第6話 自分が自分じゃなくなったなら


「俺、大きくなったら兄ちゃんみたいな騎士になる!」


 それは遠い日の思い出。王都外れに佇む一軒家。木漏れ日差し込む庭で語らう、仲睦まじい兄弟がいた。

 今はもういない。


「……なんでだよ! なんでなんだよ、兄さん! なんで俺たちを――」


 叫ぶ声が届くことはなかった。

 「なんで」という問いへの答えは示されず、世界は理不尽に回り続け、非力だった少年は力をつけた。全ては理不尽の答えを知るために。

 だから、


「こんなところで終われねえんだよ!」


 自らを奮い立たせるようにアベルは吠える。

 かつては平和で美しい草原だった地が今や見る影もなかった。まるで氷の木々でできた森。巨大な氷柱があちらこちらに突き刺さって大地を穿っていた。その数はなお増え続けている。晴れ時々氷柱。サクヤの言うようなワイルドすぎる天気――ではない。氷結魔術によって生成された氷柱が、旋風魔術によって高空へと巻き上げられて降り注いでいる。質量プラス落下速度の単純にして強力無比な戦略。


(威力、精度、持続力、全てにおいて冗談みたいな水準だ。まさか魔女……いや、ありえねえ。ならなんなんだ? クソ、馬さえあればな)


 そうして無いものをねだって手に入るなら、アベルは剣など握る必要はなかったのだろう。

 それより今は逃げること。イナンナが副団長シャリオールを連れて戻れば勝機はある。人間性はともかく、あの男の腕は頼りになる。

 それに悪いことばかりでもなかった。アベルは徐々にだが氷柱爆撃の法則性――あるいは術師のクセのようなものを理解しつつあった。


(たしかに精度は申し分ない。完全な偏差射撃。だが。俺はずっとジグザグに逃げ続けてるんだ。ヨミってもんを加えるなら単なる偏差撃ちだけじゃ無意味、次にどっちに動くのかってことまで考慮しなきゃならない。なのに敵はそれをしない。まるで真っ直ぐにしか動かない的を相手にしているかのようだ。あるいはそれでいいと思ってるのか? いつか俺のスタミナが尽きるのを、手ぐすね引いて待ってるっていうのか)


 その点に関して言えば哨戒用の軽装であることが幸いした。戦闘用の重装備ではとっくにへばっていただろう。

 それに魔術師とて無尽蔵に術を行使できるわけではない。いつか燃料切れが来る……というより、これだけ大規模なことをやっているのだ。通常なら魔術師側が音を上げてなければおかしいくらい。あるいはその瞬間は、もうすぐにでも来るのかもしれない。


「根比べってわけかよ……!」


 しかし圧倒的に不利なのは依然としてアベルの方だ。爆撃のクセを理解したと言っても完全ではない。互いの距離や風向き、あるいは術師の気まぐれなどといったもので前提は容易に変化する。なによりそうなった時にアベルはただ死ぬしかない。あっさりと。例え何百発という攻撃を避けられたとしても関係ない。ただの一発で死ぬ。

 一方で敵はどれだけ外そうが致命打にはならない。現にこうして無数の外れ弾が大地を穿っているが、爆撃には少しの影響も見られない。

 アベルは必死に逃げ回り避け続けてはいるものの、結局それはこの状況を維持するための最低条件でしかない。とどのつまり、この不条理なゲームに打ち勝つには祈るしかなかった。相手の気まぐれなど起こらないことを。見出したクセがイナンナの助けが来るまで持続してくれることを。予想外の不運など起こらないことを。

 しかし、不運とはいつだって無造作に舞い降りるもの。


「しまっ――」


 原因はいったいなんだったのか。術師の気まぐれ、アベルの気のはやり、そもそもヨミが間違っていたのかも……いずれにせよアベルは、眼前を刺し貫いた氷柱によって勢いを殺された。体の重心ずれて足がほつれる。普段の彼ならなんてことなく踏みとどまっただろうが、気が付かないうちに蓄積していた疲労が足をすくった。あっと思う間もなく子供のように尻餅をつく。


