7話 「劇ノート」

 誰も居なくなった教室で先輩が掲げたノートには、何の意味があるんだろうか。正直意味がわからない。


「それが何なんです?」

 我慢できずに口に出してしまった。

 先輩は、その答えを待ってましたと言わんばかりに、鷹揚に返事する。


「これは、全国に行くための計画書だ」


 全国? 演劇に大会があるのか?


「もちろん。来たる十一月、俺たちは県のどデカいホールで演劇を通して戦う。

 意地と意地のぶつかり合い、それが高文連演劇祭よ」


 その後も先輩は、まず十月に地区大会があること。そして、それから少しして県大会。いわゆる演劇祭って呼んでるらしい。それがあると説明してくれた。

 演劇祭は、各地方のブロック大会に繋がる大事な戦いらしく、ここで涙を飲むことも少なくないらしい。


 ちなみに全国は、来年の八月に開かれる。つまり足利先輩は、参加できない事になる。それでもいいんだろうか。だけど、それを聞くのは、何か野暮というか、違うと思った。


「千尋、俺がお前に才能があるって言ったこと覚えてるか?」


 本番前の事だろうか。さすがに覚えてる。

「面白い才能があるって事でしたっけ?」


 先輩は指を鳴らして正解を表す。

「そう、それだ。まずその才能から説明する」


 僕もそれは気になっていた。初対面の人にそんな事を言われても信じられないから。


「千尋、お前の才能はな、誰かの演技をコピーできることだ」


「え?」

 理解ができずに、固まる。コピー? 何のことだ?


「ピンと来てないな、千尋。お前はあのとき奈緒の演技のビデオを見せてから、その通りに演じてたよな」


「まぁ、はい。本番はちょっと変わった気がしますけど」


「それだよ。普通の人間は、与えられた手本に対して、すぐにぴったりの演技はできないもんだ」


「そうなんですか?」


「俺でもできん」

 足利先輩ができないなら、相当って事になる。え? 僕はそんな事が本気でできてんの?


「そして、その才能は本人の演技力や技術によって本家すらも越えることができる可能性を秘めてる事だ」


 更にわけがわからない。


「新歓公演のときは、急ピッチだったからな。発声の仕方とか、姿勢の維持について話すヒマがなかった。これらを身につければ、まず演技力の向上に繋がる」


 声の出し方とか、姿勢が良くなれば、もっと見栄えもするし、客も感情移入しやすいってことか。


「そして、お前の別の武器。それは、性別による多様的な考え方と解釈の素早さだな」


 こっちはまるでイメージができない。性別の方は女装だからなんとなくわかるけども。


「お前、漫画とかアニメのセリフ一人で風呂とか部屋で言ってたタイプだろ」


「なななな何のことですか!?」


「OK、その反応で充分だ」


「待ってください! 訂正を! 訂正させてください!」


先輩は否定する僕を無視して話を続ける。


「アニメとかは特に演技の『手本』だからな。真似しまくってれば、自然と型は身につくさ」


ふぅ。と一呼吸。


「そして、性別が逆だと、お前は男子の気持ちがわかる女を演じられる。これは非常に強い。解釈の幅が広がるからな。そして、台本の解釈の素早さは、あのときの本番を思い出してくれ」


