第6話 交錯する気持ち



「ねぇ、明里。昨日の夜の特番見た?」



わたしの席の前に座って何の突拍子もなく、そんなことを言ったあずさ。



「特番…?」


「え、嘘。見なかったの!?」


「あー、うん。昨日は早く寝ちゃって…」


「せっかく明里が好きそうなテーマを特集してたやつなのに」


「…好きなやつ?」



……って、何だろう。



「ほら、この前例の小説で泣いたって言ってたじゃない? 過去に戻るーってやつ! それの特番だったの」


「過去に戻る、っていうのがテーマ?」


「それをひっくるめて、タイムリープの謎についてだった」



───ドキっ



「そー、なんだ…」



あずさにバレてるのかと思って一瞬、顔が引きつったわたし。



「チャンネル変えた時は、何これって思ったんだけど、この前明里がこういう小説読んでたなぁって思ったら気になって!」


「胡散臭い特番だなって思わなかったの?」


「あー、最初はもちろん思ったよ。今時こんなのテレビでするんだぁって」


「……だ、だよね」



タイムリープが存在するなんて誰が信じるんだろうか。


きっと、笑い飛ばす人がほとんどだろう。



実際わたしが過去に戻ってきてるって話したところで誰も信じてくれないだろうし。


でも──…



「…その話、詳しく聞きたい」


「明里ならそう言うと思った!」



ふふふっと笑う、あずさ。


机の中からノートを取り出して、シャーペンを二度ノックする。



「上手く説明できるか分からないけど…」



そう言って真っ白なノートに「現在」と「過去」の文字を書いて、それを丸で囲む。



「明里も分かってると思うけど、現在にいる人間が過去に戻ることをタイムリープって言うのね」


「う、うん」


「で、明里がこの前読んだっていう小説みたいに過去に戻ってる人間が事故に遭う人を救うと、その人はその先も生きることになる」


「…う、ん」


「でもね、解説者が言うには現在と過去の間に別の空間があるみたいなんだって!」


「……別の、空間?」



「うん」と言った後、ノートに向かってシャーペンを走らせる。


そして書き終えると「これ」そう言った。



「……パラレルワールド?」



……って、何だろう。


聞いたことないかも……



「パラレルワールドっていうのは、ある世界から分岐していて、それに並行して存在する別の世界のこと───らしいの」


「…え、っと…?」


「今のは解説者の言葉をそのまま言っただけだから分かりにくいよね。わたしもよく分からなくて昨日テレビ見ながらスマホで検索してたよ」


あははっ、と笑うあずさ。



「えっと、つまり簡単に説明すると……別の空間に、この世界がもう一つあるみたいなの!」



ノートに次々と難しい言葉が増えて、それと同時に矢印も難解になっていく。



「で、ここからが本題なんだけど!」


「ここから!?」


「そう。まだ本題にすら入ってないの」


「……なんか、すでに頭がパンクしそうなんだけど…」


「頑張って! まだまだ続くから」



休み時間だというのに近未来の勉強でもしているかのような気分がする。


つまり、すでに限界ということだ……



「で、過去に戻った人間が人を救うと…って場所に話は戻るけど。明里はどうなると思う?」


真剣な表情になるあずさ。



「えっ? ……だから救われて、現在に存在するんじゃないの…?」


「うん。でも、パラレルワールドが存在してるから、そうなるとは限らないの」


「──え…?」



な、何…? どういうこと?



