第104話 帰還7
俺が意識を取り戻した日から3日経ち、俺はすっかり元気になった。
恥ずかしい話だがラウラ母さんとリューズの2人と話した日までは、熱病に罹っていた間に失われた水分と栄養を体が完全に吸収していたのか一度も排泄をしなかった。
次の日に久々の排泄欲求を感じ代官屋敷の外のトイレに行くためにベッドを出ようとしたら、その時俺の看病に付いてくれていたラウラ母さんに止められ、おまるで排泄するように言われていたのだ。
見ないようにしてくれているとは言え部屋の中でおまるに排泄するというのは、この半年間代官屋敷外のトイレに行く生活に慣れてしまった俺には抵抗があり気恥ずかしかった。おまるの中身の処理をピアやフェリ達にやってもらうのも……駄目だな、普通の性癖の俺には耐えられなかった。
だから元気になったな、と実感できたのは代官屋敷の外のトイレでスキッと排泄し、
代官屋敷の広間でハンスやダイクと顔を合わせた時も、久々に見る二人の顔に感極まった。部屋で療養している間、二人は部屋には来ずに警備をしていた。最もリューズが使った手術用の器具の針金細工などは二人が作ってくれたものが大半ということだったので、二人が俺の治療にまったく関わっていない訳ではない。
そんな訳で顔を合わせるのが久々過ぎて、何て話しかけようかと考えて戸惑ってしまったが、ハンスとダイクの方が先に俺の姿を見ると、片膝を付き礼を取った。
「殿下、病の快癒、お慶び申し上げます」とハンスが堅苦しく俺に祝意を伝える。
「待ってよ、ハンス。そういう堅苦しいのはここでは止してよ。今の私はデンカー商会の息子のジョアンなんだから」俺は慌ててそう答え、傍らにいるラウラ母さんにも確認を取る。
「そうでしょう、ラウラ母さん? 王宮内ならともかく、ここではここでの今まで通りの関係性でいないと、村人たちに不審に思われてしまいます」
「そうね。いいのよ、ハンス、ダイク。私だってここではデンカー商会のジョアンの母、ラウラとしての立場なんだから、正式な礼儀は不要よ。でも、王都に戻ったらしっかり弁えてね」
「ハッ、有難きお言葉」
駄目だな、まだ固い。
「ハンス、ハンスの秘蔵の蒸留酒のおかげもあって私は良くなったよ。こっそりフリッツから度数の高い蒸留酒を手に入れてくれていたハンスのお手柄だね。ハンスの酒コレクションが思わぬ形で役に立って良かったよ。ラウラ母さんの護衛の騎士も何人か来てるみたいだから、今晩辺り残った蒸留酒で祝杯あげてもいいんじゃない? たまにはダイクも一緒にさ」
「……はい、お堅いコイツと一緒に今晩は祝杯を上げさせてもらいます。たまには付き合えよダイク」
「お前、リューズに渡した蒸留酒って北方のロデリア帝国産のクソ度数高い奴じゃねえか! あんなもん呑むのに最後まで付き合える命知らずはフリッツくらいなもんだ! 全くお前の肝臓は一体どうなってやがるんだかわからんよ。まあ適当なところまでは殿下の快気祝いだ、付き合ってやるよ」
うん、ようやく元のペースに戻ってくれたな。
こうでないと二人の前に戻って来た気がしない。
「そうそう、二人のそんな掛け合いが私にとってのここでの日常だからね、やっと命永らえることができたって実感が湧いて来たよ。その調子で頼むね」
「ドノバン先生、ちょっといいかしら」
ラウラ母さんがドノバン先生に声をかける。
リューズの両親と会談する際の通訳の話をこれからするためだろう。
「ラウラ母さん、ドノバン先生と話すのでしたら私も一緒に話を聞いてもよろしいでしょうか?」
「ジョアンが良ければいいわよ。まだ挨拶していない人に会わなくていいの?」
「ピアとリューズにフェリは厨房でしょう? 久々にメカブ茶の味が恋しいので厨房で入れてもらいます。その時にみんなに簡単にあいさつしておきます。話をしながら喉を潤せるように人数分メカブ茶を持って行きますので、少しだけ部屋で待ってていただけますか?」
