第106話 帰還9 (第1部完)




 「デンカー坊ちゃん、忘れ物はありませんか?」


 ハンスが自分の最後の荷物を代官屋敷から荷馬車に運び、俺に声をかける。


 「うん、多分もうないと思う。さっきダイクが教会に行く前に荷馬車に積んでくれたのが最後かな」


 「何か忘れ物があったら保管しておくぞ。もし戻っても必要ならライネル商会のベルシュ支店に手紙を出してくれれば届けるようにするからな」


 俺達が乗る荷馬車を手配してくれたフリッツ=ライネルはそう請け合ってくれた。


 フリッツは2か月程ハールディーズ公爵家が漁村レルクに作った海産物製造工場の立ち上げにライネル商会の代表として立ち会ってきたが、フライス村への移住者募集については忘れておらず、今回直々に移住希望者を連れてきた。


 フリッツは7台の荷馬車でフライス村にやってきた。荷馬車にはここフライス村への移民が15人程乗ってきており、彼らは教会ではなく代官屋敷に、移住者用の新しい住宅ができるまで逗留し生活する。


 俺達の一行は彼らと入れ替わりに、これから荷馬車に乗って王都に向かって戻るのだ。


 7台の荷馬車のうち5台を俺達は使わせてもらう。

 最も王都までずっと荷馬車で行く訳では無い。ハールディーズ公爵領ベルシュのライネル商会の支店にはラウラ母さんの一行が乗って来た王家の馬車が置いてあるので、乗り換えるのだ。


 当然ハールディーズ家には伝えてある。今夜はベルシュのハールディーズ家別荘に一泊する。ラウラ母さんはジュディ夫人に会えるのを楽しみにしていた。


 「フリッツ、住居の建設に目途が付いたら、炭焼き窯で炭の生産始めてね。試し焼きして使えることはわかってるから。木を切る場所はハーマンさんの指示に従って。それと、王家の畑の奥の氷室にはなるべく雪を貯めといて。移住者のみんなのための食糧は、代官屋敷の倉庫の奥の左端の分ね。これもハーマンさんには言ってあるから適宜出して食べて」


 「ジョアン、心配なのはわかるが私も子供の使いじゃないんだぞ。しっかりやるさ」


 フリッツは漁村レルクの海産物工場の方は弟に任せて、この冬一杯はフライス村の「デンカー商会」の責任者として逗留し、炭の生産管理などを行う他、移住者の指導も行ってくれる。移住者は全員身分的には「デンカー商会」の従業員ということになっており、自分たちの住居の建設が終わったら順次入居し、伐採と炭焼きに従事することになっている。


 「おい、フリッツ。俺の置いてく秘蔵の酒、全部飲むなよな。また春になったら来る予定なんだからよ」


 「残しておいてやるものか。今までどれだけオマエにたかられたと思ってる。全部飲み干しても全く足りんぞ」


 「オマエ、金持ち商人の息子なのに本当にセコいよなあ。

 駄目ですよ~フリッツさーん。そんなにケチケチして縮こまってちゃあ、身長伸びませんよ~? 器も大きくなりませんよ~?」


 「オマエは本当、口が減らないなハンス! ジョアン、春に来る時はハンスの代わりにもっとしっかりした手代を連れて来た方が役立つぞ」


 「まあまあ。春になってみないとどうなるかわからないしね」


 「ちょっとちょっと坊ちゃん、このハンス、結構役立ったと思いますよ?」


 「まあ一度戻って、春のことはまたその時だね。私の希望で全て決まる訳でもないからさ」


 前庭の片隅で人と荷物の入れ替わりの様子を見ていた代官マッシュの吏僚ハーマンがそっと近づいてきた。


 「今年の作物の出来は例年並みでしたよ。頼むよフリッツ、しっかり売り捌いてくれないとバーデン男爵も困るし私も困る。移住者の住居は先行して来た移住者と、デンカー商会の奥方の警護の人達が手伝ってくれて予想よりも安く上がりそうだが、現金が入らないと大工ギルドへの支払いが……」


 「わかってますよハーマンさん。あんまり心配するとマッシュ=バーデン男爵のように頭頂部が寂しくなってしまいますよ。今年は以前の打ち合わせどおり、うちの利益は無しでやらせてもらいますから安心してください」


 「まったく、私は事務仕事が主なのに……早く村長を決めてしまわないと、いつまでも村長の真似事なんて柄じゃありませんよ……」


 ハーマンはそう言って腹に手を当てる。この人結構お腹が弱いのだ。


 「ハーマンさん、バーデン男爵はいつ頃王都に出発することにしたんですか?」


 「明後日の昼過ぎだそうです。ベルシュの辺りで坊ちゃん達に追いついてしまっても困る、ということだそうで……」


 「まあ、私は微々たる力しかないですが、母さんにも口添えをお願いしておくので悪い結果にはならないようにしますよ。ノースフォレスト地区5ヶ村の財政を傾かせる訳にはいかないですから」


 「坊ちゃん、お願いします……ああ、バーデン男爵、私以外に事務方を出来る人材を王都で見つけてきて下さらないかなあ……」


 数字が見える人は苦労が絶えないなあ。わかる。けっこう焦るもの。頑張れ、ハーマンさん。


 「まだ品物は売りに出してないのかい?」


 誰かがフリッツにそう話しかける。


 フリッツは「デンカー商会」として、海産加工品の他、色々な品を売り物として持って来ている。いつも販売は教会か代官屋敷のどちらかで行っているのだが、今は教会が大工ギルドの大工や先行してきた移住者でごった返しているので今週は代官屋敷で販売する。


