ロボット・ピボット=チープ
松葉たけのこ_@バッタケ!
ロボット・ピポット=チープ
食糧不足が騒がれていた、そんな灰色の国。
そのすべてが自分には関係ない――とか、言いたげに。
そのロボットは、一人で座っていた。寂しそうに。
都会から一つ路地を外した、小さな医院の横、寂れた商店の中で。
お日様の陽がぽかぽか当たる場所を少し外し、窓際に出来る影へと追いやられて、座っていたソレ。
ソレは税込み105円の小さなロボット。
じぃっとキラキラした目でこっちを見つめてくる、そのプラスチックの塊は、私に『買え』と訴えかけているようにも思えた。
玩具のロボットの前で悩む私を見かねてか、やけに若い店員が声をかける。
「オススメですよ。その子もあなたが好きみたいだから、ぜひ家に迎えてあげてください」
その声が最後のひと押しだった。
私は、そのロボットを買ってしまったのだ。
理由は、なんてことない。
このロボットに対して、情が湧いてしまったのだ。
そのロボットの姿を見て、可愛がりたいと思った。
窓際の影となって静かに声を押し殺す。その姿が、会社にいたある“新人ちゃん”の姿と重なったから。
―――――
“新人ちゃん”は黒く
彼女は新卒で入ってきて、明るくまじめな娘だった。言われたことはテキパキこなし、言われぬことも難なくこなす。
それに顔もいいとあって、我が部のオッサン上司の評判もなかなかだった。
花のように愛想を振りまき、世渡り上手な彼女を、会社のみんなは“新人ちゃん”と呼んで可愛がった。
「がんばりましょうっ! 先輩」
そうやって、元気いっぱいに。私へとなぜだか出社一番に笑いかける彼女は、会社で難なく出世していくと思われた。
だが、ある日のこと、新人ちゃんはミスをした。
会議で配る書類に、本来ならば入れてはならない、そんな一文を誤って入れた。
それはある男への一文で、そのある男とはどうやらオッサン上司のようであった。
その一文とは『ありがとうございます淳くん』――で。
その淳くんとは、淳也。
恐らく、あるいは間違いなくオッサン上司の本名のことで。
そのオッサン上司が結婚している事、奥さんと子供のいる家庭を持っている事は、会社の誰もが知っている事実だった。
多分、新人ちゃんは会社のパソコンで恥ずかしい秘密の恋文メールを書いていたりしていたのだろう。
それを書いてる途中に予測変換に履歴が残ってしまい、気付かずに重要な書類にそのワンフレーズを入れてしまったのだろう。
“淳くん”だなんて、下の名前にくん付けでの呼び方はそうでなければ、なかなか使いはしない用法だ。
そう考えれば、新人ちゃんがオッサン上司に気に入られていた理由も説明が付く。
思い返せば、妙なくらいに評判が良かったじゃないか。
誰もがそうやって勝手に納得したのだ。
そして、誰もその一文を直接は指摘しなかった。
新人ちゃんに知らせようともしなかった。
「元々さ、あの“窓際ちゃん”、ちょっと調子に乗ってたよね」
自動販売機の前で、すぐにオバサン上司の陰口大会が開催されるようになった。
そして、その一件以来、新人ちゃん改め、窓際ちゃんの評判はガタ落ちとなっていった。本人は後からその理由に気付いたようだが、もう時すでに遅し。
前と変わらず、愛想を振りまいても、誰の気にも留まらなくなった。
「がんばりましょう。がんばりましょう」
壊れたレコードみたいに、その台詞を呟きながら、その内、新人ちゃんは仕事だけに取り組むようになって。かつての美貌は枯れていった。髪はボサボサに、化粧は乱雑なものに変わっていった。
そして、新人ちゃんは窓際の影の一部に過ぎなくなった。そのまま誰にも気付かれず、新人ちゃんは会社に来なくなった。
失踪した。光に呑まれるように消失した。
それから数か月後、新人ちゃんが退社した後、彼女がオッサン上司の一人から、セクハラまがいの嫌がらせを受けていたと分かった。
それは、彼女のパソコンの予測変換の候補を、余計で卑猥な一文に変えるという地味な嫌がらせだったらしい。
例えを出すなら、「ありがとうございます。」――を、「ありがとうございます淳くん」に変えたりするという、いかにも些細でみみっちーい、子供じみたモノ。
なんでも、理由は、一方的にオッサン上司が言いよって、新人ちゃんに断られたのを逆恨みしたから――だとか。
―――――
そんな事があったので。だから、私はこのロボットに情が湧いた。可哀そうなその姿を見て、私だけは可愛がってやりたいと思った。
なぜだかは分からないけれど。
そのロボットは単三電池2つで動く安物だ。
言うなれば、おもちゃだ。
毎日6時半になると、目覚まし代わりに『がんばりましょう!』という。こんなところまで似ているのか、と初めは驚いたりもした。
しかして慣れと言うのは恐ろしいもので、その内、この存在があることが気にならなくなった。
ロボットが家に来て、2ヶ月経ったある日のこと、私は些細なミスをした。
間違って、会社の備品を大量発注してしまった。
誰がどう見ても失態だった。
部下が入ってから、完璧超人を演じていた私はどうしようもなく落ち込んだ。
おまけに、私を嫌っているらしいオバサン上司が、自動販売機の前で私のミスについて茶化しているのを聞いてしまった。
いつもなら鼻で笑うような悪口が胸に刺さった。
