第8話 きみとの別れ



「はぁ…」



リビングに響き渡るわたしの小さなため息。


テレビはついているのに声すらも今のわたしの耳には届いていない。



テーブルの上に無造作に置かれたスマホ。



「はぁ…」



今日が、7日間の最終日。


泣いても笑っても今日が最後なんだ。


それなのに何もできていないような、変われていないような気がしてしまうのは、まだ深月を救うことができていないからなのだろうか。



「はぁぁ…」


「ちょっと明里。さっきからため息ばかりついて辛気くさい。何かあったの?」


「……まぁ、ね」



本来なら今日も深月と会う予定だった。


の、はずなのに、今日どうして家にいるのかというとそれはやっぱり深月を救うため。



あの日を繰り返さないため、だ。


今日ずっと家にいたら、わたしと会うことはなくなり必然的に深月も家にいることになる。そうすれば事故に遭うことを防ぐことができる。


だから昨日の帰りに、今日お昼過ぎから会わない?っていう誘いも断って今に至る。



……わけなんだけど、7日間の最終日となれば深月と会うのも昨日で最後だった、ということになる。


それはそれで悲しすぎる。



全然気持ちの整理もできていないし、過去に戻ってきているからといって“何か”を変えることだってできていない今、まだ後悔が残っているような気がしてならなかった。



「今日はずっと家でそうしてるの?」


「え? なんで…」


「別にそれでもいいけど、さっきからため息ばかりじゃない。そんなに何か悩んでるなら気分転換でもしてくればいいんじゃない?」


「うーん……」



深月の誘いを断った手前、今更どこに行くという目的さえ見当たらないけど…

このまま時間を無駄にしてたって何も解決しないだろうし、何か最後くらい行動したって問題はないよね…?



