第103話 帰還6




 ラウラ母さんの侍女のアルマが持って来てくれた重湯を食べた後、リューズを呼んで俺とラウラ母さんの3人だけで話をした。


 俺はベッドに上半身を起こし、ラウラ母さんとリューズはベッドの横に置かれた椅子に腰かけている。


 へその上の切開部は、重湯を食べた後でラウラ母さんが治癒魔法をかけてくれたので痛みは無い。もう手術痕も明るいところで見ないとわからないくらいになっている。


 「リューズ、『生命の木』の新芽なんていうエルダーエルフの貴重な物を使って私を治してくれてありがとう。『生命の木』は絶対に森の外に持ち出しちゃいけない物だったんじゃないの?」


 とリューズに尋ねる。『生命の木』はエルダーエルフが変化した姿。その新芽というと相当貴重なものだろう。エルダーエルフの間でもそれほど使わないんじゃないだろうか。


 「貴重なものだけど、お父さんに頼んだらどうにか融通してくれたから……」


 とやや歯切れ悪くリューズは答える。


 「マリスさん、リューズの頼みには甘かったのかな?」と俺が言うと「娘の頼みなら男親は聞いてしまうものよ」とラウラ母さんが言う。


 「それでリューズさん、ジョアンの命を救って下さってありがとう。改めてお礼を言わせていただくわ。リューズさんの知識のお陰よ」


 「いえ……ジョアンはその……ラウラ様に聞いたんでしょう? 私に怒ってないの……?」


 「怒る訳ないじゃないか。何を怒るって言うの?」


 「その、勝手にお腹を切った事とか……前世のこと話しちゃったりとか……」


 まあ確かにぶっつけ本番で外科手術の実験台にされた訳だから、怒ってもいいところか。でもそうしないと絶対に助からないのは明らかなんだから、怒ったとしても後出しになるだけだしな。


 前世のこともラウラ母さんに手術を納得してもらうためには成り行き上仕方ない。


 『そうだねえ、初めてなのによく腹を割こうと思ったな、ってのはあるよ。永田未央の頃に手術した経験ある訳ないのに。ぶっつけ本番でやろうって決断をできたのが凄い事だと思うよ。俺だったら多分自信がないからそんな決断は出来なかったな』


 『……うん、その点については、完璧に上手くいくかはわからなかったんだけど……ただ、この世界は前世よりも医学は遅れているけど、治癒魔法があって、それは前世の医学と比べても大きなアドバンテージになるって確信はあったんだ。体力が殆ど無いジョアンに何度も治癒魔法を使える訳じゃないっていうのは考慮の上だけど、それでも失敗してもすぐ治せるって安心感があったからこそ決断できたって言うか、拠り所としては大きかったよ。

 それと、治癒魔法を使えるのが私以外にラウラ様がいてくれたっていうのも大きかったんだ。私が執刀して、例えば切っちゃいけない動脈を切って大出血させてしまったとしたら、私しか治癒魔法が使えなかったら動揺してしまって上手く創傷部分に治癒魔法をかけられないだろうし。治癒魔法を使えるラウラ様が来ていなかったら手術するって方法は提案できなかった、と思う』


 リューズが今までやったことのない開腹手術を決断できたのは、治癒魔法を使えるラウラ母さんがいてくれたこと以外にも、魔物の解体をこの世界で覚え、出血や内臓の扱いに慣れていたこともあるのだろう。


 俺がリューズの立場だったら絶対に無理だ。生きている人の皮膚を切り脂肪を切り内臓を切り……出血をさせることに平気ではいられない。やはり普段から慣れていないとそんな決断はすることが出来ない。


 そう考えると今、リューズはこの世界で一番外科医にふさわしい存在だ。


 そして、ふと思い当たったことがあった。

 リューズがぶっつけ本番で提案した手術が上手く行ったことについてだが、リューズが転生特典で貰った「ここ一番の決定力」が働いて上手くいったんじゃないのか、と。

 でも、それを証明しようもない。

 それに、それを伝えたところで、本当にそうなのか解らないのに変に自信を持たれても、今後リューズが決断する場面で安易にハイリスクを選ぶ傾向になってしまっても困ってしまう。