 だけどまだ荷馬車から下ろした商品を整理していないから販売を始めてはいない。


 「せっかく足を運んでいただいたのに申し訳ありません。今日は品物の整理が追い付かないんで、販売は明日の朝から始めさせていただきます」


 フリッツがハンスとのやりとりとは打って変わり、丁寧な言葉で対応する。


 「そりゃあ残念。今年はデンカーさんの坊ちゃん達のお陰でいつもの年より懐が暖かいんでね、メカブ茶と煮干しを買って少しくらいデンカー商会に返さないとって思ったんだけどな」


 おやおや、嬉しい事を言ってくれるじゃないの。どなた?


 フリッツの陰になって遮られていたその人物を見る。


 おおっと、そう言えば名前を聞いていなかったが、元王家の小作人グループの人で、ジャイアントボアの毛皮なめしや、夕方の勉強会に子供を参加させる口火を切ってくれた人だ。


 「すみません。その節は色々有難うございました。農村のことを何も知らなかった私に色々と教えて下さって、すごく助かりましたし勉強にもなりました。フリッツが暫く村に滞在して商品の販売をしてますので、今後もごひいきにお願いします」


 「ギュンターだよ、ギュンター。俺の名前、そう言えば名乗るの忘れてたね。坊ちゃんが帰る日になって名乗るってのも変な話だが……坊ちゃん、色々村のこと気にかけてくれてありがとう。ジャイアントボアの毛皮、かみさんが家族分の上着作れるって喜んでたよ。またこの村に寄ってくれよな。大したことは出来ないけど歓迎するよ」


 「ありがとうございます。また春になったら戻って来るつもりですから、その時はまた色々とお話を聞かせて下さい。冬の間はフリッツがまた人手を募集するかも知れませんからその時はよろしくお願いします」


 「ああ、そいつは嬉しいねえ。冬はひたすら耐える時期だったけど、何か仕事があるなら本当に助かるよ。ところでダイクさんとリューズちゃんはどうしたの? 姿が見えないけど」


 「リューズは訳あって冬の間は実家に戻ってます。ダイクはドノバン先生とピア、新しく来たフェリって子と、それに私の母さんと一緒に教会のルンベック牧師に挨拶に行ってます。もう少ししたら戻るんじゃないかと思いますけど」


 「ダイクさんがこの村に来てくれてなかったら、ジャイアントボアの食害がひどかっただろうし、帰る前に御礼を言っておきたかったんだけど、まあ仕方ないか。じゃあ坊ちゃん、麦の種蒔き抜けて来たからこれで失礼するよ。また春になったらよろしく」


 そう言ってギュンターさんは王家領の畑の方に去って行った。秋撒き麦の種蒔きも終盤に入っている。それほど急がなくてもいい状況だから様子を見に来てくれたのだろう


 ギュンターさんと入れ替わるように、騒々しくこちらに走ってくる小さな人影が3人。


 エリック、クルト、ヨゼフの3兄弟だ。


 「ししょー、隙ありっ!」


 一番活発なクルトが、ハンスに飛び蹴りを仕掛ける。


 ハンスはクルトの飛び蹴りをひらりと交わし、手刀で軽くクルトの頭を打つ。


 「おいおいクルト、叫びながらじゃ奇襲にならんだろうよ。叫びながら攻撃すんのは突撃だけだ。野生動物相手に威嚇するならまだしも、お前の師匠は野生動物かあ?」


 「何だよー、ししょー驚いたっていいだろ。俺だって随分声出るようになったんだからさー」


 「まあクルトは筋が良いかも知れんな。でも調子に乗ってると体を傷めるからな。教えた体操、ちゃんと農作業や運動する前にやっとくんだぞ」


 「わかってるよー。な、兄ちゃん」


 「クルトは元気を仕事で使えよ。まったく調子いいんだからさ。 ところでジョアン、色々とありがとう。ジョアンのおかげで少しづつだけど、自信がついてきたよ」


 「いやいや、エリックが頑張ったからだよ。私たちは春に戻って来るつもりだけど、冬の間は勉強会出来なくなっちゃうから申し訳ない」


 「いや、そんなの気にしないで。ジョアンたちの好意でやってくれてたことだし、冬の間は自分で少しづつ教わったことを復習してるから。それに冬は夜まで家を空けると、帰った時に寒くて凍えちゃうし、家の中を温め直すのに薪を多く使うことになっちゃうから、丁度いいんだよ」


 「兄ちゃん、薪取るのに苦労してるもんね」

 悪気なくヨゼフがそう兄に言う。7歳のヨゼフは薪のための伐採はまだ危ないので手伝わされてはいなさそうだ。


 「ヨゼフがもう少し大きくなってくれると僕も楽になるんだけどね」


 「冬の間の薪の確保、大丈夫なの? エリックはティモやペーターに随分薪のことでは言われてたけど」


 「うん、一緒に勉強会をやってるイーヴォって子のお父さんのギュンターさん達が最近手伝ってくれてるんだよ。おかげで何とか一冬越せるくらいの薪は貯められそうだよ」


 「なら良かったよ。もし薪が足りなくなったら、デンカー商会の冬の間の責任者のフリッツに言って分けて貰ってね」


 「当然お代は頂くぞ。ジョアンの知り合いでも損するような値では出せないからな」


 「フリッツ、何とか融通してやってよ」


 「ジョアン、商売というものは安く売れば良いというものではないぞ。安く売れば買った者は喜ぶだろうが、それを生産する者にとっては卸値が下がったら死活問題だ。エリック、きちんと定価で買わないと、結局いつか自分達の首を絞めることになるぞ。