「やっぱりちょっと出かけてくる」



スマホだけを持って二階へ上がりる。


外出できる最低限の服装に着替えて、コートにスマホと小さな小銭入れだけを入れる。



そのまま部屋を出ようとしたけど、今日でこの部屋に来るのも最後だと思い出し、ピタリと足が止まる。


三年前に戻ったこの部屋には思い出がありすぎて、懐かしくて、なんとも言えない気持ちになった。



でも、それももう終わり。


7日間という短い間だったけど、久しぶりにたくさんのことを思い出すことができた。


それは嬉しいことの方がはるかに多かった。



わたしの居場所はここじゃない。


待ってくれてる人がいるのはここじゃない。



過去の後悔に囚われ続けていると大切な人を失ってしまう。


そうなる前に過去とお別れしなきゃ。


深月を救って未来でもずっと一緒にいられるように。


そして、あずさと小林くんも。


みんなを救ってあげられるように──…



「──さよなら。過去のわたしの部屋」



そう呟いてドアを閉めると、バタンっ、と鈍い音がした。


まるでここへ戻ることはもう不可能だと言われているみたいに押しても開かないような気がして、わたしはそのまま階段を下りた。



玄関でブーツを履いている時、パタパタとスリッパの音が近づく。



「さっき言ってた天気予報ね、今日は大雪になる恐れがあるって。だからなるべく早めに帰って来るのよ?」


と、お母さんが座っているわたしの目線に合わせるようにしゃがみ込んだ。



「───うん。分かった」



笑ってそう言った。


けど、心の中で“ごめんね”と謝った。



ここにいるべき人間ではないわたし。


そんなことは知らないお母さんは、当たり前にわたしに接してくれた。



いつも明るかったお母さん。


それなのにわたしのせいでお母さんはすっかり元気がなくなり、わたしの心配ばかりで最近体調が良くないってこと知ってる。


迷惑かけてばかりのわたし。


わたしばかりが苦しいって思ってた。



───でも、そうじゃないよね。


みんな苦しんでいるんだ。辛いんだ。


それでも前を向いて歩いて行かないといけないのは、嫌でも明日がやって来るから。


人生は待ってはくれない。


時間は過ぎていくばかりだ。



わたしの時間だけが止まってた。


あの日のままだった。



それとも、もうお別れしなきゃね。



みんなが幸せになれるように。


みんな笑って生きられるように。



「……お母さんごめんね」



後ろを振り返らずに、小さく呟いた。



「ん? 明里、何か言った?」


「ううん。何も」



そう言って、精一杯笑った。


一瞬でも気を緩めてしまったら泣いてしまいそうだったから。



懐かしい笑顔のお母さん。


またその笑顔が見られるようにわたし頑張るから、待っててね。



「じゃあ。……行ってきます」


「行ってらっしゃい」



玄関のドアが閉まる直前。


ドアの隙間からお母さんの顔が少しだけ見えるその時───



「さよなら、お母さん」



この家で、いつものようにわたしの帰りを待ってくれているお母さんにお別れをした。



これからどこへ向かうか全然決まってなかったけど、今日が最後の日だ。


もう一度だけ神様にお願いしてみよう。



毎日あの場所で待ち合わせをしていたんだ。


何かしら効果があるかもしれない。



日曜日の三葉神社。


一人で来たのは初めてで、待ち合わせ相手がいないのも初めてだった。


なんだかそれだけで少し心細く感じてしまったのは、それだけいつも深月の存在が大きかったからだろう。



──カラン、カラン。



神様お願いします。

どうか、深月を救うことができますように。


二度と悲しい思いはしたくありません。


そして、あずさと小林くんの心も救ってあげられますように。


わたしにできることは、きっとこれくらいしかないから。祈ることしかできないから。



最初で最後のお願いです。


わたしたちの世界に、深月がいますように。



神頼みをしてみても運命ばかりは変えることはできないのかもしれないけど、何もしないより全然マシだろうし、それに今からだってまだ間に合うんだから。


わたしが諦めない限り。



今日を乗り越えれば、きっとその先に明日が続いているはずなんだ。



次どうしよう、なんて考えながら鳥居を通り過ぎようとした───



「───あ、そういえば…」



昨日書いた絵馬のことを思い出す。


本来ならば見るべきじゃないのかもしれないし本人に許可を取ってないからダメな気もするけど…



みんなが未来に向けて何を思って、何を書いたのかどうしても気になるんだ。



───ごめんなさい。


心の中で呟いて、三人の絵馬を見た。



小林くんは、


【この四人でこの先もずっといたい。】



そして、あずさ


【バカばっかりしてるけど、何年先でもみんなで笑って過ごしたい。】



そして、深月


【コバ、山田。そして大切な彼女、明里。みんなとこれからも永遠に】



──嘘、でしょ……っ


みんなの絵馬には同じことが書かれていた。



何を書いたとか絶対に教えてくれなかったし、ましてや書くときに盗み見るなんてことしてなかった。


それなのにみんなが同じこと書くって、よっぽど思い合ってるってことじゃん…っ



「……やっぱり、どうしても深月を救わなきゃ。…そうじゃないとこの絵馬に書いた願いはみんな、叶わなくなる…っ」



パラレルワールドがある限り、わたしが元いた「現在」に続いているか不安はあるけど、とにかくみんなの願いを叶えたい。


深月を救ってあげたい。


ほんとに、それだけなんだ。



「待ってて。……絶対、変えてみせる。」



確かな保証なんてどこにもない。


あるのは諦めない心だけ。



とにかく深月がちゃんと家にいるのかどうかだけ確認しておこうと思って、神社を出た後にメッセージを送った。



【今家にいる?】


と、だけ。


するとすぐに既読がついて返事がきた。



【今、本屋向かってる】



え? 嘘、でしょ…?


あの日は、こんなことなかった。──あ、違う。わたしが今日の誘いを断ったからこんな事になってるの……?



