31話 「如月家」 ①
五月八日 土曜日 午前中
僕は今、青葉駅で如月さんを待っている。併設されたコンビニで買った麦茶を飲みながら、改札口をぼんやりと眺めていた。
「お待たせ」
「あ、どうも。わざわざすみません」
後ろから声を掛けられたので、振り返りながら返答した。そこに立つのは優しそうなイケメン。紅葉は校則が厳しいのか、もみ上げも耳周りもすっきりとした髪型で、爽やかな印象を受ける。
品のいい優男といった容姿だ。これから勉強を教えてもらう相手に対して、あんまりな言い方ではあるが。
「君のことは前から気になっててね。話せるのが楽しみだよ」
どういう事だ? 僕は今日、勉強を教えてもらうことしか知らない。話す? 何を話すのだろう。
「あれ? 言ってなかった? 勉強を教えるから、その代わりに君の話を聞かせて欲しい」
「え……何でですか?」
「それは勿論、全国に行くためさ」
全国、という言葉に思わず身構える。瞬時に警戒した僕を見て、如月さんは楽しそうに笑みを浮かべた。
「そんなに構えなくても、取って喰ったりしないよ。僕ら紅葉は、去年惜しくも行けなかったから、今年は何としても行きたいんだ」
「確か……春の全国に出てましたよね」
「よく覚えてたね。春の全国で、僕らは力の差を思い知った。あれは順位を着けないタイプの大会だから公にはされてないけど、僕らが最下位なのは間違いない 」
僕が何も言えずにいると、如月さんは肯定と受け取ったのか、話を続ける。
「だから、どんな事でも経験する必要がある。経験のないことの演技は、どうしても浮いてしまうからね」
「でも、他校の生徒に勉強を教えるのはあまり関係ない気がしますけど」
「それはそうだよ。将来のためだから」
さっきと発言が違うぞ? 矛盾してないか?
その様子が伝わったのか、如月さんは更に可笑しそうに言う。
「将来、僕は教師になりたい。現場で教えることになるのは、初対面の生徒だ。だから、その練習。あわよくば演劇にも使えたらなって」
「なんと言うか……煙に巻かれた気分です」
「フフッ。……さて、立ち話もアレだし、早速行こうか。僕の家へ」
「え? 家?」
「何か問題が?」
大ありだ。ほぼ初対面の人の家に行けるほど、僕のメンタルはできあがってない。
「いや、てっきりファミレスとか図書館でやるのかと」
「僕もそうしたいけどね。……その、兄が」
兄? 如月さんの兄弟だろうか。
「僕の兄がぜひ家に来なさいって。最近、本当によくわからないんだ。前はこんな事無かったのに」
「はぁ……」
「あ、ごめんごめん。急に兄の事を言われても困るよな。だけど、家に来てくれないか?」
「まぁ、いいですけど……」
あまり気乗りしないが、僕は如月さんに頼んでる立場なんだから贅沢言えない。受け入れる他無かった。
「ありがとう。それじゃ気を取り直して、行こうか」
如月さんの後ろを歩く。僕は駅まで自転車で来たが、如月さんは歩きのようだ。
家が、駅から近いのかもしれない。
「へぇ、じゃああの動画は足利さんのせいなんだ」
「そうなんですよ! アレで一気にクラスでも学校でも浮いたんですよ! 本当にめちゃくちゃです!」
歩くこと十数分。自転車を押しながら、如月さんとの話しがヒートアップしていく。主に僕の苦労話がメインで、如何に足利先輩に振り回されているかの愚痴が止まらなかった。
それを面白そうに聞いてくれる如月さん。時折入る相槌が完璧で、まともに話すのが初めてと思えないほど関係性が深くなった気がした。
今まで出会って来た先輩が、癖のある人ばかりだったから、こんなに親しみやすい人が居るなんて思わなかった。正直、演劇をやってる人への偏見すら生まれつつあった。
そう思うと、無性に如月さんへの敬意が湧いてくる。これからは如月先輩と呼ぼう。
「そろそろ着くね。……一つ確認しておきたいことがある」
如月先輩は咳払いをして、念を押すように僕を見て言う。
「うちの兄は、四年ほど前にすごい経験をしてね。それ以来人が変わった……いや、憑き物が落ちた様になってしまったんだよ」
「……どういうことでしょうか?」
「前までは、僕の事なんか興味無いって感じで冷たい目をしてたのが、一気に優しくなった」
聞いてもわからないんだが。え、そんな記憶喪失みたいな事が本当にあるのか?
