第3話 草刈りとモヒート

「あの、何かお手伝いすることとか、ないですか?」

 美味しい朝食を食べた後、私はゆかさんにそう問いかけた。

 成り行きとはいえ一晩お世話になったのだ。いきなり盛大に寝坊しておいて今更だが、それでも何もせずに世話になるのは気が引ける。

 今使った食器を洗うとか、掃除をするとか、そういう事なら私でもできるだろうと意気込んだのだが、しかし姉妹は顔を見合わせ首を傾げた。

「何か……あったかな?」

「うーん、別に……今のとこないかなぁ」

「ええと、後片付けとか、掃除とか、そういうのならできるかと思うんですけど!」

 そういうと姉妹はまた顔を見合わせ、それから流しの脇の棚と床をそれぞれ指差した。

「うちは二人して面倒くさいことはあんまりやんないんだよねー。後片付けはそこの食器洗い機だし」

「掃除はロボット掃除機なの」

 見れば確かに食器洗い機とロボット掃除機が置いてある。

「そうですか……」

 機械があるなら私に勝ち目はなさそうだ。数の少ない皿を食器洗い機で洗うのは勿体ないのではと少し思ったが、二人は特に気にしないらしい。

 しょぼんとした私を見ていたゆかさんは、しばらく考えた後、あ、と声を上げた。

「じゃあミカと一緒に洗濯物干してくれる? 夏場は乾燥まではしないから」

「お、良いね、じゃあパンパンして欲しいな!」

「パンパン?」

 こっち、と連れてこられたのはキッチンのすぐそばに作られた扉の向こうだった。引き戸を開けると板の間が続き、先に洗濯機と棚が置かれ、そしてもう一つ扉がある。扉の向こうは風呂場らしく、少し開いた隙間からタイルの壁と床が見えた。

 ミカさんは洗濯乾燥機のふたを開けて、横に置いてある籠に中身をどさどさと入れていく。

「じゃあマキちゃん、タオルとかシャツとかパンパンして、この洗濯機の上に広げておいてくれる? こんな感じで」

 そういってミカさんはタオルを一枚手に取り、パンパンと振ってしわを伸ばすと、二つ折りにして洗濯機の上に乗せた。

「あ、はい。わかりました」

 場所を変わってもらってタオルを手に取る。同じように伸ばしていると、ミカさんは洗濯ネットを開けて靴下や下着などを専用のハンガーに手際よくかけていった。

「あの……もし良かったらやっておきますよ?」

「え? ああ、いいよいいよ。ていうかさ、一緒にやった方が楽しいじゃない? 二人ならすぐ終わるし!」

 誰かと一緒に家事をするという事があまりなかった私は、思わず目を見開いた。

 私の実家ではお手伝いはお手伝いで、頼まれた個人がするもので、誰かと一緒に何かをするというのはほとんどなかった気がしたからだ。

 祖母がテリトリー意識の強い人だったからだろう。誰かと一緒にやると自分の好きなようにできないのが嫌なようで、一つの事は一人で終わらせるもので、それを娘である母にもほとんど手伝わせたことがなかったように思う。

 私も家事は一通り教わったが、何でも一人で出来るようになると、手伝う仕事は大抵自分だけで終わらせていた。

 驚きつつも手だけを動かしていると、ミカさんは今度はハンガーを束で手に取って、私が重ねたタオルやシャツをその端ですくい取って干していく。

 確かにこのやり方だと、一枚叩いては干していくよりも早そうだ。手馴れている様から、いつもこんな風に姉妹でやっているのだろうなと推測できた。

「うちの実家でもさ、お父さんがパンパンする係なんだよね。昔はお父さん全然家事しなかったけど、年取ってから手伝ってんの。でもあんまり難しいこと出来ないって言うから、そういう分担なんだよ。お母さんも、手伝ってくれるって言うだけでも楽しいし、二人でおしゃべりしながらしてるとすぐ終わるって喜ぶしね」