すると、またすぐにもう一通来た。



【親に頼まれた本を探しに】



ど、どうしよう。


家に帰って、って送るのもおかしいし変に思われるし…


だからといって外にいる方が危ない。



時間ももうすぐ迫っている。


選択している余裕なんてない。



【わたしもそっち行く。場所教えて?】



だから、すぐにその文字を打ち込んで駅近くまで走った。



走っている最中に右手に持ったままのスマホが振動して、わたしに深月からの通知をお知らせしてくれる。


少し立ち止まりメッセージを開くと、【A駅の本屋の一階で待ってる】とだけ送られていて、それに返事をするのすら忘れて無我夢中で走った。



スピードを上げると信号に引っかかり、またスピードが下がり一分ほど待たされる。


その繰り返しで内心いらいらしながら、深月がいる本屋まで急ぐ。




寒いとか、


痛いとか、


息が苦しいとか、


そんなのすっかり忘れてしまって、生まれて初めてこんなに走ったんじゃないかと思うくらいの距離を全力で走った。



「……ハァ、ハァ…っ」



おかげで本屋に着く直前で限界になり、膝に手をあてて息を整える。



ブルっ…と一瞬振動したスマホ。


画面を確認すると、既読したままの状態で何も返さずに、いわば既読無視というのをしてしまっていた。


そのせいで心配したのか深月が、【大丈夫か?】【迎え来ようか?】と何通も送られていた。





走っている最中に右手に持ったままのスマホが振動して、わたしに深月からの通知をお知らせしてくれる。


少し立ち止まりラインを開くと、【A駅の本屋の一階で待ってる】とだけ送られていて、それに返事をするのすら忘れて無我夢中で走った。



スピードを上げると信号に引っかかり、またスピードが下がり一分ほど待たされる。


その繰り返しで内心いらいらしながら、深月がいる本屋まで急ぐ。




寒いとか、


痛いとか、


息が苦しいとか、


そんなのすっかり忘れてしまって、生まれて初めてこんなに走ったんじゃないかと思うくらいの距離を全力で走った。




「……ハァ、ハァ…っ」


おかげで本屋に着く直前で限界になり、膝に手をあてて息を整える。



ブルっ…と一瞬振動したスマホ。


画面を確認すると、既読したままの状態で何も返さずに、いわば既読無視というのをしてしまっていた。


そのせいで心配したのか深月が、【大丈夫か?】【迎え来ようか?】と何通も送られていた。



「うわ、最悪…、ごめん深月…っ!」



そう思いながら慌てて、【ごめんね。もうすぐ着くよ】と謝っているスタンプも送った。



そして今更ながら走ったせいで髪がぼさぼさになっていて、洋服だって深月に会う格好をしてきたわけじゃないから普通というか地味だし……


ちょっと、これはやばい。



そんなこと思っても時間は待ってはくれず、本屋に着くとすぐに深月を見つけた。


そして深月もわたしに気づくとすぐに駆け寄って来る。



「途中連絡ないから心配した」


「ご、ごめん!」



「何かあったかと思ったけど、明里が無事だったから安心した」そう言って、いつものように笑った。



「走って来たの?」


「え? あー、うん…」



深月の視線が髪の毛にいっていて、誤魔化しようがなくて苦笑い。



「ただ一人でぶらぶらしてただけだから…、その服装とかも普通でしょ? さっき気づいたんだけど、さすがにこれはやばい…」


「そんな気にすることか?」


「えっ…?」


「別に服装だっておかしくないし髪だって急いで来てくれたからそんなになったんだろ? 別に恥ずかしいことなんてないじゃん」


「そ、そうだけどー…」



駅周辺まで来るならもっとおしゃれしとけば良かったとか深月に会うなら髪の毛も可愛くしたかったとか色々思えばキリがないけど…


今日会うつもりではなかったから仕方ないといえばそうなる。


でも、やっぱり──



「深月に会う時は、おしゃれしてたいなぁって思うの。…ほ、ほら、可愛く思われたいでしょ? だから、その……」



自分でも何言ってるんだろうって思う。


今日の事故を防ぐために、誘いを断ってまで会わないつもりだった。

そしたら防げると思ってた。


深月がずっと家にいるって何の保証もないのに、どうしてこの選択が正しいって思ってしまったんだろう。


あの時、わたしが選んだはずなのに、ほんとにそれで正しかったのかどうか───



「明里が何をそんなに悩んでんのか知らないけどさー」そう言って少し首を傾げる。



