第7話 願い事を神様に
6日目。
この世界にいられるのも明日まで。
そして深月が事故に遭うのも明日。
それを思い出すだけで胸の中がザワザワして、目の前が真っ暗になりそうになる。
何気ない会話もわたしには大切に思えてしまうくらい、今のこの時間が特別で、失いたくない宝物。
深月と話してて嬉しい、幸せ。
なのに
寂しい、と切ない、が同時にやってくる。
この先も深月と過ごしたい、なんてどんな想いで思っているのかきっと知らないだろうなぁ……
「明里。まだ雪だるまある?」
「──え?あ…、うん。まだあるよ」
「そっか、良かった」
わたしの隣でそう言って笑った。
深月と一緒に過ごしていた時は、どちらかといえば冬は好きな方だった。
けど、深月が亡くなってからそれを思い出すたびに寒い冬は身体が疼いて苦しくなる。
「冬ってさ、なんか無性に寂しくならない? ……寒いからってのもあるんだろうけど」
「うーん。そうだなぁ…」
「まぁ、でも俺は逆かな?」そう言って、ブロック塀に積もっている雪を少し掴んでそれを見つめる。
「雪ってたしかに溶ける時は儚くて寂しく感じるけど、それってさ春になる準備をしてるわけじゃん? 俺たちに、“もうすぐ春が来ますよーって”教えてくれてるって考えると寂しいよりも暖かな気持ちになるんだよな」
その時の深月の表情は、いつになく大人っぽくて優しい顔をしていた。
「まぁ、俺の勝手な憶測だけど。でもそう考えると寂しさは少し和らぐだろ?」
「た、多少は…」
「な?」
ニカっ、とはにかんだ。
感情って、不思議だなぁ。
深月が亡くなってからのわたしは、冬が苦手になり雪を見るのも苦しくなるくらい塞ぎ込んでいたはずなのに、過去に戻ってきてる今、深月の言葉に感情が上書きされていく。
苦しいはずなのに、穏やかになる。
深月の言葉は人を癒す力があるとずっと思ってたわたし。
まさにその通りだと思った。
「冬から春に季節は変わるけど俺たちはこれからも変わらず今のまま仲良くいれたらいいな」
わたし向ける優しい眼差し。
それを今だけ、真っ直ぐ見つめ返すことができなくて、少し目を伏せた。
「そう、だね」
そう返事をしたわたしの声はなんとなく元気がなかった。
「明里の好きな季節は?」
「え、なに。急にどうしたの…?」
突然そんなことを聞くもんだから驚いて目をまん丸くしていると、ははっと笑う深月。
「なんか急に気になったんだよな」
「なにそれ。……好きな、季節かぁ。一番はやっぱり、春かなー」
「やっぱだと思った」
「……じゃあ何で聞いたの?」
“やっぱ”ってことは、わたしが春って答えることを予想してた風じゃん。
「ちゃんと聞いてみたかったから」
「えー。なにそれ」
ふふっ、とわたしが笑うと、それにつられて深月も笑う。
「明里のイメージ? 雰囲気?…が、なんか春っぽいんだよ。それにさ、春ってたくさん楽しいことあんじゃん」
「どの季節もイベントあるよ?」
「まぁ、そうだけど。春が一番穏やかな気持ちで過ごせそうじゃん。花見とかさ一緒行けたら楽しいだろうなぁ」
「…ほんとだね。楽しそう」
花見に行くことができなかったわたし。
だって桜が咲く頃に、すでに深月はもういなかったから───…
って、そうじゃない。
もうこんなに落ち込むのはダメだ。
悲しい事を思い出して苦しくなることはもうやめたい。
明るい未来についてたくさん話して、それを実現させていきたい。
「なぁ、明里」
「なに?」
「ちょっと早いけど約束しない?」
「何の…?」
「雪積もってる時に言うことじゃないけど」そう言って笑った後、こう呟いた。
「桜が咲いたら二人で桜、見に行こうよ」
その言葉を聞いて、胸がギューっとなった。
約束は叶えるためにあるもので。
未来を約束するためのもの。
だからわたしはこれからの未来を、深月と過ごすために──
「見に行こう。……約束だからね?」
泣きそうなのを堪えて、笑った。
それは心の底からの願いだったから。
何年経ってもいい。
今からだってきっと遅くない。
深月との約束を果たせる日が来ますようにと、心の中で願った。
* * *
「ねぇ、昨日どうだった?」
「あーうん。…あんまりそれっぽい本はなかったかなぁ」