 立て、立ち上がって走れ、でなきゃ死ぬぞ。


 喚き立てる本能に体が追いつかない。容赦なく飛来する氷柱が遠くに見える。まばたき一つの間に着弾するはずだが、妙に動きがのろかった。死の間際になると世界がスローに見えるという話をぼんやりと思い出す。

 そして墓標のような氷柱が土埃とともに地に突き刺さった。


 ○


「……泡沫夢幻」


 アベルが生死を賭して逃げ回っていた地から少し離れた地点。草原の中に小高く盛り上がった丘の上、巨怪を従えた少女が小さく呟く。

 彼女はフリアエ。無尽蔵の氷柱爆撃を行った魔術師であり、魔導傀儡の二つ名で恐れられる強大な魔物の一人。


「あで~フリアエ~? どうじだんだ~? もう殺じ終わったのが~?」


 フリアエを肩に乗せている巨怪がぼやく。が、フリアエはそれには答えない。巨怪はただの足場兼乗り物。でも口は臭いし乗り心地も悪い。フリアエは話しかけられても無視することに決めていた。

 それよりも、さんざん手こずらされたあの人間のこと。


(人間はいつもそう。勝てないとわかってるのに挑んでくる。猿猴捉月。もっと命を大切にしたらいいのに)


 その命を奪った張本人は無感動な瞳を僅かに目を細めた。両目と額、合計で三つある目を。

 しかしすぐにそれらは見開かれる。


 彼女の三つの瞳が見つめる先。たしかにあのすばしこい人間を殺したはずの場所から少し手前、もうもうと舞い上がる土煙を抜け、まっすぐに突っ込んでくる馬の影があった。

 馬上で手綱を握る一人は、長い獣めいた耳をピンと立てた茜髪の少女。その後ろには先程捻り殺したはずの人間。

 二人は明らかにフリアエたちに気がついていた。巨怪の図体はよく目立つ。狙いは明白。術者を倒せば氷柱爆撃は停止する。


「蟷螂之斧……無駄な抵抗なのに」


 フリアエは迎撃として、上空に滞空させていた氷柱を一斉に放つ。しかし当たらない。威力を稼ぐために上空高くから落としていた弊害。着弾までのタイムラグ。人間の足では逃げ惑うしかなかった。だが馬の脚であれば落下地点を見てから避けるのは容易い。


 アベルが叫ぶ。


「いけるぞ! 速度落とすなよイナンナ!」


 回避動作に集中しきっているイナンナは言葉を返す余裕もない。だがそれで十分。アベルは剣を構え、イナンナの背に捕まりながら中腰で立ち上がる。驚異的なバランス感覚。

 そのまま巨怪へと飛び移ってフリアエを仕留めるつもりだった。もちろん無謀ともいえる選択。


 だが先の一瞬、絶体絶命だったアベルをイナンナがすくい上げた後。アベルはすぐに理解してしまった。なぜイナンナ一人が戻ってきたのか。頼みの綱であるシャリオールは助けに来ないということ。そして二人乗りの速度では氷柱爆撃の射程から逃げきれないという事実。であればいっそ逆――フリアエ撃破の一点賭けに至ったのはむしろ自然。死んでもともと。元よりイナンナもその覚悟あって助けに来てくれたはず。


 ……そして、上空にとどまっていた氷柱の最後の一つが二人のすぐ後方に突き刺さった。これで弾切れ。無論フリアエ程の魔術師ならば氷柱の再生成リロードは容易だろう。ほんの十数秒もかければ。だが今はその十秒が全てを左右する局面なのだ。


 アベルは息を呑む。元より無謀は承知だが、ここまで来たらフリアエを仕留めたかった。生きたいからではない。あの氷柱爆撃がサダム市を標的に取ればどんな惨劇が巻き起こるのか。避難民でパンパンの要塞都市だ。まさに袋のネズミ。またたくさんの人が死ぬ。たくさんの人が取り残され、孤独の中で絶望する。


