ヤンキーアイドル、魔法少女になる(仮)

森戸 或

第1話

 キャバクラみたいだ。

 真っ先に抱いた感想はそれだった。

 仄暗い室内が、高そうなソファーが、ローズピンクの壁紙が、どこか非日常的で、淫靡な雰囲気を醸し出している。無論、鈴島理早はキャバクラに入ったことがなかったが、実はキャバクラを模しているんですよと言われたら、ああそうなんですかと信じてしまいそうな程だ。

 カラオケよりも少し広い程度の個室にはL字を描くようにソファーが置かれ、一つ挟んで左には彩菜が、右には千世が、そして自分たちを挟み込むようにお偉いさんが座っている。彼らがそれなりに裕福で、それなりに社会的地位があることは、腹の周りに湛えた贅肉から見て取れた。

 ドア横の大きなモニターに映された自分たちのライブ映像を後目に、理早はジンジャエールを一気に飲み干した。最初こそ「Pirica最近良い感じだね」「理早ちゃんダンス上手いね」と褒めてくれたスポンサーも、宴が進むにつれ何も言わなくなった。元より興味がないのだろう。理早は早々と聞き手に回り、それこそキャバクラのように話を盛り上げることに努めている。

「理早ちゃん、まだ飲む?」

 赤ら顔の男がビール瓶を差し出した。

「それお酒じゃないですかー」

 理早は眉を下げ、困ったような笑みを浮かべた。「ダメですよー」とプラスチックのコップの上を手で塞ぐ。

「理早ちゃんお堅いんだから」

 男は上機嫌のまま、自分のグラスにビールを注いだ。聞き取れなかったフリをして、笑って誤魔化す。冗談なのか、本気なのかわからない発言は真に受けると疲れてしまう。デビュー当時に比べ、歌もダンスも随分と上達したが、一番上達したのは愛想笑いかもしれない。

 Pirica*の知名度は決して高いものではなかった。ライブや握手会を精力的にこなし、ファンは着実に増えてきているものの、国民的アイドルと言うには遠く及ばない。一般人はせいぜい子役上がりの彩菜くらいしか知らないだろう。

 ただ、ここ最近になって、テレビや雑誌などメディア出演が少しずつ増えてきていた。全力疾走で駆け抜けてきた日々だ。振り返る余裕はなく、何がきっかけなのかわからない。けれど、もしかしたら――自分たちのパフォーマンスを誰かが見て、評価してくれたのかもしれない――と淡い期待を抱いてしまっていた。

 しかし、答えは予想もしない方向から最悪の形で降ってきた。

 理早は違和感を覚え、視線を落とす。

 隣に座る男の手が自分の太ももに触れてきていた。手を伸ばしたら当たってしまったのかもしれない、とさりげなく足を動かしたが、節くれだった手はまるで磁石のようにぴったりと貼り付き離れようとしない。

 ――こういうことかよ。

 理早の嘆息を諦めと受け取ったのかもしれない。今度は堂々と太ももの上に手のひらを置いてきた。虫が這いずり回るような感触を、歯を食いしばり堪える。

  ふと、「付き合いだからさ」と申し訳なさそうな顔を浮かべるプロデューサーの顔が頭に浮かんだ。三十代ながら、大学生のようにも見える彼は「君たちがブレイクしないのは、僕の力不足なんだ」といつも言っていた。

  今日の接待を持ちかけたのがどちらなのかわからない。プロデューサーが善人なのか、それとも善人の皮を被った金の亡者なのかもわからない。けれど、そんな申し訳なさそうな顔も、ライブ映像をおかずに身体をまさぐるスポンサーも、何も出来ない自分も――全てがバカバカしくて、偽物のように思えた。

「千世ちゃんそろそろ奥に行こうか」

 千世の隣にいた男が、千世を引っ張り上げる。腰に手を回し、抱え込むような格好だ。あまりにも自然で、手馴れている。「え?」と千世は戸惑いながらも、何かを察したのかもしれない。その目には涙が滲んだ。

「大丈夫。大事な話をするだけだよ」

 男の手はどう見ても、千世の尻辺りに添えられていた。

 千世と目が合った。涙を堪え、唇を噛みながらも、どこか諦めたような眼差し。その姿は理早の記憶の中の少女と重なった。助けられなかった後悔が、じんわりと染み入るように頭を熱くする。焦燥が神経を焦がし、身体がひりつくような痛みを発する。