「って、そっちじゃなくて!」と、机をバンバン軽く叩くあずさ。
「わたしが言ってるのはデートの方よ!」
「あ、ああ。そっちね…」
「で。どうだったの?」
ズイッと身を乗り出してくるあずさ。
「どうって…別に、普通だけど…」
「嘘だね。絶対嘘。明里の顔に何かあるって書いてあるもん!」
「はぁ!? な、ないない!」
「まぁ図書館だもんね。そういうとこではラブラブ雰囲気は出せないもんね」
カフェが併設されてる図書館といっても、やっぱり大元は図書館なわけで静かな場所だから騒ぐ人なんて一切いなかったし、わたしたちだって静かにしてた。
けど、深月の言葉にドキドキすることは多々あったのも確かで……
そんなことあずさに言おうものならすごい食いついてくるのは間違いない。
それだけは阻止したいから。
「キスとかは?」
「キッ───!? ないない…っ!」
「でも、何か別のことがあったでしょ」
「……何でそう思うの?」
「女の勘ってやつ」そう言ってニヤリと笑う、あずさの追求から逃れることなんか不可能だった。
「何された? それとも何か言われた?」
「それは──…」
昨日の事を思い出す。
わたしが本に集中してたから構ってくれなくて寂しかったと深月は言った。
そしてその後の言葉が…………
ああ、ダメだ。
思い出すだけでドキドキするし、昨日のことが蘇ってくる。
「なに顔真っ赤にさせてんの。やっぱ何かあったんじゃん。バレバレ」
「っ……」
「教えてごらん?」
「…やだ。昨日のことはわたしだけのものだから、あずさには内緒…!」
知られたとしても大したことないって思われるだろうけど、わたしにとって昨日の深月との時間は大切なものだから。
特別でかけがえのない時間。
深月の照れる姿とか構ってちゃんなところとか、全部わたしだけが知る素顔の深月。
「まぁ、明里の顔見てたら何となく分かる。そういういやらしいのとかじゃなくて、ただ単に真白くんの言葉とかにドキドキしてたんでしょ?」
何も言ってないのにあずさにはバレてしまうのはどうしてなんだろう。
ただ女の勘がいいってだけじゃないような気もするけど……
「いいなぁ、わたしも恋したい」
ポツリとそんなことを呟いた。
「なんかね、明里たちを見てるといいなー幸せそうだなーって思うの。わたしもそういう恋ならしてみたいなぁ」
「あずさならきっとできると思うよ」
「そう? でもこの性格だからさー、可愛げないとかうるさいとか言われそうな気がして」
あずさの性格? 可愛げない…?
「あずさが何をそんなに気にするのかわたしには分からないけど、わたし今のあずさだから友達になったんだよ?」
「明里ってば優しい…! そういうとこがわたしも好きー!」
そう言ってわたしに抱きついてくる。
友達同士でこんなことするのも若干照れくさい。けど、なんだか微笑ましくもある。
「ねぇ、わたしの恋も応援してくれる?」
「もちろん」
「じゃあ、三葉神社一緒について来てほしいんだけど…」
「えっ!?」
「だってあそこが地元で有名なんだもん!」そう言って机の上におでこをピタリとくっ付けてお願いポーズをするあずさ。
「ダメ…?」
「ダメじゃ、ないけど…」
「じゃあお願い! わたしを助けると思ってこの通り! お願い明里」
「……いいよ」
「ほんと!? ありがとう」そう言ってわたしにまた抱きついてくるあずさの喜びようが、わたしにまで伝わってくる。
それに、あずさには幸せになってほしい。
だからわたしにできることは手助けしてあげたいんだ。
「女同士で何してんだよ」
ケラケラ笑いながらわたしたちのところにやって来たのは小林くんと深月。
「友情のハグ」
そんなことを答えたのはもちろんわたしではなく、あずさ。
「あー、分かった。山田は彼氏いねぇからって成海に抱きついてんだろ!」
「そう言う小林くんだって彼女いないくせに何言ってんの」
「うっ……地味に傷つく」
「自分から攻撃しといて自分の方がダメージ受けてるってどういう事よ」
あははっ、と楽しそうに笑うあずさ。
「山田は笑いすぎだっつーの!」
「いいじゃん別に」
「よくねぇよ!」
………あずさと小林くん案外お似合いだと思ってしまうのはわたしだけ?
