20話 「二転三転」
椿翔馬の、目が変わった。あの野郎、たったあれだけの時間で、
こちらを向いて、口角だけが上がった張り付いた笑みを浮かべる椿。先程までのあいつが持っていた爽やかさはどこかへ消え去り、どこか不気味な、食えない印象を受ける。
「ハ……ハッハッハッハッ!!!」
大声で笑い出す椿。僕らを含め、観客は皆頭に疑問符が浮かぶ。今のエチュードは、椿が責められているという内容だ。急に告白してきた僕(私)にどうみても小杉という彼女がいる椿がどう答えるのか。
「あぁ……面白ぇ。バレちまった」
『何……言ってるの?』
口を開いた椿が、今までとは全く異なる顔つきと口調で吐き捨てた台詞。僕らは理解できず、小杉と同じようなことを頭に浮かべていた。
「小杉。俺はなぁ、お前に黙ってコイツと親しくしてたんだよ」
「え?」 「は?」
急に僕に近づき、肩を回す椿。その光景が信じられず聞き返すことしかできない小杉と、為す術なく流される僕。
「お前のその鼻持ちならねぇ態度は前から気に食わなかったな。プライドだけ高くてよ」
「……!」
「椿……お前まさか!」
その発言でようやく合点がいった。椿は演技をしていない。ただ自分の感情の赴くままに、やりたいことをやってるだけだ。
その証拠に、僕だけにしか聞こえない声で、
「ようやく気づいたのか楠。お前も案外鈍いところがあるんだな」
「何で小杉に暴言を吐いて傷つけた?」
「傷つけた? 違うな。俺は事実を言っただけだ。事実ってのは誰が聞いてもそう感じる普遍の事象だろうが。それを指摘されて傷つくのは単なる甘えだぜ」
「だからって言い方があるだろ!」
「あーあー、うるせぇ。んなことはどうだっていいんだよ。今俺がやりたいことはこんなエチュードじゃねぇ。楠ィ、お前との直接対決だ。
この男、狂っている。トラウマを乗り越えた後にこんな化け物ができるなんて想像つくか? 行動の理由も読めねぇ。
「今のまま続けたら、間違いなく小杉が乱入してくるだろうが。それじゃつまらん。邪魔だ。
それにあのイケメンの木偶の坊はなにも出来ねぇのは知ってるから、これでお前との一騎打ちだな。楠ィ」
心の底から嬉しそうに話す椿。口角は歪み、子どものような感情を露わにする。いや、悪ガキの方が適切か。
「残念だが、そうはならないかもしれないな」
「何?」
……一つ、誤算があるぞ。大方、僕も直接対決で勝敗を決めたかったと思ってるんだろうけど、そうはいかない。この勝負は、お前が鍵だ。お前から始まった戦いだ。
だから、お前が主役だ。新田。
『そ、その子を離せ。椿』
僕でもわかるような棒読みだったが、新田は前に出て、毅然とした態度で言った。
「あ? 誰だお前は?」
『その子の幼なじみ、だ!』
ぎこちない感じはまだまだ抜けないが、新田が、経験者に立ち向かう姿に、何か熱いものが込み上げてきた。だが、悲しさや感動では断じてない。
「なんか違和感があるな。お前が何か入れ知恵したろ?」
「無策でお前に挑むかよ。それなりに考えてきたんだ」
「んなこたぁ構いやしねぇ、潰すだけだ」
そう言うなり椿へ向き直り、鋭い眼光を宿す。今までのような慢心は何処にもなく、ただ眼前の敵を無慈悲に叩き潰す。
「で、その幼なじみ君が何の用よ?」
『嫌がってる……だろ。止めろ』
明らかに様子が変わった椿の様子に戦きながらも、台詞を続ける。
「何、お前コイツと付き合ってんの?」
「は?」
「違ぇよな? じゃあ口出すんじゃねぇ。」
新田の台詞に反応しながら、椿は思考を巡らせている。初めの違和感の正体を探ろうとしているのだ。ブツブツと何かを呟き、何かを照合しているようだった。
そして、新田に見せつけるように僕の肩をよせて、囁いた。
「俺を見てるようで見てないな。おい楠。あれはお前の指示だろ?」
僕は何も言わない。今何か喋るのはこいつに確信を与える。そんな予感がしたからだ。
椿は構わず続ける。
「あの木偶は俺じゃない俺とお前じゃないお前を見てる。つまり、過去の経験を再現してんだろ?」
鋭い指摘に思わず息を飲んだ。その反応で椿は理解したようだ。ニヤケながら喉を鳴らし、新田を舐めるように見ている。
「ならやることは一つだ。一緒に叩き潰してやるよ」
棒立ちになる新田の方を振り返った椿。そのまま僕の肩から手を離して、歩いていく。
両者が相見え、異様な雰囲気を醸し出す。まさに一触即発。一人が手を出したらそのまま喧嘩に発展しそうな勢いだ。
『なんだよ』
あくまでも毅然とし態度の新田。しかし、僕はその声にある程度の震えがあることに気づいている。
「いやぁ? 生意気な後輩によ。ちょっと手心を加えたいっていう先輩の親切心だよ」
そう言って、椿はいきなり新田に向けて左の拳を繰り出した。
「え?」
僕も新田も、思考が停止する。突然の凶行。常識から外れたその行為に頭は白く染め上げられる。
目を瞑る新田。そのまま左腕が右頬に吸い込まれる直前で、停止した。
「……。って、マジになるなよな。こんなとこで殴っちまったら、大問題だろうが。ハハッ」
張り詰めた空気を、自分で壊すように笑う椿。ヘラヘラとしたその顔は耐え難いほど神経を逆撫でしてくる。
何もできず、その場にへたりこむ僕。心は、完全に折れてしまっていた。実力差ももちろんあるが、それよりも、この男と演技を続けることに対する恐ろしさが勝ってしまったのだ。
そんな僕の気配を察し、椿が語りかけてくる。
「どうしたよ千尋ちゃん。幼なじみがやられそうになって泣いちゃったのか?
これだから初心者は嫌になるぜ。部活も、こっちも経験がねぇ。張合いがねぇよ」
そして、新田の方を一瞥して一言。
「次からはよ、経験者連れてきな」
その言葉を聞き逃さなかったように、新田が口を開いた。
「いま、なんて言った?」
「は?」
急な新田の質問に、思わず聞き返す椿。面食らっている様子が見て取れる。
「言ったよね。経験者連れて来いって。だったら、お望みどおり連れてきてやるよ」
そして新田は、客席に顔を向けた。その視線の先には、大谷さん。彼女は頷くと、隣に座っている女に合図を送った。
大谷さんの隣にいるのは、当然。あいつしかいないわけで。
「ちょっと委員会で遅れて来てみれば……。アンタら一体ここで何をしてたの?」
先に声を出し、観客が一斉に女の方を向く。
そのまま歩き出すのに従って、女の通り道が開いていく。
ゆっくりと、ゆっくりとステージに上がってきたのは――。
「アキ、千尋。そして椿。ちゃんと説明して貰うわよ?」
言わずと知れた経験者にして宿敵。
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