 思わず理早は立ち上がろうとしたが――

 だめだよ。

 声が聞こえた気がした。

 暴走する理早の感情を止めたのは、他でもない千世だった。その視線はいつの間にか理早だけに注がれている。千世とは幼馴染だ。自分が何を考えているかわかったのだろう。そして、同じように理早も千世の考えが理解出来た。

 頭の芯が冷えていく。恥ずかしさと不甲斐なさで身体だけが熱いままだ。

 確かに男を殴って止めれば、千世は無事かもしれない。しかし、その行為が何をもたらすのかは火を見るより明らかだ。不祥事、障害事件、クビ、解散――新聞の見出しのように、不穏な単語が頭を駆け巡る。そんな結末を望んでいるわけがなかった。

 かといって、見過ごせば千世がどういう目に遭うのか想像に難くない。どうすれば、と理早は頭をフル回転させる。どうすれば千世を助けられる。どうすればこの場を穏便に収められる。どうすれば。

 どうすればいいか――わからなかった。

 それは理早にとって初めてのことだった。

 理早の人生は挑戦と成功の日々だった。

 誰かを守れる力が欲しいから、武道を習い始めた。

 誰かを守れる頭脳が欲しいから、勉強を怠らなかった。

 誰かを笑顔にしたいから、アイドルになった。

 自分で打ち立てた壁はいつだって自力で乗り越えてきた。努力は必ず報われると思っているわけではない。それなりにした努力が、それなりの成果を伴って付いてきただけだ。

 しかし、今まで蓄えてきた知も力も、権力という絶対的な力の前には為す術もなかった。自分は所詮、鳥籠の中の小鳥でしかなかったと思い知らされる。

 理早は目を瞑る。

 もし自分に力があれば、千世を助けられるのに、と。


 ――力が欲しいか


 声がしたのはその時だった。

 頭蓋に直接響くような重厚感のある声だった。

 冗談のような問いかけに、一瞬理早は面食らうが、すぐさま自分のすべきことを理解する。この声が何だって別に構わない。千世が助けられるのであれば、悪魔とだって契約をする。理早は藁にもすがる思いで、告げた。   

 欲しい、と。


 ――契約完了だ。

 

 声と同時に、全身を光が包み込んだ。くらくらしそうなほど強い光に理早は目を瞑る。熱くはない。痛みもない。だが、身体を構成する何かが作り替えられているような感覚があった。

 ややあって、光は消え、仄暗い世界が訪れる。

 理早はまじまじと自分の姿を見た。

 まず抱いた感想は、可愛いだった。

 ピコフリルが何列も重なったチューブトップにボックスプリーツのスカート、その上には膝丈のドレープコート――スカートの下にはパニエを履いているようで、重力に逆らうようにふんわりと持ち上がっている。ついでに足先まで見てみると普段は履かないハイソックスに、先の尖ったブーツ。全体的に緑を基調とした服装で、奇しくも自分のメンバーカラーと同じだった。

 一見するとアイドル衣装のようだが、色合いが暗く、露出が少ない。コートのセーラー襟は可愛らしいが、袖口が極端に広くフレアがかっていて、魔女のローブを連想させる。いや、この可愛らしさは、魔女というよりも、

「魔法少女……?」

「そうだよ」

「うわっ!」

 声変わり前の少年のような声がした。

 理早はびっくりしてソファーに座り込む。

「うわ、とはなんだよ。失礼な」

 そして、その声とともに現れた生物を見て、また驚いた。

 それは一言で言えば、深海魚とヘビのキメラだった。

 まず目を引くのは異常なまでに膨らんだ頭部だ。ハンドボールくらいの大きさはあるだろうか。体長の半分をその頭が占めている。頭頂部にはチョウチンアンコウにの提灯のようなものが飛び出しており、その先端はやはり発光していた。 頭より下はヘビのように細く長い。身体も白く発光しており、背骨のようなものが透けて見えている。キメラというより、ハンドボールにヘビを突き刺し、深海に置いておいたら、新たな命が芽吹いてしまったという方が近いかもしれない。