「つぅか、明里さっき何話してたん?」
「あずさがね、三葉神社に行きたいんだって」
「ふーん。じゃ、今日午前で終わるし、その後みんなして行くか」
小林くんとあずさそっちのけで話を進める深月の言葉を聞いていたのか、わたしの肩に手を乗せて、「え!? 行く行く!」とテンション高めなあずさ。
「何気にみんなでどっか行くって久しぶりすぎるから楽しみだね」
「確かに。普段はシロと成海二人で帰っちゃうから邪魔はできないしなー」
「うんうん」
「俺らも青春してぇなー」
「分かる。わたしも青春したい!」
「御守り買っておみくじ引いて絵馬も買いちゃう!」そう言って、キャッキャはしゃぐあずさの表情はとても楽しそうで、見てるわたしまで楽しいのが伝わってくる。
「朝そこで待ち合わせして学校来るってなれば、そんだけ仲良くなるっつーわけね。俺もそれ見習おうかな」
「あははっ。見習うって言っても小林くん、まずは彼女見つけないと無理じゃん」
「それはお互い様だな」
「さっきのお返しだ」そう言って、あずさに向かって、べーっとイタズラが成功した子供のような無邪気な笑顔を見せる小林くん。
それに反抗するあずさも、また子供のように楽しそうにしていた。
「…ったく。こいつら二人が揃うと騒がしくなるな」
「ほんとだね。でもなんか楽しい」
「まぁな。一緒にいて楽しいって知ってるから、こうやって揃うんだろうな」
「コバとは中学からの腐れ縁だし」そう言って、はははっ、と笑った深月。
「なあ。シロ、今何て言った?」
今まであずさと言い合いをしてたはずの小林くんが、いつのまにか深月の隣にいた。
「……何も言ってない」
「嘘だろ。俺、少し聞こえたぞ!?」
「どこから聞いてた」
「え? たしか、一緒にいて楽しいって───の、あたりだったかなぁ」
「それ最初からじゃん…!」
「シロってさー、普段そういうこと俺の前じゃ言ってくれねぇけど、心ん中ではそう思ってくれてるってことだよな? 俺のこと、ちゃんと友達って思ってくれてんだな」
そう言うと小林くんは、深月の肩に腕を回す。
が、それを深月は嫌がって逃げ回る。
嫌がってる、というよりも、照れてるの方が正しい表現かな。
「俺もシロのことは大好きだぜ」
「そんなこっぱずかしいこと教室で言うなよ! 周りの奴らが誤解すんだろ」
「誤解も何もほんとのことなんだからいいじゃんかよ!」
「そういうことじゃない」
教室中をぐるぐると逃げ回る深月。
それを楽しそうに追いかける小林くん。
こんな二人をこの先もずっと見ていたい。
この楽しくてくだらない日常を、ずっと見ていたい。
「男子って、やっぱりバカだね」
そう言いながらもあずさも楽しそうにその光景を眺めていた。
* * *
──キーンコーンカーンコーン…
「じゃあ今日はここまで。えーっと、日直は……成海さん。プリントを理科準備室まで持ってもらってもいいかい?」
「あ、はい。」
「よっこいしょ…」と、教卓の段差を下りたタイミングでメガネがずれるも、それに気づいている様子はない佐藤先生。
60代後半のおじいちゃん先生で、ゆるい授業と落ち着いた口調で生徒から結構人気がある。
「もう私も歳だなあ…」
そう言って歩く姿は、腰が少し曲がっていて小さな段差すらつまずいたら危ないんじゃないかと、わたしの方が心配してしまう。
「せっかくの休み時間に手伝ってもらって申し訳ないねえ」
「い、いえ。日直なので大丈夫ですよ」
「ありがとねえ」
くしゃりと笑った。
その姿を見て心がほっこりしてしまうのは、まるでおじいちゃんみたいな感覚で落ち着いてしまうからだろう。
「成海さんは理科は好きかい?」
「え? あー…嫌いではないです」
「そうかいそうかい。まあ、理科は原子とか難しい名称が多いから嫌う生徒もいるけどねえ」
「そう、なんですね」
「覚える事が多くて勉強したくないって思われるのも悲しいからね。なるべく理科を好きになってもらえるように私も頑張ってるつもりなんだけど、生徒はどう思ってるかなあ…」
その言葉を聞いて、手に持っていたプリントを見つめると、名前を記入した少し下の方に授業とは関係ない言葉が書かれていた。
それを見て、微笑ましくなる。
「きっとみんな先生の思い伝わってると思いますよ。だって嫌いだったらプリントにこんなこと書いたりしません」
そう言って、一枚プリントを先生に手渡すと、そこに書かれていたのは『佐藤先生の授業は勉強ってよりも楽しみながら学べるから好き』、と。
わたしが持っているプリント数枚にも別の言葉が書かれていた。