 それは何だか可愛い話だ、と聞いていると、台所からゆかさんがひょいと顔を出した。

「終わった?」

「まだぁ」

「終わった分だけ外に持ってくよ。今日天気いいから」

「はーい、よろしく!」

 ゆかさんは干し終えた洗濯物をひょいとまとめて持つと、リビングの掃出し窓からまた外へ出て行った。

「何か……いいですね」

「ん? 何が?」

「些細な事でも、一緒にやってるって感じで」

「あ~、確かにね。一人でやるより、全然いいよねぇ」

 ミカさんがくすくす笑うので、私も何だか楽しくなって少しだけ笑った。

 随分と久しぶりに自然に笑ったような気がした。


 洗濯物を干す作業は、あっという間に終わってしまった。

 残ったものを持って外に出ていくミカさんを手伝おうと思ったのだが、あいにく外に行くサンダルがない。

 慌てて玄関へと回って庭の方に行ったものの、もう洗濯物は綺麗に干された後だった。

 肩を落としつつ見回してみると、この家の庭が随分と広いという事に気が付く。

 リビングから降りてすぐの場所は、背の低い草木が所狭しと植えられた美しい庭だった。そこから裏手に回ると物干し台があり、洗濯物が気持ち良さそうに風にそよいでいる。

「今日も良い天気だねぇ」

「そうね……少し草むしりでもしようかな」

「ゆかちゃん、仕事良いの?」

「もう終わった。返事が来るまでは暇だから、ちょっと体動かさないと」

「うわ、偉すぎ! えらえらのえらだよ~」

 ミカさんはおかしな言い方をしながら大げさに天を仰ぐ。

「ミカは締め切りでしょ。もういいよ」

「うう、ありがとう……頑張ってくる!」

 そんな二人のやり取りを私は黙って眺めていた。

 ミカさんは仕事したくないな~と呟きながら家に入っていき、ゆかさんは庭を見回して、それから家のすぐ脇にある物置のような小屋まで歩いて行った。

 何となく私もその後についていく。

 小屋は正しく物置だった。ゆかさんがガラリと戸を開けると、中には色々な道具が詰まっている。ゆかさんはそこから鎌と軍手、それに私は名が良くわからない道具を次々と取り出した。