 俺はだから、頭に浮かんだその考えは口にしなかった。


 『リューズはこの世界の医学の先駆者になったね。リューズの一番最初の患者が俺っていうのは名誉なことだなあ。当然消毒とか殺菌はやれることはやってたんだろ?』


 『うん……、メス替わりの小型ナイフとか、切開部を広げる扁平鈎へんぺいこう替わりの針金細工とかガーゼ代わりの布は煮沸消毒して、手指や術野の消毒はハンスさん秘蔵のアルコール度数の高い蒸留酒を使わせてもらって……』


 『だったらさ、別に俺が文句言ったり怒ったりすることじゃないよ。リューズは道具とか器具とか足りてない状況でやれることをしっかりやってくれた訳だしさ。例えばカテーテルみたいなものがあったんだったら口から食道通して胃に送り込むことだって出来たし、リューズもそうしたと思うけど、ここにはカテーテルなんて無いんだから。だから気にしてないよ』


 『でもね、ジョアンを救うにはこれしかないって決断してやったことだけど、本当にジョアンが助かるかどうかなんてわからなかった。だからジョアンが意識を取り戻すまで不安だったんだよ……』


 『そっか……そうだね、自分の決断が正しいのか間違ってるのか、結果が出るまでは不安だもんね。今回のリューズの決断は正しかった。そういう結果が出た。

 だからさ、そんなに俺に済まないなんて思わなくていいよ。ありがとう。

 リューズの涙なんて珍しい物も見れたしね、泣くほど心配してくれたっていうのも嬉しかったよ』


 『バカ! ……ジョアンが知らないだけで私は結構泣くことだってあるんだから……』


 そうそう、リューズはこの気の強い話し方が似合ってるんだ。やっといつもの調子を取り戻してきたみたいだ。


 「ジョアン、リューズさんと何を話してるの? 今話していたのがエルフの言葉なのかしら?」


 俺とリューズが日本語で話しているのを傍で聞いていたラウラ母さんがそう尋ねる。


 「すみません、ラウラ母さん。今話していた言葉はエルフの言葉ではなくて私とリューズが前世で使っていた言葉なんです。私とリューズが住んでいた国の言葉で日本語といいます。

 ラウラ母さんには私とリューズが転生者だって知ってもらってるので日本語で話す必要もなかったんですけど……何となく懐かしくて、つい」


 「そうなの、エルフの言葉もネーレピアの言葉とは全く違うと聞いていたけど、ジョアン達の前世の言葉もあるのね。リューズさんに前世があることは聞いて知ってはいたけれど、ジョアンとリューズさんがまったく知らない言語で話すのを実際に目の当たりにすると、確かに2人に前世の記憶があるんだということが実感できたわ」


 「今、日本語で話していた内容はリューズに治療の内容を聞いていたんです。しっかり感染対策もしてくれていたようで安心しましたよ」


 「感染対策? というのはどういうことなの?」


 「王宮に居た頃、毎日入浴すると病気の元を洗い流せるって私が言ったことを覚えてますか? そこかしこに目に見えない病気の元が潜んでるんですよ。

 腹を切り開くのは治療に必要だったんですけど、病気の元がついたナイフや布や手で切り開いた部分を触ったら切り開いた傷口から病気の元が体に入り込んでまた別の病気にかかってしまいます。そうならないように手術の前にリューズはナイフや布、手から病気の元を取り除いてくれてたってことです」


 「私も手を洗った後、蒸留酒を手に掛けて貰ったけれど、あれがそうなのね」


 「そうです。ただでさえ熱病になっていた私が、更に他の病気にかかってしまったら間違いなく命は助からなかったと思います。ですから手術をするにあたって消毒は大事なんですよ」


 「手術を手伝っている間、口を布で覆っていたのもそうなの?」


 「ラウラ様には初めてで申し訳なかったんですけど、人の体の表面や口や体内にも病気の元、細菌やウィルスは存在するので、ジョアンの切開部に細菌やウィルスが入らないようにマスクと手洗いと消毒をしていただいたんです。

 ラウラ様には切り開いた胃やお腹を治癒魔法で治してもらいましたけど、治癒魔法は対象に触れないと発動しませんから、ジョアンの体内に触れるラウラ様には特に念入りにお願いしました。