「現在と過去が繋がっていたら亡くなった人も救うことは可能みたいなんだけど、そのパラレルワールドがあると、そうもいかないみたい」


「…え、と じゃあ、過去を変えたとしても意味がないってこと…?」


「意味がないわけではないよ。その、パラレルワールド…つまりもう一つの世界では救われてることになるから」



開きっぱなしに放置されたままのノートは、少し寂しげに見える。


そしてそこに書かれたタイムリープの謎が、わたしの不安を煽る。



「仮に現在の人間が過去に戻ったとして、そこで人を救ったとしても、現在にその人がいる保証はないってこと」



──ドクンっ…



不穏な音が胸の奥で、弾んだ。



あずさのその言葉を聞いているのに、どこかうわの空のような、心ここに在らずって感じで支配される心。



それを悟られないように隠す。


が、息切れのように苦しくなる。



「明里がこの前読んだって言ってた小説は、過去に戻って人を救うって感動のおはなしだったかもしれないけど、要は小説だからそういう内容でもいいってことだよね」


「……実際にはありえないの?」


「ありえないってことはないかもしれないけど……」



「うーん…」とスマホを取り出して両手でカチカチ操作した後、わたしに向かって画面を見せた。



「それ、昨日メモったやつ。」



スマホのメモ機能を使ってたくさんの文字が書き綴られていた。


タイムリープやパラレルワールドについて調べてはいるが未だに謎の多い現象。

それを経験した者が誰一人いないわけで、それを裏付ける証拠も何もない。

小説やアニメではタイムリープは描かれているが、それは空想上の物語として視聴者を楽しませるもの。



過去に戻る機械など研究されてはいるものの未だに成功例もなく、どの研究者もお手上げ状態。


だが、可能性はゼロではないことから、今後研究が続き技術の発展が進めばタイムリープもパラレルワールドの謎も解き明かす時が来ることは間違いないだろう。



「…まぁ、解説者が言うには…だから、どれも確証は全くないんだけどね」そう言って、頬杖をついて苦笑いするあずさ。



ゼロではない可能性に、すがりたいわたし。


例えそれがゼロに近いとしても、たった1パーセントの可能性がわたしにとってはとても心強い魔法に見える。



深月を救いたい一心で。


「現在」でも深月と一緒に笑い合いたいために、わたしはここにいる。


だから、それが少ない可能性でも、わたしは信じてみたいんだ──…



「…じゃあ、例えばだよ?」


なんて、こんなくだらないことを聞いて何になるっていうんだ。そう心の中でツッコミを入れてみても誰も返してくれない。


そんなこと、当然だけど。



「例えば……過去に戻ってきた人間が人を救って、それを確実に現在に繋げる方法ってないのかなぁ…?」



「確実に繋げる方法?」と、そんな質問をするわたしを不思議そうに見つめるあずさ。


数秒考えて、口を開く。



「そんな方法は昨日言ってなかったかなぁ」


「…そ、っか」



そりゃそうだ。


そんな方法があれば、人間誰だって一度は試すだろう。


なくて当たり前なんだよ……



「明里ってばどうしたの? やっぱりこういう話は食いつくんだねぇ」


「あ…うん、まぁ」



笑って誤魔化した。



「わたしが思いついただけなんだけどさ…」そう呟きながら開きっぱなしになっていたノートを静かに閉じる。



「手紙書いてみたらいいんじゃない?」


「……手紙?」


「そう。手紙を書いて肌身離さず持っていたら、いずれ元の世界に帰る時にそれを持っていたら分かるじゃん」


「あー、うん。……でも、それ」


「そうだよね。何の解決策にもなってないんだけどさ。何もしないよりはマシじゃない?」



その時笑った顔が、どことなく大人っぽく見えた気がした。



何もしないよりはマシ。


確かに、その通りかも……?



「ていうか明里そんなこと聞くってまさか過去に戻ってきてる人間かぁ?」


「そ、そんなわけないじゃん…っ!」



「知ってるって! 冗談に決まってるじゃん」と、クスクスと笑いながら頬を突いてくる。



あまりにも驚きすぎて返って怪しすぎちゃったかな……



「でも、そんなに知りたいなら放課後中央図書館寄ってみたら? あそこなら本たくさんあるし、タイムリープやパラレルワールドの謎について書いてある本もあるかもよ」


「……行ってみよう、かな」



もしかしたら何か手がかりになるようなものが見つかるかもしれないし。


何もしないより、マシだ。



「真白くんとデートも兼ねて行って来たら」


「で、デート!?」


「ふふっ。驚きすぎだよ明里」


「いや、だ、だって…」


「中央図書館ってカフェも併設されてるの。だから本も読みたいし涼みたいし、美味しいもの食べながら安く手軽に時間が潰せる中央図書館は学生にとっておススメスポットなんだよ?」



