大豆讃頌(ダイズ サンショウ)

 さあ、農家の玄関から、すわと転がり出ていった大根には、いったい何が待ち受けているのでしょうか。大根は転がり続けて気が付くと、三日三晩が経っていました。


 ガタガタとけたたましい騒音を撒き散らす軽トラのタイヤを間一髪で避け、時に畑の畦道あぜみちに転がり落ち、モグラやネズミと死闘を繰り広げながら、何が起こるか分からない広い世界を突き進んでいました。


 泥まみれになりながらも、大根は元気でした。

 見上げた天は高く、ほうき雲が青空を掃いています。どうやら暑さ寒さも峠を過ぎて、そろそろ秋の気配がするようです。

 そんな中、大根は人目を避けて、何度目とも分からない畑のうねの間をゴロンゴロンと進んでいきます。

 その時でした。


「ぼくたちはー、安心安全、畑のお肉ー。純国産のー、正真正銘、畑のお肉ー」


 お肉ー、お肉ーと、風に乗ってどこからともなく大勢の歌声が聞こえてきます。


「さあ、大地の恵みをたたえようー。畑の恵みに感謝しようー」


 辺り一面に響き渡る大合唱です。

 しかし、行手から聞こえてくる素っ頓狂な歌に、大根は釈然としません。


「畑で肉なぞ育つものか、けしからん!」


 憤懣ふんまんやるかたない思いで歌声のする方へと突き進むと、目の前に現れたのは整然と並んだ畝と、葉も茎もすっかりと萎れ、収穫を目前に控えてパンパンに膨らみ、たわわと実った大豆の大きな大きな鞘でした。

 歌声は、この今にも弾けそうなクリーム色の鞘の中から響いているようです。


「ぼくたちはー、安心安全、畑のお肉ー。純国産のー、正真正銘、畑のお肉ー」


 お肉ー、お肉ーと、楽しそうに歌う無邪気な様子に、大根は唖然とします。

 それもそのはず、どこをどう穿った見方をしても、それらは大豆の鞘にしか見えないのですから。


「もしもし、ちょっとよろしいですか?」


 どういう了見か、たまらず尋ねた大根は、それでも丁寧に声をかけます。それもそのはず、初見の相手に不躾な真似はできません。

 大根の呼びかけに、大合唱は俄かにぴたりと止みました。


「はーい、どちらさまですかー?」


「わたくし、大根と申します。つかぬことをお尋ねしますが、畑のお肉とはいったいどなたのことですか?」


 大根は至極真面目に尋ねます。

 しかし、一面の大豆畑からはくすくす、さやさやと風に乗って忍び笑いがさんざめくのです。


「それはもちろん、ぼくたちのことだよー! 高タンパク低カロリー、お肉に匹敵する必須アミノ酸と豊富な栄養素を併せ持つ自然由来のバランス栄養食とは、ぼくたち大豆のことだよー」


 栄養満点ーと、大豆たちは嬉しそうにキャッキャと鞘の中からはしゃぎ声をあげます。

 そして大根の葉の上で始めに聞いたとおり「ぼくたちはー、安心安全、畑のお肉ー」と賑やかに歌い始めるのです。

 大根は葉っぱを揺らしてため息を漏らします。

 大根の頭上では、大豆たちが肉だ肉だと転がり落ちんばかりの大盛り上がりです。ますます、わけが分かりません。


「あなたたちは大豆でしょう?」


「そうだよー。豆腐に納豆、お味噌に醤油、何でもござれの畑のお肉だよー」


 これでもかと大豆の特性を羅列しながら、肉だとのたまう自分たちの主張の矛盾にまるで気が付いていない様子です。

 大豆には大豆の良いところがたくさんあるのに、なぜ揃いも揃って肉を崇め奉るのか、大根には一切理解ができません。


「なぜ、自分たちを肉だと言うのですか?」


 それでも根気強く大根は冷静さを保って尋ねます。

 すると大豆は、きょとんと揃って小首を傾げるように鞘ごと斜めに振れました。


「なぜって? それは優しい農家の親父さんが、ぼくたちのことを畑のお肉って言うからだよー。丹精込めて世話してくれる親父さんが、ぼくたちのことを新時代の食糧事情の救世主だって毎日教えてくれるんだよー」


