第7話 たぶん魔法とか使えるはずです!
「――だから、今度は生き延びようもないくらいにしっかりと殺し切ることにする」
厳かな宣誓がごとく、フリアエの冷たい声が響いた。死神を気取るようにゆっくりと手をかざす。
だが、
「……おい女、おまえ、死ぬのが怖くないのか?」
サクヤがあまりに動じていないので、アベルは尋ねずにはいられなかった。アベル、イナンナ、そしてサクヤの命運はもはや絶たれている。フリアエの魔力が充填される時までの僅かな余命。騎士として訓練を積み、幾度となく人の死に相対してきたアベルたちはともかく、サクヤは一般人のはず。
「私だってなんの勝算もなく戻ってきたわけじゃない」
「そ、そうなのか」
「まあ賭けみたいなものだけど。お約束通りなら、きっとなんとかなる」
アベルは全く訳がわからないという様子だが、サクヤも説明する気はなかった。どうせ話したってわからない。
彼女の勝算。そもそもこっちの世界に来てからというもの、ずっとサクヤの頭にあった疑問。
この状況はなんなのか? 魔物に襲われ、馬に乗った剣士に助けられ、降り注ぐ氷柱の魔術……。
ただの夢、というのはなさそうだ。では最新式のVR? 磐長家にそんなものはない。しかし一つだけ思い当たるもの。というより思いついたもの。
「私の今の状況。コノハが買い込んだ漫画やラノベで見たことあるの。いきなり知らない世界に飛ばされ、そこは剣と魔法が支配する世界……」
異世界転移。この状況はまさにそれだ。なんで私が、という疑問はひとまず
であれば、サクヤにもなにかの力が与えられていたとして、不思議ではない。
サクヤが神妙な顔でフリアエを睨む。三つ目の少女がほんの少し瞳を細めた。
「起死回生、というわけ? 次はいったいなにを見せてくれるの?」
「さあ。でもここまで酷い目にあわされたんだから、さぞ素敵な力なんでしょうね!?」
両手を前に突き出して、サクヤは祈るように力を込める。なにが起こるかなんてわからない。でも、なにかが起こってくれなきゃみんな死ぬ。
「だから発動しなさい! 私の力!」
目を閉じ、サクヤは叫ぶ。
唖然として見守るアベル。
……だが、なにも起こらない。やり方が間違ってるのだろうか。改めてサクヤは唱える。
「……出でよ! 私のスキル!」
声が虚しく青空に響く。
「……敵を倒せ! 奇跡よ起きろ! あいつをやっつけて! ……え、えと、炎よ巻き起これ! 時間を巻きもどせ……! ま、魔術を打ち消せ!」
思いつく限りの言葉を叫ぶ。が、ことごとく反応なし。焦燥と失望でサクヤの胸があつくなっていく。勢いをつけて叫ぶたび、目元にあふれた涙が飛んだ。
「おい、もういい! やめろそんなこと!」
終いにはアベルに止められて、サクヤはびくりと身を震わせた。
「……奴を悦ばせるだけだ。死に瀕した人間の命乞い、無駄な足掻き、魔物はそういうのをなにより好む。だから、もういい」
「でも! そしたらみんな死んじゃう! 私のせいで……!」
そんなのあまりに酷い話じゃないか。わけのわからないまま、誰もなにも悪いことをしていないのに命を奪われるなんて。
「しかたない。それが魔物だ。理不尽に人を襲い、命を奪う。おまえのせいじゃねえ。戻ってきたのはバカだったが、きっと俺も――」
「ダメ! まだ諦めない! あいつが魔術を撃ってくるまでは!」
「だからよせって! 気がつかないのか? 奴はとっくに詠唱を済ませてる」
「え……じゃ、じゃあなんで……」
フリアエが少しだけ口角をあげた。それは彼女が初めて見せた感情らしい感情だった。
「……言っただろ。人間が命にしがみつく様、それは魔物にとって何よりの愉悦なんだ。鑑賞してるんだよ、おまえの足掻く姿を」
「そ……んな……」
それを肯定するようにフリアエは口を開く。笑みは失せ、やはり人形のように淡々と。
「英華発外。人間の素晴らしさは勇気の素晴らしさ。だからこそ、その勇気をもってなお死ぬ時、人間が唯一美しく輝ける瞬間。でももうお終い。絶望で結ばれてこその希望。さようなら。さっきの言葉は訂正する。最期は少しだけ楽しかったわ」
「楽しかった」を言い終える前に、練り上げられた火球がフリアエの手から放たれた。サイズは先ほどよりもふた回りは大きい。