……あずさのその説明が、まるでどこかに書いてある手引き書みたいに聞こえた。



「どうする? 真白くん誘ってみたら?」


「……えーっと…、」



こういう場合どうすればいいんだろう。


深月に知られるのだけはまずい。


タイムリープやパラレルワールドについて調べてるなんて言ったら怪しがるに決まってる。


でも、デートなんて自分から誘った事なんてなかったから……



「……あ、あとで、聞いてみる」


「もうっ。明里ってば照れちゃってー」


「ちょ、…っ」



今さっきまで真剣な話をしてたはずなのに、あずさのテンションは天と地ほどの差があって今ではこんなにからかうことを醍醐味にしてるといった顔だ。



「ねぇねぇ、ちょっとわたし気になること思いついたんだけど」


「え? なんか、その言葉の表現ちょっとおかしくない?」



「細かいことは気にしないで!」そう言って、バシっと、わたしの肩を叩く。



「だからさ、一つ質問していい?」


「…いい、けど」


「明里はいつも真白くんと待ち合わせして学校来てるんだったよね?」


「うん」


「神社で待ち合わせしてるって言ってたじゃん? それって、三葉神社でしょ?」


「え? そう、だけど…」


「ふーん、やっぱり!」



わたしの顔を見てニヤニヤするあずさ。



「わたしさー、分かっちゃったの!」


「だ、だから、何が?」



「ちょっとこっち来て」そう言って、あずさに近寄ると、耳元でコソっと呟いた。



「三葉神社って地元の人なら知ってるくらい有名な縁結びの神社でしょ?」


「え…な、なんで、知って…?」


「えー? だってほらこれ見て」



スマホを操作すると、ニヤニヤしたままそれをわたしに見せてくる。


【三葉神社 ──大きな神社ではないが、密かに人気のある縁結びの神様がいる神社。ここに訪れる者は幸せになると言い伝えられている。】



「ふふふっ。今の時代って便利だよねぇ。検索したら何でも出てきちゃうの」


「そ、そんなの調べなくていいじゃん…っ」


「えー だって明里そういうの教えてくれないから自分で調べるしかないかなぁって」


「待ち合わせ場所を教えたって、あずさにとって何の得にもならないじゃん!」


「それが得になるの!」



……いや、ならないって。



「あ、今、『ならない』って考えてるでしょ。わたしには分かるんだからね!?」


「…。」


「じゃあ教えてあげる。どうしてわたしの得になるのか。簡単なことだよ? ただ、それを知ってたら明里をからかうことができるでしょ? そしたら顔を真っ赤にする姿が見られるから!」


「そ、そんなこと!?」



「ってのは半分嘘だけど…」と言って笑った後、「ほらあっち見て」と、指を差したその先に。



「……深月?」



が、いた。



「深月がどうかしたの?」


「もうっ、全く鈍いなぁ……」



プクっと頬を膨らませるあずさ。



「…鈍くないって」


「鈍い。…と、まぁ、それは置いておいて、三葉神社で待ち合わせしようって決めたのはどっちなの?」


「質問一つじゃなかった?」


「まぁまぁまぁ」



……なんだろう、今ムっとした。



「で、どっちなの?」


「……深月、だけど」


「やっぱりー! ほらほら、もうこれってさー、あれだよねぇ」


「な、なに?」


「愛」


「──は?」



え、今の聞き間違い?



「だーかーらー、愛だってば!」


「ちょ、な、なに言ってるの!?」


「そんな大きな声出さなくても…って結構周りから注目浴びてるけど」


「…だ、だって…っ!」



あずさが急に変なこと言いだすから…!!



