21話 「回早」

 ――桜花学園演劇棟、視聴覚室。


「唐突だけどさ、皆は何を持ってエチュードって言うと思う?」


 椅子で回って時間を潰していた藤林京也ふじばやしきょうやが告げる。なんてことはない、ただの雑談の始まりである。


 ただし、部長会議この場合を覗いて。


 一気に目の色が変わる各校の部長、副部長達。しかし、誰も口を開くことは無い。周りの空気を感じ取り、真一文字に結んでいる。


「じゃあさ、北校の向井は?」


 埒が明かないと思ったのだろう。藤林は居心地の悪さを感じている様子の向井吉久むかいよしひさに声をかけた。


「えっ俺? えぇっと、台本が決まってないこと……?」


「なるほど、なら場面を設定するタイプのものはエチュードって言わないんだ」


「いや……そういう訳では……」


 なぜ自分に振られるのかわからない。まるで答えが出ていない問題を教師に当てられた生徒のように、向井は曖昧に答えた。


「じゃあ次、花園の神園はどう?」


 次に藤林は、花園大学附属学校の神園六花かみぞのろくか部長に答えを求める。


「そうですね。稽古をしていないことかと愚考致します」


「なるほど……優等生の答えだね」


「……この問答は一体何ですの?」


 煮え切らない藤林の態度に、痺れを切らした神園。声には苛立ちが含まれていなかったが、室内に漂う雰囲気には隠しきれない。


「俺が思うエチュードは、個性と空気のせめぎ合いの事だと思う」


「何が言いてぇ?」


 緑葉高校部長の足利貴文あしかがたかふみが尋ねた。彼は答えを知っている。場の部長の何名かも、当然理解している。しかし、声に出すのと出さないのでは、その後に大きく変化を及ぼすのだ。


「エチュードは、自分のやりたいことと、場の空気の均衡を保つ劇だってこと。

 これら二つの線の交点が、今やってる演技に直結している。これを俺は、演技の妥当性と呼んでいる」


 言いながら、ホワイトボードに描いていく。さながら、需要と供給の曲線のようであった。


「京也さん。何でこんなことを?」


 紅葉高校部長。如月雪尚きさらぎゆきなおが聞く。彼はこの場の唯一の二年生。そのため、必然的に敬語になる。


「これを見てくれ」


 そう言い、ホワイトボードの左半分に覆いかぶさっていたスクリーンに映像を映す。


「これは……」


 映像が映り、誰のものとも言えない声が洩れた。それは、今この演劇棟の中で行われている、あるエチュードを映し出したものであった。


『先輩! 好きです! 付き合ってください!』


 喋りの主はステージに居た。人影が更に三つ。何も知らない部長達は、困惑した顔でこれを見ていた。


「エチュードの場では、自分がやりたい演技とすべき演技が異なっている場合が多い。その中でどれだけ自分のやりたい演技を貫けるか。役者の力や性質がよくわかる」


 藤林は室内をぐるりと見回し、部長達に語りかけた。


「さぁ、ぜひとも見届けようじゃないか。今の一年で最も演技が上手いのは。そして、最も自分を貫けるのは誰かって言うことを」


 ――この事を、当の本人たちは知らない。自分たちの演技を見られていることを。






「なんだ? マネージャー様か。何? お前も何か用?」


 なんで、立ってしまったんだろう。理由は自分にもわからない。

 大したエチュードでもないし、崩壊寸前にしか見えなかった。

 あの女は棒立ち、椿は暴走。バカ二人はこっちに縋るような目を向けている。


『別に。アンタが新入生に暴力振るおうとしてるから見に来たんだけど』


 想像していた演劇部での生活は、こんなはずじゃなかった。初回から頭角を表して、一年のリーダーになって、部長になって。

 そんなサクセスストーリーは、一人のバカによって叩き潰された。


「おいおい。それは誤解だろ? あいつは傷一つついてないぜ」


 あの時、新入生歓迎公演の日、一人足りないのはわかっていた。そのとき新田と既に入部していた私は、あわよくば代役に選ばれるのではないかと思っていた。


『部内での揉め事はご法度でしょ。忘れたの?』


 勉強したいって名目で読んだ台本は頭に入ってたし、自分が劇団出身であることを暗に伝えていた。慌ただしさを隠しきれないホール。ここで私が選ばれれば、大きくスタートダッシュして部活を始められる。


