第105話 帰還8




 俺の熱病と手術の後遺症はすっかり治っていて、日中はまた王家領の畑の作業を手伝い、夕方からエリック兄弟や村の子供たちとの勉強会の日々を再開した。


 農作業の方は畑起こしは殆ど終わっていて、秋撒きの麦の種蒔きが始まっている。

畝を立てて筋蒔きではなく単純なばら撒きなので作業自体は大変ではない。エリックの弟のクルトはこうした勢いよく行う作業は好きなようではしゃいでいた。

 勉強会にはフェリも参加しているが、フェリは1桁の簡単な足し算、引き算は身についていた(指折りすれば出来た)が、ネーレピア共通語の文字には触れたことが無く、他の元小作農の子供たちと一緒に自分の名前を書くところから始めている。


 ラウラ母さんは勉強会の間は部屋に籠り、様々な所に書状をしたためていたようで広間に出てくることは無かった。侍女のアルマがマッシュの吏僚ハーマンさんの部屋に時々行って何かを確認したりしていたので、フライス村の地味や地勢に関してのようだ。何か今後に向けて下準備の下準備といったことらしく、これに関してはラウラ母さんにお任せするしかない。



 俺が回復してから5日後の10月最終週、俺とラウラ母さんはリューズたちと共にエルフの集落に来ていた。


 雪狼たちに乗ってエルフの集落まで来たのは俺とラウラ母さん、リューズとドノバン先生、ハンスとダイクの6人の少人数だ。ピアとアルマとフェリは代官屋敷に残っている。


 ラウラ母さんはフライス村への道中、護衛騎士4名と10名の兵士に警護されて来ていたが、代官屋敷の一室に宿泊していたラウラ母さんの護衛騎士4名は皆ダイクとは同じ第一騎士団で面識はあったようで、俺の病が回復してから夜に旧交を温めていた。ハンスの酒に付き合わされひどい目にあった騎士もいたようだ。警護の騎士たちは雪狼には乗り慣れていないため、今日はヒヨコ岩周辺で待機してもらっている。


 警護の兵士たちは代官屋敷ではなく教会に分宿していた。教会は新たにフライス村に移住してきた者たちの住居を作るためにシュリルから来た大工たちと既に移住してきた7名ほどの移住者がおり、警護の兵士たちは彼らと一緒に住居の建設をフライス村に到着した日から手伝っている。俺達がエルフの集落に向かう今日も住居建設を手伝っている筈だ。


 森の中の護衛はハンスとダイクが務めることになった。


 雪狼の背に乗って移動すると、雪狼が然程早く走らなくても人の移動に比べて十分速い。

 マリスさんとニースさんへの贈り物のコタツを背負わされた雪狼たちのペースに合わせているので早歩き程度の速さだ。


 ラウラ母さんもスカート姿だと雪狼に乗れないので、今日はズボンを履いている。

 ラウラ母さんにとっては初めて乗る雪狼だが、意外に楽しんで乗りこなしていて筋が良い。


 俺は王宮でのラウラ母さんしか知らなかったが、フライス村でのラウラ母さんは意外に活動的だし、会話も上手だ。

 イザベル母さんの貫禄があり過ぎるため(決して見た目のことじゃないぞ)ラウラ母さんのことは儚げな人だとずっと俺は思っていたが、やはり一国の王妃となる女性は逞しい部分が必要なのかも知れない。

 俺はそんなラウラ母さんの新たに見えた一面を、ただひたすら眩しいなって感じていた。


 エルフの集落に着いた時、この集落の殆ど全て、30人程のエルダーエルフが集落の中心の広場に集まっていた。非公式ながらアレイエム王国の王妃がやって来るということで、歓迎の意を示してくれたのだ。

 いつものようにリューズの家に行くだけだと思っていた俺達は驚いた。

 俺達は広場から森の中の木々に布の屋根を張り壁も布で貼った集落のエルダーエルフ全員が入れる程の広さのテントに案内された。

 そこは普段は共有スペースで、糸紬ぎをしたり発酵食品を作ったりするのに使われているそうだ。基本的に共有スペースで作る物は集落の共有財産という事になっているそうで、各家庭で必要な分を使うそうだ。

