22話 「炎」

「お疲れ様、チヒロ」


 舞台袖に引っ込むと、そこには椿つばき新田にったがいた。


「あぁ。お前もな」


 新田に返事し、すぐに椿の元へ向かう。奴は舞台袖の奥で用意していた水を飲んでいた。


「おい、何で引き下がった」


「何?」


 椿の目には狂気は既になく、始まる前の姿に戻っていた。正直、あのギラついた目は気味悪いものだったので助かっている。


「何? じゃねぇよ。雨宮あめみやが出てきた途端にお前は引っ込んだだろ。今までの威勢はどうした」


「……」


 椿は有り得ない。といった表情でこちらを見ている。そのまま奴は少し考え込み、口を開いた。


「驚いた。まさか本当に見えてなかったとは」


 また訳の分からない事を口走る。足利先輩と言い、どいつもこいつも演劇人は遠回しに言う癖でもあるのか。


「何の話だよ」


「知らねぇのか? 舞台には神がいる。それが俺からアイツに移っただけだ」


 ……益々訳が分からない。声を荒らげそうになるが、舞台ではまだエチュードが繰り広げられている。大声を出すわけにはいかない。


「演劇の神様はな、その時一番熱い演技をする人間の元に降り立つ。アレだ。お前も新歓公演で、場を支配してる気になったことは無いか?」


 そう言われて、思い返す。あの時は確か、初めての舞台で混乱していた。そのためあまり記憶は無かったが、確かに、高揚感は感じた覚えがある。


「それが神様だ。ソイツは演技を何倍にも押し上げてくれる。

 今までのように、台本通りに演じてたら俺は一生会えないままだった。感謝するぜ。楠」


「そして、今現在、その神を宿してるのは雨宮だってことか」


「そうだ」


「……どうすればそいつにもう一度会える?」


「知らねぇよ。言っただろ? そのとき一番熱い演技をする人間の元に神は降り立つってな。狙って来るもんじゃねぇ。……ただ」


「ただ……何だ? 勿体ぶらずに教えろ」


「目の奥を見ろ。

 ……俺も今思い出した。藤林さんに言われたんだ。目を見て演技するといいって。あの時はわかってなかったが、今ははっきりわかる。

 目の中の炎を見ろって言ってたんだ」


「目の奥の……炎」


 意思の宿る人間の目には、往々にして炎が宿る。それは必死であったり、希望であったり、憧れ等の正の感情であることが多い。

 そして、時には、復讐や怒り、狂気などの負の感情にも言える。神はそれを指針にしている。


「良くも悪くも、強い思いは力を持つってことだな」


 そう言うと、椿はステージの方へ目を向けてしまった。僕としてはまだまだ聞きたいことが山ほどあったが、ひとまずエチュードの最後を見届けることにする。


 舞台上は、現在も沈黙が貫かれていた。しかし、椿に言われたからか、場の空気は雨宮が握っているように見える。遠目からもわかるように、その目には赤い炎が蠢いていた。紛れもない、怒りの感情だろう。