アベルは察する。あの火球が炸裂した後、おそらく自分たちは骨も残らないだろうということを。
そして灼熱の輝きが草原の一角を満たす。二つ目巨怪が情けないダミ声で悲鳴をあげた。フリアエの結界の中にいてなお熱さを錯覚するほどの閃光。一方で当の術師はもう興味もなさそうに目を背けようとした。
しかし、違和感。
閃光がいつまでも収まらない。本来なら全ては一瞬のはず。今頃はもう、融解して大地にへばりついた人間だったものが見えなくてはおかしい。
「どういうこと……?」
もしありえるとすれば、なにか強大な魔力がフリアエの魔術と拮抗している場合。しかしそれこそありえない。そんな力があるならとっくに抵抗しているはず。
いったいなにが起こったのか。閃光に視界を塞がれたフリアエにはわからない。
だが一方、閃光の中心、死すべき定めの人間たちもまた状況を理解できていなかった。
「なにが……どうなってんだ……?」
そうぼやくアベルの先で、サクヤが言葉を失っている。未だ涙に濡れたままの瞳が呆然と自らの右手を見つめていた。正確には右手首を。
彼女たちはたしかに閃光の只中にいた。が、灼熱はすんでのところで遮られて後方へと流れていく。まるで不可視のドームに守られているかのように、サクヤを中心とした円状の空間だけが魔術の影響を受けていなかった。
「右手が熱い……」
すっかり汚れてしまったセーラー服の袖をおそるおそる捲る。熱さは魔術のためではない。露わになった手首でまばゆい輝きを放つ、黄金色の腕輪のためだった。
「おい、その腕輪のおかげなのか!?」
「わからない……これ、たしかコノハの部屋にあったやつ。すっかり忘れてたけど……」
手にとって見ようとして、サクヤはギョッとする。まばゆい輝きのせいでよく見えていなかったが、腕輪は皮膚に張り付いたようになっていた。金色の材質が根のように伸び、右手首の皮膚に食い込んでいる。痛みはないが、かなりグロテスクな光景。
「ちょっ、なんなのこれ……!?」
咄嗟に右手から外そうとした、その時だった。
『外さない方がいいよ。死ぬから』
男のような、女のような、子供のような、老人のような、捉えどころのない不思議な声が響く。アベルやフリアエの声ではない。それは、頭の中に直接聞こえてきていた。
「誰!? 外さない方がいいって……この腕輪のこと?」
『そうそう。今君らが焼き切られずに済んでるのは僕の魔力のおかげだから。にしても魔女の娘……思ったよりやるね。このままだと押し切られそうだ』
その言葉を証明するように不可視のドームが歪み、ほんの一瞬入り込んだ熱がサクヤたちをなぎ払った。
「っ……!?」
鼻や喉の粘膜系に走る激痛。あと0.5秒でも続けば焼き切れていた。痛々しく咳き込むサクヤに、声は続ける。
『時間もないし手短かに行こう。重要なのは君の意思。まだ生きていたい? それとも死にたい?』
「私達を助けてくれるってわけ……?」
『それは君の仕事。僕はただのしがない膨大な魔力を秘めたる腕輪さ』
「……そういうのをただのしがないとは言わないと思うけど。あなた何者なの? なんでコノハの部屋にあったの? あの子のことなにか知ってるの!?」
『あはは、質問は後にしない? 急がないとマジでみんな死んじゃうけど』
後ろを振り向くと、イナンナだけでなくアベルも地に伏せてうめき声を上げていた。先の一瞬の熱波が最後の体力を奪ったらしい。
腕輪の声が言う通り、考えている時間はなかった。
「……わかった。この場をしのげるなら神でも悪魔でも構わない。でもどうする気?」
『難しいことは考えないで。今はただ、僕の言葉を復唱してくれればいい』
サクヤは意を決してうなずく。腕輪にその仕草が見えるのか知らないが、声が続ける。
『彼方からのものより、彼方のものへ。汝は我なり。我は汝なり。ここに契約を結ぶ』
今のを復唱しろ、ということらしい。意味はさっぱりわからなかったが、選択肢はもとよりない。
「……彼方からのものより、彼方のものへ。汝は我なり。我は汝なり。ここに契約を……契約を結ぶ!」
そして、腕輪がひときわまばゆく輝いた。かと思うと更に幾本もの根のようなものが走り、サクヤの右腕に食い込んだ。痛みはないが、強烈な異物感。