「いいじゃん、ほんとのことでしょ。」


「と、時と場合ってのがあるじゃん」


「それは全然大丈夫でしょ? それより明里が大きな声出すからこんなに注目されるんだよ」



「ね?」と、わたしに同意を求めるあずさの言い分は最もだと思って何も言い返せずにいた。



「二人して何話してんの」



わたしの大きな声を聞いて、深月と小林くんがやって来た。



「あのね、実は──」



そう言って今の会話をバラしそうなあずさの軽い口を押さえて、「な、なんでもない」と答えたわたし。


……若干、顔が引きつる。



「なんでもない割には結構大きな声で騒いでたじゃん」


「えっと、……あずさが持ってきた占い本のやつが意外と当たったから、それに驚いたの!」



わりと早口でそう答えた。



「ふーん…」


「はははっ」



深月も小林くんも、まるで信じてないといった反応を見せる。



「な、なに…?」



何か言われると思って身構えていると、「いやー、別に」そう言って笑った深月はそのまま自分の席へと戻った。



あ、あれ……?


とりあえず最悪の事態だけは免れたらしい。



「成海ってさー、やっぱ抜けてるとこある」



そう言ったのは他ならぬ小林くん。



「その顔でシロに嘘つくとか、どう考えてもバレバレだから」


「…え!?」



「ははっ。ま、そういうことでー」と、手をひらひら振って深月の元へ行く小林くん。



「確かにその顔で嘘を突き通すってのはまず無理があるよねぇ」


「え? 顔、まだ赤い…?」


「りんごみたいに真っ赤」



両手で顔を覆いながら、チラっと深月がいる方を見ると小林くんと話す姿があった。


なんだか、それを見ただけで好きだなぁって思ってしまうのは重症で……



「あー、明里ってば、また何かやらしーこと考えてるでしょ!」


「そ、んなわけないってば…っ!」


「焦ってるとこが怪しい」



「ま、どうせ真白くんのことでも考えてるんだろうけど」そう言って、またニヤニヤしだす。



否定したいのに声に出して否定できないのは、あずさの言う通りすぎてぐうの音も出ない。



そんなわたしを見て確信したのか、「あ、やっぱり?」と頬をツンツンとする。



結局その後も、からかわれるばかりで顔の火照りはとうぶん直らなかった。



* * *



「見てー。男子超元気じゃん」



ベランダから校庭を見ると、あたり一面の雪に群がる男の子たち。

ぎゃーぎゃー騒ぎたてながら雪合戦をしている様子がそこにはあった。



「こんな寒いのによくやるよねぇ」



呆れ気味に笑うあずさ。



昨日、保健室で率先して雪合戦しよう! って言ってた本人の言葉とは思えないくらいの温度差があった。



「見てるこっちが寒くなる」


「ここも、寒いもんね」


「風がめっちゃ当たるもん。寒すぎて鼻の感覚ないんだけどさ、わたしの鼻、まだある?」


「ちゃんと付いてるよ」



「あ〜、よかったぁ……」そう言って胸をなでおろしたその直後「…っくしゅ…ッ」と、可愛らしいくしゃみをしたあずさ。



「な、なに?」


「いや、くしゃみにしては小さいというか…なんか、可愛かったなって思って」


「ちょっと明里! そういうことは別に言わなくていい! なんか、こっちが照れる!」


「あ、…じゃあレアだね。あずさが照れるところなんて滅多に見られないもん」


「ちょっとやめて! わたし、からかわれてる気分になるんだけど!」


「…? いや、だって、からかってるもん」



毎回わたしばかりが周りからからかわれてばかりだから、たまにはやり返したい! って誰だって思うでしょ?



「ふふっ。いつもと立場逆だね」


「……なんか、やだ。からかわれる側は明里って決まってるのに…」



そう言ってプクっと頬を膨らませる。



「たまにはこれもいいね」


「わたしはやだ。わたしはいつでもどんな時でも明里をからかう側がいいの!」


「それ、なに発言」


「えー? ……ドS発言、とか?」


「ちょ…っ、それはそれでおかしい…っ!」



あはははっ、と、わたしが笑うと、「もう! 笑うのなしなし!」そう言って、わたしの肩をポコポコ叩いてくる。



「明里がそんなこと言うならわたしにだって奥の手があるんだからね!?」



校庭で未だに騒いでいる男の子たちの方に勢いよく指をさす。



「真白くんここに呼びつけちゃうぞ」



さ、さすがにそれはダメだ。


…っていうか。



「あずさ、それずるい。何かあれば深月呼べば、わたしが静かになるってこと知っててやってるでしょ!」


「当たりー!」



「どうする? どうする?」と、ニヤニヤしながらわたしの返答を待つ。



「それはダメ。ずるい。セコい手使いすぎだからね…!?」


「真白くん呼んだ方が明里としては嬉しいんじゃないの?」


「え?」



なに。どういうこと?