「明里は何着てても可愛いよ? 今だって俺にとっては可愛い彼女だし」


「え!? ちょ、な、何…!?」


「俺のためにおしゃれしてくれるのとかも嬉しいけどさ。俺は外見で明里を選んだわけじゃないからどんな明里でも可愛いって思うんだよ」



──ドキっ。



ほんの少し前まで髪の毛がぼさぼさで憂鬱になったり服装が地味だなって落ち込んだりしてたのに、深月のその言葉を聞いただけで嬉しくて、嫌な感情が吹っ飛んでしまう。


まるで、深月の全てが、わたしのパワーに繋がっているみたい。



「それにさー」と呟いた後、わざとらしい咳払いをした深月。



「明里の可愛さを他の人には知られたくないっつーか、俺だけが知ってたらいいなって。……まぁ、あれだ。明里を独り占めしたいんだよ」



その後の深月は、さすがに恥ずかしかったのか照れくさそうに笑った。



嬉しい。


恥ずかしい。


ドキドキする。


でも、一番最後に思うのは、やっぱり嬉しいってこと。



「明里と俺。同じ顔だ」



はははっ、と嬉しそうに笑う深月。



「二人して顔真っ赤って、なんか初々しい感じがするんだけど」


「わ、わたしは……深月のが移った、だけだからね!」


「そういう事にしといてあげる」



小さな子供をあやすみたいに頭をポンポンと撫でる深月。


それで落ち着いてしまうわたし。



言葉にするのはとても勇気がいることで、あの頃のわたしは思っていてもそれを言葉にすることは少なかった。


それで後悔することが多かった。



だからこそ、今は伝えようって思う。


恥ずかしいって思うこともたくさんあるし、言葉にするのは難しいこともたくさんあるけど、言葉を伝えた後に、わたしだけが見られる深月もある。


そういう時、伝えて良かったって思うんだ。



「それより明里、今日用事があるって言ってなかった?」


「あー、うん。それなんだけど、思ったより早く終わったから……」



なんだか最近嘘ばかりついてる気がして、真っ直ぐに深月の顔を見ることができない。


悪い嘘ではないんだけど……



「そっか。まぁ、俺としては好都合というかラッキーだけどな」


「…え?」


「用事が早く終わったから明里と会うことができたわけじゃん? だから今すげー嬉しい」


「え、あ、うん…っ」



そんな真っ直ぐに気持ちを伝えてくれて、言葉が詰まる。



「あ、また照れた」


「ちょ…っと、深月!」


「ごめんごめん。明里が可愛すぎてつい」



ダメだ。心臓がもたない…



みんなといる時はあんまりからかわれたり、ドキドキすることを言われるのは少ないのに、二人きりの時はすっごい甘い深月。


それが未だに慣れなくてドキドキしてばかりなわたし。



「そ、それより深月。本屋は?」



これ以上、心臓がもちそうになかったから、そう言ってそれとなく話を逸らす。



「ああ、もういいや」


「え? 用あったんじゃないの?」


「そのつもりだったけどー、別にそれ今日じゃなくてもいいかなって。それより明里と出かける方がいい」



その言葉が嬉しい。


はずなのに、素直に喜ぶことができない。



外にいるのは危険だからこのまま真っ直ぐ家に帰ろう? なんて、どう考えても言えるはずがない。



でも、このまま外にいるのはほんとに危ないし、かといってずっと室内だとしても帰り道に何かあった時に…って考えると、どうするのが一番ベストなのかわからなくなる。



「──明里?」


「え…? あ、な、何?」


「いや。ボーっとしてたから……つぅか、なんか顔色悪くない?」


「き、気のせいじゃない?」


「いや、でも…」



──ダメだ。このままだと家に帰される流れになりそう。


そうなれば、帰り道一人になる深月の身が危なくなる…!



「さっきまで走ってたからだと思う!」



そう言うと、それに納得したのか深月は、わたしの頭を軽く撫でた。


心の中で“ごめんね”と深月に謝った。



たくさんの嘘をついてしまって。


例え、それが深月を守るためのものだとしても、やっぱり嘘をつくのはいい気はしなかった。



「あのさ、今から行きたいとこあるんだけど」



不意に深月が言った。



「行きたいとこ…?」


「うん。行きたい…っていうより明里を連れて行ってあげたいというか…」



本当のことを言えば、深月を危険な目に遭わせるのは避けたい。


だけど、深月はわたしのためにそんなことを言ってくれていて、それを引き止めちゃっていいのだろうか…?