「わかったわ。じゃあジョアンの部屋で待ってるわね。ドノバン先生、では一緒にお願い。ジョアンの普段の様子をもっと聞いておきたいわ」
そう言うとラウラ母さんはアルマを伴ってドノバン先生と俺の部屋に行った。
厨房に行くと、果たしてピアとリューズがパンを焼いており、フェリがそれをたどたどしく手伝っていた。
「リューズ、ピア、フェリ、私の看病を一生懸命やってくれてありがとう。おまるの中身の廃棄とか面倒なことまでやってもらってごめんね」
「いえ、殿下、快癒されたようで嬉しく思います」
「え、ピア、意外と冷静だね。もっと感激してくれるかと期待したのに」
「殿下は覚えていらっしゃらないかも知れませんが、殿下が意識を取り戻したのを最初に確認したのは私ですから。あの夜に喜びは嚙み締めました」
「ピアさん、あの夜は泣きっ放しだったからね。それでもボクが疲れてるんじゃないかって気を使ってくれるのは流石だけど」
「私はリューズさんと違って殿下の病を直接治せる訳ではありませんからね」
「でもボクが教えた吸収しやすい飲み物を作ってくれたり、体の清拭やシーツの交換とかもやってくれたり、手術の時にドノバン先生と一緒に助手もしてくれたし、ボクが頑張れたのもピアさんのおかげだよ」
「そんなにピアが色々やってくれたんだね」
「いえ、私のやるべきことをやったまでです。侍女のアルマ様にも普段なさらない洗濯などもして頂いていたのですから、私が手を抜くわけにも参りません。それにラウラ様も殿下の清拭や着替えを手づから行われておりましたし、ここに来たばかりのフェリちゃんも色々と手伝ってくれて助けてもらっていましたから」
「そうか。フェリも来たばかりで慣れていないのに色々手伝ってくれてありがとう」
「……だって、私も出来る事やらないと……ピアさんにも良くして貰ってるし……皆ジョアンが治って欲しくて頑張ってたから……」
「フェリ、ピアもここに来て半年で料理を覚えたんだよ。今じゃ私たちの誰よりも料理が上手くなったけどね。フェリも徐々に慣れて色々覚えていけばすぐに何でも出来るようになるよ」
「うん……ジョアンも色々教えてね」
フェリはワイバーンに集落を全滅させられてから一人で隠れて生きていたし、
ピアは本当にフライス村に来てから、王宮の頃以上に頼れるようになっていて、もう一メイドの範疇に収まるものではない。
一通り3人に感謝の挨拶をして、メカブ茶をピアに淹れてもらう。
テーブルの上にはパン種は残っておらず、焼きあがったパンが並べられており、最後に窯に入れたパンが焼き上がるのを待っている状況のようで、フェリとリューズは洗い物をしていたので余裕はあるようだ。
「ピア、これから私の部屋でラウラ母さんとドノバン先生が話をするんだけど、私はピアも一緒に聞いておいて欲しいと思うんだ。だからメカブ茶を一緒に人数分運んで欲しいんだけど」
「殿下、それは私が魔法を使えるようになったことに関しての話ですか?」
「いや、話す内容は別のこと。でもピアが魔法を使えるようになったことと、あとドノバン先生とピアが将来一緒になることも、ラウラ母さんの耳に入れておいた方がいいかと思ってね」
ドノバン先生とピアの結婚についてはもう俺とリューズからラウラ母さんの耳には入れているが、やはり本人たちから直接伝えるべきだと思う。王宮に戻ってからメイドを統括するイザベル母さんにも伝えないといけないことだが、その際にラウラ母さんに口利きしてもらった方がいいだろう。
それに、俺とリューズが転生者ということもピアに知っておいてもらった方が、ドノバン先生の気持ちの負担と、今後の動きやすさの点でもいいと思う。
