30話 「貸し二と貸し一」


 五月七日 金曜日 放課後


「で……図書館ね」


 僕は今、青葉駅の近くにある市内の図書館に居る。自習スペースや参考書コーナーがあり、学校帰りの受験生もよく使っているのを見る。


 実際にも僕も、高校受験の際に使った。今やっているように、参考書を探したものだ。


 我ながら安直だとは思うが、とりあえず参考書を適当に捲って、範囲と被るところをノートに纏めようと思っている。


「どれにすっか……」


 とりあえず手近な数学の参考書の表紙を見る。表紙が良さそうならパラパラと中を見ればいい。


 一冊目。『数学は暗記だ! パターンを叩き込め! 質より量! お徳用400ページ問題集』


 却下だ。四百ページもあるのに、解いていられない。どのページをやるか考えるだけで時間を取られそうだ。


 二冊目。『積み上げた先に、栄光はある。大容量450ページ』


 却下。理由は一冊目と同じ。さっきより増えてんじゃねぇか!


 三冊目。『バカの数学 300ページ』


「言い方ァ!」


 思わず突っ込んでしまった。これを借りるということは、自分がバカであると公言してるようなものじゃねぇか。


 それに三百ページも多い。僕を含め馬鹿にはそれぐらいやらなきゃ身につかないということだろう。


 だがこれは、あからさまに分厚い参考書を選ぶ僕が悪いのだ。つまり、薄いものを選べば、量より質を重視した参考書が手に入るはずだ。


 四冊目。『死ぬ気で詰め込め、全公式。三年用』


 公式がずらりと並んだ参考書。というより纏めみたいなものだ。公式と意味が書かれているが、単元ごとなので学年の区別が無い。


 はっきり言って不親切以外の何物でもねぇ。


「ちょうど欲しいヤツがねぇなぁ……」


 あれでもねぇ、これでもねぇと参考書を決めあぐねていると、後ろに誰かの気配がした。多分参考書を探してんだろう。


 少し譲らないとな。図書館は一人で独占するものでもねぇし。


 僕は振り返って譲ることにした。


「すみません、占領してしまって。どうぞ」


「あ、わざわざどうも。すみません……って

 楠!! 何で居んのよ!」


「嘘だろ? ……驚いた。こんなとこで会えるなんてなァ。楠ィ」


 そこに居たのは、桜花の椿翔馬と紅葉の小杉侑だった。こんな面倒くせぇ奴らに会うなんて。


 ……今日の僕は、厄日かもしれない。


 だが、ある一つの策が思いついた。中間テスト攻略のための、現実的な作戦が。



 〜只今移動中〜



「なるほどねぇ。部内戦にテストが絡んでくるのか。面倒くせぇなぁ」


 駅近くのコーヒーショップで、頼んだフラペチーノを飲みながら、椿が不満そうに言う。


「そんな事ないでしょ。勉強も大事よ」


「へいへい。紅葉の生徒は言うことが違ぇ」


 この二人、総会の時は気まずかったはずだが、なぜ軽口を叩きあってんだ?


 椿の態度は相変わらずクソだが、遠慮が無くなっており、小杉との信頼関係を感じずにはいられない。


 つまり、こいつらは充実しちゃってるのだ。


 今まで十二月や二月に、感じなくてもいい敗北感を味わってきたからこそわかる。


 しかし、自分がその原因であるなら、話は別だ。コイツらはあまり好きではないが、演劇で競い合うライバルでもある。そう思うと、不思議と溜飲は下がった。


「二人に恥を忍んで頼みがある」


「武士かよ」


 椿の突っ込みを流し、二人に頭を下げる。振動で少し、僕のモカが揺れた。


「僕に勉強を教えてくれ」


 ライバルに頭を下げるのは嫌だが、なりふり構っていられない。時間は刻一刻と迫っているのだ。今からクラスで新しい友人を作って教えてもらうのは、些か時間がかかり過ぎる。