「気持ち悪い」

 つい口から率直な感想が溢れ出てしまった。化け物が目を三角にして、何やら喚き散らす。鉛筆でさっと引いただけのような小さい口から、ちょろちょろと細長い舌が覗いた。

「だってさ」

 魔法少女になったことは受け入れられても、この化け物は受け入れられそうになかった。理由は単純明快で、魔法少女は可愛いが、化け物は可愛くない。

「まあいいよ」化け物はわざとらしく咳払いをした。「早くしてくれない?」と理早を見る。「時を止めるのも疲れるんだ」

 理早は今になって初めて周囲の時間が止まっていることに気が付いた。千世も、彩菜も、横に座る男もまるで石化したように動きを止めている。

「早くって何を?」

「念じるんだよ」

「念じる?」

「君の望みが叶うよう念じるんだよ」

「念じるだけでいいの?」

「質問が多いな」

 化け物が頬をかいた。よく見ると、首あたりから手が伸びている。ますます気持ちが悪い。

「そうだよ」

「呪文は要らないの?」

「要らないよ!」焦れたように化け物は叫ぶ。「『マハリクマハリタ』でも『テクマクマヤコン』でも何でもいいから」

「チョイスが古いのが気になる」

 と言いつつも、理早は言う通りにした。

 自分が今、一番望んでいること。

 そんなもの、考えるまでもない。

「無難な選択だね」

 念じると、全員がその場に倒れ込んだ。

 理早はすぐに千世の元へと走った。上に倒れ込む男をどかし、口元に耳を当てる。心地よい寝息が聞こえてきた。「良かった」と息を吐く。

 全員が眠ってしまいますように。

 理早が望んだことはそれだった。千世が酷い目に遭うくらいなら、暴力を振るうのも吝かではなかったが、穏便に済むならそれに越したことはない。

「ところでさ、あんた誰?」

 理早は振り返った。その奇っ怪な化け物は重力に逆らい、ぷかぷかと浮いている。

「僕はジャビー」

「そうじゃなくて、あんたは何者? これはどういうこと?」

 千世が襲われそうになっていると思ったら、魔法少女になり彼女を助けている。状況は理解出来るが、納得が出来ない。いや、何を言われても納得は出来ないかもしれないが、理屈だけでも説明して欲しかった。

「力が欲しいって念じたでしょ??」

「うん」

「だから来た」

「うん」

「それで、僕の問いかけに応えたでしょ?」

「うん」

「それが契約完了ってこと」

「うん……うん?」

 一瞬納得しかけたが理解が出来ず、理早は「契約?」と素っ頓狂な声をあげた。

「そう。力を与える代わりに、君には悪い人を倒してもらう」そこでジャビーは何かを口にしたが、聞き取れなかった。「何て言えばいいんだろう。君たちの言語で言うと、うーん……『悪意』かな。それを集めないといけない。それが契約」

 どこから取り出したのか、ジャビーは小瓶を振ってみせた。赤い蓋の小さな瓶は食卓に並ぶ塩を思わせる。

 どうやって集めるのか。それが満杯になるまでやらなきゃいけないのか。満杯になったらどうなるのか。「力が欲しいか」と言ってきた時とキャラが違いすぎないか。カッコつけたかったのか。そういう時期なのか。訊きたいことは山ほどあったが、思考が上手くまとまらない。自分で思っている以上に疲れているらしい。

「一応聞いておくけどさ、断ったらどうなるの?」

「どうもならないよ」

 なんだ――と喉元まで出かかった言葉は、       

 ただ――というたった二文字に掻き消される。

「その場合は君の生命エネルギーを使って僕が『悪意』を集めるから、状況によっては死んでしまうこともありえる」

 何でもないことのようにジャビーは言う。

「『悪意』を放っておくと、次第に脳を汚染され、やがて化け物へと姿を変えるんだ。そうなると、警察じゃ手を付けられない。君が力を貸さなければ、どのみちこの世界は終わってしまう」

 嘘ではない、と理早は思った。

 その声に平和を訴える切実さはなく、かといって恐嚇された自分の反応を愉しむ風でもない。決まりだから、と言わんばかりに淡々と読み上げている。だからこそ、その言葉は真実として自分に突き刺さる。

「拒否権はないってことね」

「そういうこと」

 物分りが良くて助かるよ、とお世辞にも可愛いとは言えない顔が語っている。

「じゃあこれから宜しく」

 ジャビーが手を伸ばす。

 自分が契約するのは、天使か、悪魔か。

 迷うことはなかった。

 天使だろうと、悪魔だろうと、自分がやるべきことは一つなのだ。

 千世をちらりと見てから、理早はその手を握り返した。

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