「わかりました。私たちがお付き合いしたことを王妃殿下にお話しするのも、ドノバン先生だけにお任せすると口が滑って王妃殿下のお耳に入れるにふさわしくないことまで話してしまうかも知れませんしね」
二人が付き合うきっかけになった、ドノバン先生が口を滑らせたことを思い出しているのかも知れない。
これはドノバン先生、結婚して年齢を重ねたとしてもずーっと言われるな。
一応5人分のメカブ茶を用意してもらい、ピアと一緒に俺の部屋に行くと、ラウラ母さんとドノバン先生が会話をしており、侍女のアルマが傍らに侍っている。
「お待たせしましたラウラ母さん。メカブ茶、いかがですか」
「いただくわね。ドノバン先生には色々と話を聞いていたからドノバン先生も口を湿らせた方がいいでしょう。アルマ、アルマも座って飲んでね」
「奥様、私は」
「アルマ、ここでは私は商家の奥方よ。アルマも他の方の前では上手く演じてくれているのに、私の前だと王宮での態度になるのは止してね。呼び方を変えるだけでは駄目よ、こういうことは。だからアルマも一緒に飲んで頂戴」
「……わかりました、ラウラ奥様」
ピアが運んで来たメカブ茶のカップをラウラ母さんはテーブルに置くと、アルマをそこに座らせた。
「カップは5人分あるわね。もしかしたらピアにも一緒に聞いて貰おうってことかしら、ジョアン?」
「はい、ピアはここでの生活をするにあたって家事などを殆ど担ってくれていましたし、リューズやフェリとも上手くやってくれています。知っておいて貰った方が私とドノバン先生の気も楽になりますので」
「そう。ピア、ドノバン先生に聞いたわ。おめでとう。あなた達の結婚の時には親代わりとして祝福させて欲しいわ」
「いえ、ラウラ様、そんな恐れ多い」
ピアは慌てている。ピアのこんな様子も俺は初めて見るので新鮮だ。
そんなピアの様子はラウラ母さんにとっても微笑ましいのだろう。
「孤児だったあなたを王宮で引き取って働いてもらっていたのだから、それくらいはさせて欲しいわ。畏れ多いというのなら、デンカー商会の奥方ラウラとして祝福してもいいわよ?」
と悪戯っぽく笑う。
ラウラ母さんのこんな一面も俺は初めて見る。けっこう少女っぽい部分があるんだなあ。
「私の気持ちはそうなのだけれど、アレイエムに戻ってからイザベル様にも正式にお伝えしなければね。その上でどうするか決めましょう。ピアとドノバン先生の意向もあるでしょうからね。
それで、これからする話、ジョアンがピアにも聞いて欲しいということだからピアも同席して貰いたいのだけれど、一つだけピアに確認しておきたいの」
「……何でしょうか、ラウラ奥様」
「これから話す話は、ここにいる5人とリューズさん、それとリューズさんのご両親だけの秘密にしておきたいの。みだりに他に漏れるとジョアンとリューズさんの命に関わることになるかも知れない内容なのよ。
ピア、あなたは2年前にあてがいの件をジョアンに対してうっかり口を滑らせるということがあったわね。2年前の件はもう終わったことだし許してもいるわ。
でも、今から話す件に関しては例えあなたにとってどれだけ近しい人であっても2年前のようにうっかり漏らして欲しくないの。
約束してくれる?」
「……そこまで重大な秘密なのであれば、私のような一メイドが聞くべきではない、と思われますが」
そう言って尻ごみするピアに、俺は口を開く。
「ピアはここでみんなのまとめ役になっている。それだけピアはしっかりした女性だと私は思ってるんだ。だからピアには知っておいて貰いたいって私は思ってる。多分ドノバン先生もそう考えるって思うよ。夫婦の間で秘密があるのは心苦しいだろうから」
ドノバン先生も「ピアさんが一緒に聞いてくれるなら、私は助かります。ピアさんが秘密を漏らすことはない、と私は信じています」と言ってくれた。
「わかりました。私も殿下とリューズさんの命に係わるような秘密は漏らすようなことは致しません。例え孤児院の頃から姉妹同然に育ったカーヤに対してもです」