「だってさ、明里 真白くんのこと大好きでしょ? 大好きな彼がここに来たら、わたし気を利かせて二人きりにしてあげるよ? ね? 呼んだ方が明里の得になるじゃーん」



わざとだ。わざと、“大好き”を二度も連呼したに決まってる。


あずさのことだもん。


また、わたしをからかってるよ…



「…今呼ばなくたって、朝と帰りはいつも二人になれるから全然問題ない」



こういうことを自分の口から言うって、ちょっと…いや、だいぶくすぐったく感じる。


普段言わないようなことをわたしが言ったことに驚いたのか、あずさは口をポカンと開けたままわたしを凝視する。



「…な、なに?」


「いやー。最近の明里ってちょっと変わったよなぁって思って。気持ちを素直に言えるようになったよね」



そう言って微笑んだ。



「何か心境の変化でもあった?」


「特に、ないけど……」



と、いうのは嘘で。


あの頃、素直に気持ちを伝えることができなかったわたしが、もう二度と後悔をしないように。


深月にもわたしの気持ち、しっかり伝えたいと思ったから。


なんて、こんなこと恥ずかしくて言えないんだけどね…



「真白くん的には嬉しい変化だね。彼女が素直に気持ち伝えてくれるようになったってのは」


「そう、だといいけど」


「そうに決まってるじゃん! 真白くん明里のこと大好きだもんね」


「なっ…!」


「だってオーラで分かる。明里大好き〜ってオーラがいつも放出されてる感じだもん」


「そ、そう…?」


「うん。お互いのことを想い合ってるのが伝わってくるから見てるわたしたちがほっこりしてしまう」



ふふふっ、と笑うあずさ。


それにつられてわたしも笑う。



校庭にはまだ雪合戦をしてる男の子たちが騒ぐ姿があって、それを見ているだけで青春だなぁと微笑ましくなる。



「男の子たち、楽しそうだね」


「ただのガキな感じに見えるけど、大人になった時きっとこういう時の思い出って宝物みたいに思えるよね」


「そう、だね」



高校の青春時代は、どの時間よりも特別な思い出になる。


それなのに、わたしはその思い出を胸の奥にしまい込んで塞ぎ込んでいる。


だから、無邪気に騒いで楽しそうにしてる男の子たちが羨ましかった。



「わたしもね、高校生活って一番思い出が多い気がするの」



そう言って微笑むあずさ。



「どの思い出にも明里が一緒にいて、いつも楽しいことを共有してた気がする!」



ベランダに並んで校庭を見ながら、こんな話をするだけで、それだけなのに思い出の一つになってしまうのは大切な人とその時間を共有しているから。



「明里と一緒にいるとね、くだらないことでも楽しくなるし辛いことを二人ですると、その辛さは半分になるし!」



「まるで魔法みたい」そう言って、わたしの隣で楽しそうに笑うあずさの顔を見ているだけで、わたしまで嬉しくなってくる。



いつだってあずさはわたしの隣にいてくれて、支えてくれているのに「現在」のわたしは、自分だけが苦しくて悲しいんだと思って大切な人たちの存在を見失いかけている。


……それじゃあ、ダメだから。


今、こうして楽しそうに話すあずさの笑顔を失くしてしまってはいけないんだ。


これからもわたしの隣で笑うあずさを見ていたいから。



「ねぇ、あずさ。一つ聞いてもいい?」



これから先の話をしよう。


──何も見失わないために。



「ん?」そう言って優しく微笑んで、耳を傾けてくれるあずさ。



「将来の夢とか聞いてもいい?」


「明里がそんなこと聞いてくるの珍しいねぇ」



ふふふっ、と笑った。



「一応はあるよ? ……まぁ、簡単になれるような仕事ではないから不安はもちろんあるんだけど……」


「…うん」


「弁護士なんだけどね…、わたしみたいな性格だと向かないのかもしれないけど人を助ける仕事がしたいの」



そう言って前を向くあずさの横顔は、大人っぽかった。



「あずさに向いてると思う」