 まあ商品を安くすることは出来ないが、時々勉強を聞きに来るくらいなら教えてやってもいい。勉強すればその辺りのことが解るようになるだろうからな」


 「フリッツ、兄キャラ全開だね。エリック、冬の間勉強で判らないことがあったらフリッツに教えてもらってね。それでエリックがクルトとヨゼフに教えてあげればいいよ。人に教えるのって自分の勉強にもなるからさ」


 「そうだね。冬の間頑張ってみるよ」


 俺がそうエリックと話していると、教会へ行っていたラウラ母さん、アルマ、ドノバン先生、ピア、フェリ、ダイクが戻って来た。

 教会のルンベック牧師に帰還のあいさつと、ラウラ母さんから世話になった礼も込めて寄付をしてきたのだ。寄付の金額は教えてもらえなかったが、まあお任せだ。


 ラウラ母さんは俺達と話しているエリックたち3兄弟を見つけると声をかけた。


 「いつもジョアンと仲良くしてくれてありがとう。ジョアンに沢山友達が出来たみたいで私も嬉しいわ。また春になったらジョアンはここに戻って来ると思うから、来年も仲良くしてね」


 「は、はい。ジョアンには僕達の方がお世話になってるようなもので……また春になってジョアンが戻って来てくれたら嬉しいです」


 ラウラ母さんは今日も商家の奥方風のワンピースに髪を隠すスカーフを顎の下で結んでおり、どう見ても王妃という装いではなく親しみやすい姿だと俺には思えるのだが、エリックは妙に緊張して返事した。


 「そう、ありがとう。今日はわざわざジョアンを見送りに来てくれたのね」


 「うん、本当は母ちゃんも来たいって言ってたけど、教会の賄い作りの仕事だから替わりにお礼言っといてだってー。あ、兄ちゃん、母ちゃんに頼まれた煮干し、買ってかないと怒られるぞー」


 クルトはエリックとは違って全然緊張していない。こいつ大物だわ。


 「悪いが今日は商いはしないぞ。荷の整理がこれからだからな。買い物は明日にしてくれ」


 フリッツがエリックにそう伝えると、クルトはもう買い物に興味はないのか、ラウラ母さんを眺めて話したそうにしている。


 「あら、3人のお母さまは教会におられたのね。ご挨拶しておけば良かったかしら」


 「奥様、私が挨拶して紹介したマールさんが3人の母親です」とピアが伝える。


 「ああ、あの人が。ピアに料理を教えて下さったのよね。良かった、しっかりご挨拶出来ていて。

 あなた達のお母さん、お料理とっても頑張っていたわよ。大工の方とか、新しく村に来た方の分を沢山沢山作っていたわよ」


 「うちの母ちゃん、勉強会の時に皆の分のご飯も作ったりするから沢山作るのは得意なんだよー。うちの母ちゃんの料理は美味いぞ! 食べた皆が美味いって言うもん! 見た目の綺麗さはジョアンの母ちゃんに負けるけど、料理は村の誰より上手いんだからなー!」


 クルトが胸を張って得意げに言う。


 「クルト、ジョアンのお母さんに失礼だろ、少しは落ち着けよ」とエリックがクルトを嗜めるが、クルトは図太く気にしない。


 「何だよー、ちゃんとジョアンの母ちゃんも褒めてるじゃん! 綺麗だって」


 「褒めてくれてありがとう。また今度来るときは私も何か料理を作ってみるから、食べて味の感想を聞かせてね」


 「ジョアンの母ちゃんの料理ってどんなのかな、商人の奥方様の料理って楽しみだー。でも、家の母ちゃんの料理の方が絶対美味いからなー、ジョアンの母ちゃん、覚悟しとけよー」


 「はいはい、クルト、母ちゃん自慢はその辺にしとけよ。じゃあ俺達はそろそろ出発するからな。エリックやマールさんを困らせるんじゃないぞ。春に来た時に悪さしたって耳にしたら、おまえだけ特別にしごいてやるからな」


 ハンスがクルトの頭をかいぐりかいぐりし、悪さの辺りでは結構力を込めてグリグリやる。

 ハンスなりの弟子への愛情表現かも知れない。


 「では奥様、こちらの荷馬車へどうぞ」


 警護の騎士がラウラ母さんを荷馬車へ導く。アルマもそれに着き従う。

 ドノバン先生、ピア、フェリも自分たちの乗る荷馬車へ向かう。


 荷馬車の席割は決まっていて、俺、ラウラ母さん、アルマ、ドノバン先生、ハンスが1台、ピアとフェリとダイクが1台、2台に警護騎士2名と兵士が5名づつ、残り1台は俺達の荷物やエルダーエルフから貰ったワイバーンの加工済み鱗などを積んでいる。