「小テストのプリントなのにこんな事を書くなんてねえ。……でも、生徒にこんな風に思われてるのは嬉しいなあ」
そう小さく呟くと、また嬉しそうにくしゃりと笑った。
その言葉を聞いて、その笑顔を見て、なんだか、わたしまで嬉しくなる。
授業って面倒くさいとか覚えるのが大変とか、テスト範囲が広いとか、高校生になると中学以上に勉強が難しくなって嫌になることばかりだけど、生徒を楽しませながら覚えさせる佐藤先生の授業だけは、いつも苦ではなかった。
そう思い出したのは久しぶりだった。
「みんないい子だねえ。先生をあの時辞めなくて良かったよ」
「…辞めようと思ったことあるんですか?」
「うん、あるよ。だいぶ昔の話だけどねえ。…でも妻が支えてくれたからね。だから頑張ってこられたんだと思うんだ」
「まあ、その妻も早くに亡くなってしまったんだけどね」そう呟いた先生の顔は、少しだけ切なそうに曇った。
その表現がなんだか自分と重なって見えて、胸の奥がギューっと苦しくなった。
聞いちゃいけない。
聞いたらキズをえぐるかもしれない。
「………先生は、後悔した事ありますか?」
自分と重なって見えて、それを聞かずにはいられなかった。
プリントを持つ手にキュっと力が入る。
わたしの言葉に一瞬驚いた顔をしたけど、すぐに、「あるよ」とそう答えた。
「妻の病気に早くに気づいてやることができなかったんだ。早くに気づいてあげられたら病気も治すことができたのかもしれない…と、そう何度も後悔してきたんだ」
「そう、だったんですね。……辛い記憶を思い出させてしまって、すみません」
「ううん、大丈夫だよ。」
そう言って、わたしの肩をポンっ、と撫でてくれた。
「妻の言葉が支えになったんだ」
「奥さんの言葉…?」
「そう。病気を早くに気づいてやることができなかったわたしにね、妻が言ってくれたんだ。
“自分を責める必要はないの。あなたが傷つくことはないの。あなたがあなたらしく生きる人生が、わたしにとって一生の誇りなの。だからこれからの人生を後悔で無駄にするのではなく、素敵な思い出や喜ぶという事を大切にして生きてほしい。そしてそのお話をわたしにも聞かせてほしい”──とね」
「ああ、懐かしいなあ…」と、ポツリと呟いて、メガネ越しに見えるその瞳には微かに光るものが見えた。
「……先生の奥さん、いい人だったんですね。先生のこと、一番に考えてくれてたんですね」
「そうだねえ。妻の言葉がなければ今頃その後悔をずっと責めていたかもしれないからねえ……」
病気が見つかって残された時間はわずかだというそんな時に、そんな風に思えるってすごい。
大切な人のために先生の奥さんは、その言葉をかけてくれたんじゃないかな。
先生が後悔ばかりの人生を送らないために。
「だからね、仏壇の前でいつも話をするんだ。その日あった事や何気ない喜びとかをね」
と、くしゃりと笑うその姿は、後悔で自分を責める姿なんてどこにも見当たらなかった。
人が亡くなった話をすると、もっと暗く重たくなるのかと思っていたけどそんなことはなく、むしろ温かな気持ちで包まれるよう。
きっと、天国から先生のことを見守ってくれてるんだと思った。
「手伝ってもらった上に私の昔話まで付き合わせて悪かったねえ」
「い、いえ」
「こういう話を生徒にするのもよくはないのかもしれないけどね。誰かに妻の話をしたのは久しぶりで、なんだか嬉しかったよ」
そう言ってニコリと、笑った。
理科準備室に着くと綺麗に整頓されていた。
そして、先生の机の上には小さな写真立てが置かれていた。
「先生、の奥さん…?」
「そうだよ。」
そっ…と、写真立てを掴んで、懐かしい顔をして微笑む先生。
「綺麗な奥さんですね」
「成海さんもそう思うかい? いやー、嬉しいなあ。きっと天国にいる妻も今頃喜んでいると思うよ」
写真立ての中で、花に囲まれて微笑む先生の奥さんは、とても綺麗で幸せそうだった。
「今は一人になってしまったけど、子供たちもいるからね。それに毎日生徒にも会えるわけだし、私は本当の意味で独りぼっちではないから寂しくはないんだ」
「まあ、妻を亡くした悲しさはあるんだけどね」そう言って、頭を掻いた。
何年、何十年、経ったらわたしもそんな風に考えられるようになるのかな……
強く前を向くことができるのかな……
今のわたしが考えたところでそんな先のことは全く分からなかった。
「私が昔話を話したことは他の先生や生徒には内緒にしておくれ」
そう言って、机の上に置かれていたガラス瓶の中からたくさんの飴を取り出し、それをわたしに手渡してくれた。
「成海さんがプリント持ちを手伝ってくれたのと、昔話に付き合ってくれたせめてものお礼。」