 ボクの他に治癒魔法を使えるラウラ様が居なかったら、ボクは手術は提案できませんでした。突然ジョアンのお腹を切るなんて伝えて凄く驚かれたでしょうし、ショックだったでしょうけど、ラウラ様がボクを信じて指示に従って手伝って下さったおかげでジョアンを助けることができました。

 ありがとうございました」


 リューズがそう説明し、ラウラ母さんに感謝を伝えた。


 「いえ、リューズさんのおかげでまたこうしてジョアンが元気になったんですもの……リューズさんを信じたあの時の私に感謝したいのは私も一緒よ。

 ジョアンとリューズさんが居た前世の世界、日本……というところは随分と私たちのアレイエムよりも色々なことが解明されていて進んだ世界だったのね」


 「ええ。どう話していいものかわかりませんが、多くの先人たちが様々な発見や発明を繰り返していく中で、それを利用して人々の生活が便利で豊かになった世の中でした」


 そして俺とリューズは前世のことをラウラ母さんに話した。


 とはいっても全てを話せる訳ではない。


 政治や軍事、経済については今のアレイエムとはかけ離れすぎている。各地に割拠した貴族の集合国家であるアレイエムから前世日本の間接民主主義への移り変わりだって説明するのは簡単ではない。更に言えばその過程で現れる絶対王政から共和制への変遷は隣国エイクロイドが現在進行形で辿っている。


 歴史的に正しくてもアレイエムの王族として俺はこの動きを肯定することはできない。


 だからラウラ母さんに話す内容は主に保健や医療についてになった。


 病気を引き起こす細菌とウィルスの違い、人体に必要な栄養素、感染を予防するための対策などについて俺とリューズは話した。


 「そう言えば、私が熱でうなされてる間に前世に戻った夢を見ていたんですが、そこにトリッシュっていう転生したときの案内人が出て来て、私の病気の原因は蚊が媒介するウィルスで、刺されたことで感染し発症したって言ってましたね」


 「虫よけのピリム草のことを出発前に伝えておけば良かったんだね……ゴメン」


 「いや、私もたかが虫刺されって思って油断してたし。何だかんだで前世の感覚が抜けてないんだよなあ」


 「王宮でも時々蚊は発生するから、これからは注意しないといけないわね。ピリム草は虫よけ効果があるのかしら。だったらもっと栽培させて王宮でも用心しないといけないし、農作業とか外作業にあたる人たちが刺されないようにするのも大事なことね」


 「そうですね。蚊だったら流れのない水溜まりや池に産卵して増えますから、住居や畑の近くに水溜まりを作らないようにすれば繁殖は抑えられるんですけどね。

 ラウラ母さん、アレイエム王国全体にそういった注意喚起できればいいんですけど、そういうことを扱う部署ってあるんですか」


 「今のところはないわね。でも、ジョアンとリューズさんの話は大切なことだと思うわ。

 私自身小さい頃に弟を病で亡くしているし、ジョアンの乳母のエマの子だって病で亡くなっている。今すぐ病気を治す方法が見つからなくても、少しでも病にかからなくなるような方策があるんだったら、それを広めていければ、子を亡くして悲しむ母親が少なくなると思うのよ。

 そのための方法は王族の一員として考えて実施していかないといけないわね」


 「ええ。子供が元気に育つ国は国自体も育つでしょうし」


 「ジョアンったらまるで陛下みたいなことを言うのね。でも前世の経験があるのならそういうものなのかも知れないわね」


 ラウラ母さんはそう言うと、話題を変えた。


 「ところでリューズさんのご両親もリューズさんが前世の記憶を持っているというのはご存じなのかしら?」


 「いや、ボクの両親にはボクが前世の記憶を持っていることは話していません。だって、前世の記憶があるって言っても、森の中で暮らすエルダーエルフの生活って前世の生活とはかけ離れているし、必要な知識も技術も前世のものは通用しませんでしたから。ただ、森の外に興味を持つ変な子だなって思われていたかも知れないですけど」


 「そう……ねえ、リューズさん。私はね、ジョアンを愛おしく思っているわ。自分の分身ですもの。リューズさんにジョアンが前世の記憶を持っていると聞かされても、それは変わらないの。

 リューズさんのご両親も、リューズさんが前世の記憶を持っていたとしてもリューズさんを我が子として愛する心に変わりはないんじゃないかしら。

 だからね、ご両親に打ち明けてみない? 