 言われた通りに、思い出してみる。確か僕が走ってきて、先輩ににじり寄る感じで始まったよな。


「あのとき、俺は走って入ってこいなんて一言も言っていない。それをお前が本番に選べたのは、一重に台本に対する考察力や解釈が素早く的確な証拠だな」


 なるほど、言われて初めて理解できた気がする。自分が何となく選んだことが、台本の解釈を広げる結果に繋がっていたのか。


「それも、性別関係なく演じられるお前の武器に関わってくるな」


「以上の事を考えて、お前が目指すべき長期の目標を伝える」


 長期か。短期は、発声と姿勢の矯正だろうか。


「お前が目指すべきは、手本に対して自分の解釈を広げてアレンジして、自分の特色を出せるようになることだ」


 解説は丸投げする。さっぱりわからん。入部三日ではクエスチョンマークだ。


「コピーするだけなら、時間はかかるができるようになる。しかし、コピー演技だと自分の色が出てこない。別の作品や他人からの借り物になってしまう。

 だから、コピーした演技にお前の武器の解釈の素早さを使って、元の演技にアレンジして自分を出していくっていうやり方だ」


「これは、できれば十月までには身につけて欲しい。

練習方法は、引き出しを増やすためにも、アニメ放送してる漫画作品を文章だけ読んで声優そっくりにやってみせろ。それが完璧にできたら、コピー能力は身につくさ」


 すげぇな。たった一度しかやってない、根拠も無いような演技に対して、ここまで可能性を感じてるのは。……これも、期待って奴なのかもな。


「なんか……凄いっすね。僕、自分に対してそこまで考えたこと無かったです」


「まぁ始めたてはそんなもんだよ。俺は拾った才能を潰さずに伸ばしたいってのもあるけどな」


 さっきの怒りは無くなりきってはいないが、不思議と溜飲は下がっている。

 真剣な人間の話、というか先輩の話は人を惹き付ける力があるんだろうか。


「あの、先輩」


「なんだ? わからないところがあったのか?」


「いえ、その、ありがとうございました。僕のために、舞台をさせてもらったり、演技についてすげぇ考えてもらったり。嬉しいです」


 怒りは消えてない。だけど、この感謝も本心からのものだ。実際に僕はあの日演劇に出会ったことで、何かを変えることができたのだから。……いい方向じゃないけどさ。


「いや、演技についてはそうだが、舞台の方は全く違うぞ」


 先輩の返答は全く想像と異なっている。


「え、でもあの舞台は完全に僕のためのようなものじゃないですか」


 そう聞くや否や、先輩は豪快に笑う。


「はっはっは。なるほどな。あの作品についてそう感じたか! いいよ、いい。千尋、やっぱりお前は最高だ」


 一人で勝手に盛り上がっている先輩とわけがわからない僕。


「俺たちがあの台本に決めたのは春休みだからな。千尋の事は全くの誤算だ。嬉しい方のな」


 恥ずかしい。てっきり自分のためのものだと思ってしまった。これは黒歴史になっちまう。忘れよう。


「後な、千尋。なんのために演劇するかの理由も、持ってた方がいいぞ。自分の演技の指針になるからな」


「演技で詰まったときに役立ちそうですね」


「それもあるが、いずれお前が出会う高校演劇人はそういう信念を持ったやつが多い。負けたくないなら、自分の芯は持っておけ」


 なるほど。信念か。なぜ演劇をやるか……?

 ……いくら考えても、先輩とクソ野郎への復讐としか出てこないな。何があっても女装暴露は許しておけねぇ。新田も元凶だ。


「そういえば、先輩はどんな信念持ってるんですか?」

 ふと、聞きたくなって聞いてみてしまった。先輩の信念、すごく気になる。

 すると先輩は、少しバツの悪そうな顔をした。


「まぁその、なんだ、お前が言ったことと同じだよ。何度も演ったり観たりしてるとな、ごく稀に自分のために作られたような作品に出会う事があるんだ。その瞬間が何よりも堪らないんだよ。

 俺は、それを味わうために演劇をやってる」


「映画とかドラマとかで、人生に影響を与えた……みたいなやつですかね」


「まぁ、そうだな」


「すげぇいいと思います。今日一番心にきました」


「うるせぇ」

 照れ隠しか、ぶっきらぼうになる。面白い。

 あれ? そういえばこのいい感じのムードに流されて、何か忘れてるような。


「そういえば先輩、女装が他校にも流れる事がなんでラッキーなんですか?」


 先輩は明らかに「ヤバい」と言った顔でこっちを見る。……この人ホントに役者か? わざとらしいぞ。


「じゃあ先輩、覚悟はいいですよね?」

 燻っていた怒りに、その顔は最高の燃料だ。マッハで加熱して、超高温に亜音速でもっていく。すぐに、マグマのような憤怒になった。


「ええぇ……。結局殴るのかよ……」

 力なくうなだれる先輩。


「それはそれ、これはこれ。……もしかして、他にも理由があるんですか?」


 先輩は九死に一生を得たと言わんばかりに口を開く。

「ある。すぐ次の部活の予定的に、早めにかましておきたかったからだ」


「かます? なんの事ですか?」


「五月第一週にある県の演劇イベントの一つ。県内演劇部総会だ」


 先輩は一度言葉を切り、一呼吸してから続ける。


「県内の演劇部が集まって、部活の事とか、新入部員何人入ったとか言い合うヤツだな。そこで俺たちはでかいのをかます。そう」


 黒板にドデカく文字を殴り書きにする。僕はもう何を書くのか予想できたが、せっかく先輩が格好つけてるんだから黙っておくことにした。


「「宣戦布告だ 」」


 思い切り悪い笑顔になって、先輩は言う。何か企んでるとしか思えないその顔は不気味でもあった。


「あ、そうだ千尋。毎週月曜は部活無いから、覚えとけよー」


 気づいたときには素に戻り、もう教室から走り出そうとしてきた。

 !! 逃がしてたまるか。僕も慌てて教室から飛び出る。もう先輩の姿は小さくなっていた。だが、せめて一発ぶち込まなければ、僕の気が収まらない。すぐに追わないと。


 僕は運動不足とは思えないぐらい速く走って、階段へと向かった。

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