どうしても受け入れられなかったのだ。


 明らかな対応の差に、僕は歪んでいった。秋義とも、本音で語れることが少なくなった。秋義は僕を避けることは無かったが、登下校も、半ば義務化していた。僕が何も喋らない日もあった。


 二千十二年 楠千尋 十歳


 この年に、僕は秋義を「新田」と呼ぶようになった。その時の顔はよく覚えている。少し目を見開いたが、悲しそうな顔をせず、奴は笑って僕の前を去った。


 そこから、登下校の回数も自然に減って行った。新田が、小学校の少年野球のチームに入ったからだ。昼休みや放課後も練習の声が、図書室の窓から聞こえてきた。


 ――親は僕に何も言わなくなった。しかし、目では新田と比べられていたし、学校新聞のスクラップが残っていたのを、しっかりと記憶している。


 新田と僕の関係性を知っている人間は学校に多くいた。親が口で言わなくなるのと同時に、学校の連中が僕と新田を比べだした。


 今思えばくだらない児戯程度であったが、子どもにとって小学校は世界の全て。僕はクラス皆が敵に見えていた。


 ただの家が隣で、家族ぐるみの付き合いがあっただけで、なぜ僕は見下され続けるのか。


 ある日、いつもの様にバカにされていると、誰かがポツリと言った。


「――」


 意味は覚えていない。現在の僕が思い出したら、何をするかわからないからだ。


 気がつけば、僕の周りを囲むクラスメイト。散乱する机と椅子。頬が赤く染まり、倒れ伏す一人の男子生徒。


 僕自身に記憶は無かったが、言われた言葉で激昂したらしい。怒りのリミッターが外れ、そいつの顔面を思い切りぶん殴ったのだ。


 初めは信じられなかったが、何人も証言するクラスメイトと、変な使い方をして痛めた右の拳が、僕の蛮行を真実だと知らしめた。


 小学校の秩序では、どんな状況でも手を出した方の負け。日頃の陰湿な行為の裏が取れたおかげで、かなり説教は減らされたが、殴ったことの謝罪を命じられた。


 親は一言、「秋義くんならな……」


 別に、僕に構って欲しいからこんな行為に及んだわけじゃなかったが、息子が人を殴ってまず出てくるのが隣の息子の名前なのは、いくら何でもありえないのではないか。


 当然、殴られた方は出てこない。何度か呼び鈴を押したが、最後には警察を呼ぶと脅され、惨めに帰った。


 次の日、クラスでどんな扱いを受けるか戦々恐々としていたが、思ったより普通だった。敵に対して、目に見えた反抗を試みたのだ。エスカレートして、いじめになることはあってこそ、対応が変わらないのはわけが分からない。


 新田が、どうやら根回しをしてくれたみたいだ。今までの行為を認め、なぜか、奴自身が、僕に何もしていないのに謝ってきた。僕らも悪かった? お前らが意味のわからない比較をしなければ、僕はこんな事にはならなかったんだ。


 新田の謝罪を、僕は歪んだ形で受け取った。自分の保身と株を上げるために誤っているのだと、勝手に結論付けた。


 僕に殴られた奴は、いつの間にか居なくなっていた。転校したらしいということを、付きまとう新田から聞いた。


 六年生に上がる頃には、僕への態度は普通に戻っていた。聞くところによると、全て新田のおかげらしい。通常なら、加害者が転校するのがセオリーだが、なぜか僕は残り、殴られた奴が居なくなった。


 新田の奴が何をしたのか気になったが、調子に乗られるのも癪だったから、無視した。


 僕は近くの公立中学校へ。新田は学校の誰もが難関中を目指すものと思っていたが、僕と同じところに行くようだった。せっかく手に入れた力を使わない理由が、僕には到底理解できない。


 持ってない奴はずっと欲しがっている。なのに、持ってる奴がそれを軽んじるのは、冒涜に他ならない。


 そういう面も含めて、新田は嫌いだった。牛後より鶏口に成りたがるのが、あの男の性質なのだ。


 中学校。三年間同じクラスで、僕は更に劣等感を募らせていった。新田の側から、いろんなことに誘ってくるのだ。


 カラオケ、ボウリング。田舎の地方都市の男子が行くところなど、たかが知れてる。当然、僕に経験は無く、無様を晒していた。


 誰も何も言わず、比べられる様なことは無かったが、どうしても眼が蔑んでいるのを感じてしまう。


 嫌だ、辞めろ。どうして僕だけ。中学時代は、自分を卑下して自己嫌悪に陥るスパイラルだった。何かやっても、それを俯瞰する自分が冷めた目で見ている。


 そのおかげで何にも没頭できない。俯瞰する傍観者気取りが、自分への情熱を落としていくのだ。


 勉強、部活に身が入るはずもなく、どちらも成績は微妙。どうしようも無くなってしまったのだ。


 ――親は僕に関心を示さなくなった。やりたいことを何も見いだせない息子に、価値を感じられなくなったのだ。


 僕の来歴は、自己嫌悪で埋め尽くされている。全ての原因が新田にあるとは言わないが、アイツがいなければ良かったことは少なくない。


 自分は、何か意味を持って生まれてきた。そう信じたかったが、自らの劣等感が、何かを得ることを許さないのだ。


 僕はとうに、諦めてしまったのだから。


 中学時代はまさに自己嫌悪そのもので、ずっと続いていた。


 高校受験も、ギリギリで緑葉に受かるかどうかだった。だけど、何も無いよりかは、少しでも自分を肯定したかった。だから受けた。


 そこで僕は、演劇と出会うことになるのだ。別に救われたワケじゃないけど、あの出会いは何か意味があったのだと、僕は信じている。

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