深月の気持ちを無駄にしたくないし……



だからわたしは──、



「行ってみたい」


そう、笑って答えた。



「少し外を歩くことになるからこれ」そう言って自分のマフラーを外し、それをわたしに巻いてくれた深月。


たった今まで付けていたマフラーには、まだ温もりが残っていて、深月の匂いもほんのりした。



「女の子は身体冷やしちゃダメだから」


「…あり、がとう」



小さく呟いたわたしの声が届いたのか、「ん。」と笑って当たり前のように手を繋いだ。



それからしばらく電車に揺られていた。



「ねぇ、どこ行くの?」


「それは秘密」


「えー。気になる!」


「喜んでもらえるかどうか分からないけど、俺の好きな場所なんだ」



うん。知ってる。あの日も、深月は同じように言っていたこと昨日のことのように思い出す。


深月の好きな場所。


わたしも、大好きだった。



「明里も気に入ってくれるといいな」



そう言って窓の外を眺める深月。


夕日が窓から入り込み、それが深月を照らして、キラキラと輝いているみたいにオレンジ色に縁取られる。



かっこいいなぁ。


素直にそう思った。



一駅一駅止まるごとに人がたくさん乗り込んで来て周りはギュウギュウになっているのに、全然苦しくないのは、深月がわたしを守ってくれていたから。



着いたのは少し高台になっていて、この辺りが一望できる場所。


静かで落ち着いた雰囲気があるこの場所は知る人ぞ知るデートスポットとしても有名みたい。



「──綺麗…」



深月はわたしがここへ来るのは初めてだと思っているけど、実際は何度も来たことある。


そして深月と二人で来たのはこれが二度目。



ビルやお店が小さく見えて人なんて豆粒みたいに小さくて、あちこちがライトアップされている夕暮れ時のここからの景色は、感動して少し泣いてしまいたくなるくらい。



「俺、小さい頃ここに家族で来た時すっごい感動してさー、それが未だに残ってて。明里にも見せたいなって思ったんだよね」


「すごく綺麗。わたしも好きだなぁ」


「ほんと?」


「うん。気に入った」



わたしがそう言うと喜ぶ深月。


その笑顔を見てわたしまで嬉しくなる。



夕日の光が当たると、あたり一面がオレンジ色に染まる幻想的な景色。



「──あ、」



その時、雪が降ってきた。


ゆっくり ゆっくり 空から落ちてくる真っ白な雪は、わたあめみたいに軽くて、伸ばした手のひらに落ちると体温で溶けてスゥーっとなくなる。



次第にその雪は強まり、夕日のオレンジ色と雪の真っ白な色がコントラストのになって雪が夕日の色に染まっていた。



「…すごい。綺麗」


「だな。このタイミングは偶然にしてはすごすぎる!」


「じゃあ、もう奇跡だね?」


「明里その言葉好きだよな」



はははっ、と笑う深月。



過去に戻ってきていなければ、こんなふうに前向きに考えることなんてできなかったと思う。


奇跡なんて言葉、どちらかと言えば嫌いな方だったかもしれない。



でもね、過去に戻ってきて深月に会うことができたから、わたしはわたしを取り戻すことができたんだと思うの。


だからね──



「小さな偶然がたくさん重なってできたのが奇跡なんだと思うの」



そんなふうに思えるようになったんだよ。


きっと、全部深月のおかげ。



「俺、なんかその言葉好きだな」



そう言うと、手を伸ばし空に向かって手のひらを向けると、そこに落ちてくる雪。


それを見て、ふっ、と笑う深月。



「奇跡ってそう簡単に起きないじゃん? でも、明里が言う“小さな偶然が重なってできたのが奇跡”っていうのは納得できるっていうか。もしかしたらまだ奇跡が起きてないのは、小さな偶然が重なってる途中なのかな…って」


「そう、かもしれないね」


「もしそうだったらみんなにも平等に奇跡は起こるってことだな!」


「……わたしにもあるかな?」



「ある。絶対に!」そう言って笑った後、「だって俺にも奇跡は起こったくらいなんだから」と言った。



深月にも起こった……? 奇跡が…?