「あ、あの!」

「ん? どうしたの?」

「て、手伝わせてもらえませんか……」

 私が勇気を出して声を掛けると、ゆかさんは目をぱちくりさせ、それからふっと笑みを零した。

「麻紀ちゃん、心意気は買うけど、これはなかなかの重労働よ?」

「だ、大丈夫です……多分?」

 ちょっと自信なさそうな返事になってしまったが、ゆかさんは笑顔だった。

「なら一緒にやろうか。暑いから、帽子貸してあげるね。ちょっと待ってて」

「あ、はい。ありがとうございます」


 ゆかさんが持ってきてくれたつばの広い帽子を被り、これから夏だからと持ってきたラッシュガードを羽織って腕を隠す。

 手には借りた軍手と鎌。準備は万端だ。

 さて取りかかろうかと歩き出すと、ゆかさんが声を掛けてきた。

「麻紀ちゃん、虫除けスプレーするから目を瞑ってて」

「あ、はい」

 目を瞑りぎゅっと口をつぐむと、プシューという音と共に手足に風が当たる。

 体の後ろ側にもざっとスプレーを掛けられて、独特のにおいに全身が包まれた。

「もう蚊がいるからね。じゃ、やろうか」

「はい」

 ゆかさんと一緒に庭をぐるりと回る。

「うちの庭は私の趣味で、ハーブとか果樹が多いんだよね。奥の方はあんまり手を掛けてないから、草がすごくて」

 田舎の良さと言おうか、庭は広く、大きな木も所々に植わっていた。その木々が作り出す木陰は気持ち良さそうだ。

「この辺お願いしようかな。木の回りって肥料撒いてるせいか、すぐ草が伸びちゃって」

「わかりました」

 果樹であるらしい木々の周りには確かに草が伸びてきている。

「ここで目につく草は皆刈って良いから、ざくざくやっちゃって」

 花やハーブはブロックや木の柵で仕切られた場所に植えられているようだ。

 私は安心してさっそくしゃがみこみ、手近な雑草を一束手に取った。草むしりは実家の狭い庭でもたまに手伝いでやっていた。草を持ってなるべく根元を鎌でざくりと刈り取る。

 根っこまで抜いた方が良いかとゆかさんに聞くと、この辺は果樹の根もあるから無理しなくて良いと言われた。

 ザク、ザク、と手の届く範囲の草を刈り取り、ズリズリと少しずつ移動する。

 座っていると足が段々痺れたように疲れてきて、しばらく続けたけれど限界を感じて立ち上がった。急に立ち上がると、一瞬くらりと視界が揺れる。

「はぁ……」

「麻紀ちゃん、無理しないでね。休み休みやって。あと喉渇いたら、お水飲みに行ってね」

「はい、気をつけます」

 最近は初夏でも既に暑くて、確かに気をつけないと危ない。

 そんな事を考えながらゆかさんを見ると、さすがに手慣れた様子で手際よくどんどん草を刈っている。

 石で仕切られた場所の周りの雑草を刈り、その仕切りからはみ出そうとしている何かの草を刈って別に用意していた小さな籠に入れている。

 仕切りの中は土が小さな丘のように盛り上がっているらしく、ゆかさんが刈った草は青々と元気に茂ってそこを埋め尽くしていた。まるで小さな緑の山のようだ。

「それ、何ですか?」

「これ? これはスペアミント」

「ミント……」

 ミントって、確か地に植えるとすごく広がって大変な事になる草ではなかっただろうか。

 ミントテロ、なんて言葉もあったような気がする。

「ミントって、何か……すごく増えて広がるし、増えすぎると香りも薄くなるって聞いたことがあるような」

 私がそう呟くと、ゆかさんはクスクスと笑いを零した。

「そう言われる事もあるね。でも大丈夫よ。うちのは何て言うか……ちゃんと言い聞かせてあるから」

「言い聞かせる……?」

「そう。君たちの居場所はここ。ここから出たら全部刈り取るから、大人しくしててねって」

 そんな言葉が植物に効くのだろうか、と懐疑的な気持ちが沸き起こる。

 しかしゆかさんは刈り取ったミントを手に取り、私の方に差し出した。

「嗅いでみて。良い香りだから、元気出るよ」

 受け取って鼻を近づけてみる。確かにスッとする香りがするが少し薄い。

「ちょっと揉むと良いよ」

 そう教えてもらい、指先で葉っぱを少し揉むと、途端にふわりと清々しい香りが広がった。

「うわ……良い香り。何か……涼しくなりそう」

「でしょ。香りもね、良い香りだね、いつもありがとうって褒めてると、なくなったりしないよ。うちのミントはもう何年もこうしてここに地植えだけど、困ったことないし」

 そう言ってゆかさんはこんもりと繁ったミントの葉を手で撫でる。

「植物は人が思ってるよりずっと賢くて、付き合う隣人のことをちゃんと知ってるよ。誰かの庭に嫌がらせで植えるなんて、どっちにも迷惑な話よね」

「そうですね……」

 良い香りを何度も吸い込んでいると、何だか、確かにそうだという気がしてくる。

「さ、麻紀ちゃんももうちょっと頑張ってね。そのあとお楽しみが待ってるから」

「お楽しみ?」

 それは後で、と言われて、私はまた草刈りに戻った。

 ザクザクと無心で草を刈ると、見える地面が少しずつ広がっていく。

 腰も足も背中も疲れるけれど、自分が歩いた場所は確かに綺麗になって、そこには達成感があった。