「ありがとう、ピア。あなたはジョアンに信頼されているし、実直なドノバン先生の心を掴んだのだから私も信頼するわ。
アルマ、あなたも私がハースの家にいた頃からの付き合いだし、あなたの人柄は信頼している。だから私がこれから話す件で色々動く時に手伝ってもらいたいの。お願いね」
侍女のアルマが黙ってうなずくのを確認したラウラ母さんは、一拍置くと端的に秘密を皆に伝えた。
「私の子供ジョアンと、エルフのリューズさんは転生者なの。前世で同じ時代、同じ地域で生活し、同じことが原因で死んでこの世界に生まれ変わり、前世の記憶を持っているのよ」
俺とリューズが転生者だと聞かされたドノバン先生とピアとアルマは、黙っている。驚いた様子はそれ程伺えない。
「それはやっぱり、殿下の治療の際にわかったことなのでしょうか」とドノバン先生が落ち着いて尋ねる。
「ええ、リューズさんから手術を提案された時にリューズさんから告白されたわ。ジョアンのお腹を切り開くなんて、普通なら野蛮な行為でしかないもの。私は当然断ろうと思ったけど、リューズさんが自分とジョアンは転生者だと告白して、前世での治療方法だからと言ってね。
私はジョアンの様子で思い当たるところがあったから、リューズさんの提案に賭けてみようって決心したのよ」
「やはりそうでしたか。手術という方法もそうですが、リューズさんが手術に当たって要求する器具や消毒と言う概念も聞くにつれ、エルフの間に伝わる療法とは何か一線を画しているのではないかと思っておりました。エルフの里で彼らの生活を見聞きしている範囲だと、彼らは人間のような病気にはそれほどかからず、怪我の治療も治癒魔法で行っておりましたから」
さすがドノバン先生、鋭い考察だ。エルダーエルフの集落でワイバーンの素材加工を手伝っている時も、素材の加工法だけを知ろうとしていたのではなく、生活の様子なども観察していたんだな。
「ラウラ母さんの言う通り、私とリューズはアレイエムとは違う世界で生まれ育った前世の記憶を持っています。違う世界の日本という国の同じ地域で生まれ育ちました。前世で産まれた年は全然違ってますけどね。
だから同じ日本語と言う言語が話せるんです。私とリューズが初めて会った時に意思疎通できたのも同じ日本語で話せたからです。一生に一度しか使えないエルフの魔法、なんて言って誤魔化してすみませんでした」
そして俺は前世のことを話した。
俺とリューズの享年、隕石の落下に巻き込まれて命を落としたこと、ラウラ母さんにも話した医学や衛生についてのことなどだ。
全て聞き終わったドノバン先生は、「殿下が聡明な理由が腑に落ちましたよ。前世で50歳を超えた年齢だったのであれば周囲への気遣いや調整が年齢以上にできることも頷けます」と言い、ピアも「殿下が型破りな理由がわかってすっきりしました。でも精神が大人でも6歳で大人の冗談を平気で言われるのは如何なものかと」と冷静に感想を言った。
話している中で、どちらかというとリューズが転生者だという事の方が二人は驚いたようだ。
俺のことは何か薄々感じていて、俺の話を聞いて腑に落ちた、という様子だった。
「確かに、殿下とリューズさんに前世の進んだ知識があると知れ渡ってしまうと、殿下を狙って前世の知識を利用しようという者が出ないとも限りません。また、進んだ医療知識などはオーエ教改革派には受け入れられると思いますが、本道派の中でも原理主義の者に知られるようだと邪法で世を惑わす者として付け狙われる可能性も出てくるかも知れません。
私は牧師です。殿下とリューズさんの秘密を決して洩らさないと神に誓いましょう。ピアさんも私の伴侶となっていただく方です。ピアさんが秘密を漏らすことはないと言い切れますが、万が一の場合は私が責めを負います」