 ジョアンを育てて来た8年間、ジョアンは確かに変わった子だったけれど、私にも打ち明けられない秘密を一人で抱えて苦しんでるように見えたの。多分リューズさんのご両親もリューズさんの様子はそれとなく察して心配しているんじゃないかと思うのよ。

 リューズさんが打ち明ければ、ご両親はしっかり受け止めて下さるんじゃないかしら」


 ラウラ母さんがそうリューズに優しく話しかける。


 「ボクは……今のお父さんお母さんには、本当に良くしてもらったって思ってます……エルダーエルフって種族に生まれて、森の生活がわからないボクに色々と手取り足取り教えてくれて……お父さんは頼りがいがあるし、お母さんは厳しいけど優しかったし……大好きです」


 リューズは俯いて声を絞り出すように話し出す。


 俺から見ればリューズはマリスさんにもニースさんにも愛されていたし、リューズ自身も両親二人に屈託なく甘えていた。そんな両親に転生者だということを打ち明けることはやはり勇気が要るのだろう。


 俺も悩んだように親に変な子供として見られてしまうんじゃないかという不安は大きいということか。


 そんなことを考えながらリューズの言葉の続きを待つ。


 「この世界への転生を選んだのはボク自身です……だから全部ボクの気持ちの問題になるんですけど……

 ジョアンとお互いの転生後の話をしていた時に、ジョアンは生まれた頃から前世の記憶があったかも知れないけれど、脳の発達がゆっくりだったから2歳半ばになってようやくはっきり自覚したって言ってました……

 ボクはエルダーエルフに生まれ変わりました。エルダーエルフってすごく成長が早いんです……生まれて1年経つ頃には今のジョアンくらいの体格になってました……だからずっと、お母さんがボクを産んでくれた時からずっと、前世の記憶をはっきり覚えていたんです……

 前世のボクは……ジョアンと違って大人じゃないんです……17歳で死んで生まれ変わって……前世では両親とお祖母ちゃんと一緒に住んでました……前世でのボクも家族が大好きでした……

 だから、ボクは、ずっと前世の家族の記憶を持ちながら今のお父さん、お母さんに育てられていて、本能では今のお父さんお母さんが本当の両親だって分っている筈なのに、前世のボクの記憶がそれにブレーキを掛けるんです……本当の両親がいるのに新しい親に甘えるのかって……」


 初めて転生者だと打ち明け合った時に俺がリューズに対して気になっていた部分だ。


 前世の両親と今の両親を混同したりしないのだろうかと心配になったんだった。


 俺みたいに50過ぎのオッサンだと前世の両親の記憶は成人後の、ある程度対等な立場として客観視していた頃の方が長いから、現世のラウラ母さんと混同するようなことはなかった。しかも産まれたばかりの頃は脳が未発達だったから、前世の自分の意識が一度薄れ本当に一人の赤ん坊としてラウラ母さんに縋り、育んでもらえた。その時の無限の安心感や愛情を感じられたから俺はラウラ母さんを母親だと意識の底から感じることができている。 

 仮にもし俺が産まれた時からはっきり前世の記憶を持っていたとしたらどうだっただろうか。

 ラウラ母さんに乳を与えて貰いながら、エロいことは考えないにしても、自分が母乳を飲んでるよ~みたいな変な照れが出て、変な笑い方をしたり異様な反応をしていたかも知れない。

 リューズの場合もそんな照れが出たかも知れない。


 それに永田未央が亡くなった時はまだ両親の庇護下にあった17歳。親に反抗する気持ちがあったとしても前世の両親を親だと強く感じていただろう。


 リューズの場合は確かに自ら望んで転生を選んだとはいえ、前世の世界全てがどうでもよくなって前世の全てを捨てるつもりで選んだ訳では無い。認知症になった祖母への自身の対応で迷い悩んでいたものの、母親や学校の教師、友人たちといった前世の世界に対する愛着や未練は大きかった筈だ。


 永田未央としての意識を強く持ったままリューズはこの世界に生まれ、ずっとそのままの意識を持ち続けていた。産んでくれたマリスさんとニースさんに対しても新たな肉体は実の親だと感じていたとしても、意識の方は永田未央というアイデンティティーが持続し続け、どこか他人行儀な遠慮する部分があったということなのだろう。


