17話 「あるいは裏切りという名の取り引き」

「……気づいてたのか」


「そりゃあれだけ緑葉一年が動き回ってたらね。馬鹿でも気づく」


「誰が馬鹿だ」


「? 君のことではないけど?」


 落ち着け、売り言葉に買い言葉ではダメだ。さっきは自分のあれだけ格好つけた作戦がモロにバレてたから焦っただけだ。落ち着け。


「最初のエチュードの件だよな? 始まりは」


「……バレてるなら話は早い。なぜあんな公開処刑をやる必要がある」


 狙いもお見通しで正直恐ろしかったが、何とか虚勢を取り繕って情報を聞き出す。


「あぁ、あれ? やり過ぎたとは思ったけど、最初にそっちの部長が言ってただろ? 緑葉は全員潰して全国に行くって」


 痛い所を突かれた。こいつの言い分は、初めにそっちが宣戦布告したというもの。確かにそれなら、仕掛けられても文句は言えない。しかし、近況報告のすぐ後に仕掛けるか?


「不思議そうな顔をしてるな。足利さんが、全国を奪うって言ってるんだ。それなら俺たちがやることは君たちと同じ。情報収集と敵情視察だろ?」


「……」


「だから仕掛けた。あの一年のイケメン君には悪かったが、緑葉の力を計らせて貰ったよ。」


「そして、新田をダシにして僕を引きずり出したってわけか」


「正解。正直に言って君は経験者や先輩方の中でかなり注目されてる。そして、同じ一年で経験者の俺や小杉はそれが気に食わない。それも含めて先制攻撃させて貰ったよ」


 多少私怨もあるが、もともとの攻撃対象ではあったという事か。


「経験者には勝てないからって弱点を抉るのはいい考えだと思う。普通は思いつかない」


 だけどな、と椿は一度切った。そして、含めるように、諭すように僕に告げる。


「いくら俺たちが同じ一年だろうとな、トラウマ抉られたぐらいで初心者に負けるほどヤワな人生送ってないんだよ。

 踏んできた場数と修羅場の数が違う。だからよ、あんま経験者を舐めんじゃねぇ」


 完全に僕の負けだ。情報戦の時、既に勝敗は決定していた。僕が自分の建てた作戦に酔ってる間に、こいつらは全て看破していたんだ。

 だが、一つ不可解な事がある。なぜこいつらはそれを僕だけに伝えた? 看破した時点で緑葉側に何かしらアクションを起こせばいい。なぜ、それをしないのか。とにかく情報が足りない。


「……本当の目的は何だ?」


「じゃあ単刀直入に言う。君たちの挑戦を受けよう。そして、ある程度拮抗した流れにもする。どうだ?」


 意味がわからない。こいつらにそれを受けるメリットがない。まだ情報を聞き出せ。椿には、まだ隠していることがある。


「悪い話じゃないだろ? 君たちは演出上とは言え僕らにある程度のリベンジができる。そして、僕らは君の実力が測れる。ウィンウィンだ」


「何を隠している? ……断ったら?」


「別に何も。君たちが経験者に完全に敗北したとわかった上で意味の無い挑戦をするっていう状況が、堪らなく愉快なだけだ」


「クズ野郎め……」


「さぁ、どうする?」


 僕は、仲間を裏切って意味の無い風評を得るか、仲間を信じて勝てる見込みのない戦いに挑むか迷わされていた。イヤ、自分の中ではもう決まっている。それを仲間に告げる事を拒んでいるだけだ。


 腕時計の針の音と、トイレの換気扇の羽音だけが聴こえる。椿はゆったりと構え、僕の返答を待っている。


「……僕の負けか。なぁ椿。その提案、呑むしかなさそうだ」


 その瞬間、椿の顔が卑しく歪む。僕にはわかる。あれは時分の考えが上手くいったときの悦に入った顔だ。

 新田達にどう言ったものかと考えを巡らせていると、椿が口を滑らせた。


「しかし、君たちも無謀なことを考えるよなぁ。いくら何でも経験値が違いすぎるのに、俺たちに勝とうだなんてさ。楠君お得意の女装も使えないし。ウィッグは倉庫にしか無いからね。短髪の君が女声で喋っても違和感は拭えないだ――」


「なぁ、椿。僕の女装はどうだった?」


 単刀直入に、淡々と問う。僕はこの質問に、自分の賽を投げるように思いを込めた。


「そりゃ凄かったよ。映像だけだからなんとも言えないけど、見る限り足利さんと渡り合ってたな」


「そうか、ありがとう。経験者に言って貰えて嬉しいよ」


 そう言って僕はトイレの出口へと進む。椿は終了直前に、決めた流れをメッセージで送ってくるらしい。それに従って、仲間に秘密にしてエチュードをそれなりの物にしたら終了。最悪の取り引きだ。


 僕はそれを、全部わかっててやる。自分が負けることが怖いからだ。仲間を裏切ってまで、この取り引きに応じた。失態を人に見られる事を、いつから恐れるようになってしまったのか。


 あるいは、これは逃げ続けた代償なのだろう。僕自身が、その報いを受ける時が来たのだ。

 鈍いトイレの扉の音が、嫌に胸に響いた。


 *


「チヒロ、何の用? もう講習会終了だよ?」


 あれから少しして、僕は新田を連れてトイレへと向かった。怪訝そうな様子だったが、僕のただならぬ雰囲気を感じ取ったのか、何も言わずに着いてきた。


「新田、すまん」


「え……?」


 僕の急な謝罪に、驚く新田。意味が解らないと言うようにかぶりを振る。


「どういうこと? 流石に説明が欲しいよ」


 当然の追求。僕は包み隠さず、取り引きの内容を伝えた。


「僕たちの作戦は、全て椿に看破されていた。初めから、僕らは負けていたんだ」


「でも……」


「椿にさっき言われた。アイツらの考えに従えば、エチュードをそれなりのものにしてくれるそうだ」


「それなりのもの?」


「あぁ。向こうが流れをある程度決めて、それに従えば、エチュードが成功したように観客に見える。すなわち、観てる人には僕らがやり返せたように見える」


「本当は完全に負けてるよね」


「そうだ、それを知りながら俺たちがやることが、アイツにとって堪らなく気持ちがいいらしい」


 うぇぇ、と吐く真似をする新田。気持ちは分かる。僕も聞いたときそう感じた。


「でも、それなら何でチヒロはオレに謝るの?」


「え?」


 思ってもみなかった方向からの質問に、言葉に詰まる僕。

 何で、なんで……か。


「わかんねぇけど、これをお前に話さないのは何か違ぇと思ったからだ」


「そう……。言ってくれてありがとう」


「……受け入れるのか?」


「え?」


「このままアイツの自己満足に付き合うのか?」


「だってさ、チヒロの策も通用しなかったんだよ? どうしようもないじゃんか。

オレだって最初はムカついたけど、それでチヒロが苦しむのは違うよ。初っ端から勝てるわけ無かったんだ」


 そう言って、無理に笑顔を作る新田。その様子はどう見ても痛ましく、悲壮感を纏っている。新田がここまで折れるのなら、僕が出しゃばる必要は無かったのかもしれない。


「でも、チヒロ。ありがとう。オレのためにいろいろやってくれて。……さぁ、もう行こう」


 新田は僕の手を引いてトイレの外へと向かった。鏡に一瞬写る新田の顔。それを見て僕の中で、何かが決まった。

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