さらには、ぎょっとするまもなく訪れるドクンドクンという動悸。コーヒーを飲みすぎた日の夜のような、そのまま心臓が胸を突き破ってきそうな感覚。
「……がっ……なに……はっ……あぁあっ……!!」
もがくように胸を抑えている間に動悸は全身に伝播されていく。腕で、足で、そして頭でも感じる痛いほどの拍動。
ドクン、ドクン、ドクン。何かが巡っている。血液ではなかった。もっと熱い。溶けた鉄かとさえ思えた。
『だいじょぶだいじょぶ! 苦しいのは一瞬だけさ』
他人事のように声が告げる。が、もはやサクヤにはその声すら届いていない。
全身の血管が緊張して破裂しそうだ。脂汗が背に腹にどっと吹き出した。半開きの口からぼたぼたとよだれがこぼれた。四十度オーバーの高熱にうなされる夜のよう。
「あぁっ……ああああァァあぁああああああっっっ……!!!」
やばい。死ぬ。
視界がほとんどホワイトアウトし、生命の灯火が吹き消されるのを感じた。
それが峠だった。
「あぁっ……あれ?」
瞬間、嘘のように全身の苦痛が消え去った。突然に世界がクリアに見える。熱でうなされた夜が明けた気持ちの良い朝のような感覚に貫かれる。
『ほら、一瞬だっただろ。感想は?』
「……最悪だった。でも、今は不思議な感じ。胸の奥がまだ少し熱いけど、嫌じゃない。今のはなんなの?」
『魔力さ。君の世界じゃ馴染みないだろうけど、こっちの世界じゃ森羅万象あらゆるところに存在している。混沌神アザトーの力の残滓。世界の
言ってる意味はさっぱりだったが、頭より先に体に理解がきた。今の自分がたった数秒前の自分とは決定的に違う状態になったという感覚。
例えるなら、初めて自転車に乗れた時。乗れる前と比べても肉体的には何の変化もない。だが確かに乗れる前と後では違っている。
『さてと。後はよろしく。こうやって喋るだけでもけっこう大変なんだ』
「え、ちょっと待っ……結局あんた何者だったの!?」
『僕はシェムハザ。天使シェムハザさ。また何かあったら出てくるよ。じゃ、おやすみぃ~~』
「おやすみって……」
電話が一方的に切られたみたいに、頭の中で鳴り響いていた声がぶつりと止んだ。いろいろとつけたい文句はあるが、ひとまずサクヤはそれを呑み込む。
今は目の前の問題をどうにかしよう。今なら目の前の問題を、どうにかできる!
全員を守っている不可視のドーム。今ならその正体がよくわかった。純粋な魔力で構成された防壁。サクヤが右手をかざすと、ぴくりと防壁が反応した。そのまま薙ぎ払うように手を振るう。
結界が四散した。拮抗していたフリアエの術とともに。閃光が晴れ、青空が見えた。その下で震えている巨怪と、その肩で三つ目を見開くフリアエの姿も。
「烏白馬角……ありえない……!」
「私だって驚いてんのよ」
両者の周囲の草原は、飛散した火球によって甚大な焼け野原と化していた。ただ各々を中心とした僅かな範囲だけが下の青々とした姿を保っている。
「さっきからしぶとい奴ら……どうやって生き残ったの?」
「私からも聞かせてもらうけど、あなたってどれくらい人間を殺してきたわけ?」
「愚問愚答……重なり続ける死を数えてもしかたない。数え上げたそばからまた増えていく」
「……力を持つ者として、力のない誰かを守ろうって考えてみたことはないの?」
「ないわ。お母様が殺せという限り、私はきっと殺し続ける」
酷い母親も居たものだ。サクヤは念じる。今ここでフリアエを止める。そのためには――いつもの事だ。どんなに話してみても妹へのイジメを止めた者はいなかった。だから、何かを守りたかったら、力で相手を押さえつけるしかない。
(父さん……やっぱり私にはわからない。望んで人を傷つける相手を許すなんて、私にはできない)
胸の奥がわっと熱くなり、魔力が流れるのを感じた。握りしめた右手から先、細長いシルエット上に空間が切り取られ、わずかにねじ曲がっている。そこに魔力が集中している証拠だった。不可視の刃。魔力で構成された剣を構える。
「それで私と戦うつもり?」
フリアエが僅かに苛立ちを見せ、魔力を込めた火球を放つ。サクヤは左手をかざして念じた。ほんの一瞬だが魔力の防壁が生じ、火球を受け流す。後方十数メートルはなれた地面が爆発炎上した。
(まだ大雑把にしかできないけど……なんとかなる……! 私がなんとかする……!)