「ドノバン先生、私も神に誓えます。ドノバン先生だけに責めを負わせることなど致しません」
そう言うとドノバン先生とピアは俺とリューズの秘密を守ることをラウラ母さんの前で神に対して誓った。
オーエ教の神が広く信じられ根付いているこの世界で神に対して誓ったということは、俺とリューズが転生者である、と言う秘密を決して洩らすことはないだろう。まして厳格な牧師であるドノバン先生であれば。
それに俺は神への誓いがなくともドノバン先生とピアが秘密を漏らすことはない、と信頼している。やはり俺にとっては半年間フライス村で一緒に寝食を共にし、人となりを深く知ったということが二人に対する信頼の大きな拠り所になっているのだ。
「ドノバン先生、ピア、これからもジョアンとリューズさんのことをよろしくお願いするわね。多分二人は前世の便利なことを再現したいと考えるようになると思うの。その時に二人だけでは難しかったり、不審に思われたりしてしまう恐れがある。私も当然力になるし、私が動くのをアルマに手伝ってもらうようにするけれど、ドノバン先生とピアには二人の傍で助力し相談に乗って貰いたいのよ」
「はい、ラウラ妃殿下。非才の身なれど精一杯尽力させていただきます」
「私は2年前の失敗でどんな責めを負わされても仕方ないと思っていました。王家の方々はそんな私を許して下さるどころか、そのまま私をジョアン殿下付で使い続けて下さった上、ドノバン先生との結婚まで許していただくなど、大きな御恩を頂いております。この御恩はこの身で一生返していく覚悟はできております。ジョアン殿下の助けになることであれば如何様な事でもお申し付けいただきたく存じます」
ドノバン先生とピアは、そう返答してくれた。
俺にとってもリューズにとっても、転生前の知識の話ができる相手がいて協力してもらえるのであればこんなに有難いことはない。
「ピア、固いわよ。でも二人とも受け入れてくれて嬉しいわ。
王宮に戻ってもジョアンとリューズさんが転生者だということは両陛下にもしばらく伏せておくわ。申し訳ないけどアデリナ様とジャルランにも。
王宮内にも色々と派閥めいたものがある。今のところ表面化するほどの
私はアデリナ様が作り上げた今の王家の形にひびが入ることはしたくないの。だから両陛下たちにジョアンの秘密を伝えるのは折を見てになるわ。
それまで、この秘密は胸に秘めておいてね」
ラウラ母さんはこの場にいる者を見渡しながらそう伝える。それを伝える時のラウラ母さんは俺に対する母の顔とは違った、王妃としての威厳を覗かせる表情だった。
「それで私は王宮に戻ったら、ジョアンとリューズさんが今回話してくれた公衆衛生を広く推し進める部署を作りたいと思っているの。
ジョアンとリューズさんが教えてくれた健康についての話や病気の予防や治療がアレイエムにとって大事な事だからというのも当然あるけれど、ジョアンとリューズさんが前世の知識に基づいて何か便利な物などを作りたい時に、その部署で必要なことということにすれば目立つことは少なくなると思うからね。
ドノバン先生とピアはその時にジョアンとリューズさんの助力をお願いするわ。
実際にその部署を組織し、人を集め、予算も取り、これまで医療を担っていた教会との折衝をして……王宮でもやることは多い。当然両陛下にも相談しながら進めていくし、アレイエム全体をカバーする組織にするには何年もかかるでしょう。アルマは私のそうした王宮での動きの補佐をお願いしたい。アルマ、頼めるかしら」
「奥様の御心のままに」
「そう、あなたには苦労をかけてばかりね。いつかあなたの忠心にしっかり報いたいと思っているわ」
俺はラウラ母さんの侍女のアルマとの接点が殆ど無かったけれど、ラウラ母さんとアルマの間には俺とドノバン先生とピアの間にあるようなしっかりした絆があるのだろう。