「こ、こんなにたくさん…」
……受け取っていいのだろうか。
両手の上には、落ちそうなほどの数。
透明な袋に包まれた飴。その袋から透けて見える中身は様々で、赤やオレンジ、ピンク、黄緑、紫の色。
その飴は、まるで宝石のようにキラキラと輝いていた。
「高校生に飴をやっても嬉しくないとは思うがね、これが私の感謝の気持ちだと思っておくれ」
「…あ、ありがとう、ございます。」
先生の優しさを知った。
人の温かさを知った。
人の悲しみを知った。
そして、大切な人を想う気持ちを知った。
わたしはもう大丈夫。
次こそ、忘れない。
大切な人が傍にいる、その幸せを───。
両手の上にある飴が、今まで忘れかけていた自分の感情みたいに思えてきて、それをくれた先生はまるで魔法使いに見えた。
* * *
「やっぱ午前中で学校が終わるってテンション上がるよねぇ」
わたしの机の前にやって来たあずさは、そんな事を言いながらニコニコと笑顔でマフラーを巻いている。
「いつもなら真白くんに明里を独占されてばっかりだったけど……今日は一緒にいられるね!」
「なっ……ど、独占って……」
「ほんとの事でしょー? 」そう言って、わたしの頬をツンツンとするあずさ。
「確かに、それほんとの事だわ」
「おい。コバもそれに乗っかんな」
あははっ、と笑いながら小林くんが深月に指を差す。
「二人に放課後の予定なんて聞かなくても分かるくらいお互い独占してるもんな」
「変な言い方すんな」
「えー? 別におかしくないだろ?」
いつもなら大人な対応でさらりとかわす深月だけど、小林くんがいる時は素に戻ってしまうというか可愛らしいというか…
年相応の男子高校生に戻っている感じがする。
「それにしても腹減ったー!」
と、小林くんが叫んだ、そのタイミングであずさのお腹がグウーっと鳴る。
さすがに恥ずかしかったのか、顔を真っ赤にしていた。
「山田の腹も減ってることだし、まずは腹ごしらえするか!」
「ちょ、っと! わたしを話題に持ち出さなくてもいいじゃん…!」
「あ、照れてんだ?」
売り言葉に買い言葉。そんな感じで、「そうよ!? だ、だったら悪い!?」と、小林くんに詰め寄るあずさ。
「んー、別に? ……ただ、そうやって真っ赤に顔染めてるのなんか可愛いじゃん」
そう言って、ニカっと笑った。
「ななな、何よ!? 小林くんのくせして! ………とにかく明里、飴頂戴!」
とにかくの使い方を間違っている気もするけど、そこはあえて黙っておこう。
と、ポケットの中から飴を取り出してあずさに手渡すと、それを口に放り込む。
「ほら、明里行こ!」
それだけを言い残して教室を出ると、廊下をどんどん歩いて行く。
「………何で今、飴?」
その謎に小林くんは困惑気味で。
だけどそれを教えるのもつまらないなと思ったわたしは、「何でだろうね」そう言って笑って誤魔化した。
それからわたしたちは学校から近いファーストフード店に寄りお昼を食べることに。
そこにたどり着くまでに、ポケットに入ってあった飴はだいぶ減り、心なしかしゅん…となったポケットが寂しげに感じた。
「その飴、佐藤先生に貰ったんだろ?」
「あー、うん。」
「佐藤先生なんかいいよな! 自分のじいちゃんみたいに感じるっつーか、雰囲気が癒されるんだよなぁ」
「それ分かるー!」
「お。山田も分かるか!? やっぱさ先生の人柄って案外大事だよな」
「うんうん」
そんな話をしながら目の前にあるハンバーガーを頬張るあずさと小林くん。
注文した量がハンパなく、男子高校生ってこのくらい食べるんだなぁとしみじみと思った。
「それにしてもさぁ、プリント持っただけなのに帰りやけに遅くなかった?」
不意にあずさがそんなことを聞く。
「あー……準備室の掃除、をね。少ししてたら遅くなっちゃって」
先生が話した昔話。
先生は内緒に、と言っていた。
そしてわたしに飴をくれた。
でもそれは口封じとしてではなく、きっと話を聞いてくれてありがとうの意味の方が多いはず。
それを軽々しく人に話していいものでもない。
だって先生にとって特別な思い出だから。
あんまり人に知られたいことではなかっただろうけど、それを誰かに話したのは、もしかしたら誰かに聞いてほしかったんじゃないかな。
病気で亡くなってしまった奥さんとの思い出を、誰かと共有して、色あざやかなそのままで年を重ねていくために。
あの時わたしが隣にいて、それを聞いた。
もし、それが偶然だったとしても
わたしは何度だって同じことを思うだろう。
