第9話 きみに会いたい
───ピピピピッ…
聞き覚えのあるアラームが耳に入り込む。
ガバッと起き上がり、あたりをキョロキョロと確認する。───と、あちこちの変化に気がついた。
元々わたしがいた部屋。
そして鏡を確認すると、黒髪だったはずの頭が栗色に戻っていた。
「な、なんで? どうしてもう戻ってるの? ……それに深月は? どう、なったの……」
待って。
ちょっと、待ってよ。
わたし深月を救うことできたの…? それともできてないの…?
「───深月…っ!」
嫌だよ。
会えなくなるのなんて……っ
あれが最後だったなんて嘘だよね?
ねぇ、神様。わたしたくさんたくさん祈ったよ。ちゃんとお願いしたよ。
結局どうなったの……?
「……っ、深月……ちゃんとこの世界にいる? いるなら返事してよー…」
部屋で泣き崩れるわたしの声が一階にも聞こえていたのか、ドアから顔を出したのは他でもないお母さんだった。
「明里、どうしたの!?」
あの頃の笑顔はなく、いつもわたしのことを心配ばかりするお母さんの顔はどことなく疲れきっていた。
「何かあったの?」
「…っ、深月が……深月が、」
「明里しっかりしなさい。彼はもう亡くなってしまったでしょ?」
「違う、の。……さっきまで会ってたの…、隣にいたの…!」
さっきなのかどうかすらもうワケが分からなくて、でも確かに隣にいたんだ。
「深月が、猫を拾って……」
「明里。落ち着いて。彼はもういないって本当は分かってるでしょ?」
わたしがこんなことを言っても誰も信じてくれないのは分かってる。
会いたいあまり、幻覚でも見てしまったんじゃないかと思われるだけ。
でもね、確かに会ってたの。
過去に戻っていたわたしにしか分からない現実がそこにはあったの。
深月だけじゃない。お母さん、あずさ、小林くん、学校の先生。たくさんの人に会って来たの。
7日間だったけど、わたしは高校二年生を過ごしていたの──
「ねぇ、深月は? どこにいるの?」
だから深月がいないなんてこと信じたくないし、信じられなかった。
まだどこかにいるんじゃないかって思ってしまうの。
「学校へ行く時は必ず待ち合わせして行くの。あの場所へ行ったら、深月いるかな……?」
「…明里。あなたが見ていたものは幻よ。……お願いだから自分を見失わないで、…っ」
「わたしは正気だよ…?」
目の前のお母さんの顔はますます青白くなり、「お願いだから…」と、小さな声で何度も何度も呟くばかり。
過去へ戻っても、現在へ戻っても、苦しいのはどっちも同じだ。
幸せなんてものはない。
あの日、わたしの幸せは過去に置いてきてしまったのかもしれない。
微かに震えながら静かに涙を流す、お母さんを見て、わたしはここまでお母さんを苦しめていたんだな…と、その時だけ冷静になれた気がして
「……ごめんね」
そう、小さく呟いた。
「わたし、行くとこあるから…」
「え? ……明里?」
「──深月に会いに行かなくちゃ」
約束したもん。
わたしを絶対に一人にしない、って。
あの場所で誓ったもん。
これ以上一人になるのは苦しいよ。
だから、わたしは───…
寝間着姿なんてことを忘れて部屋を飛び出す。
うしろからわたしの名前を呼ぶお母さんの声が聞こえたけど、それを振り切るように玄関を飛び出て全速力で走る。
外は寒くて、痛い。
はずなのに、それよりも一人の方がうんと苦しくて辛くて……
涙で視界がぼやけてくる。
それでも足を止めないのは、もしかしたら深月がいるんじゃないかと小さな期待を抱いて懐かしいあの場所へ向かう。
外はまだ朝早い時間。
少し薄暗いけど、怖くはなかった。
「……深月っ!」
鳥居を抜けてあたりをキョロキョロしてみるも、深月の姿はどこにもない。
「ねぇ、いるなら返事して…っ」
わたしの声に返事が返ってくることもない。
シーン…と静まり返る神社は、いつも見ていた光景とは少しだけ違う。
深月がいないだけでこんなにも変わるものなんだなぁ…っ
「神様なんて嘘つき。……別に約束してたわけじゃないけど、少しくらい願い…叶えてくれても、いいじゃん…っ!」
その場でしゃがみ込んで泣くわたし。
神社にもいなければあとどこにいるの……えっ? 神社? だったらあれがある……
「──絵馬…!」
涙を拭って、みんなで結んだはずの絵馬を探してみる。
が、四人の絵馬はどこにもない。
そうなると、過去から現在は繋がっていなかったってことになり、それは必然的にこの世界には深月がいないままを意味する。
「…嫌。そんなの、嫌…」
絶対、救うって決めたもん。
まだ、諦めたくない。
でも、どうすればいい?