 リューズは養育してくれたマリスさんとニースさんに対して、実の親なのに前世の親の記憶がちらつき、純粋に感じられないという自分に引け目を感じているのだ。


 「リューズ、それって、マリスさんとニースさんを養父のように思ってしまうことがあって罪悪感があるってこと……?」


 俺はリューズにそう尋ねたが、リューズが答える前にラウラ母さんが立ち上がり、リューズをぎゅうっと抱きしめていた。


 「リューズさん、私はジョアンやあなたと違って自分の前世を覚えていないから、あなたやジョアンの抱えている本当の苦悩はわからないのかも知れないけど……そんな私でもね、解ることがあるの」


 ラウラ母さんはリューズを抱きしめながら、ゆっくりと語りかける。


 多分、リューズを落ち着かせるために治癒魔法も使っている。


 「リューズさんは自分のことをモズに育てられたカッコーだと感じているみたいね。でもモズに育てられて罪悪感を抱くカッコーはいないわ。

 あなたが本当にカッコーだとしたら、決して罪悪感は抱かない。モズが自分を育てるのは当然のこととして何も感じたりしない。ご両親に育てられたことに罪悪感を感じるリューズさんは決してカッコーではないのよ。

 リューズさんのご両親は、リューズさんがどんな秘密を打ち明けようとリューズさんを愛してる。それを私は、はっきり断言できるわ。転生者の子供を私も持っているからね。

 ジョアンにもさっき言ったのだけれど、人格というものは記憶だけで形作られるものではないと思うの。前世のリューズさんの人格や記憶と、この世界での経験や知識が交じり合って、リューズさんの人格が形作られていくのよ。

 リューズさんのご両親は、そんなリューズさんを今後も大事に思い見守ったり助けたり、必ずリューズさんを受け止めて下さるわ。

 何も覚えていない普通の子供は成長と共に一つ一つ色々なことを覚えて人格を育んでいくけれど、この世界での生き方を一つ一つ覚えていくという点においては、それを育む親にとって、前世の記憶や人格があろうとなかろうと何の変りもないのよ」


 ラウラ母さんはそう言うと抱きしめていたリューズを離し、しっかりリューズの目を見て「私たちがリューズさんのご両親にご挨拶に行く時に、リューズさんもご両親に打ち明けてみたらどう? 私も口添えするから勇気を出して、ね?」と伝える。


 「リューズ、不安に思う気持ちもわかるけど、私はリューズがラウラ母さんに私の前世のことを話してくれて良かったと思ってるよ。親にずっと隠し事をしているのってやっぱり後ろめたい。でも自分で切り出すのは勇気がいることだった。何せ私たちはこの世界にない知識を多く知っているから、私たちを人じゃなく知識の湧き出る泉として利用しようって思われるんじゃゃないか、とか不安だったしね。

 でも、今回リューズがラウラ母さんに伝えてくれたおかげで大分スッキリしたんだ。

 なるようになるわ、って。

 ラウラ母さんは前世の記憶があっても私のことを自分の子供だって言ってくれたし、私はラウラ母さんのことを疑うことはしないしできない。全てを疑って生きるのは私には無理だ。自分を産んでくれた母親すら信用できない、そんな生き方を出来る程私は強くないんだ。耐えられない」


 そう、前世で一般人だった俺には、周りの人間全てを疑い、注意深く世を生き抜くなんて無理。それは前世で女子高生だったリューズも同じことだろう。


 リューズから聞いただけしか前世の様子は分からないが、永田未央の在籍していたクラスの中での人間関係が複雑で、綾を読んで上手く乗り切るようなことに気を張っていたのだとしても、そうした関係は所詮学校にいる間だけのもので、家ではある程度気兼ねなく過ごしているものだ。


 自分を取り巻く全ての人間に疑いを持って生きていくなんてことは不可能で、必ず心を許せる存在が必要なのだ。  


 「私はマリスさんの様子しかよくわからなかったけど、少なくともマリスさんはリューズのことは自分の愛しい娘だって思ってる筈だし、リューズの前世のことを打ち明けたとしても急に態度が変わるなんてことをする人じゃないと思う。