 それに僕は、四月の動画騒ぎでクラスで浮いてしまっているのだ。明日近づいても、勉強を教えてもらう為だけに利用していると思われても、何らおかしくない。


「俺はお前が出られなくなるのは嫌だし、教えてやりてぇが、はっきり言って無理だ」


 まず椿が答える。正直期待していない。桜花はスポーツや部活に力を入れている私立高校で、偏差値もお世辞にも高いとは言えない。


 だが、お前には別の役目がある。


「だから翔馬は……。私がいい参考書を教えてあげたでしょ?」


「あ? あれのどこがいい参考書だ? 名前からしてありえねぇよ。重てぇし」


 今は椿の参考書の話どころではない。顔を上げ、伺うように小杉に尋ねる。


「小杉は、どうなんだ?」


 小杉侑が通う紅葉高校は、青葉でも、演劇部がある学校の中ではトップクラスの進学校だ。


 市内三強には必ず名前が入る学校で、進学実績にも、国公立や名門私立の名前が連なる。


 そこに通っているからこそ、小杉に賭けているのだ。それに、小杉は僕に借りがある。少なくとも、僕はそう思っている。


「私は……」


「おいおい、悩むとこか?」


 椿が煽る。有難い。このためにお前は居るんだ。椿の心情は、僕を夏にある舞台で出させることだ。僕と競いたがっているこの男の心理は、役に立つ。


「でも……」


 悩む小杉。理由は僕にもわかる。椿と居られる時間が減るからだ。今のこいつは長年の念願が叶った、この世の春を謳歌しているのだ。


 それを邪魔するのは非常に心苦しいが、折れてもらう他ない。外堀は埋めてあるのだ。


 ……別にわざとやっている訳じゃないぞ?


「侑。俺たちはアイツに借りがあるんだからよ。借りたものは返さねぇとダメだろ」


 椿が言い聞かせるように説得する。有難いが、なぜか嫌なことを我慢しなさいというニュアンスが透けて見えて、不快になった。


「……わかったわ」


 しばらく腕組みをして考えた後、小杉が僕の方を向いた。


「私は教えられないけど、部長を紹介してあげる。翔馬も協力して」


 矛盾から始まったことに不安を覚えたが、「部長」に協力して貰えるそうだ。ありがてぇ。


「よく状況がわかんねぇが、マジで助かる」


「これで貸し借りは無しでいいでしょ?」


 当然だ。僕にとって、勉強を何とかするのが最重要事項だ。小杉との貸し借りは、この際チャラでもいい。


「勿論だ。だが椿、お前はまだ残ってるからな」


「はぁ!? 何だよそれ! 俺の説得のお陰だろうが!」


 怒る椿を無視し、小杉に話を聞くことにした。「部長」の事だ。



「うちの部長は、アンタも見たことあるでしょ。如月雪尚よ」


「総会で報告してた人?」


「そうそう。頭良さそうだったでしょ」


 記憶を呼び起こす。確かに全員集まっての報告会で、春の全国に行ったと言っていた気がする。頭の良さそうな顔立ちをしていた。


 すぐに足利先輩の宣戦布告で、記憶が上書きされたけどな。


「あの人、アンタの事気になってたみたいだから、多分OKして貰えるはず」


「そうなのか?」


 それは知らなかった。市内トップクラスの部長が僕を気にかけているのは、自分の力が認められたみたいで嬉しいぞ。


「確かアンタの事を、やけに女の演技が上手いって」


「そっちかよぉ……!」


 畜生。結局僕の評価は初舞台の動画が嫌でも絡んでくるのか。……別に女装がしたいわけでは無いんだがな。やらざるを得ない状況が続いているだけで。


「ざまぁねぇな。楠。なんなら俺が演技教えてやろうか?」


「ほざけ。どうにもならなくなったら頼む」


「プライドねぇのかよ……」


 呆れた椿の発言を聞き流す。僕がお前に演技を学ぶだと? あんなやりたい放題やる奴の演技から何が学べるって言うのか。


「アンタにとって、翔馬は流れを読まないヤバい奴かもしれないけど。きっと昔の翔馬見たら驚くよ」


 顔に出てたのか、小杉が挑発的に胸を反らす。多分、椿の事を馬鹿にされたからムキになってるな。充実しやがって。


「やめとけやめとけ。あんな台本通りのガチガチ野郎の演技見ても、つまんねぇぞ」


 椿は本気で迷惑そうに手を振る。そこまでするなら、逆に気になるが、今はそれどころじゃない。


「とりあえず、如月さんに連絡しておいてくれ」


「わかったわ。翔馬に場所を送って貰う」


 そう言って、僕らは別れた。二人の後ろ姿は、見ないようにした。負けた気がするからだ。


 帰り際、椿のバッグから見えた『バカの数学』は多分冗談だよな……?



 そしてその夜。雨宮に何の報告もしなかった事を個別メッセージでキレられ、椿の連絡を待ったのだった。

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