「で、なんでこんなとこに来てんの?」


 だけど、部長は私を選ばなかった。よりにもよって、未経験の男を女として立たせた。

 理解できない。意味不明。何でそんなことをするのか。

 男に女役を盗られた事実が、鮮明に突きつけられた。


『ミーティングよ。ミーティング。もう始まるから、来てない新入生二人とバカを探しに来たのよ』


 何よりも悔しかったのは、劇が終わるまで、女が楠であることがわからなかったこと。意識してなかった同じクラスの人間であることも休み明けに知った。


「ご苦労なこった。で?」


 私が楠を大嫌いなのは、負けた悔しさと、自らの甘さを突きつけられるから。……完全に私の自業自得だ。驕っていたのも私。調子に乗っていたのも私。楠は被害者で、悪いのは私。


「だから、早く行けって言ってんの」


 でも、そんなの納得できない!

 頭ではわかってるけど、心がそれを受け入れられない。受け入れたら、私が私じゃなくなる。


「まぁ、ちょっとばかり遅れてもいいだろ。怒られるだけで済む」


 子役でやってきた経験やプライドは、鼻にかけるものじゃない。だけど、簡単に捨ててしまっていいものでもない。


『は? 何言ってんの?』


 今の私は何も持ってない。だからこそ、「これ」に縋らないといけない。それまでは、持っててもいいんだ。


「面倒だしよォ。後から行くから探せなかったって言っといてくれよ」


 忌まわしい記憶を見るうちに、自然と視線は楠に向いてしまっていた。それに伴って、湧き上がる怒り。


「……」


「オイ、どこ見てんだ……」


 膨れ上がった感情は、言葉として溢れてしまっていた。


「だから! 何突っ立ってんの!? ミーティングだって言ったじゃない! わかったら早く行く!」


 自分でも信じられないぐらい大きな声で、私は叫んでいた。叫んでいるけど、しっかりと声はお腹から出ている。日々の積み重ねが、突沸した感情にも適応していた。


「……」


 黙る椿。そそくさとハケる新田。目が合っていたから、怯えた顔の楠。


「何? もう一回怒鳴られたいわけ?」


 今度は椿の顔をしっかりと見据え、言い放つ。声は気持ち低めに、でも変えすぎないように。

 叫んだことで、私は落ち着いて演技できるようになっていた。よく見ると、椿の顔に貼り付いていた狂気が消えていることに気づく。


『……こいつらはどうする?』


「この子達には言うことがあるから、あんたは先に行って」


『わーったよ。じゃ、しっかり教えてやってくれ。最後まで、な』


 そう言って、椿はハケていった。最後の手を上げる仕草。それは舞台で彼が何度もやってきたものであった。


「……」


 残される二人。正直、楠には言いたいことが山ほどある。カッコつけて作戦立てたくせに一切成功しなかったこと。結局、自分でやり返す羽目になったこと。

 有言実行なんか全然できないし、屁理屈ばっかりこねるバカだけど、今回は見逃してあげる。


「千尋」


『は、はい……?』


 怯えた声で答える楠。私の顔色を伺うその様子がおかしく、心地良さで危うく吹き出しそうになった。


「アンタは今回の騒動の元凶なんだから、アキにも椿にも謝ってくること。そしたら、私が後はやるわ」


『ありがとう……ございます』


 一呼吸。そして私は彼に告げる。


「……貸二よ」


「……はい!」


 一礼して、ハケていく楠。そして、舞台上に居るのは私と小杉。


 ようやくここまで来れた。計画通りとはいかなかったけど、なんとかスタート地点までたどり着いた。

 小杉侑。アンタは私なんか印象にも残っていないでしょうけど。私はアンタを忘れたことはない。


 それを、たっぷり思い出させてあげる。

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