 だからリューズもマリスさんとニースさんに打ち明けた方がスッキリすると思うよ。転生者仲間の私も色々と証言できると思うしさ」


 「うん、わかった……お父さんとお母さんに嫌われたりはしないと思うけど、幻滅されちゃうかも知れない……でも、正直に伝えないと申し訳ないもんね」


 リューズはゆっくりとそう答えた。


 「リューズが転生した時の経緯を聞いた時も思ったけど、リューズは優しいよね。自分よりも他の人のことを優先して悩んでいるんだからさ。

 私が言うのもなんだけど、あまり悩みすぎると前世の私のように自罰的な思考に捉われるようになっちゃうかも知れない。

 ラウラ母さんやリューズのおかげで前世の自罰思考で傷つけた魂の傷が治ってきたんだ。リューズにはそうなって欲しくない。

 私に出来ることは最大限手助けするよ。マリスさんもニースさんもリューズに幻滅したりしないようにね」


 「うん、そう言ってくれると心強いよ、ありがとう、ジョアン……」


 リューズは心が決まったのか、笑顔で礼を言った。


 「じゃあエルフの里に伺った時に、リューズさんのご両親と私たちとだけで話せる時間を作って貰いましょう。私の侍女のエルマも護衛の騎士たちも遠ざけて5人だけでね。とは言っても一人だけは通訳が必要になるわね……ジョアン、通訳はどなたにお願いすればいいかしら?」


 「ラウラ母さん、私が通訳すれば良いと思いますけど」


 「いいえ、ジョアンが通訳したらジョアンが自分の意見をご両親に伝えられないわ。それにご両親を説得するためにジョアンが私の意向を捻じ曲げてるって誤解を相手に与えるのも良くないもの」


 「でしたらドノバン先生にお願いするのが良いかと思います」


 「ならドノバン先生にお願いしましょう。

 それでジョアンとリューズさんが転生者ということは当面ドノバン先生とリューズさんのご両親を含めた6人だけの秘密ということにしておきましょう。

 陛下たちやアデリナ様には、私から折を見て伝えるわ。

 今までジョアンは色々と子供とは思えない思い付きを披露してきたけれど、あくまでジョアンの思い付きって認識されている。けど本当は前世の物や原理を提案したのよね?」


 「はい、ラウラ母さん。前世の感覚だとアレイエムは寒すぎたんです。寒さ対策だけは一刻も早く何とかしたいって思ったので」


 こたつや湯たんぽ、更に蒸気機関による暖房。確かに蒸気機関はやりすぎだったかも知れないが、王宮全域を温めるためには必要な物だと思ったから、つい提案してしまった。


 「前世は色々と進んだ世界なのね。でも、湯たんぽ程度ならジョアン一人でも簡単に作れていたけど、コタツや蒸気機関になると他の人の力を借りないと出来なかったじゃない?

 察するにジョアンやリューズさんは前世で使っていた道具や仕組みは知っていても、その全ての原理や法則、材料の加工法などを覚えているって訳では無いのね。それに大掛かりな物になると、この世界でも人の手やこの世界のやり方を借りないと実現できないことの方が多いのではない?

 でもそれが普通だわ。一人で出来ることなんてどの世界でも多くは無いと思うもの。

 ただ、二人に前世の知識があるということが多くの人に知られてしまうと、不可能な事でも可能にする知識を持っているのに出し惜しみしているんじゃないかって疑う人も出てくるかも知れない。そうなるとジョアンを誘拐し幽閉すれば命惜しさに吐く、というようなことを考える人もいないとは言えない。

 だからしばらくこのことを知っている人は極力少ない方が良いと思うわ」


 「はい……ドノバン先生以外のハンスやダイク、ピアにも内緒というのが心苦しいですが」


 「そうね、ハンスやダイク達にもいつか話せるといいわね。でも彼らも上司がいるし、家の繋がりもあるからどう話が伝わっていくのか不明なうちは黙っておいた方が無難よ。彼らに話すタイミングはジョアンにまた伝えるわね」