 馬車の御者はライネル商会で手配した御者たちだ。


 フェリが俺達と一緒に王都に戻るのは、ダイクがフェリを案じたからだ。フェリ自身はフライス村の教会の孤児院に世話になる方向で考えていたようだが、ダイクは獣人への差別意識を持つ村人がけっこういるフライス村で過ごすことは、これまで人との交流がなかった山猫人間ワーキャットのフェリにとっては人嫌いになってしまう原因を作ってしまうのではないかと心配したのだ。


 ダイクはフェリを自分の元で従者兼騎士見習いとして育てるつもりのようだ。


 「フェリは女ですが身体能力は高く、正式に叙任されるかはともかく騎士に向いていると思うのです」


 とフェリ自身の能力を見込んでのことでもある。


 王都に戻ったらダイクの家に住み込み、騎士としての座学や技術をダイクに付いて学んでいくことになる。


 フェリ自身もダイクには懐いているので、ダイクの申し出に喜んで従った。


 そうしてフェリはダイクについて王都に戻ることになったのだが、フェリとダイクとピアが乗る荷馬車の乗車人数が少ないのは、人ではなくワイバーンの檻を2つ積んでいるためだ。


 卵で持ち帰ったワイバーンの卵は俺が熱を出して代官屋敷で意識を失っている間に孵化し、巣で見つけた幼体と合わせて2体になっている。ワイバーンの成長は思ったよりも遅く、巣で見つけた方が50cm、後で孵化した方が40cm程で、まだワイバーンの特徴ともいえる鷲のような足も、蝙蝠のような翼も形成されておらず、大き目のトカゲのような姿だ。トカゲと違ってきているのは尻尾の先が膨らみ、尖り出していることくらい。まだ麻痺毒ブレスや麻痺毒に着火した炎も吐いたりはせず、尻尾を振るって暴れたりもしないでおとなしいものだ。


 ワイバーンの檻は以前リューズが言っていたように2段に分け、上の段がスライムを入れられるようになっており、下の段にワイバーンを入れるようになっている。上の段と下の段を隔てる部分は細かな金網。ワイバーンが暴れたりした場合、上の段のスライムを尖った棒で突いて破りワイバーンをすぐ無力化できるようにしているのだ。ただしスライムも飲まず食わすにする訳にも行かないので、普段はワイバーンが入っている下の段にもスライムを入れ、ワイバーンの糞などを食べさせ、時々上の段のスライムと入れ替えている。ワイバーンの餌はミミズや虫を与えているので下の段に入っているスライムとは共存できる。ワイバーンもスライムは食べようとはしない。本能で食べたら危険ということが解っているのだろう。

 この檻の弱点は、柵の隙間が広く、時々隙間からスライムが逃げ出してしまうこと。世話をする者が気を付けてスライムを戻してやる必要がある。


 ワイバーンとスライムの世話は檻と一緒に荷馬車に乗るダイク、ピア、フェリがする。


 ピアはワイバーンも結構平気で世話をしているし、ダイクは言わずもがなだ。

 フェリは親ワイバーンに同族を全て食われた恨みがあるのではと思っていたが、ワイバーンの巣で卵を石で割った一件で気持ちの整理がついたようだ。多少のわだかまりは残っているのかも知れないが、自分に出来ることとして餌のミミズや虫を捕まえて来て世話を行っている。今も道中の餌として籐の蓋つきの籠にミミズや虫を入れて持っている。


 荷馬車に載せられたワイバーンの2つの檻は、今は茶色い麻布ですっぽりと覆われていて傍から見れば荷物に見えているので、村人たちに見られても不審には思われない。


 「殿下、名残惜しいですが、そろそろ参りましょうか」


 ダイクが俺を荷馬車までエスコートしようと声を掛ける。俺はその場にいた人にあいさつした。


 「エリック、クルト、ヨゼフ、元気にやってね。春になったらまた農作業教えてね。

 ハーマンさんもお元気で。フリッツと一緒に移住者と村人が上手くやれるようにお願いしますね。

 フリッツ、くれぐれも氷室の雪、頼むよ」


 「任せとけ、上手くやるよ。心配するな」

 「無用な軋轢は御免ですからね」

 フリッツとハーマンさんがそう言って仕事に戻って行く。


 「ジョアンも元気でね。まだ病み上がりなんだから無茶しないように気を付けて」

 「ジョアンも変なもん食うなよー」

 「また来てね」

 エリック達もそれぞれあいさつすると、見送ってくれるつもりなのか代官屋敷の敷地の入り口まで歩いていく。


 俺とダイクも荷馬車に向かう。

 名残惜しいのもあって、俺は物凄くゆっくりとした歩調で荷馬車に向かって歩きながらダイクに話しかけた。


 「ダイクは寂しくならないの? 雪狼たちとも随分長く過ごしたし」


 フデも含め、雪狼たちは森の中に戻している。フライス村など人里は決して襲わないようにとダイクがボスとバロンに厳命しているので、村が襲われることはないだろう。

 ダイクの遠吠えのような号令の後、少しづつ夏毛から冬毛に生え変わっている姿で雪狼たちは森に戻って行った。今朝早くのことだ。


 「あいつらは元々野生ですし、私が居ない間に縄張りを広げて貰いませんと。あいつらの縄張りが広がれば、それだけフライス村も安全になりますから」


 「ダイクには本当に助けられたよ。ダイクを選んでくれたリーベルト先生には感謝しないとね」


 「いえ、私など大したこともしておりません。ハンスやドノバン先生の様に村人たちとの交流を担っていた訳でもありませんし」


 「でも、ダイクが雪狼を手懐けて魔物を追い払ってくれてなかったらどうなってたか判らないよ。ダイクはワイバーンの幼体の世話だってしてくれてるじゃない? 私たちの中で自然の脅威を跳ね除けて手懐ける担当をしてくれてたんだから、一番苦労掛けたんじゃないかな」