 同じようなテントが森の中に幾つかある中の一つということで、俺達が案内されたテントの中は今日は物が片付けられていた。


 そこで持ってきたコタツの贈呈と、簡単な挨拶をラウラ母さんがした。

 ラウラ母さんはあくまで俺の母親としての立場でのあいさつに徹した。

 まだアレイエム王国として、暗き暗き森のエルダーエルフと正式な交流が開かれている訳ではないからだ。


 ラウラ母さんの挨拶後、簡単な立食会が行われた。

 芋煮のように芋類、野菜、肉をミソで煮込んだものと、おでんのように串に刺した野菜類と肉をショウユで煮込んだものが振る舞われた。おでんのような煮込み串のダシはシイタケで取られている。芋煮の方は複数の肉と溶ける程煮込まれたイモ類が味に深みを出していて素朴ながら美味い料理だった。

 ハシは使わず、木をへら状にしたスプーンを使って食べたが、初めて食べる料理をラウラ母さんは抵抗なく食べ、通訳のドノバン先生を介して作り方をニースさんに尋ねたりしているうちになごやかに立食会は終了した。


 今はリューズの家の建物の中に俺とラウラ母さんと通訳のドノバン先生、そしてリューズとリューズの両親のマリスさんとニースさんだけになっている。

 

 ハンスとダイクにはコタツなどの贈答品を運んで貰った後、しばらくエルフの集落内で、ワイバーンの鱗の加工などを見学してもらうように伝え、最初の挨拶の時に同席していたエルダーエルフに案内してもらっている。


 すでに形式的な挨拶は先程の歓迎の集まりで済ませている。


 ニースさんが入れてくれたペパーミント茶を飲みながら、ラウラ母さんは早速本題を話し出した。


 ラウラ母さんが俺とリューズが転生者ということをマリスさんとニースさんに話し、ドノバン先生がラウラ母さんの言葉を訳して伝えると、マリスさんとニースさんはまるで以前から知っていたかのように笑顔を崩さずに聞いていた。


 「マリスさんもニースさんも、思ったよりも驚きませんね?」


 ドノバン先生の方が拍子抜けしたように二人に尋ねる。


 マリスさんとニースさんの様子を緊張して見ていたリューズも、二人の平然とした反応にかえって驚き、「お父さん、お母さん、驚かないの? 自分の子供が他の世界の存在の意識を持ってるんだよ!」と大きな声で問いただした。リューズはリューズなりに、ピアと話して色々と思うところはあったのだろう。覚悟を決めていたようだが、穏やかな二人の様子に肩透かしを食らったように感じたようだった。


 「リューズ、貴方を産んだのは私よ? 前世の記憶? それがあったらリューズは私の子では無くなってしまうと言うの?」


 とニースさんが平然と言った。


 「リューズも知っていると思うけど、エルダーエルフはなかなか子供ができないの。リューズは私とマリスが長い間待ち望んだ結果、やっと授かった子供なのよ」


 続けてマリスさんが「それに転生者という存在がこの世界に現れることは、実は私たちエルダーエルフには伝えられていたんだ」と耳を疑うようなことを言った。


 「マリスさん、それってどういうことですか!」

 「長老がトリッシュなの?」


 俺とリューズは反射的に聞き返した。


 「リューズが今言ったトリッシュ、というのがジョアン殿下とリューズをこの世界に導いた今代の導き手なのかな?」


 「そうだよ、お父さん。トリッシュって言ってた」

 「そうです、トリッシュです。この世界である程度の地位にある生物の魂って言ってました」


 確かにエルダーエルフの長老ならある程度の地位にある魂、この世界を代表してもいいと思える。しかしあんな軽い性格が長老ってのもちょっとな……


 「残念ながら今のエルダーエルフの長老はトリッシュという名前ではないよ。多分二人の導き手は他の種族だろう。

 ただ、先代のエルダーエルフの長老、 レーヴェ様は他の世界の迷える魂の導き手として何度か魂をこの世界に導いたと伝えられている。だから私たちは転生者という存在がこの世界に現れることを知っていたんだ。

 他の世界から導かれた魂=転生者は、前世の記憶を持ち、何らかの他とは違った力を持っている、ということも聞いているよ。

 リューズの様子を見ていると、弓や魔法の習得が早いし、エルダーエルフにしては好奇心旺盛だった。それにリューズは自分では気付いていなかったかも知れないけれど、時々不思議な言葉で独り言を言っていることがあった。

 ジョアン殿下とリューズが初めて森の中で出会った時に、私たちが監視をしていたのは前に話したね? 