この先どうしていけばいいの?
ここで立ち止まっていても何も始まらないし、深月だって見つからない。
わたしと深月の思い出のある場所を手当たり次第探していけば──…、あの場所なら、もしかしたら…!
そこからまた走った。
思い切り、走って、走った。
「……ハァ、ハァ…っ」
見晴らしのいい高台。
この場所で深月と約束した。
「──深月、どこにいるの……」
いるなら返事をして。
いるなら声を聞かせて。
早く、わたしを安心させてよ……っ
ヒューっと冷たい風が吹き、わたしの熱を奪っていく。
それと同時に一気に悲しさがこみ上げる。
「……ねぇ、深月。」
わたし、深月を救うことできなかったの? この世界にいないってことはそういうことになるんだよね?
せっかく過去に戻ることができたのに、深月を救うことができなかったなんて……
これから先ずっと一人だなんて嫌だよ。
わたしも、深月の傍に行きたい。
そしたらずーっと深月の傍にいることができるんだもん。
空に向かって手を伸ばし、地面についていた足をゆっくりと持ち上げる。
遠くの方から朝日が昇り、わたしをぱあっと照らす光。
その時。
『バカな真似するのは止めろ!』
まるで、深月の声が聞こえた気がして、ハッとして、思わず身体が固まった。
そして、自分の手が震えていることに気がついた。
数秒前まで死ぬのを何も躊躇っていなかったはずなのに、今のわたしは、自分が何をしようとしたのか思い出すと一気に震えが増した。
───わたし、死ぬのが怖いんだ……
「──明里…っ!」
「──成海!」
わたしの名前を呼ぶ声がして振り向くと、あずさと小林くんが息を切らせてこっちに向かっていた。
その途端、我慢していた感情がぶわっと溢れ出し、その場に泣き崩れた。
───まるで糸が切れたように。
「何してるの…!」
「だ、って……」
「そんなことしたら残されたわたしたちはどうなるの! わたしたちの気持ち考えたことある!?」
初めて大きな声でわたしを叱るあずさ。
その顔はまるで切羽詰まった感じがして、たった今わたしが何をしようとしたのか改めて思い出すと、ギューっと胸が苦しくなった。
「……わたし、ずっと明里が心配だった。最悪なことになったらどうしようってずっと考えてた。…そしたら今、あんなことしようとしてて……」
今まで叱っていたあずさの瞳からは涙がポロポロと溢れてきた。
そんなあずさの肩に、手を添える小林くん。
「成海は自分だけが辛いと思ってるかもしんないけどさ、みんな同じなんだ。……みんな同じで、辛いんだ。でもさ、だからといって自分から命を断とうとするのは間違ってるよ」
「だ、だって……っ、」
「そんなことしたってあいつが悲しむだけだ」
小林くんのその言葉が胸に突き刺さり、わたしは何度も深月に謝った。
届くことのない、わたしの声。
「……ごめんなさい。…っ、ごめんなさい」
涙が次々に溢れてくる。
それを止める術はもうない。
泣き続けるわたしを、黙って優しく抱きしめてくれるあずさ。
その温もりが伝わってきて、“生きていて良かった”と、素直にそう思った。
死んでしまったらもう二度と深月のことを思い出すこともできなくなってしまう。
そんなのは絶対に嫌だから───…
辛いし、苦しいけど、前を向いて歩いて行かなければいけない。
それが深月のためになると思って。
「明里のおばさんから連絡もらったの」
「えっ……?」
「明里が急に飛び出して行ったって。行くあてが分からないから一緒に探してほしいって。……おばさん心配してるよ」
その言葉を聞いて、お母さんの顔が浮かんだ。
そしたらまた泣きたくなった。
「明里は一人じゃない。おばさんに、わたしに小林くんがいる。それに………」
そう言った後、ピタリと口をつぐんだ。
「もうこのあたりが限界、かもな…」と、切なそうに笑い、そう呟いた小林くん。
それがわたしには何のことだかさっぱり分からなかった。
「ねぇ、明里。落ち着いて聞いてほしい」
わたしの肩に手を添えるあずさ。
そして、ゆっくり息を吐いて、静かにわたしと目を合わせてこう言った──
「真白くんね、まだ死んではないの。」
「……え?」
今、なんて………
“ 死 ん で は な い の ”。
「え……ど、いうこと…?」
待って。言ってる意味が分からない。
頭が追いついていかない。
「あのね、明里には黙っててほしいって頼まれたの。真白くんのおばさんから」
「み、…深月の……?」
「うん。二人で事故に遭ったのは覚えてる?」
「……え?」
「真白くんだけじゃなくてね、明里も一緒に事故に遭ったの。でも、事故の後遺症で明里はそのことを忘れてしまってたの」
──え。ちょっと待って。深月だけじゃなく、わたしも事故に……?