 ゆかさんはいつの間にか何か鼻歌を歌いながら草を刈っている。

 風の音と、その風に揺れる葉擦れの音。そして、微かな鼻歌に、遠い鳥の声。

 心が無になるような、あるいは逆に心に静かで豊かな時間が降り積もるような、そんな不思議な心地で私は草を刈った。


「こ、腰が……足が……」

「お疲れ様。ちょっと頑張りすぎたね」

 立ち上がって木に縋り、よろよろと背を伸ばす私を見てゆかさんが苦笑を浮かべる。

 ゆかさんはちょっと待ってて、と言い残すと家の方に歩いて行った。

 そして物置小屋から何か袋を二つと折りたたみのテーブルのようなものを持ってくる。

 袋はさほど大きくない細長いもので、それをゆかさんは地面に置いて中身を取り出した。

「何ですか?」

「椅子よ。キャンプとかで使うようなやつ」

 出てきた中身はバラバラの細いパイプと、布のようなものだった。ゆかさんはそれを手際よく組み立て、布をパイプに引っかける。

「あ、椅子になった」

「そう。さ、座って。今日はもう終わりにして、のんびりしよう」

 差し出された椅子は驚くほど軽い。木陰に置いてちょっとおっかなびっくり腰を下ろすと、それは思ったよりずっとしっかりした椅子だった。

「これは結構……包まれてる感じがしますね」

「でしょ。さて、またちょっと待っててね」

 小さなテーブルを開いて傍に置くとゆかさんはまた家の方に向かう。

「あ、手伝いましょうか!?」

 慌てて声を掛けると、大丈夫、と言われてしまった。

 仕方なく私は椅子に座り直し、ぼんやりと庭を眺めた。

 穏やかな風が木々を揺らし、葉擦れの音が心地良い。上を見上げれば枝葉の隙間から見える空は青く、木漏れ日がキラキラと眩しかった。

 しばらくそんな景色を楽しんでいると、こんなにのんびりしていて良いのだろうか、と心のどこかでぽつりと呟く声がする。

 求職活動をしたり、そのために何か新しい資格を取るとかそういうことを考える必要はないんだろうか、と。

 けれどそう思うと同時に胸が苦しくなり、息が詰まるような気持ちに襲われる。

 は、と短い息を吐き出すが、その重苦しさはなくならない。

 次はどんな仕事だったら私は続けていけるのだろう? どこだったら、体を壊さない? そもそも、私はこの先、どこでどうやって生きたいんだろう?

 たった五年で潰れてしまった自分の影を眺めていると、不意にカランと涼やかな音がした。

「お待たせ」

 お盆を持ったゆかさんが戻ってきて、机にそれをトンと置く。

 お盆の上には大きなガラスのコップが二つ、何かの瓶が一つ、そして私でも知っている炭酸のペットボトルに、さっき刈られたミント。

 カランという音はコップの中に入った氷が揺れた音だったらしい。

 コップには氷と一緒に冷凍の青いレモン……ライムだろうか? が入っている。

 ゆかさんはそのコップに軽く手で揉んだミントをぎゅっと押し込むと、そこに瓶の中の液体を三分の一くらい注いだ。

 そしてさらにそこに炭酸をたっぷりと流し込み、マドラーでかき回す。

「はい、どうぞ」

「あ、ありがとうございます……これ、何ですか?」

「モヒート。美味しいよ」

 モヒート、と呟いて、私はそれに口を付けた。途中で水を飲んだとはいえ、草刈りをして疲れている。冷たい飲み物は嬉しい。

 そう思って口を付け、ゴクリと飲み干して私は目を見開いた。

「美味しい……」

 ライムとミントの香りがすごく爽やかで、少し甘めの酒を炭酸がシュワッと飲みやすくしてくれている。暑い日にぴったりの味で、これは飲み過ぎてしまいそうなやつだ。

「でしょ。夏はこれよ。刈りたてのミントでモヒート。で、昼酒。はい、チーズもどうぞ」

 差し出されたのはおつまみの燻製チーズだった。一つ貰って袋を開けて一口囓ってもぐもぐと噛み、それからまたモヒートを飲む。

「くあぁぁ……」

 思わず変な声が出た。

「わかるわー、それ」

 クスクスとゆかさんが笑い、コップを傾ける。そしてゆかさんもおかしなうなり声を上げた。

 それが何だか可笑しくて、私も思わず一緒に笑う。

「はー……昨日も昼からビールを飲んでしまったのに今日もだなんて、いいんでしょうか……」

 思わずそう呟くと、ゆかさんは真面目な顔で私の方を見た。

「昨日のは休暇のお祝い。今日のは草刈りという過酷な肉体労働に対する正当な対価よ。胸を張って飲むべきね」

「正当な対価……」

「そうよ。手伝ってくれてすっごく助かったわ。ありがとうね」

「……はい!」

 初夏の木陰で飲むモヒートは、私の人生で一番というくらい美味しい一杯だった。


結局その日、気持ちよく酔っ払った私は帰りのバスの事をスコンと忘れ。

姉妹の勧めもあって、このまましばらくこの家でお世話になることになったのだ。

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晴れた日は、庭でご飯を。 @asahi15

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