首を傾げて深月を見ると、はははっと笑って、「まぁ、これは俺が勝手に思ってるだけだけど」と前置きをした。



「明里と付き合えたことだよ」


「…え?」


「だから、俺にとって明里と付き合えたことは奇跡みたいってこと!」



それは知らなかった。


深月がそんなふうに考えてくれていたなんて、初めて知ったよ……



「明里、男苦手だったじゃん? だから仲良くなれたのは嬉しいけど付き合える自信はなかったんだ。まぁ、不安だったってだけなんだけど…」


「そう、だったんだね」


「明里にとって付き合う自体が不毛なんじゃないかって勝手に思っちゃって…、振られたらどうしようとか」


「お、思ってたの…?」



わたしの言葉に頷いて、「情けないだろ?」そう言って頭を掻いた。



「まぁ、だから……俺にとって今こうして明里と一緒にいれるのが不思議だって思うくらい、俺にとっては奇跡なんだよ。この奇跡をこれからも大切にしたいんだ」



その言葉を聞いて、わたしは泣いてしまった。


深月の前で泣いたらダメだって、我慢しなきゃって思ってたのに、全然コントロールできなくて、一度溢れてしまった思いは止まらなかった。



「ちょ…、あ、明里!?」


「ご、ごめん……っ」



わたしとの未来を考えてくれていた深月の言葉が素直に嬉しかった。



「大丈夫か? それとも俺がなにか気に触るようなことでも言った…?」


「ち、違…っ、深月は悪くないよ」



泣き止んで。


そう思ってもなかなか涙は止まらない。


隣で心配する深月の声が微かに聞こえて、その声を聞くだけでまた涙が溢れてくる。



深月の声が好き。


優しいところが好き。


温かな手が好き。


優しい笑顔が好き。



今まで感じた深月への想いが一気に走馬灯のように駆け巡る。



懐かしい思い出と、新しい思い出。


たくさんたくさん蘇ってくる。



「……明里、」


深月はわたしの心配をする。



最後の日までそれでいいのかな……って、そんなこと考えなくても分かる。


いいわけなんてなかった。


泣いてばかりじゃ伝わらない。



魔法なんてない限り、相手の思いを読み取るなんてことわたしたちにはできないから。


だから伝えるんだ。


言葉で。



「───深月、……わたし、深月とずっと一緒にいたい…っ」



何年経っても変わることのない想い。


あの頃からわたしの気持ちはずっと同じで、一番始めに頭に浮かぶのは深月のこと。


それはきっとこの先も変わらない。



絵馬に込めた言葉。


それはみんなと全く同じで。



【深月、あずさ、小林くんと四人でこれからもずっと仲良く過ごしていきたい】



みんなの想い、そしてわたしが絵馬に込めた願い、それを叶えてあげたい。



「ねぇ、……約束して。…どこにも行かないって。わたしを一人にしないって……」


「一人にするわけないだろ。これから何年経っても何十年経っても、俺はずっと明里の傍にいるから」


「ほんと……?」


「俺が明里に嘘ついたことある?」


「……ない、けど……っ」



深月がわたしに嘘をついたことはない。



ないけど、事故に遭って“ずっと一緒にいる”という願いは叶うことはなかった。


わたしはそれが苦しくて苦しくて、今もどうにかなってしまいそうで……



不安だった。


とにかく安心したかった。



この先もずっと当たり前のように隣に深月がいるということを。



「明里。俺が今日ここへ連れて来たのには理由があるんだ」


「……っ、理由…?」



わたしの涙を拭いながら、「うん」と頷いて、いつものように優しい顔を見せてこう言った───



「父さんがさ、ここで母さんにプロポーズしたんだ。それで俺が生まれた時もここに来たんだって。だからこの場所には思い出があって……、今度はその思い出を明里と作りたいって思ったんだ。大切な人ができたら必ずここで言いたいことがあったんだ」



また、わたしの涙を拭った。


そして優しく頭を撫でてくれた。



「俺は明里と出会って人生が変わった。明里のおかげで大切な人を守りたいって思えるようになった。───だからこれから先どんなことがあっても、ずっと俺の傍にいてほしい。」