過去に戻ってきているわたしが、今日たまたま日直でプリント持ちをして偶然、佐藤先生の隣にいて、その時先生が何気なく話したとしても。
──きっと、それは、小さな奇跡が重なってできた偶然なんじゃないかと。
先生の奥さんの言葉が、今でも頭に残っているのは、それだけわたしの心に響いたから。
多分、必要な時間だったんだ。
過去に戻ってきているわたしが、必要な時間で、その言葉を聞いて何を思ったのか、今なら分かるんだ。
* * *
「初めて来るけど……なんだろう。なんか、雰囲気がすごい。すでにパワー感じてる」
そう言って鳥居の前に立ち止まるあずさ。
わたしと深月は、この鳥居のところでいつも待ち合わせしている。
だから今更驚く感じはしないけど……、初めて深月とここを訪れた時は確かにすごかった。
目に見えないパワーみたいなのが肌に直接伝わってくる感じがしたんだ。
……って、懐かしいなぁ。
初めて待ち合わせしたのっていつだったかな。もうかなり前のことですぐには思い出せそうになかった。
「とりあえず中に入らない? 鳥居の前でずっとこうしてるのもあれだしさ」
深月が歩いて鳥居を抜けると、続けて小林くんあずさ、そしてわたしと。初めて四人でここに来た瞬間。
深月といつもここへ来るのとは、また別の感情が、ふわりふわりと身体の中を巡っている。
「ここが縁結びで有名な三葉神社。……やっぱりそれだけの歴史を感じるねぇ」
そう言って、あたりをキョロキョロ見渡すあずさがなんだか新鮮に見えて、フッと笑った。
「なぁなぁ、まず参拝しようよ」
小林くんがそう言うと、あずさが真っ先に反応して、「する!」と笑顔で駆け寄る。
その光景を一歩引いたところで見ているわたしと深月はお互い顔を見合わせて笑った。
多分、その時思ったことは同じだろう。
──カラン、カラン…
四人並んで、パンッパンッ、と手を合わせた後、静かに目を閉じて神様にお願いをする。
わたしの願いは───…
「ねぇ、みんな何お願いした?」
参拝をした後にすぐそんなことを聞いてくるあずさ。
「それ言ったら意味なくね」
「えー、でも知りたい!」
「心の中で神様にお願いしてるのに、それを口に出して言ったら叶うものも叶わなくなる」
「そうだけどさぁ……」
まぁ、みんなが何をお願いしたのか気になるのはきっとみんな同じだろう。
わたしの願いはみんなとは少し違う。
顔を見て、なんとなくそう思った。
「明里は!?」
「えっ?」
「何お願いしたの?」
「え? いや、まぁ……」
笑って誤魔化してみせた。
けど、あずさは食い下がらなく、「あ、分かった」そう言ってポンっと手を叩いた。
「真白くんといつまでも一緒にいられますようにーっとかでしょ」
そう言われたわたしは、なんて答えたらいいのか戸惑っていた。
それに頷いてしまえば神様にお願いしたことがバレて効果なしってことになりかねない。……そもそもそれが嘘だと神様に知られたらバチでもあたりそうだし。
それを否定してしまえば、“深月とは一緒にいたくない”って意味に捉えられてしまう。
「えーっと……」
ど、どうしよう。
笑って誤魔化すことしか思いつかない。
「山田。…絵馬と御守りも買うんだろ?」
わたしが困っていることに気がついたのか、深月がそう言って御守り売り場を指差した。
「買う!」そう言って御守り売り場にめがけて走って行くあずさ。
ほっ、と胸をなでおろす。
「大丈夫だったか?」
「あ、うん。ありがとう」
「あそこで悩む必要ないだろ。普通に否定すれば良かったじゃん」
「いやー、まぁ、そうなんだけど……」
どうしても否定したくなかった。
例え、それが嘘だとしても。
どうしても頷くことができなかった。
「深月と一緒にいたい…って思いは本当なのに、それを否定するなんてこと、わたしには無理だから」
小さなことでも気になってしまう。
ほんとに些細なことでも。
過去に戻ってきている、今だからこそ─。
「ったく。何だよそれ。」
「何言ってるんだろ、わたし」
ごめん、そう言ってその場を離れようとした───ら、深月にグイっと腕を掴まれた。
「……可愛すぎるだろ」
すぐ後ろから深月の声が聞こえた。
それはもう、ドキドキを通り越して、
バクバクと暴れ出していた胸の中。
外は寒いはずなのに、むしろ熱い。
「明里の前ではかっこつけてーのに、なんか全然ダメだ。むしろその逆で、こんなんかっこ悪いとこばっかり明里に見られてる気ぃする…」
そう呟いた深月は、わたしと一瞬目が合うと、フイッと逸らす。
「…最近の明里、よく言葉で伝えてくれるからそれが嬉しいんかな。」