 「わかりました。でも……ドノバン先生はピアに秘密を一つ抱えることになるんですね。ドノバン先生だったら大丈夫だと思いますけど」


 「どういうこと? ドノバン先生とピアって?」


 「あ……」

 しまった。ドノバン先生とピアの件はドノバン先生が自分で王都に戻ってからラウラ母さんに伝えるって言っていたんだった。


 つい口を滑らせてしまった。


 「ジョアン、いいじゃない、おめでたいことではあるんだから」とリューズが口を添える。


 うーん、まあ確かに、予めラウラ母さんに伝えておいてもいいか。予め知って貰っていた方がスムースに事が運ぶかも知れないしな。


 「ドノバン先生とピアは、ここフライス村に来てからお互いに将来を誓い合う仲になったんです。そうなった経緯などはドノバン先生がご自身で話されると思いますが……私は二人がお似合いだと思いますし、できればラウラ母さんにも祝福していただけると嬉しいなと思っています」


 「ボクとピアさんは一緒の部屋で寝起きしてますけど、ピアさんはドノバン先生にすごく一途なんですよ。寝る前にドノバン先生のその日の様子で喜んだり落ち込んだりしてるんです」


 へー、あのピアがそんな乙女みたいなことを言うのか。やっぱり女の子同士だと気を許せるんだな。


 「そうだったのね。ドノバン先生はアーレント伯爵家の三男だけど、爵位は授与されている訳ではないからピアを夫人に迎えても問題はないわね。……ピアにとってもこれ以上ないくらいの話ね。

 そういえばピアが魔法を使えるようになったのもドノバン先生と将来を誓い合ったからなのかしら?」


 ん?

 ラウラ母さん何を言ってるんだ?

 ピアが魔法を使えるようになったって言った?


 「ラウラ母さん、ピアは魔法なんか使えませんよ? 平民出身でしょう?」 


 「そうか、ピアさんジョアンにはまだ言ってなかったんだね。

 毎日ドノバン先生が竈の火を付けてくれていたんだよ。ピアさんが火打石で火を付けるのが大変そうだからって。それでピアさんがドノバン先生にたまに魔法の使い方を聞いていたみたいだけど、7日くらい前かな、ドノバン先生の魔法での着火を見ていたピアさんが試しにやってみたら出来たんだって。

 ピアさんも驚いてドノバン先生やボクに相談してくれたんだ。それでジョアンにも伝えてね、って言ってたんだけど。西の森の探索の前に相談されなかった?」


 相談されたようなされなかったような……

 しかしそれが本当ならピアには悪いことをしてしまったぞ。


 「昔から貴族の愛妾になった平民が魔法を使えるようになることは時々あったけど、ピアもドノバン先生の夫人になるから魔法が使えるようになったのかしら? 最も平民でも有力商人の子弟は使える物だから不思議ね」


 確かに不思議だ。魔法が使える者と使えない者、何が違うのだろう。


 ピアに話を聞けば何かわかるだろうか? またピアの話を聞く機会は作らないとな。


 「ピアさんはジョアンの看病の時も色々と手伝ってくれてたし、ピアさんが魔法を使えるようになってくれたおかげでボクたちも色々と助かったよ。水魔法できれいな水を出してくれたりしたしね。だからジョアン、後でピアさんにもちゃんと感謝しておいてね」


 「うん、わかったよ。皆のおかげで私はこうして生還できたんだね。後で皆にも感謝を伝えておくよ」


 「ドノバン先生とピアの婚約の件はドノバン先生にジョアンの転生のことを伝える時にドノバン先生からまた聞いておくわね。

 ジョアンが助かっただけでも私にとっては喜ばしいことだけれど、他にも色々とあって、本当にここに来て良かったわ。リューズさんの両親にお会いするのも楽しみよ。

 じゃあジョアン、そろそろ休んだ方がいいわ。私が付いているから安心して休んでね」


 「わかりましたラウラ母さん。でもラウラ母さんも休まなくていいんですか」


 「今晩はジョアンと一緒にいるわ。心配しないで。あなたの母親はそれほどひ弱じゃないのよ」


 「ラウラ様、何かあったら遠慮なく呼んでくださいね」


 リューズはそう言って俺の食べ終わった重湯の器を持って部屋から出ていった。


 ラウラ母さんは俺の右手を安心させるようにそっと握ると、小さい頃に読んでくれたオーエ・ヒートの水道建設の絵本の内容をゆっくりと物語ってくれた。

 小さい頃にラウラ母さんに何度もせがんで読んで貰った話だから、内容は覚えている。


 でもラウラ母さんの落ち着いた声に耳を傾けていくうちに俺はまたゆっくりと眠りに落ちた。




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