「───うん…っ」



深月の言葉に思い切り頷いた。


涙を振り切るように、強く強く頷いた。



「何があっても、深月の傍にいる。……だから深月も約束してほしいの…っ」



約束は叶えるためにするもので。


この先があると信じて約束する。


結局最後は、信じるということしかできないのだから───…



「これからも変わらずに一緒にいてほしい。例え何があったとしても……、深月のこと守りたいから……だからお願い。わたしを一人ぼっちにしないで…」


「明里を一人にするわけないだろ。」


「約束、してくれる……?」


「当たり前じゃん」



そう言って、ニコリと笑う深月。



「俺はこの場所に永遠を誓いに来たんだぞ? そう簡単に明里を手放すもんか」


「えいえん……?」


「そ。だからさ、明里こそ約束してよ。俺との永遠を誓いますか──ってやつ」



そんなの答えは決まってる。


始めから選択は、一つしかない。



「───誓うよ。」



深月との永遠、を。


この先の人生、を。


深月と二人で歩んで行くために。



だって───



「……わたし、深月のこと大好きだから」


「俺も。明里のこと大好きだよ」



そして、ゆっくりゆっくりと深月の顔が近づく。



わたしは自然と目を閉じた。


そのあとすぐに重なった唇。



そんな二人を見つめるのは、空高くに浮かんでいる月だけだった───。



* * *



「ね、ねぇ……今日はわたしが深月のこと送ってあげたいんだけど…」


「はぁ? それはどう考えてもおかしい。男が女に送られるとか見たことないって」


「いや、でも…!」


「ダメダメ。明里を暗闇の中、一人で帰せるわけないじゃん」



あの場所からの帰り道。


このやり取りをしたのは何度目だろう。



事故に遭う場所からかなり離れているとはいえ、油断はできないし、まだ今日が終わっているわけではないから深月を救ったことにはならない。


と、なると、やっぱり深月の無事を見届けてから帰りたいんだけど……



「薄暗いんだから黙って送られてなさい」



この深月を納得させるのはどう考えても無理なのは分かっている。


でも、だからといって事故に遭ってしまうってことは言えるはずもない。



「あ、あのさー…」


「何度言われても俺の答えは変わらない」


「うー……」


「でもさ、そんなこと明里が言うなんて初めてだよな。なんかあったのか?」


「えっ……いや、な、ないよ」



わたしの顔をジーっと見つめる深月の眼差しから逃げるように、フイっと顔を逸らす。


ちょっとしつこかったかな、わたし……



「そ、それよりさっきから雪すごいね」



夕方とはいえ日の入りが早く、あたりは薄暗くて道端の街灯がないと少し怖く感じてしまう。


そんな中、降り続く雪は容赦なくわたしたちの身体に纏わりついてくる。



「明里の頭もすごいことになってる」



そう言って、わたしの頭に積もる雪をパッ、パッと払いのけてくれる。



「こんだけ降れば吹雪みたいだな」


「た、たしかに……」



風があるせいで雪が舞い、目を開けるのも一苦労で薄暗いこの中を歩くのが若干憂鬱にも感じてしまう。



「……ん? あれ、何だろう」



そう言って、突然立ち止まる深月。



「どうしたの?」


「いや、あの道路の向こうにさ、何かいるような……って動いてる」



慌てた声を上げた後、薄暗い道路の向こうに走って行く深月。


何がなんだかよく分からないまま、その後を追いかけるわたし。



「い、いきなり、どうしたの…?」



その場でしゃがみ込んでいる深月に話しかけると、「ほらこれ」そう言って、わたしに見せてきたのは、まだ小さな仔猫だった。



「…お母さんとはぐれたのかな……」


「どうだろう。このあたり捨て猫が多いって聞くからもしかしたら……」



深月の顔を見ればそれが何を意味するのかはすぐに理解できた。



「こんな寒い中いたらまだ小さいにすぐに死んでしまうよな…」



──ドクンっ……


胸の奥で嫌な音が弾けた。



「み、深月……とりあえず、この場所…」



──ププーっ……



その時、クラクションの大きな音が聞こえた気がした。



振り向くと、わたしたちを照らすライトのようなものがこっちに近づいていた。


車なのかさえ分からないほど、それはまばゆい光を放っていた。



深月はまだしゃがみ込んだまま仔猫を見ていて気がついていない。


その間にも、光はこっちへ向かってくる。



迷ってる暇はない。


考えてる暇なんてない。



「…み、深月…っ!」



深月の肩を思い切り押すと、運良く歩道に乗り上げた。



その瞬間───、


わたしの後ろを光が照らし、薄暗い外さえも見えなくなってしまうほど、まばゆい光に包まれて思わず目をギュっと閉じた。



そのあとのことはよく覚えていない───




──────────────

─────────…



心地良い風がわたしを包み込む。


さっきまで寒かったはずなのに、ここはとても暖かい。



ここ、どこだろう……



そう思った瞬間、あたりが真っ白な空間に変わり、やがてそこには深月が見えた。



「──────。」



何かを呟いたはずなのに、声が聞こえない。


聞き返そうとして喋ろうとすると、なぜかわたしも声が出なかった。



叫ぼうと思っても声が出てこない。


深月の名前を呼びたいのに出てこない。



それが悲しくて苦しくて、いつのまにか頬を伝う一筋の涙。



ポタリ、と落ちた瞬間



一気に目の前が真っ暗闇になって、わたしの記憶もそこでプツリと途絶えた───…



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