髪の毛の隙間から微かに覗く耳が、ほんのりと色づいているのが見えた。
何か言ってあげたくて、伝えてあげたくて、小さく口を開けたわたし──
「み、深月…」
「──って、何言ってんだ俺。これでおしまい! ほら、御守り見に行こう」
わしゃわしゃ、とわたしの髪を乱暴に撫でた後、御守り売り場に足早に向かった深月。
その時、マフラーに顔を埋める仕草をした。
きっと、今のあの顔を、小林くんやあずさに見られたくなかったからだとすぐに気づいて、それが可愛らしくて、ふふふっ、と笑った。
「やっぱり縁結びで有名な神社の御守りってどれも効きそう! 絶対ご利益ある〜!」
そう言って、早速鞄に勝ったばかりの縁結びの御守りをつけるあずさ。
歩くたびにそれが揺れて視界に映るたびに、ニコニコと嬉しそうに笑う姿が、微笑ましくてついわたしも笑ってしまう。
「良かったね、あずさ」
「うん! 絶対ご利益あるもん!」
「きっと、あずさが気づいてないだけで運命の人は案外近くにいたりするのかもね」
「どうだろ。でも、そうだといいな!」
恋って意外と不思議だったりする。
何気ないことでその人を気になったり、目で追うようになったり…
気がつけば好きになっていたり。
でも、そのことに自分が気づいていないなんてこともあったりする。
あずさの恋だって、まだ自分で気がついてないだけで、恋の足音はもうすぐ傍まで近づいているんじゃないかなって思ったりする。
──なんてこと、わたしの口からは絶対に言わないけどね。
だってそういうのも自分で気づかないと意味ないし、きっとそれに自分で気づくから「恋」っていうものになるんじゃないかな。
って、思ったり。
「ねぇ、絵馬になんて書くか決めた?」
「もう書いた」
「え、早くない!?」
「早くない。もう書くの決めてた」
そう言って、自分の絵馬を結んだ小林くん。
書いた面がこっちに向かないように。
「俺もできた」
「嘘。真白くんも!?」
「うん」と、まるで当然と言うかのように返事をすると、小林くんが結んだ隣にこれまた面が見えないようにキュっと結んだ。
深月、なんて書いたんだろう…。
って、それより自分はなんて書こう。
──やっぱり、あれしかないかな。
キャップを取り、キュ、キュ、と音を鳴らしながら絵馬にわたしの願いを込めていく。
どんなに考えたって、結局最後にたどり着くのは、この答えだから──。
絵馬に込められたわたしの願い。
黒い文字で力強く載せられた想い。
神様に届きますように。
「結局最後までみんなが何を願って何を書いたのか分からないんだけどー」
「いいじゃんそれで」
「でも! 絵馬だけは気になる…!」
小林くんの隣に深月が結び、深月の隣にわたしが結ぶ。と、当然あずさはわたしの隣になり、結果的にみんな同じ場所で固まった。
「やっぱり時期的に受験のこと?」
「別にそれだけとは限らないだろ」
「じゃあそれ以外だったら何?」
「さぁな」そう言って笑いながら適当にあしらう小林くんに、どうしても気になるあずさは詰め寄る。
「そういう山田こそなんて書いたんだよ」
「えっ……それは、秘密」
「だろ? やっぱ書いた内容は黙っておきたいもんなんだよ」
「な?」と、笑って、あずさの頭をポンポン撫でる小林くん。
「ちょ、…っ。子供扱いしないでよ!」
「いいじゃん別に」
「よくない!」
「ツンが多めの子供だよな」
そう言って、はははっと笑う小林くん。
「それ全然嬉しくない!」
「だってほんとの事だろ。山田がツン多めってのは」
「……ひ、否定はしない」
「ほら。だろ?」
「まぁ、でも…」そう言って、あずさを見て一瞬だけ優しい笑顔になる小林くん。
「そういう山田が好きな奴にしか見せない顔とかもあんだろうな」
そう、呟いた。
優しい笑顔は、その時のみ。
そのあとは、いつも通りの感じが戻る。
変わらないものもあって、変わらない場所もある。
それと同じように、
変わっていくものもあれば、変わっていく感情もある。
みんなが幸せになれますように。
みんなが笑っていられますように。
みんなの明日を守りたい。
みんなと、こうして毎日笑い合うことができるように───
鳥居の前で別れたわたしたち。
深月はいつもわたしを家まで送ってくれる。
今日くらいは大丈夫だよって言ったのに送ると聞かなくて、結局鳥居の前で小林くんとあずさと別れた。
「あの二人ちょっとずつ変化してくね」
「だな。さっきのもなんかいい感じだったし、俺たちがどうにかしなくても多分勝手に変化してくだろうな」
「そうだね」
「まぁ、山田の面倒は大変だろうけどな」
「ふふっ。でも、あずさの可愛い一面も見られるんだから得するよ?」