「真白くんも奇跡的に命はあるものの、まだ目は覚めない。病院の先生も、これ以上手の施しようがないって。あとは本人の回復を待つしかないって…」
「…でも、生きてるんでしょ?」
「正確には半分だけ生きてることになる」
「は、んぶん……?」
だって生きてるんでしょう? さっき、死んでないって言ってたじゃん。
それなのに半分ってなに……?
「あのな、成海。半分生きてるってのは、シロは自分で呼吸をすることができない。だからそれを医療機器に頼って呼吸してるから」
「えっ……」
「身体は生きてる。でも、自発呼吸ができない今、それに頼るしかない……」
「じゃあ……どうすれば、いいの…?」
わたしの問いかけに横に首を振る。
「どうもできないんだ。あとは本人次第。俺たちは見守るしかできないんだ」
「うそ、でしょ……」
あずさや小林くんたちの顔は苦しそうに歪んでいた。
「……二人は知ってたの?」
「…うん。でもそれを明里には黙っててほしいって頼まれたの。そうやって苦しませたくないし、悲しい思いをさせたくないからっていうおばさんの頼みだったんだ」
あずさの言葉に小林くんも小さく頷いた。
「真白くんが生きてると知ったら明里は絶対にそれに縛られてしまう。“いつ目が覚めるか分からないのにその間、ずっとこの子のためだけに生きる。そうなれば明里ちゃんの時間は止まってしまう。きっと、この子はそれを望んでないと思うから”──って。」
「真白くんのおばさんが、わたしたちにそう言ったの」と、悲しそうな顔をしてあずさは、わたしに伝えた。
そんなこと知らなかった。
知らないで、ずっとわたしばかりが苦しいんだと思い込んでいた。
それが間違いだったと二人の顔を見ればすぐに分かる。
「シロが目を覚まさないまま三年過ぎた。結局、成海も塞ぎ込んでしまって……俺たちじゃどうにもできなかった」
「明里を苦しめないために黙ってたはずなのに、これじゃあ真白くんに怒られちゃうね」
三年間も二人は苦しんでいた。
わたしに知られないように黙って、わたしを影ながら支えてくれていたのに、それなのにわたしは傷つけるような事ばかりを言ってしまった。
「…ごめん、なさい……っ」
「謝らないで明里。……みんな辛いから何かにしがみついてないと頭おかしくなっちゃいそうだもん。実際にわたしも……」
そう言って、わたしの手を握る、その手はとても冷たくて氷のようだった。
「俺もこの三年間ずっと願った。シロを助けてくれ、って。……でも、そんなの全然ダメで。俺もあいつのこと忘れることできなかった」
「いつもわたしたちをまとめてくれてたのが真白くん、だもんね…」
「……うん。」
いつだって頼られて、どんな時でも頼もしくて、明るくて前向きな深月がみんな好きだった。
そんな深月のことを忘れることなんて、誰一人できなかった。
「───会い、たい。」
例え、深月が笑い返してくれないとしても、わたしの名前を呼んでくれないとしても、生きていると知ったからには会いに行きたい──
「だ、けど……」
「分かってる。でも、会いたいの」
わたしが会いに行ったからって奇跡が起きるなんて思っていないけど、
小さな偶然が重なってできたのが奇跡、だったら、あり得るかもしれないよね。
そうだよね、深月──
───ブー、ブー。
その時、着信が鳴り、それに気づいた小林くんがポケットからスマホを取り出す。
「……はい」
相手は誰なのか。
こんな朝早くに電話してくるなんて…
「……それ、ほんとなんですか……?」
一度驚いただけで、その後は、「…はい。すぐ行きます」とそれだけを言い終えると耳に当てていたスマホを下ろした。
そして、真っ直ぐにわたしの目を見て、こう言った。
「シロが───……」
その言葉を聞いた後のことは、よく覚えていない。
足に力が入らなくなったわたしを、あずさと小林くん二人が支えてくれたのだけが鮮明に残っていた。
───病院の駐車場。