 ジョアン殿下とリューズが私たちの知らない言葉で会話できていて、なおかつジョアン殿下以外の人族が二人の会話がわかっていない様子だったのを見て、もしかしたらジョアン殿下とリューズは転生者なのかも知れない、とは思っていたんだよ」


 ……なるほど、そういうことだったのか。


 ラウラ母さんのように我が子のことだけに薄々は普通の子供とは様子が違うと分かっていた上で、様子が違っている理由も伝承で朧気に見当が付いていたんだ。その上で変な疑惑を持たずに愛情を持って見守っていた。

 だから、今伝えられてもマリスさんもニースさんも驚かなかったんだな。ただ確認ができたって感じなのか。


 「お父さん、お母さん、ごめんなさい……私のことを見守ってくれていて、そこまで察してくれていたのに……なかなか正直に打ち明けられなくてごめんなさい」

 

 リューズはうなだれてしまったが、ニースさんがそんなリューズを抱き寄せて、頭をそっと撫でる。


 ニースさんに慰められるリューズを優しく見ながらマリスさんが言葉をかける。


 「いいんだよ、リューズ。さっきニースも言ってたけど、前世の記憶があろうとなかろうとリューズは私たちの愛しい娘なんだから。私とニースが夫婦になって、40年待ってようやく産まれて来てくれたんだ。心から感謝しているよ。これからも私たちに沢山甘えておくれ」


 「うん……ありがとうお父さん、お母さん」


 リューズはそう言うと、頭を撫でていたニースさんに抱き着いていた腕にギュッと力を込めた。


 俺やラウラ母さんやピアに言われたくらいで自分の感じている感覚を変えられるものでもないだろうが、リューズはリューズなりに自分の前世と折り合いをつけてこの世界で生きていくつもりなのだろう。ニースさんを抱きしめるリューズの腕の力の強さは、ニースさんをこの世界での母親だということを自分の腕に刻もうとするかのようだった。


 俺とリューズが転生者だということはマリスさんとニースさんにすんなりと受け入れてもらえた。

 リューズの前世の両親の記憶による認識のずれは、子供らしく甘えることで埋まって行ってくれるだろう。


 しかし、リューズがマリスさんとニースさんに甘える時間を取るとなると、リューズが俺達と一緒に王都に行くというのは止めておいた方がいいだろうか。


 今までの会話をドノバン先生に通訳してもらって聞いていたラウラ母さんが「実は今回私たちと一緒にリューズさんを王都にお招きしようと思っていたのですが、止めておきましょう。リューズさんはまだお二人と一緒に過ごされる必要があると思いますから」と話し出した。


 ドノバン先生がそれを通訳する。


 ラウラ母さんは続けて

 「ジョアンも一度王都に戻ります。ですが来年の春、またこちらに戻れるように手配いたします。せっかく出来た友達のリューズさんとジョアンを離れ離れにしてしまうのは忍びないですから。

 そして、リューズさんにはジョアンを助けていただいた御恩があります。リューズさんのご希望はこの世界の学問を広く学びたいということだと聞いております。ですからリューズさんへのせめてもの御恩返しとして、この暗き暗き森からそれ程離れずに学問に触れられる場所を作りたいと思っております」

 と話した。


 マリスさんはリューズとニースさんを見て、「その申し出は私たちとリューズにとって有難い申し出です。本当によろしいのでしょうか」と答える。


 「はい。エルフの皆様には貴重な『生命の木』の新芽も分けていただきましたし、リューズさんには前世の知識でジョアンを助けていただきました。私とジョアン、ひいてはアレイエム王国にとって皆さまは恩人です。

 私は一応これでもアレイエム王国の第二王妃です。

 私は今回、リューズさんがジョアンの治療をしてくれた際に触れたリューズさんの知識を、アレイエム王国の民衆のためにも広めたい、そう思いました。

 リューズさんから伺った公衆衛生を広げる組織を作りたいと考えております。

 リューズさんの医学についての知識は現時点でおこの世界に並ぶものはないでしょう。リューズさんにもっとこの世界の学問を知っていただき、深めて磨き上げるお手伝いをさせていたくことは、私の考える公衆衛生にとっても将来的には益がある、そう思っています。