「アルマ、私からもお願いするよ。ラウラ母さんを今後も支えてあげて欲しい」
「はい、坊ちゃん。私も坊ちゃんに醜態を晒して心配をおかけしないように心掛けますよ」
アルマはにっこりと微笑んで答えた。醜態っていうのは昨年のエイクロイドへの船旅での船酔いのことだろうな。アルマは免れたが、股間と首筋に冷水をぶっかけられるのは勘弁して欲しいのだろう。
「ではドノバン先生、リューズさんのご両親に会うときに、私の通訳をお願いするわね。リューズさんはまだご両親に転生者という事を伝えていないみたいなの。私はジョアンが転生者だということがわかって良かったと思っているし、多分リューズさんのご両親もリューズさんが転生者だとわかっても親子の愛情がブレることはないと思うのだけど、リューズさん自身は伝えることをためらっているみたいだから、私も口添えをしたいと思っているのよ」
「はい、奥様。責任重大ですが精一杯務めさせていただきます」
「ピアにも一緒に来てもらった方がリューズさんにとっては心強いかも知れないわね。ピア、来てくれる?」
「……いえ、私は今まで一度も暗き暗き森には入らず代官屋敷の留守番をしてきましたから、急に私が同行するのはどうかと思います。昼間の代官屋敷も村人たちの出入りがありますし、マッシュ=バーデン男爵の吏僚ハーマン氏も今は滞在しておりますから不審に思われるかも知れません。
リューズさんとは夜、フェリちゃんが眠った後で話してみます。リューズさんが勇気を出せるように」
「フェリが目を覚まして二人の話を聞かれたりすることはない?」
隠れ里で長年暮らしていて初めて人間社会に来たフェリに転生云々の話を聞かれても、フェリは理解出来ず問題ないのではないかとは思うが、一応聞いてみる。
「フェリちゃんは食後に一緒に入浴して全身くまなく洗って布団に入れば朝までぐっすり眠っていますよ。多分身の危険を感じずに安心して眠るという事がしばらくなかったからだと思いますが。
私やリューズさんが坊ちゃんの看病で夜に起き出しても眠っていたので問題ないと思いますが、部屋では話さずに場所を変えて話すようにいたします」
「なら大丈夫かな。フェリのためにもくれぐれも気を付けてね」
「はい。生まれた時から親を知らない私からすると、リューズさんの悩みは羨ましいくらいのものです。立場も境遇も私とリューズさんは違いますが、私の話でリューズさんが少しでも何か感じてくれるように話したいと思います」
「ピアに任せておけば大丈夫そうだね。決してリューズを責めるような話し方はしないと思うし。
そう言えばピア、魔法はいつから使えるようになったの? ラウラ母さんの話だと平民でも貴族の愛妾になった人なんかは魔法を使えるようになることがあるって話なんだけど」
「ずっと殿下に付いていたのでドノバン先生と殿下が王宮庭園で魔法の練習をされている時にそれとなく魔法の使い方は見聞きして知ってはいました。その頃に私にも使えるのかと戯れに試してみたことがありますが、全く使うことが出来ませんでした。
ここフライス村に来てからいつもドノバン先生が厨房の火を着けてくれていたのですが、私もそれを見て火が着くのをイメージしていました。10日ほど前にいつも通りドノバン先生が薪をセットした時にいつもより少し早くイメージしたところ、ドノバン先生が薪を置き終わらないうちに火が着いたのです。ドノバン先生には申し訳ないことをしてしまいました」
「いや、火傷したりはしませんでしたからピアさんが気にする必要はないんですけどね。でも急だったので驚きました。ピアさんの話だと、私が魔法で着火するタイミングでいつも火が着くイメージをしていたそうなんです。ですからいつから、というのは正確にはわからないのです。ピアさんが魔法を使えるのがハッキリしたのが10日前ということです。