 ダイクは立ち止まって、フライス村を取り巻く森を眺めながら数秒黙った。


 そして周囲に誰もいないのを確認して口を開く。 


 「王都では栄えある第1騎士団所属で、王族の警護という重要な職務を担当させていただいている私が、こんなことを言うと他の騎士達には何様だと言われそうなのですが……

 私はこのフライス村で過ごした半年間、とても充実していました。

 私は本来、こうした自然の中の村を守る仕事が性に合っている、そう実感する日々でした。

 私を殿下の警護に抜擢して下さったリーベルト団長には感謝しかありません。

 来年の春、可能であればまた殿下と共にこの村に戻って来たい、私はそう望んでおります」


 森を見つめるダイクの眼差しは、何処か郷愁を感じさせるものだった。


 「……そうだね、私も是非来年の春もダイクと一緒にフライス村を訪れたいって思うよ。

 そしたらダイクももっと私に砕けて話してくれるだろうしね」


 「ラウラ妃殿下や第一騎士団の同僚がいるのに、殿下に砕けた話し方出来る訳ないでしょうが。

 また来年の春、楽しみにしといて下さいよ」


 そう言葉を交わして、俺とダイクは荷馬車に向かって歩き出した。








 フライス村を出発してから1時間程。森の中の荷馬車が辛うじてすれ違える程度の街道を、俺達を乗せた5台の荷馬車は進んでいる。


 騎士と兵士を乗せた荷馬車が列の先頭と最後尾を固め、俺達の乗った荷馬車は3番目。


 藁束を敷きつめた荷馬車はガタガタと揺れ、藁束がクッション替わりになるもののそれ程乗り心地は良くない。

 こちらに来た最初の頃は馬車の揺れに気分がすぐ悪くなっていた俺だが、何度も乗ってようやく慣れてきた。


 俺の横のラウラ母さんは意外にしゃっきりしている。


 エイクロイドへの船旅の時もそうだが、乗り物酔いに強いのかも知れない。


 ラウラ母さんの侍女のアルマは船旅の時もそうだったがあまり乗り物には強くはないらしい。

 だからアルマの気が紛れ、馬車に酔わないようにラウラ母さんとドノバン先生は色々とアルマに話しかけている。アルマもラウラ母さんの実家ハース侯爵家の寄騎の子爵家の3女で、ラウラ母さんに昔から近侍していたので昔の思い出話を色々話し、ドノバン先生は聞き役になっている。ドノバン先生は上手く相槌を打ってラウラ母さんとアルマの話を引き出して会話を弾ませていた。


 「リューズの嬢ちゃん、見送りに来ませんでしたね」


 ハンスが黙って話を聞いていた俺に話しかける。


 「そうだね。まあ春になったらまた会えるし、リューズもニースさんやマリスさんとまだゆっくり過ごした方が良いと思う。会うと一緒に来たくなるかも知れないから、これで良かったんだよ」


 「結構リューズの嬢ちゃん、好奇心旺盛でしたもんね」


 「エルダーエルフって寿命が長いんだから、リューズにはこれからまだいくらでも勉強したり見聞を広げたりする機会はあるよ。でも恥ずかしがらずに親に甘えられるのって小さい頃だけだし。この冬は沢山ニースさんやマリスさんと過ごして親の愛を一杯浴びる程感じた方がいいと思うよ……うん」


 ハンスとそんなとりとめもない会話をする。


 荷馬車の中は、車輪の音やラウラ母さん達の会話の声でけっこう賑やかだ。


 その賑やかさに紛れて、聞こえるか聞こえないかくらいのかなりの高音が聞こえた気がした。

 長く聞こえては途切れ、また長く聞こえ……


 「ハンス、何か高い音聞こえない?」


 「いえ、特には。高い音っていうと車軸が軸受けに擦れる音じゃないですか? 聞こえませんよ」


 いや、簡単な構造の荷馬車だから車軸からそんな音がしたら故障手前なんだけど。車軸が擦れる音じゃない。


 ハンスに聞こえず俺に辛うじて聞こえる高音、ひょっとして……


 エルダーエルフの角笛か?