 ですからフライス村に、学問書を置き実験もある程度できる場所を作ろうと思います。

 マリス様とニース様にとっても、リューズさんが遠く王都に行かれるのは身を切られるように切ない事だと思いますから、なるべく暗き暗き森から離れずに済むように。

 将来、リューズさんがご自分でご自分の未来を決められる時までは、ご家族と一緒に過ごす時間は多い方が良いでしょうから」


 マリスさんはドノバン先生が訳すラウラ母さんの言葉を聞いて、しかし疑問に思った部分があったようだ。


 「ラウラ様、今のあなたの申し出は私たちとリューズにとっては大変有難いことです。ですが、今のあなたの言葉はジョアン殿下の母君としてなのか、それともアレイエム王国の王妃としての言葉なのか。

 ジョアン殿下の母君としてならば私たちも有難くお受けいたしますが、アレイエム王妃としての言葉であれば、それは私とニースにとっては自分の娘が人族の王家の利益のために利用されるということになります。それは簡単に容認することはできません。

 そもそも私たちエルダーエルフとアレイエム王国との関係はまだはっきり決まっておりません。私の一存では判断付きかねることです。私は単なるこの集落のおさでしかありません。私たち暗き暗き森のエルダーエルフ全体に関わることであれば、我々の長老の判断となってきます」


 ラウラ母さんは少し目を閉じ思案した後、謝罪から入った。


 「リューズさんがもたらしてくれた新しい知識があまりに素晴らしかったので、つい先走ってお二人に誤解されるような言い方をしてしまいました。謹んでお詫び申し上げます。

 暗き暗き森のエルフの皆様からすれば、何度も暗き暗き森に野心を持って踏み込んで来た人族に対していい感情は抱いておられないでしょうし、野蛮な人族に可愛い娘が利用されるという心配をされるのも当然のことです。

 エイクロイドが暗き暗き森周辺を治めていた時代は確かに人族は暗き暗き森を征服しようと何十万という軍を送りエルフの皆様の領域に踏み込みました。エルフの皆様にとっては迷惑でしかなかったことでしょう。

 しかしこの地にアレイエム王国が成立して以来、アレイエム国王自身の意思でもって暗き暗き森を我が物にしようと攻め込んだことは一度もありません。不幸にも国内の貴族家が野心を持って森に踏み入り、エルフの皆様にご迷惑をおかけしたことはありましたが、その貴族家に関しては既に我が王家によって取り潰されております。

 暗き暗き森のエルフの皆様はジョアンの話を聞く限り自然と共に生きておられ、国家というような集団意識を形成されていないそうですね。ですからアレイエム王国として暗き暗き森のエルフの皆様とどのように付き合っていくべきなのか、私にはまだよくわかりません。

 貿易交渉のように互いの産物の取引から付き合いを始めるとしても、現状では私たちアレイエム王国の側だけにエルフの皆様から多くの益をもたらしていただけるだけで、暗き暗き森のエルフの皆様にとって益になるものを私たちが提供できるのか、それすら私は知らないのです。一方的に恩恵を受けるだけでは対等とは言えませんし、そうした関係はいずれ破綻するでしょう。

 ですから、アレイエム王国王妃としての私の考えは、いずれ正式にお互いの立場について取り決めを交わし、対等な関係を築きたいと希望します。ただ、現状はまだ私たちはお互いのことをあまりにも知らなすぎる。

 ですから、お互いのことを知るための交流の糸は繋いでおくべきである、と考えます」


 「なるほど。王妃殿下は私たちと将来的な共存を望まれる、ということですな。確かに私たちエルダーエルフと人族との間にこれまで交流は全くありませんでした。リューズがジョアン殿下と出会ってからようやく僅かに始まった段階です。この糸は切らない方が良い、それに関しては私も同意します」


 「先程のリューズさんが学問書を読むための場所については、ジョアンの母としての私のお返しです。

 リューズさんもフライス村で人間の知己ができましたし、私とジョアンは常にフライス村に居られる訳ではありませんから、いつまでも代官屋敷に逗留するわけにもいかないでしょうし、フライス村に作る学問書を読むための場所は、村でのリューズさんの居場所として考えていただけると宜しいかと思います。