「彼氏だけの特権だな」そう言って、はははっと笑う深月。
大切な友達の、あずさ。
今までたくさん心配かけてきた。
「現在」のあずさは───…
だから、どうしても幸せになってほしい。
二人には感謝してもしきれないくらい助けられているから。
「いつも待ち合わせばっかでちゃんと参拝したの久しぶりだったから、なんか改めて初心に戻った気分だなぁ」
「初心…?」
「うん。明里と付き合ったばっかの頃」
「そうなの?」
それに頷いて、頭を掻く深月。
「付き合った頃はさー、嬉しさもあったけどそれ以上に緊張の方が多くて…どうすれば明里に喜んでもらえるかなとか頼られる男になるかなとか、たくさん考えてたなーって」
「そうだったの…?」
「うん。でも、その考えてることすら気づかれたくなくて自然とかっこよくなれる術を身につけてみたりとか……今思い出すと我ながらちょっと恥ずかしいかな」
「なんかいいね。」
──気がつけば、わたしはそんなことを口にしていた。
「明里。今の俺の話聞いてた?」
「 ? …聞いてたよ」
「じゃあ、“なんかいいね”ってのは?」
「深月の初心の気持ちがすごく良かったの。深月はそんなの思い出すと恥ずかしいって言ったけど……でも、それってわたしのために色々と考えてくれたって事でしょ?」
どうすればわたしに喜んでもらえるか。
どうすれば頼られる男になるか。
かっこよくなれるか。
「全部、その初心がわたしに繋がってるんだよね…?」
「まぁ、うん……」
「ほら。ね? 全然恥ずかしいことなんてないし、かっこ悪いことなんてない。むしろ、そういうことを気づかれないように努力してるのってかっこいいと思う…!」
あの頃、もっと早くに気づいてあげられていたらこんなにたくさんの後悔で苦しまずに済んだのかもしれない。
そう思うと情けなくてまた自分を責めたくなってしまうけど、それじゃああの頃と同じことを繰り返すだけだ。
そうならないためにわたしはここにいる。
過去をやり直すチャンスをもらったからには同じことを繰り返したりしない。
今できる精一杯のことを、わたしなりに頑張りたいんだ。
深月に伝え足りない言葉。
もっと、たくさん伝えてあげたいから。
「──やっぱ、今日三葉神社にみんなで来れて良かったわ」
不意に立ち止まる深月。
そして、わたしの方に足を向ける。
「初心に戻れて良かった。あの頃の気持ちをまた思い出すことできて良かったよ。……それに改めて明里のこと、好きになった。」
──ドキっ。
今までに「好き」だと何度も言われているはずなのに、全然慣れなくてその言葉を聞くたびに照れくさくなる。
と、同時に、嬉しくなる。
その言葉を言われるたびにキューっとなる。
「三葉神社で待ち合わせしてるのも縁結びで有名だからそれにあやかりたいってのもあったんだけど……やっぱ一番始めに思うのは、ただ、純粋に明里と少しでも長く一緒にいたいってことなんだよな」
そう言った後に、「あ、やっぱこれは恥ずい」と照れくさそうに頭を掻いた。
なんだかそれが可愛らしくて、そしておかしくて笑ってしまった。
「ちょ、笑うのなし!」
「ち、違う違う! ただ、なんか嬉しいなぁって。…その、言葉で伝えるのって簡単なように思えて実は難しいでしょ?」
だからあの頃のわたしは、自分の気持ちを素直に伝えることができなかったんだけど───
「でもさ、やっぱり言葉で聞くと嬉しいね。真っ直ぐに心の中に響いてくるっていうか…、純粋に“好き”が伝わってくる」
だから自然と笑ってしまう。
深月の隣にいると自然と笑顔になることが多いんだ。
「ほら。そういうとこがずるいんだ」
「え……?」
「明里が無自覚なのはもう知ってる」
「 だからなにが……」
「ったく。人の気もしらないくせに」
ボソっと、そう呟いた後に、わたしの頭を乱暴に撫でると、また いつものように優しく微笑んだ深月。
「ねぇ、さっき何か言った…?」
「何も言ってないよ」
「えー、嘘だ」
「嘘じゃないって。…それより、はい」そう言って、わたしに向かって差し伸べられた手。
「手、繋ごうよ。……ダメ?」
「ダメ、じゃない…」
深月の手を、キュっと小さく握ると、大きな手で包み込む深月。
その手の温もりと優しさが繋がれた手から伝わってくるようで、恥ずかしくなって俯くと、隣から笑い声がする。
そして───、
「やっぱ、明里可愛すぎ」
わたしを、またドキドキさせる言葉を深月はサラッと言ってのけるんだ。
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