 俺は幌が開いている荷馬車の最後尾に急いで行くと、森を見渡した。


 すると俺達の荷馬車が走っている街道脇から30m程離れた森の中を、白っぽい冬毛交じりの雪狼が並走しているのが見えた。


 その背にぴったりうつ伏せの姿勢で乗っている、弓を背負った緑の髪のエルダーエルフの少女の姿も。


 「リューズ!」


 俺は荷馬車から半身を乗り出し、雪狼の背に乗るリューズに手を振った。


 俺の大声を聞いて、何事かと荷馬車が最後尾から徐々に停車する。


 俺の乗っている荷馬車も停車したので、俺は荷台から飛び降りて外に出た。


 前後の荷馬車に乗っていた警護兵が荷馬車から降りて俺の前に立って壁を作り森の不審者から俺を守ろうとするが、雪狼の右足の目印とリューズのことを知っている警護騎士たちが「大丈夫、村に居た雪狼と、殿下のご友人だ!」とそれを制した。


 俺は森に入ってリューズに駆け寄った。


 ハンスとダイクも俺を追ってきた。


 雪狼のバロンに乗ったリューズはするっとバロンから降りると日本語で話した。


 『あーあ、自分だけ王都に戻っちゃうなんて、ずるいなあ』


 リューズが笑顔で俺を揶揄からかうように言う。


 『ごめん、リューズ。俺が病気にならなかったらリューズが『生命の木』のことでマリスさんやニースさんを困らせることも無かったし、一緒に王都に来る話もできたのに』


 『そんな真面目に謝られてもなあ。私がジョアンを助けたかっただけだし、助けることが出来たんだから後悔してないよ。

 それにお父さんお母さんに転生のこと話す良いきっかけにもなったしさ。何だかんだ言ってもジョアンとジョアンのお母さん、それとピアさんが私を後押ししてくれなかったら勇気が出なかったよ』


 『それは俺もだよ。俺が意識を失ってる間にリューズがラウラ母さんに転生者だって伝えてくれたお陰で、俺はラウラ母さんに対する胸のつかえが取れたんだ。やっぱりずっと隠し事をしてこれから何十年も生きてくのって辛いからさ。

 まだラウラ母さんと侍女のアルマと、ドノバン先生とピアの4人だけしか知らないことだけど、いつかハンスやダイクにも話せる時が来るといいなって思ってる』


 『私もお父さんお母さんに私のことを知って貰えて、すっきりしたよ。まだ私が転生者だって言ってない時にお母さんが『生命の木』になってもいいって言い出して、私は何でこんないい人たちの元に産まれたのに前世の親のことが忘れられないんだろうって、凄く自分が情けなくってさ……

 でも転生のことを知っても変わらずに私を愛してくれるお父さんお母さんと過ごしているとね、そんな私でもいいのかなって思えるんだ。

 前世の親にもう1度会いたいって気持ちはあるけど、それも含めて今の私を本当に大事にしてくれて、育てようとしてくれてるから。

 何か少し気持ちの整理がついたよ』


 『お互い、やっとこの世界で生きてく踏ん切りは着いたって感じだね』


 『そうだね。どこに居たって私は私で、私が自分で上手く頑張らないとって思ってたけど、少し他の人に頼ってもいいかなって思えるようになったよ。思えば前世でも自分で決めたことに自分で縛られてた部分もあったし、大人になる、一人前になるっていつも気を張っていたのかも知れない。転生しても自分は変わってないって思ってたけど、気を張った自分が本当の自分なんだって思い違いしてたのかも知れない。

 せっかくこの世界の優しいお父さんお母さんの元に生まれ変わって、そんな私を許容して愛して貰えてるんだからね。その時の周囲の環境で少しづつ変わる自分を受け入れてくのも大事なのかなって思ったんだ。

 だから、これからもよろしくね、ジョアン。春を楽しみにしてるよ』


 『こちらこそよろしく、私の主治医のリューズ先生。リューズは世界一の名医だから』


 『それ、絶対私のこと揶揄からかってるでしょ』


 『いや、そんなことない、本当に。今回のことでリューズが治療してくれなかったら俺は多分本当に死んでたんだと思う。

 まだ誰にも言ってなかったけど、今回熱でうなされてる時に俺の魂だけ前世の、俺が死んで数日後の世界に戻ったんだ。

 妻を残して死んだ心残りがあって、妻に想いを伝えたいって俺は切望してた。

 でも魂だけだと本当に無力だった。生きて動けて言葉を発することが出来るって、どれだけ凄いことなのか、ようやくわかった気がする』


 『ジョアンて前世で結婚してたんだ。子供はいたの?』


 『いや、俺と妻の間に子供は出来なかった。だからかな、リューズの両親のマリスさんとニースさんの気持ちが想像つくんだ。

 エルダーエルフはなかなか子供が出来づらいって言うけど、それでも長い間子供が出来ないのって、夫婦で普通に暮らしていても普段は意識してないんだけどふとした瞬間に寂しさを感じるんだ。

 だからリューズが産まれて来てくれたのは二人にとっては一番幸せを感じる出来事だったんだと思う。リューズのことを二人があれだけ可愛がるのも心配するのも、気持ちはわかるんだよ』


 『……』


 『今更リューズの両親の気持ちを俺が言う必要もないけどね。

 それでね、俺の前世の妻は凄くしっかりした女性だったけど、子供が出来なかったことも含めて気弱になることもあったんだ。そんな時には俺って気の利いた言葉とか出ないからさ、抱きしめてあげるくらいしか出来なくて。

 生前の俺ってそんなもんだったけど、そんな俺でも先に死んだら残された妻は寂しいだろうと思ってね、妻と一緒に過ごせた時間は俺にとっては凄く幸せだったから、その気持ちは伝えたいって思ったんだ』


 『……その気持ち、奥さんには伝えられたの?』


 『うん。魂だけの存在って何も出来ないんだ。現世の世界の人からは見えないし聞こえない。魂だけでは存在もできないから空気の塊に宿ったんだけど、ちょっとの風で凄く飛ばされるし、換気扇に吸い出されるしでね、妻の所まで行くのも大変だった。