「アンタは、何で突っ立ってたの?」


『私は……翔馬の言葉がショックで、信じられなくて』


 傍から見たら、先輩が後輩を叱る演技。しかし僕には、それ以外の面も多分に含まれているように感じた。


「数年前の夏、私はアンタを別の『会場』で見つけた。そのときのアンタはチームの一員としてやってたじゃない」


『えっ……?』


「私はそんなアンタの姿が格好良かったから、この世界に足を踏み入れたのに……。

 ちょっと前に見かけたアンタは……何でそんなに腑抜けてんの……!?」


「……」


「アンタに何があったのかは知らない。だけど……そんな姿は見たくなかった」


 静寂。少し、驚いている自分がいた。あの雨宮にそんな過去があったのか。口うるさい奴だと思っていたけど、色々と思うところがあったのか。


「チヒロ。あれが演技だってわかってる?」


「え? 何を言ってるんだ?」


 急な新田の発言。訳が分からない。アイツには、アレが演技に見えてるのか。椿は……じっと、二人の会話を見ていた。今日初めて見る、真剣な顔つきだ。


「アンタに言うことは一つ。初心を忘れるな。自分が何でやっているのか、それを履き違えるな。

 ……じゃあ私は行くわ」


 一呼吸置いた後、雨宮はこちらへ向かってきた。顔は伏せられていて、表情はわからない。だけど、少しの嬉しさと悲しさが混濁する雰囲気が、全身から漂っていた。


 彼女は僕らには目もくれず、端の方の平台に腰掛けると、傍に置いてあった水を飲み始めた。


 何となく、僕は雨宮に近づく。貸二も気になるし、早く目を見たかったからだ。決して、恋愛的な何かでは無いのだが、椿に言われてから、他人の目を見たがるようになってる気がする。


 あ、ちなみに新田からは何の炎も感じなかった。当然だ。ふざけた理由で入ったやつに、炎があってたまるか。


「お疲れ、雨宮」


 ついこの間まで、敵対してたとは思えないような声で僕は労いの言葉をかける。


「……っさい」


「え?」


「うっさい。こっち見んな」


「……ったく、人が心配してんのによ」


 凄い言い草だ。心配している人間に返す言葉でない。まぁ、そこが雨宮らしいといえばらしいが。


 僕は軽くため息をつき、あえて、雨宮の方を見ないで告げる。


「……お疲れ様。ありがとな」


 僕が嫌いなのに、わざわざ作戦に乗ってもらった。その作戦も失敗して、絶望的状況なのに律儀に来てくれて、一人で巻き返してくれた。それには、感謝の意を伝えなければならない。


 少し経った後、ステージの方へ向かう。何となく振り返ったら、雨宮は体育座りで顔を隠してしまっていた。


「エチュードはどうなってる、新田」


「チヒロ。何も変わってないよ。数分間、項垂れたまま」


 新田の声を聞きながらステージに目を向けると、言葉通り項垂れた小杉が一人で居た。見るからにいたたまれない。可哀想に見えてくる。


「椿、どうすんだ?」


「正直、雨宮が戻ってきてさっさと落とすべきだった。ここまで黙って何もなかったら、エチュードとして成り立たなくなる」


「なにか一言言わせれば良いのか」


「あぁ。エチュードにはオチが必ずいる。出来を左右すると言ってもいい。

 俺が言えたことじゃないが、見てる客は訳分からなかっただろうな」


「どういうこと?」


 不可解な椿の発言に、首を傾げる新田。


「イケメン君。このエチュードは、はっきり言ってぐちゃぐちゃだ。流れを考えないやつ。演技しないやつ。個人の事情で振る舞うやつ。みんな身勝手すぎた」


「それは君が一番当てはまってるのでは?」


「痛いとこを着くな。……その通りだが」


 誰にでも優しい新田が、椿に敵対心を向けている。珍しい光景だ。今までこいつは人間が出来すぎていたからな。こういった態度は見てて新鮮だ。ダシにされた事は、それなりにプライドを傷つけられたみたいだな。


「小杉さんは、何でああなったの?」


「え? ……そりゃ雨宮に今の自分をボロクソに否定されたからだろ」


「いや、そうじゃなくて、君が最初にチヒロと仲良くしてたって言ったときからあんな感じだったよ」


 何? サラッととんでもない事を言ったぞ。この男は。今の小杉の様子は雨宮に言われたからじゃなく、椿って事になる。


「新田、覚えてるのか?」


「え? 流れはほとんど皆覚えてるでしょ」


 何気なく言う新田。そういえばこいつは、頭が良かった。記憶力も、存分に良いのだろう。あまり勉強してる様子が無いのに成績上位だったのは、その記憶力が優れているからだろう。


「……つまり、君に原因があるんじゃないですか?」


「新田の言う通りだ。話してもらうぞ。お前と小杉に何があったのかを」


このエチュードを終わらせる鍵は、どうやらこいつが握ってるらしい。

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