 かつてのアベルのように。


 それはダメだ。それだけは絶対に。


「今ここで……奴を討つ……!」


 もはや両者の距離は二呼吸分もない。だがフリアエはその無表情を崩さず、迫るアベルたちに向けて手をかざす。


「笑止……千万!」


 厳かな詠唱が小さな唇によって紡がれると、彼女の掲げた手の先へと魔力が集中する。魔力はその純度ゆえに紫金色に輝いて渦を巻き、かと思うと急速に一点へと収束する。こぶし大の魔力の塊。それに火が灯る。

 火炎魔術の初歩の初歩。火球投射フランマバリスタ

 だが初歩魔術だからといって低威力とは限らないと、アベル達は今まさに痛感させられていた。ビリビリと空気が悲鳴を上げている。待機中の魔力が根こそぎあの小さな火球に集中しているせいで、疎になった空間が歪んでいるのだった。それだけの魔力を込められた一撃を喰らえばどうなるか。


「退きましょうアベル!」


 イナンナの悲鳴にもにた絶叫。だがアベルは、


「もう間に合わねえよ! 突っ込め!」


 実際、その判断は正しかった。


 フリアエの手のひらから火球が放たれる。それはアベルたちのすぐ側の大地に着弾し――爆ぜた。


 アベルの判断は正しかった。もし土壇場で馬の脚を緩めていたら、かえって直撃を受けていただろう。一切の減速をしなかったおかげで爆心地からわずかに遠ざかることができた。が、そこまでだった。


 二人の鼓膜をつんざく爆音。浮遊感とともに視界が揺さぶられ、遅れてメチャクチャな衝撃が横殴りに襲い来る。そして次の瞬間には土を噛んでいる。

 キーーーーンという甲高い耳鳴りに遮られて周囲の音が聞き取れない。


 それでもアベルはかろうじて身を起こした。視界の端で馬が横向きに倒れている。自分たちを見下ろす巨怪の不快なニタニタ笑い。そして、無表情なフリアエが点に向けて手をかざす。凍てつく冷気が天に昇り、忌々しい氷柱が再び生成される。


「打草驚蛇。あんな人間、放っておけばよかったのに。正義、信念、人情、道義心。私には何一つ理解できない。理解できないから、もう消えて」


 アベルは歯噛みする。足が言うことを聞かない。疲労に加えて先の爆発のダメージ。流石に限界だ。それでもゆっくり立ち上がるとアバラがひどく痛んだ。軽く咳をしただけで喉の奥から血の味がする。頭からの出血が目に入ったらしく、視界が薄く赤い。


「おいイナンナ……イナンナ……クソ、気絶してるか」


 万事休す。それでも剣を握り締め、フリアエに相対する。


「唖然失笑……まだ諦めていないの?」

「俺は……こんなところじゃ終われないんだ……」

「支離滅裂。ならあなたはここに来るべきではなかった。あの人間を見捨て、故郷で短い安息を享受するべきだった」

「一人でも見捨てたら……俺は俺じゃなくなっちまう……それじゃ意味がねえんだよ……」

「はあ。人間は本当に理解不能。やっぱり全部――殺さないと」


 それが最後通牒ということらしい。空中を所在なく漂っていた氷柱が固定され、鋭利な先端の狙いがアベルに定まる。

 フリアエが羽虫でも払うかのように手をふると、間もなく氷柱が落下を始めた。避ける体力は残っていない。アベルは目を見開いて迫りくる死を見つめる。目をそらせばその瞬間に地獄へ落ちるとでも言うように。


「――――――――ぉおおおお!」


 アベルの耳が何かを捉えた。動物の雄叫びのような声。フリアエもまた異常を察知したらしく素早く三つの視線を音のする方へ走らせる。


「うおおおおおおおおおおああああああああああああああ!!!!!」


 それは白馬。猛烈な速度でこちらへと疾走してきている。が、馬は声の主ではない。無論その鞍にまたがった人間。アベルたちの世界では見慣れない、赤いスカーフと短いスカートが特徴的な服――セーラー服姿の少女が雄叫びを上げながら突っ込んでくる。