 でも転生特典で貰った力って魂に付与されてるらしくてね、何とか妻の所に行けたら俺の『何となく考えてることを伝える力』のおかげで妻に感謝の気持ちは伝えることができたよ』


 『……そう、心残りだったことを果たせて、良かったね。

 私にもそういうことが起こるのかな……?』


 『どうだろう? 前世の世界で会ったトリッシュは、俺達みたいなイレギュラーな魂の宿った体が生死の境をさまよう状態になったら半ば抜けた魂が本来の流れを無視して未練のあった世界に戻った、って言ってたけど、毎回起こるのかもわからないし。それに魂だけで戻っても、魂だけで存在できる時間って限られてるって言ってたからね。俺達の前世の世界だと死んでから7日間だってさ。

 あと、俺が前世に戻ったのとは直接関係ないけど、その時トリッシュが言ってたのは、近しい存在だった魂は魂同士引き合うのか、わりと同じ世界の近しい存在に宿ることが多いって言ってたよ。

 気休めみたいなものだけど、マリスさんとニースさんがリューズの前世の両親の魂が宿った存在って可能性も、ちょっとはあるかもね』


 『おばあちゃんの魂も……?』


 『可能性はあるんじゃないかな? 今回俺に新芽をくれた『生命の木』になったイスクさんってエルダーエルフがそうかも知れないしね。最も前世の記憶は皆リセットされてるから確認のしようもないことなんだけど』


 『……そうだね、もしかしたら身近な人に前世の知ってる人の魂が宿ってるのかも知れないって考えると、何だか寂しくなくなるもんね。

 ありがと、ジョアン。私また前世のことで悩んだら、今の話を思い出すよ』


 「殿下、殿下ばっかりリューズと話しててズルいでしょう。

 いくらエルダ―エルフの一生に一度の魔法で二人だけで意思疎通できるからって、俺達だってリューズとはもう仲間なんですから!」


 傍で俺達をハンスと一緒に見守っていたダイクが、俺達の会話が何となくひと段落した様子なのを見計らってそう抗議してきた。


 「ゴメンゴメン、ダイクさん。ジョアンがさ、ボクと離れるのが寂しいってゴネてたんだよ。二人に聞かれるのが恥ずかしいってさ」


 「殿下は荷馬車に乗ってる時もリューズちゃんが見送りに来なかったって寂しがってましたからね。意外に年相応の面もあるんですよ」


 「ハンス、私は寂しがってなかったよ! 春になればまた会えるんだしさ、そう言ってたじゃないか」


 「いやいや、殿下はリューズちゃんのことを話してる時、言葉とは裏腹に遠い目をして寂しがってましたよ。隠しても私にはわかります」


 「そうかー、ジョアンは意外に寂しがり屋なんだね、ヨシヨシ」


 そう言ってリューズは俺の頭を撫でる。

 おいおい、ノリノリだな、リューズ。けっこう真面目な話の後なのに、切り替え早っ。


 「バロンはリューズの集落に行ってたのか。バロン、エルダーエルフに迷惑かけるなよ。毛皮にされたくなかったらな」とダイクがバロンに近づきながら言う。


 「バロンの群れはボク達の集落近くに落ち着いてるよ。ワイバーンのせいでジャイアントボアとか西の森から逃げて来た魔物が多いから、狩ってくれるのは大歓迎なんだ」


 「だったらしばらくは群れに対して威厳を保てそうだね。エルダーエルフの集落へ行くとバロンはいつもゴロゴロしてたから」


 俺が覚えてる限りバロンはいつもエルフの集落にいる時はのんびりしていた。


 「今日も姿を現したとたんに、うちの前で日向ぼっこしてサボろうとしてたよ。だからボクに捕まってここまで走らされたんだけどね。ダイクさんが居なくなっても楽はさせないよ」


 「リューズにせいぜいこき使われな、バロン。春になって鈍ってたら群れのボスの威厳が吹っ飛ぶ程シメてやるからな」


 と言ってダイクはバロンの背を撫でてやっている。バロンも気持ちよさそうだ。


 「でもリューズちゃん、今日はここまで来て良かったのかい? マリスさん達に許しは貰ってるの?」


 「うん、お父さんお母さんにはちゃんと言ってきたから大丈夫。時々フライス村に行くのもその日のうちに戻るなら止められてないからね。そこまでボクは箱入り娘じゃないよ。

 そうそう、皆が帰る前にこれを渡そうと思って来たんだ」


 リューズはそう言うと、腰に付けていた革製のポーチから何かを取り出した。


 「はい、これ、エルフが使ってる角笛。人族には聞こえないくらい高い音を出すけど、ボク達には聞こえるからね。

 春になってまたジョアン達がフライス村に戻って来ても、ジョアンは面倒臭がってボクに伝えに来ないんじゃないかって心配になってね。だから他の人にも渡しておこうと思って。