その時、ドクンっと胸が鳴った。
この上に深月がいる。
あれだけ会いたいと願った相手が……
「と、とにかく行くぞ!」
「明里。行こう…」
頷くことはできても声は出ない。
まるで声を奪われたみたいに、喉の奥が張り付いている。
エレベーターに乗っている間も、ギューっと喉の奥が苦しくなる。
そんなわたしを二人が支えてくれた。
「───明里、ちゃん……」
一室の廊下の前でわたしを見て、わたしの名前を呼んだのは、深月のお母さん。
その姿は、わたし以上に酷くやつれていた。
自分ばかりが苦しいと思い込んでいた、その気持ちがそもそも間違いだったのだと、その姿を見て思った。
「おばさん、シロは!?」
病室の中はやけに慌ただしい。
「今、先生が見てくれてるわ…」
おばさんの目はたくさん泣いたのか腫れていて、おまけに顔色も良くなかった。
その姿を見て、毎日深月の病室に通っていたんだろうな、とすぐに分かった。
「…明里ちゃん。わたしがこのことを黙っているよう二人にお願いしたの。ごめんなさいね」
「……い、いえ…。」
わたしばかりが苦しいって思い込んでいたのが、なんだか恥ずかしいと思ってしまって、おばさんの顔を真っ直ぐに見ることができなかった。
俯いて廊下の床ばかりを見ていた気がする。
───ガラッ。
「真白さん」
白衣を着た先生がおばさんを呼ぶ。
そして何かを話した後、おばさんはわたしたちに手招きをして病室へ入るように促した。
「ほら、明里。行こう」
その時の足はまるで鉛のように重かった。
「深月聞こえる? お母さんよ……」
たくさんの管と医療機器の音がピッ、ピッ、と響く病室の中は、外以上に寒いような気がして足がすくんだ。
ベッドに横たわる深月の顔を見ることができなくて、おばさんの後ろで小さくなる。
「まだ意識は朦朧としているので受け答えはできませんが……」
「そうですか…」
「ですが、先ほど微かに聞こえる声でこう呟いていました。」
───“ あ か り ”、と。
「先生、それは本当ですか?」
「ええ。確かにそう聞こえましたが」
おばさんは振り向いてわたしを見て泣きそうな顔で笑い、そして、ベッドに横たわる深月の前にわたしを押して連れて来た。
「深月。見える? ──明里ちゃんよ」
ベッドに横たわる深月と、ほんの少しだけ目が合ったような気がした。
そして、深月の口元がゆっくりと動く。
「 あ か り 」
わたしの名前を呼んでくれた。
「…み、深月……っ」
もう一度聞きたかった声。
もう一度、その声でわたしの名前を呼んでくれるとは思っていなかった。
止まっていた涙が、また溢れてきた──
「シロ…!」
「真白くん!」
あずさと小林くんもベッドに駆け寄り、三人並んで深月を見て泣いた。
「この様子だともう大丈夫だと思います。ただ、体力はかなりなくなっているのでリハビリが必要になりますが」
「はい。…先生、どうかこの子をこれからもよろしくお願いします…っ」
「もちろんです。全力でサポートさせていただきますよ」そう言って、おばさんに頭を下げると、白衣を着た先生は病室をあとにした。
三年間、ずっと眠ったままの深月。
それをわたしは知らなかった。
おばさんとあずさと小林くんが、わたしにこれ以上苦しい思いをさせないためにと黙っていてくれたこと。
わたしだけじゃなく、みんな同じように苦しんでいたということ。
今、初めて知った。
そして7日間過去へ戻っていたわたし。
あの日、深月を救うことができたのだろうか。
本当のところはよく分からない。
でも、過去に戻ることができたのも、事故から防ぐことができたのも、深月が目を覚ましたことも、
もしかしたら初めから全て繋がっていたんじゃないかな。
だって、“小さな偶然が重なってできたのが奇跡”なのだから───。
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