「えっ……ほ、ほんと?」


「うん。あずさ、いつもわたしのこと助けてくれてるじゃん」



あの頃からずっと。


変わらずに優しかったあずさ。



「それとね…」そう言って、風で流される髪を耳にかける仕草をした後、ポツリと呟いた。



「夢とは別に、願いがあるの」


「…願い?」


「うん。あのね、高校卒業して大人になっても社会人になっても明里、真白くん、小林くんとはずっと仲良くしていたいの。今みたいに笑い合いたいの」



そう言って、ふわりと微笑んだ。



初めて聞いた願い。


あの頃、聞いたことなかったそれ。


聞いた途端に、胸の奥が、ギューっと苦しくなった。



だって、わたしのせいで、あずさは楽しそうに笑うこともなく切なそうに苦しそうに笑う顔ばかりをしている。


そうさせてしまってるのはわたしで…。



「わたしたちがおばあちゃんになっても、ずーっと友達でいてよね?」



それなのにあずさは、わたしに温かい言葉と気持ちをくれる。



「……もちろん、だよ…っ」


「ふふふっ。良かった!」



今までずっと忘れてた。


今までずっと胸の奥にしまい込んでた。



わたしの傍には、こんなにも優しくてこんなにも温かくて、わたしのことを考えてくれる大切な人がいるということを。



「あれ? 明里、泣いてる…?」


「…っ、ち、違う! 雪…が目に入ってびっくりして涙出ちゃった、だけなの…」


「もうっ。いきなり明里が泣くから驚いちゃったじゃん!」



そう言ってキラキラ笑う、その笑顔は陽だまりのようで。



凍っていた心を溶かしてくれたあずさ。


暖かい春先に、まだ残りかけの雪が優しく土に溶け込むように、じんわりと。



ヒューっと冷たい風が吹き、身体を包み込んでいく。



「寒いっ」と、短く呟くと「早く教室入ろ!」そう言ってわたしに手招きをする。



「──今まで見失っててごめんね。大切な人たちがわたしの周りにいることを思い出せてよかった。


深月だけじゃなくて、あずさも小林くんも。みんな救ってみせるから。」



深月を救うことだけで頭がいっぱいだったけど、あずさや小林くんたちの大切さを思い出したわたしは、みんなを救いたかった。


みんなの気持ちを。


みんなの思いを。



みんなの心を、救いたい───。



わたしの声は、冬空の向こうに風とともに流された。



* * *



「寄りたいところがあるんだけど…」



校門を出た直後、わたしがそんなことを呟いたのに驚いたのか深月は一瞬フリーズして、だけどすぐにいつものように戻ると、「いいよ」と、そう言った。



「で、どこ行きたいの?」


「…中央図書館、なんだけど」


「へぇ。明里が図書館に行きたいなんて珍しいね。何か探し物でもあるの?」


「あ、えっと…、い、一応」



過去に戻ってきてるなんてこと気づかれるのはさすがにまずいから、とにかく、深月本人にタイムリープのことが知られないように調べないと……



「ま、俺的には嬉しいけどね」


「え?」


「明里からこうやって誘われるのは珍しいし嬉しいじゃん? 放課後デートするとかさ、やっぱテンション上がるわけよ」


「あっ……うん、そ、それはよかった」



隣で嬉しそうに笑う深月の顔を見ると、タイムリープのバレる危険性があるにしても、誘ってよかったと、そう思えた。


深月が笑うと自然とつられて笑顔になる。


それだけで、なんだか嬉しかった。



中央図書館は、学校から15分くらい離れた場所にあり、わたしの家とは反対方向。


そして、深月が事故に遭う場所もすぐ近くにある。



本来なら行きたくない。

近寄りたくない場所。


だけど、タイムリープやパラレルワールドの謎についての本があるかもしれないということもあり仕方なく。



ドクン、ドクン…っ。



あの日の出来事が蘇ってくるような気がして、少しだけ足がすくむ。


一歩一歩近づたびに怖くなる。


不安に押しつぶされそうになる。