 代官屋敷で一緒に暮らしてた人の人数分はあるから、皆に渡しておいて」


 そう言ってリューズはハンスとダイクに数cmの大きさで首から下げられるように紐を通してある角笛を一つづつ渡した。


 「ドノバン先生とピアさんにも渡しておいてね。フェリちゃんの分もあるけど、フェリちゃんはエルダーエルフのことを怖がってるからね、どうしようか」


 「フェリは俺の元で騎士見習いとして色々学ぶことになると思うから、俺から渡しておくよ。リューズからの贈り物だって聞いたら喜ぶと思う。俺達も耳が良いから俺とフェリの間の連絡に使えるだろうしな。エルダーエルフについての思い込みはなあ……時間をかけてわかってもらうようにするよ」


 ダイクがまとめて3つ角笛を受け取り、ドノバン先生の分一つをハンスに渡す。ピアとフェリには荷馬車に戻ったら渡すつもりだろう。


 「あれ、私にはくれないのかい」 


 俺がそう言うと、リューズは自分が首にかけていた角笛を外して俺の首に掛けてくれた。

 俺の方がリューズよりも身長が低いからあっさりと首に掛けられる。

 俺の首にかけてくれた角笛は、何か他の角笛に比べると少し細工が甘く不格好だ。でも何となく味わい深い作り。


 「ジョアンにはボクが作った角笛ね。まだ他のエルフに比べて上手く作れなかったからキュークスにはバカにされたけど、ジョアンだったらいいかなって。王宮でずっと付ける必要ないし、村に来た時だけ使えばいいんだからいいでしょ」


 そう早口で言うリューズは、自分が作った角笛に自信が持てないのか目を逸らして横を向く。


 「でも、さっき使ってちゃんと音が出るのは確認済みだから。春に戻って来たら使って知らせてよ」


 俺はその角笛を吹いてみた。 

 キューンというとにかく甲高い音が鳴る。


 ダイクは聞こえているようで耳がピクッと動いたが、ハンスには聞こえていないようで不思議そうな顔をしている。


 「うん、ありがとう、リューズ。大事にするよ」


 「ちょっと癖のある音だから、ジョアンが吹いたのかちゃんとわかるからね。王宮の何処かで無くしたりしないでよ。

 学術書も楽しみにしてるから、ジョアンのお母さんにもしっかり念を押しといてね」


 リューズはそう言うと、照れ隠しなのかふわっとバロンの背に飛び乗った。


 「じゃあ、ボクは帰って母さんの手伝いをしないといけないから。

 来年の春、絶対戻って来てね。それじゃ」


 そう言うとバロンの首を軽く叩き、森の奥にバロンを走らせ去った。


 『ありがとうリューズ、前世を知ってる仲間が出来て、俺は心強かった!

 必ず戻って来るから、元気でなー!』


 俺は走り去っていくバロンの背に乗ったリューズに、日本語で精一杯の大声を出してそう呼びかける。


 リューズはバロンに乗ったまま、こちらを振り返らずに走り去っていく。


 でも、右手を挙げて、俺の声が聞こえたことを知らせていた。


 あっという間にバロンとリューズの姿は森の木々に隠れ見えなくなった。



 「リューズちゃん、あっさりしたもんですね」とハンスが言った。


 「まあリューズらしいって言えばリューズらしいな」とダイクが言う。


 俺もリューズらしいな、と思った。


 春までの一時の別れだし、そこまでべたべたするようなものでもない。

 時間の感覚が幼い頃に戻っているから、時間の経過をやたら長く感じてしまうけれども。

 前世で生きていた頃は半年なんてあっという間に過ぎていた。

 8歳の今は、物凄くこの半年間が長く感じた。

 それだけ俺にとっては色々なことが起こって、色々なことを経験し学んだ充実した期間だった。

 春までの半年も、今の俺にとっては長く感じることだろう。

 でも、フライス村に戻ってくればまた会えるのだから。

 一度繋がった絆は互いが誠実ならそう簡単には切れないし、再会すればより強固になる。

 だから、そのために必要な別れだから、湿っぽくならなくていいのだ。


 「ハンス、ダイク、戻ろうか。ラウラ母さんをあまり待たせちゃ悪いからね」


 「そうですね、戻りましょう。でも殿下、侍女のアルマさんのためにはここで長く休んでくれても良かったんですよ」


 「フェリもミミズ探しの時間にしてたでしょうからね、多少ゆっくりでも良かったんですがね」


 「二人は何を言ってんの?」


 「角笛を通して間接キスでしょ? 良かったんですか引き留めて直接じゃなくても。あっさり別れて心残りないんですか?」


 「ハンス、何を期待してたんだよ! 私は8歳だよ、はっ・さ・い! しないよそんなこと」


 「ハンス、殿下をそんなに茶化しちゃ悪いぜ。そうゆうのはまた来年の春以降だっての、焦りすぎんなよ」


 「仕えてるあるじを茶化すなんて、護衛騎士の風上にも置けないな! そこになおれ、手打ちにいたす」


 「やだなあデンカー坊ちゃん。まだデンカー坊ちゃんでしょ?」

 「帰るまではデンカー坊ちゃんでいいじゃないですか」


 そう言って笑いながら逃げる二人を、俺も笑いながら追いかけた。


 また来年の春にフライス村に皆で戻って、こうして楽しく過ごすことに思い馳せながら。


















 王子に転生してこりゃあいいやと思っていたらこれはこれで苦労があるようです。


                     第1部 おしまい

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王子に転生してこりゃあいいやと思っていたらこれはこれで苦労があるようです。 桁くとん @ketakutonn

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