地を蹴って駆け出す。フリアエが忌々しげに舌打ちし、巨怪の肩からふわりと降りる。
「窮鼠噛猫……嫌な予感がする。あなたが先行しなさい。私は後方から援護する」
「え、ええ、フリアエええ!? お、俺を
「なんのためにあなたを連れてきてると思ってるの!? 二つ目でしょう、たかが人間一人に怯えないで」
蹴り出されるようにして巨怪が単身サクヤに突っ込む。だが最初に見せたような獰猛さはない。魔物は魔物なりの本能で感じ取っているのだ。今のサクヤが、つい先刻追い回した哀れな犠牲者とは違うことを。
そして案の定サクヤは怯まない。ゆうに五メートル近くはある巨怪は見上げるほどだが、フリアエの見せた非人道的氷柱爆撃に比べれば大したことはない。倒れ込むような巨怪の腕の一振りをステップで躱す。喧嘩と同じだ。体格差は不利をもたらすが、かといって巨体がそのまま有利を生み出すわけではない。大振りな一撃は避けやすい。まして体格差に奢って突っ込んでくるのは最低だ。有利な条件を持つことと、それを活かしきって勝つことは違う。
勢いを殺しきれずよろめいた巨怪に素早く近づき、魔力の刃を振るう。切れ味は恐ろしく鋭利だった。脂肪でだぶついた肉が引き裂かれ、濃紫色の血液が吹き出した。しかし浅い。巨体のもう一つの利点。単純に攻撃が通りにくい。しかしかなりの苦痛は与えたらしい。酷い臭気を発する唾液をぼたぼたとこぼしながら巨怪が聞くに堪えないうめき声を上げる。
「ひっ、ひでぇえ!! フリアエぇえ! 許ぜねえよおごいづぅう!!」
しかしこの鉄火場でいちいち悶ていれば良い的だった。喧嘩モードに入ったサクヤは容赦しない。返す刀で再び更かしの刃を振り抜く。セーラー服の白い生地に走る紫の斑点模様。
(殺したくない……でもできるの? こんな連中相手にそんな甘い立ち回りが?)
魔物がどういう存在なのか、それはわからない。だが少なくとも自我はあるらしい。サクヤは喧嘩ばかりしていたが、必要以上に相手を痛めつけたり、まして殺したりしたことは一度もなかった。
どんなにいきり立っていても人間は、ある程度の不利を悟ると殺意を収めるものだ。しかし魔物の殺意はどうだろうか。フリアエの言葉からするに、本能レベルで殺戮を好んでいるのだとしたら。
(私も……殺さなきゃいけないってこと……?)
その一瞬の迷い。ほんの僅かな気の緩み。それを見逃さなかったのは、他でもないフリアエだった。
巨怪の全身が奇妙にましろく輝いた。もともとの巨体がさらに不可思議に膨張し、その表情が苦悶に歪む。
「フフうううリリリああああああエエエエエエエ!!!!???」
「危ねえ女! 逃げろ!」
鋭い叫び声がサクヤの意識を引き戻す。巨怪のからだは今や白熱した巨大な風船のようにパンパンに膨れ上がっていた。
サクヤが慌てて駆け出す。いつのまにか起き上がっていたアベルに手を引かれて地面に身を投げだし、頭を抱えた。稼げた距離はほんの数メートルだったろう。だが、それが命運を分けた。
パン、という軽い音。それと同時に遅い来る鈍い衝撃波。抱えた数多の上を無数の巨大な質量が飛んでいくのがわかる。そして遅れて降り注ぐ、酷い臭気を発する濃紫色の体液。
フリアエが巨怪を破裂させたのは明らかだった。ようやくサクヤが身を起こした頃には、もうあの三つ目の少女は影も形もなくなっていた。
勇者の姉と魔王の妹 姉妹喧嘩は異世界で ジャージー牛ふれあい食堂 @lokotonoha
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