 ジョアンもフライス村が気に入ったらしいので、フライス村に来た時にリューズさんと色々と前世の知識とこの世界の知識をすり合わせをしてくれることは期待しています。その過程で色々と必要な物も出てくるでしょう。そうした便宜を図るために先程私の言った公衆衛生を広げる組織の建物、ということにして誰か責任者をおけば多くの学術書があっても不審に思われませんし、少し突飛なものを発注したりしても研究の為ということにしておけば、リューズさんとジョアンが前世の知識を持っているということが他に漏れない、ということです」


 「では、エルダーエルフとアレイエム王国との間の話ではなく、リューズの人族の村での居場所として学問書と住居、付随してリューズとジョアン殿下が色々と研究出来る場所を、ジョアン殿下の母君としてのラウラ様が与えて下さるということでよろしいのですね。そのために先程の公衆衛生の組織の一部署という名目を付ける、と。

 例えばの話、私がそこでリューズと一緒に暮らしても良いと認識しても良いのですね?」


 「はい。それは一向に構いません」


 「暗き暗き森に住まうエルフについては、人族の間でも恐れられています。リューズが暗き暗き森のエルダーエルフということを知っているのは数える程しかいません。暗き暗き森のエルフとは意思疎通ができないと思われているのです。ですから人族の言葉を話せるエルダーエルフなら、その場所でエルダーエルフだと知られずに過ごすことはできると思います。マリスさんが人族の言葉を覚えれば大丈夫ですよ」と俺は口を挟んだ。


 「いや、それは例えばの話です。私もこの集落のおさとしての責任がありますから。でも、リューズの身を守るために人族の言葉を覚えた者を警護に付けたりすることも可能ということでしたら安心できます。

 そしてその建物を交流にも使う、というお考えなのですか?」


 「いえ、マリスさん、交流についてはたまにこうして贈り物をして、通訳してもらってでも話が出来ればそれでいいのです。お互いの価値観を知ることが大事なのですから。その建物を交流のために使うかどうかは些末なこと。私としてはこうして集落を訪れさせていただいた方が嬉しいです。

 マリスさんには、暗き暗き森のエルフの長老にその現状を伝えていただく役割を担っていただきたいと私は希望します。

 今回お贈りしたコタツ、お気に召していただけましたか?」


 今回持参したコタツは3組。エルダーエルフの住居内は地面に敷物を敷いているだけなので、王宮で使っているようなコタツを乗せる台は持ってきていない。日本で言うコタツの部分と掛け布団だけだ。地面を掘ってそこに木炭などを置いて貰えば使える。


 「火を焚き毛皮の毛布にくるまって眠ることに私たちは何の不満もありませんが、こうして人族の考案した暖房器具というものを見るにつれ、貴方方の生活を快適にするための工夫というものには感心しますし、実用品なのにまるで工芸品のような装飾を施すというのも私たちの感性とは違いますね。

 ただ非常に手の込んだ美しい仕上がりだとは思います」 


 「そうですか。仕上がりを褒めていただいたこと、その布団を縫製した前王妃、アデリナ=ニールセンもきっと喜びます。美しく仕上げることは私たちにとっては精一杯の相手に対する誠意ですから、受け取っていただけたのは嬉しいことです」


 「失礼な物言いになってしまい申し訳ありません。私たちの価値観は人族の方からすると理解しがたいものなのでしょう。ですが、相手の誠意を無下にするほど自分たちの価値観が優位と考えている訳ではありません。有難く使わせていただきます。長老の元にも一組、送らせていただきます」


 「わかっています。今後もこうして少しづつ、互いのことを理解しあえるように、その糸だけは繋がせていただきたいと願っています」


 ラウラ母さんとマリスさんの話がひと段落したようだ。


 俺が回復した時、リューズが『生命の木』の新芽のことを言うのに何となく口ごもっていたことを思い出して、俺はマリスさんに尋ねた。


 「ところでマリスさん、ニースさん、この度は貴重な『生命の木』の新芽をリューズに託してくださってありがとうございました。おかげで私の命はこの世界に留まることができました。

 でも『生命の木』の新芽を人族である私に使っても良かったのでしょうか? 何かリューズに罰を科す、なんてことはありませんよね?」


  「……今まで『生命の木』に関する物は一度も森の外に持ち出されたことはありませんし、エルダーエルフ以外に新芽を使ったこともありません。西の森のワイバーンの巣があった場所までリューズが来てジョアン殿下に『生命の木』の新芽を使わせて欲しい、と言い出した時も当然最初は断りました。