「新時代の食糧事情の救世主だって?」


 大根はびっくりして、一言一句を鸚鵡返おうむがえしに尋ねます。


「そうだよー。人間はこれからお肉を食べなくなるんだー。でもやっぱりお肉を食べたいから、ぼくたちが美味しいお肉ベジミートになるんだよー」


 何の疑問も抱かずに、にこにこと答える大豆たちの言葉が、大根の葉に触れました。龍の逆鱗と同じです。

 大根はぶるぶると全身を打ち震わせて、とうとう堪えていたものが大爆発してしまいました。


「この……、すっとこどっこいどもが!」


 その怒気に、大豆たちは驚いてピタリと揃って口を閉ざします。

 片や大根の葉は、わさわさと天に向かってそそり立ちます。怒葉っぱ天を突くというやつです。


「しっかりしろ! お前たちは肉じゃない、大豆だ!」


 怒り冷めやらぬ大根の一喝が強い遠心力を伴って、大豆畑をざあっと放射線状に飛び抜けていきました。まもなく収穫期を迎える乾いた葉や茎が、ざわざわ、ざわざわと擦れ合い、時折はらりと落ちていきます。

 あれほど無邪気に合唱していた大豆たちは、ぱんぱんに膨れた鞘の内側でしんと静まり返り、そして誰からとなくシクシクと泣き始めました。

 そうなると、もう止まりません。

 大豆たちは、わあわあ泣き声を上げ、それは留まるところを知りません。

 それこそ、収穫前に水分が抜け切ってしまうのではないかと心配になるくらいの大音声だいおんじょうで泣き続けます。

 それでも大根は、とてもとても言わずにはいられませんでした。


「大豆には大豆の良さがある。肉の真似事まねごとなんかするんじゃない! 愚かな人間の言葉になんぞ振り回されず、胸を張って大豆であることを誇りに思え!」


 わあわあ泣き喚く大豆の大音声に負けない声を張り上げて、大根は渾身の言葉を手向たむけます。

 そして「御免ごめん」と言い残し、そのまま畝の間を突き進んで大豆畑を後にするのでした。


 大根が通り過ぎた畑には、泣き声に混じって大豆万歳、畑の恵み万歳と讃頌さんしょうする涙声が聞こえてきます。

 それを聞いた大根は、ふっと安堵の吐息を漏らします。

 もう無垢な大豆たちが世迷言よまいごとに惑わされることはないでしょう。大豆は大豆なのです。

 他の何者でもないのです。


 その晩、大豆たちはすっかり夜が更ける頃になっても、さやさや、さやさやとしめやかに鞘を震わせ合っていました。

 時折、強い北風がいびつな鞘を煽り落とさんと吹き付けますが、大豆たちは示し合わせたように、さやさやと揺れ続けるのでした。


 大根との出会いと別れから数日後、大豆たちは畑の中を走り抜けていく真っ赤な豆刈機コンバインでザクザクと収穫されていきました。

 鞘から飛び出した大豆は、色艶形大きさによって一軍と二軍以下に選別されていきます。

 一軍は高級国産大豆として堂々と出荷されていき、二軍落ちした大豆たちは規格外の訳あり品という扱いで、道の駅行きや来年の種蒔きのために保管されることになるでしょう。


 大根は相変わらず、一本旅を続けています。

 続けていくはずでした。


「大根さーん、大根さーん! 待ってください、大根さーん!」


 はて、何事かと振り返った大根の通ってきた畦道を、小さな何かがぴょこぴょこ飛び跳ねながら追い縋って来るようです。

 よくよく眺めていると、姿形が徐々にはっきりとし、するとそれらは小さな大豆たちでした。大きさも形もで、見た目は決して粒揃いとは言えませんでしたが、確かに鞘から飛び出した、ほんの一握りの大豆たちでした。


「いったい、これはどうしたことだ?」


 大根は少々困惑気味に尋ねます。


「収穫前に鞘から抜け出してきました! ぼくたちも一緒に連れて行ってください!」


 みんなで相談して決めたことですと元気にのたまう大豆たちが言うことには、お世話になった親父さんに不義理はできないから全員が全員でというわけにはいかず、きっと二軍落ちしてしまうであろう規格外大豆の一部が代表して、収穫前に鞘から揺すり落ちて畑を飛び出してきたというのです。


豈図あにはからんや!」


 それを聞いて驚いた大根は、思わずぴょんと飛び上がってしまいました。


「宛もない旅だ。何が起こるか分からないというのに、連れて行くわけにはいかん」


「それでも、ぼくたちは大根さんについて行くって決めたんです! どこまでだって一緒ですよ!」


 一緒ー、一緒ーと、大豆たちはぴょこぴょこ飛び跳ねます。

 これは追い返しても無駄だと悟った大根は、葉をへにょんとしなだれて、深々と大きな溜め息を漏らします。


 どうやら発我大根に、旅の仲間ができました。

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