「やったらああああああああああああああああああああ!!!!!!」


 アベルは目を疑った。あの少女には見覚えがある。ついさっき巨怪から助け出し、サダム市へと送り出したはずの――


「どりゃぁあっっ!!!」


 少女の体が宙を舞う。アベルには一瞬彼女が落馬したのかと思えたが、そうではなく、自ら鞍より身を投げだしたらしい。まるで先程アベルがやろうとしていたように。そしていよいよ間近に迫りつつあったアベルの死――落下する氷柱を思い切り蹴りつけた。当然氷柱の落下軌道は逸れ、アベルの僅かに横へと突き刺さる。

 一方で少女の方も無事では済まない。氷柱を蹴りかすめた後、少し先の草地に痛々しく投げ出される。


「お、おい! 大丈夫か!?」


 咄嗟に彼女の死を疑ったが、間もなくむくりと起き上がるのを見て胸をなでおろす。しかし理解が状況に追いつくにつれ、今度は怒りと困惑がアベルの中に膨れ上がった。


「よかった、間に合って」


 頬に土塊や草をいっぱいにつけたまま、彼女は微笑む。

 だがアベルは、足が動かせれば殴りかかりたい気分だった。


「てめえ、どうして戻ってきたんだ!?」


 彼女は、磐長サクヤは、アベルとイナンナがこの窮地に陥る元凶だった。それ自体はまあいい。だがなぜ戻ってきた? それはつまり、二人が命をなげうってした行為が完全に無駄になったということだ。

 確かにこの場の危機は逃れた。しかしフリアエには傷一つついてない。彼女は氷柱だろうが火球だろうがまだまだいくらでも生み出せるだろう。死ぬ人間が二人から三人に増えたにすぎない。

 そんなことくらい、サクヤだって理解しているだろうに。


「どうして……戻ってきちまったんだよ……」

「それは……ごめん。でもあのままだったらあなたたち二人共死んじゃうと思って。そんなの放っておけない」

「バカ言え……お前を助けるためにわざわざ来たんだぞ……死ぬのなんて……最初から覚悟してんだよ……」

「でもさ……」


 サクヤは僅かに言い淀んだが、しかし意を決したようにまた口を開いた。


「でも私、助けてなんて頼んでない」

「なっ!?」


 それは到底許せない発言。アベルは思わず手元の剣さえ向けそうになる――が、はっとして息を呑んだ。


「……なんで、なんでそっちが先に泣いてんだよ」


 最初に見せた微笑みは消え、サクヤの頬には涙が流れ落ちていた。彼女は慌ててそれを拭い、叫ぶように、


「二人も死なせてまで助けてなんて、頼んでない! わけわかんないまま怪物に襲われて! いきなり助けられて! 何もわかってないまま二人分の命抱えて生きろなんて納得できない! だって、だってまだ、恩返しの一つもしてないのに……!」


 それに、サクヤはよく知っていた。人の命を抱えて生きるということの重さ。両親が他界してから十年近く、妹の命を抱えて生きてきた。一人分でもあんなに重いのに、どうしてさらに二人も抱えられるだろう。


 言い返す言葉を、アベルはもう持っていなかった。サクヤの言葉に完全に納得できたわけではない。しかしふと思う。もし自分が彼女と同じ立場だったらどうしただろう、と。きっと全く同じことをしでかすんじゃないか。いや、絶対にそうするだろう。例え死ぬ人間を増やすだけだとしても。だって、


(だってそしたら、俺は俺じゃなくなっちまう。それじゃ何の意味もない……)


 つまるところ最初から間違えていたのだ。この場にいる人間、その誰もが。

 あるいはここが平和な世界だったなら、その間違いを胸に新たな道を進めばよかったのかもしれない。そうでなかったことが彼女たちの最大の不運だった。


 フリアエがあくびを噛み殺し、告げる。永久凍土よりも冷たい声で。


「……春蛙秋蝉。感動の再開はもうお終い? 私、あなたたちを少し見誤っていた。殺しても殺しても殺しきれない。盤根錯節。だから、今度は生き延びようもないくらいにしっかりと殺し切ることにする」


 有言実行。膨大な量の魔力が、再びフリアエを軸にして集まり始めた。

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