先輩は口を開きかけた僕を手で制した。
「言いたいことはわかる。記憶喪失かよ! ってね。だけど事実だ。まぁ人当たりが良いから、悪いわけじゃないんだけど。僕にとっては冷たい兄だったから、どうも慣れない」
そう言いながら、マンション入口にカードキーをかざす如月先輩。ロックが解除させる音と共に開く自動ドア。その先に見えるルーム番号。
外観も植物やレンガが使われており、どう形容しても高級マンションだと言わざるを得ない。良いところに住んでるな。僕の感想だ。
僕もマンション住まいだが、部屋番号を押してインターホン扱いにする必要なんて無いし、自動ドアが二重にもなっていない。しかも、エレベーターとの間に、自動販売機が見える。
「ん? どうかした?」
「いえ、なんでもないです」
先輩が部屋番号を押して、お兄さんに自動ドアのロックを開けてもらう間の待ち時間、僕はそんな事を考えていた。
「こんにちは。初めまして。
扉を開けた先にいるお兄さん。如月秋さんだ。礼儀正しい挨拶と裏腹に、かなり長い髪にスウェットを羽織った格好で、部屋から長い間出ていないことを想起させた。
何より、彼は片方の腕、肘より少し手首側に輪っかを付けた杖のようなものを着いていた。片足を引きずるような歩き方で、彼がどのような経験をしたのかがある程度わかってしまった。
「ん? この杖が気になるかい? フフフ。これはね、伸縮自在の杖なのさ。こうやってね」
カシャカシャと杖を仕舞う秋さん。まるで釣り竿のロッドの様であった。
「兄さん。杖はもういいよ。……義姉さんは?」
先輩から止められ、杖を戻す秋さん。少し拗ねたような顔が風防とミスマッチだ。
「
「ならいいんだ。義姉さん、質問ばかりで相手にも迷惑かけちゃうから」
「職業柄、仕方ないだろう。……それより、キミはなんて名前だい?」
兄弟の会話中に急に振られる。そう言えば、まだ僕は自己紹介していなかったじゃないか!
「す、すみません! 申し遅れました。楠千尋と言います。緑葉高校の一年生で、演劇をやっています」
「ほぉ。緑葉か。他校の生徒を連れてくるのは初めてだな。雪尚」
「勉強を教えて欲しいらしくて、だから連れてきた……って兄さん、知ってるでしょ」
「ハッハッハ。すまんすまん。雪尚。千尋くん。ごゆっくり。後で茶を持っていくよ」
そう言い残し、秋さんはリビングの方へと消えていった。なんというか、掴み所がない人だったな。今まで会ったことがないタイプの人だ。
「ごめんな、楠くん。……立ち話も何だし僕の部屋に行こう」
如月先輩の部屋に入る。綺麗に片付けられており、机、棚。テーブルとベッドとクローゼットぐらいしかない。机の反対側にあるモニターだけが自己主張していた。
棚に並べられているのは普通の漫画や小説、そして演劇関連の書籍が少々。普通の高校生の光景だ。まぁ僕のところは、漫画が棚を覆い尽くしているが。
「適当に、座っていいよ」
僕はテーブルの左側に座る。モニターとベッドに挟まれた形になる。何となく、奥側が良かった。ただそれだけだ。
如月先輩はベッドに腰掛け、一つため息を吐いた。
ここから、僕の少し長い半日が始まる。
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