 でも、取り乱して泣きじゃくるリューズを見ていたニースがとんでもないことを言い出したので許さざるを得なかったのですよ」


 「ニースさんはワイバーンの巣には行ってなかったんじゃないですか?」


 「鱗などを運ぶために交代で取りに行ってたんですよ。殿下たちが退治したワイバーンの素材加工の方は殆ど作業がひと段落付いていましたから」


 「お母さん、ごめんね、私、本当に自分勝手で……」


 「何を言ってるのよ、リューズ。愛しい娘のためにできることをしようって思っただけ。ジョアンさんも転生者で、リューズは助けたかったんでしょう? なら、その願いを叶えたいって思っただけよ。リューズが私の元に産まれてくれて、元気に育ってくれて……他の者からすればまだ早いって思うかもしれないけれど、私は全く思い残すことは無かったのよ」


 ニースさんの言うことは確かに不穏だ。まるでこの世から去るかのような物言い……って!


 「ニースさん、ニースさんが『生命の木』になる……そういうつもりだったんですか!」


 「そうよ。私が『生命の木』になれば、その新芽を娘のリューズがどう使ってもかまわないもの。マリスが反対しようと関係ないわ」 


 「……勝手な言い分だよ、ニース。残される私の気持ちも考えて欲しいものだ。そんなことをニースにさせたら、私はリューズにどれだけ恨まれるか……ひどいことを思いつくものだ」


 「母は時に夫よりも子供を選ぶ……そうね、そういう場面になれば私もそうかも知れないわ」

 ラウラ母さんがドノバン先生が伝えるニースさんの言葉を聞いて、ネーレピア共通語で小声で呟く。


 その呟きを訳そうとしたドノバン先生をラウラ母さんは止めた。


 「ドノバン先生、恥ずかしいから伝えなくていいわよ」


 マリスさんも聞きたくないだろう。世のお父さんは寂しいものだ。


 「ニースはまだ十分気持ちに張りがある。わざわざ『生命の木』になることなんてないのです。私だってニースが居なくなってしまったら……

 それでこの集落まで戻って、集落で守っている『生命の木』に伺ってみたのですよ。

 『生命の木』は許してくれました。それで新芽をリューズに託したんです」


 「そうでしたか……何とお礼を言って良いか……マリスさん、ニースさん、それにリューズ……」


 「決して『生命の木』の新芽は生物を生き返らせたり、万病を治したりするものではありません。衰弱して弱った者の活力を最大に回復させる、そういうものです。殿下が回復されたのは、殿下の体が病に打ち勝ったからですよ」


 「いえ、何も喉を通らない私を回復させてくれたのはリューズが手術で胃に入れてくれた『生命の木』の新芽ですから。リューズと私が持っている前世の知識にも、そんなものはありませんでした」


 「だとしたら、殿下はこの世界に生かされたのですよ。もし恩に感じて下さるならば、これからもリューズ、そして私たちの誠実な友として在り続けて下さい。それで十分です」


 「……私ジョアン=ニールセンは、リューズを初めエルダーエルフの皆様の誠実な友として在り続けられるよう努力します。

 でも……何でマリスさんはそんなに寛大なんですか。私は何もエルダーエルフの皆さんのお力になれていません。本当にずっと色々と教えていただいたり助けていただくばかりで、そんなに見返りを求めず寛大な態度ばかり示されていると、私のようなちっぽけな存在は、どうしていいのか……」


 「エルダーエルフが全て寛大だとは限りませんよ? キュークスのような跳ね返りもおります。

 それに私も言われる程寛大でもありません。妻や娘を失うことを恐れる、単なる男なんですよ。妻と娘の安寧を脅かす者に対しては容赦することは出来ないでしょう。今回のことで私は自分を知りましたよ。私にとっては妻と娘の方が『生命の木』よりも大事なんだとね。この集落最年長で『生命の木』になったイスクが許さなかったとしても、私はイスクの新芽を取ったでしょう」


 「イスクさんに感謝いたします。寛大なる『生命の木』に」


 ラウラ母さんの言葉をドノバン先生が通訳して伝えると、マリスさんとニースさんはにっこりと笑みを浮かべた。










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