なんだか、あり得ないくらいにしょんぼりと来てしまった。
そんな弱い自分が嫌になって。
もう成層圏にでも飛んでいきたくなった。
消えてしまいたくなった。
後輩ちゃんがそうしたみたいに。
私がそう思っていた所、突然にも電子音が鳴った。
「がんばりましょう!」
そうロボットが鳴ったのだ。妙に、耳に残る電子音で。
今は3時16分。とっくにもう深夜の0時を回っている。6時半には程遠い時間だったのに。それなのに、そう言ってくれた。
まあ、きっと壊れただけなんだろうけど。
このロボットは、人間じゃないんだから励ますなんてあり得ない。ましてや、気遣うなんてあるはず無い。それは、本物の人間にしか出来ないことだ。
私はその『がんばりましょう!』が作り物だと分かっていた。だけども、私の心はその作られた言葉で晴れやかになった。
そうだ。こんなミスをやらかすのは、私が頑張っていないせいなんだ。なら、次からはミスしないように頑張ればいい。
私はロボットの言葉を糧に、そうやって元気を出した。もっともっと、頑張ってやるんだ。そうすれば、何もミスはしないんだ、と。
それから、どんどんとロボットが『がんばりましょう!』と鳴るまでの間隔は短くなっていった。
最初は24時間ごとだったのが12時間ごと。次が6時間ごと。そしてついには、1時間ごとに鳴るようになった。壊れ具合が酷くなっていたのだ。
そして普段の私なら、こんなガラクタは鬱陶しいと捨てている。
だがそんなガラクタを、私は会社に持って行った。
『がんばりましょう!』
デスクの片隅にてロボットが言う一言のおかげで、私は無限に頑張れた。このガラクタが隣にいてくれたなら私には限界なんて無かった。
職場のみんなも最初は、「かわいいロボットだね」と笑ってくれた。それで何だか私まで誇らしい気分になれた。
そして、その気分は全てを忘れさせてくれた。
嫌なことも、失敗も、何もかも全て。
だから、ロボットに言われるままに。それからも私は頑張った。頑張り続けた。
同僚に飯に誘われても、飲みに誘われても、コンパなんてもちろん断った。
遊びになんて行く必要が無かった。
行かなくても頑張れたから。
「うわぁ……今日も来てるよ、窓際ちゃん」
いつしか私の髪はボサボサになった。
化粧に時間を掛けなくなった。
仕事でたくさんミスをするようになった。
だから、いつしか窓際に追いやられて、変なあだ名を付けられた。
でも、それでも、私は頑張れた。
頑張れば幸せになれるって。そう信じていたから。
ミスは増えていくけれど、あの気分がいつしか忘れさせてくれるはずだから。
がんばりましょう――と誇らしい気分にさせてくれるはずだから。
「明日から来なくていい。君、クビだから」
そう私に告げたのは、後輩ちゃんにセクハラをしたオッサン上司だった。
それでも、きっと大丈夫だから。
もっと頑張れる仕事に就職し直せばいいだけの話。
何でもすれば良いんだ。どんな怪しい仕事だって。
「この仕事では、文字通りすべてを売って頂きます。ああ、しかしご安心を。“代わり”は、こちらでご用意致します」
肌を剥いて、骨を削ってでも、頑張って頑張って、頑張るんだ。
私はかつての新人ちゃんみたいなヤツをも、可愛がってやれる凄い女なんだ。あんな可哀そうな女には、私は絶対ならない。
その為には、誰かの言いなりになったっていい。
だって、私は頑張れるんだから。
それだけが取り柄なんだから。
それだけしか、私には残されていないんだから。
私は決意を新たに、自分へと渇を入れる。
『がんばりましょう!』
寂れた商店の中で、今日もロボットの音が響いた。
ロボットは目をキラキラとさせて、動くはずのない心臓を弾ませようと頑張った。
自分が売られる日が楽しみだったから。
みんなの、その期待に応えないといけないから。
私は社会に役立つ、105円のロボット。
買った人へ特別なエールを送り、頑張らせて。
無限に、頑張らせて。
その人を破滅させる。お金に困らせる。
最後は、そのすべてを、みんなの為に役立てる。
それは社会に役立つこと。
だから、私も頑張らないといけない。
頑張らせるために、頑張らないと。
誰かに買われたその時は、ちゃんとエールを送らないといけないんだ。
みんなも頑張らないといけないから。
私がこんな目に遭っているんだから。
みんなも同じ目に遭えよ。頑張ってさ。
頑張って、頑バって、ガンバッて、がんばっテ!
きっとみんな、変わり果てる。幸いにも。
『がんばりましょう!』
私の横に座るロボットがそう鳴って、嬉しそうな目で見返した。やっと、あの人にも自分と同じ痛みを味わわせられた、と。
その輝く透明を見て、プラスチックはようやく気付いた。今、なぜだか分かったのだ。
彼女を可愛がりたいと思った理由、それは彼女が可哀想だからではなかった。
彼女がただ、単純に可愛かったからだった。
どうしようもなく、可愛く思えたから、ただそれだけの事だったのだ。
『『がんばりましょう!』』
そうか、今度はあなたが私の先輩なんだ。
立場が逆転しちゃったね。
ロボット・ピボット=チープ 松葉たけのこ_@バッタケ! @milli1984
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