その後何度か薪に着火してもらってピアさんが使っている魔法で火が着いたということを確認した後、他の魔法も試してもらいましたが、水魔法と風魔法は問題なく使えるようです。土魔法は苦手なようですが」
「殿下が湯たんぽを土魔法で作ったのを見ていましたけど、私にとっては土魔法だけはイメージしづらいのです」
「そうか。魔法は人によって得意不得意があるってことだから仕方ないけど。ピアは自分が魔法を使えるようになったきっかけって何か思い当たることあるの?」
「私は何も思い当たることはありません。貴族の愛妾になった人が使えるようになるということですが、ドノバン先生と気持ちを確認し合った後に急に使えるようになったという訳でもありませんから」
「愛妾になったら平民でも魔法が使えるようになる……下世話だけど、ピアとドノバン先生は体を重ね合ったりはしてない?」
俺がそう聞くと、ピアとドノバン先生は顔を真っ赤にして、叫んだ。
「いくら何でも結婚前にそんなことはしていません!」
「婚前に体を重ねるなど、神の教えを伝える牧師が出来る訳がありません!」
まあ、女性に対して奥手なドノバン先生がそんなことする筈はないと思っていたけど、念のために聞いてみたのだが。この二人の反応だと、貴族と肉体関係を結ぶことが平民が魔法を使えるきっかけになる、という訳ではないだろう。
「ジョアン、いくらあなたの精神が大人だとしても、8歳のあなたは軽々しくそういうことを言わないの。王族のあなたの迂闊な言動で仕えてくれている者の運命が変わることもあるのだから。ピアがあてがいの件をあなたに口を滑らせたのも、あなたが大人びた冗談を口にしたからでしょう? 今後は気を付けなさい」
ラウラ母さんが優しい口調で、でもきっぱりと俺に注意する。
確かに2年前の俺の軽口でピアの運命を捻じ曲げるところだった。ラウラ母さんやイザベル母さんのおかげでそんなことにはならなかったけれど、今後はそう上手く取り計らってもらえるとは限らない。
「ごめんなさい、ラウラ母さん。ドノバン先生、ピア、済まなかった」
「ふふ。ジョアンにはたまに厳しく言わないとすぐ忘れてしまうからね。ドノバン先生とピアもジョアンが失礼なことを言ってしまったわね。ごめんなさい。二人が結婚するまでは清くあってほしいと思うわ。
貴族の愛妾になった平民が魔法を使えるようになる、というのは本当だけれど、修道院に入った平民のうちでも修道院内でそれなりの地位に就いたものは魔法を使えることがあるらしいから、流石に修道院内で男女のことに及ぶというのは無いだろうし、それが要因ではないと思うわ」
「ラウラ母さん、それをもっと早く教えて下さい。そうしたらドノバン先生とピアにあんなことを聞かなかったのに」
「ジョアンがそんなことを言い出すなんて思わなかったもの。大体魔法については王族や貴族は普段から使う機会が殆ど無いものだから、どういうきっかけで使えるようになるのかなんて誰も気にしてこなかったわ。
この世界では本当に魔法は取るに足りないものと貴族には認識されているのだ。
以前も思った、
まあでも、これについてもゆっくりと研究しないといけないだろう。
さっきのラウラ母さんの、公衆衛生を広く進める部署、前世だったら労働問題はないけれど厚生労働省だろう。俺とリューズが動きやすいようにと言ってくれたが、そこで魔法の原理についても研究できるようにしていければいいだろう。
「では皆、王都に戻る前にリューズさんのご両親にご挨拶に行く時はよろしくお願いするわね。ジョアンとリューズさんの秘密、くれぐれも守ってね」
ラウラ母さんのその言葉に一同うなずいて、この話は終了になった。
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