「──明里。顔真っ青だけど大丈夫か?」



隣から聞こえた深月の声。


そして、心配そうに覗き込む顔。



「……なんでも、ない。大丈夫」



たった今まで足がすくんで全身が氷のように冷たかったのに、深月がいるだけで安心感があって、不思議と落ち着けた。


でも、まだ、あの場所だけはどうしても向き合えなくて、事故の場所に着く一つ前の交差点を左に入り少しだけ遠回りをする。



「明里。さっきのとこ真っ直ぐ行った方が近かったよ?」


「う、うん。…でも、その……深月と少しでも長く一緒にいたくて」



それが決して嘘の言葉ではない。


事実、そう思っている。


だけど、それ以上にあの場所だけはまだ無理で、結局わたしはまだ逃げたままだ。



「そっか。」そう言って、わたしの頭をポンポンと撫でた後、「俺も」と言って笑った。


その笑顔を見ただけで、少しだけ、ほんの少しだけ泣いてしまいそうだった。



たくさんの人が行き交う中、過去に戻ってきているわたしはその違和感を少し感じる。


三年前ということもあり、新しくできたデパートやカフェもまだ存在していなくて、あの頃のまんまだ。


気を引き締めていないと、ついポロっと口から漏れてしまいそうになる。



「人、多いね」


「駅周辺はお店とか少しずつ増えてきてるから賑わってきてるのかもな」



軽く人がぶつかり、「わっ」と声を漏らすと、「危ないから」そう言ってさり気なくわたしの手を握り、リードしてくれる。



中央図書館に着くと、館内は暖房が入っていて、今まで外を歩いて来た冷たくなった身体をじんわりと暖めてくれる。



「何の本探してんの?」


「あー、えっと…」



ど、どうしよう……


せっかく一緒に来てくれたのに、ここまで聞かれて濁すわけにはいかないし。



「お、お母さんに頼まれた本を探してるんだけどね…」



と、気づけばそんな嘘をついていた。



「頼まれたのか。で、その本は?」


「……た、タイムリープについて」


「へぇ。そういうのに興味あんの?」


「き、興味あるっていうか、……なんか仕事で必要らしくて」



嘘に嘘を重ねていくたびに、ズキズキと心が痛んでいく。



「……タイムリープねぇ」そんなことを呟きながら、わたしの後ろをゆっくり着いて来る深月が、「あ。」と声を漏らすと、わたしの肩を掴んで指をさす。



その指の先には、⑥世界の謎、非科学的現象、と書かれた看板があった。



その看板の矢印に従って足を進めると、本棚に並べられてあったたくさんの本の見出しには『世界の謎』『証明できない現象』『時空の謎』と色々書かれていて、どれも興味を唆るものであった。



「この手の本って結構たくさんあるんだな」


「ほ、ほんとだね。もっと少ないかと思ってたんだけど…」



学校の図書室にはこういう本はほとんどなくて、あったとしても宇宙の面白い謎とか、小学生が喜びそうなのくらいしかなかった。



「明里の言うようなタイムリープの見出しは特にないけどなー」



そう言って本棚一列に目を向ける深月。



この世界でタイムリープっていう言葉自体がそんなに流通してるわけではなくて、特番とかでたまにあるくらいの珍しいものだからかな。


それともタイムリープって見出しはなくても、本の中身を確認してみたら案外違ったり…?


いや、でも、この本棚全ての本の中身を確認するとなると今日一日では終わらないし、そんな時間は残されてないし……



「なぁ、これは」



わたしの少し離れたところで本をパラパラとめくる深月。



「非科学的現象の実態……?」



深月が持っている本の表紙には、そう文字が書かれていた。



「パラレルワールドがなんちゃらとか書いてあるけど、よく分かんない」



活字を読むのに疲れたのか、深月はその本をわたしに手渡すと別の本を取り近くの椅子に腰掛ける。


あずさが言ってた“パラレルワールド”。


その言葉にわたしは覚えがありすぎて、居ても立っても居られないくらいの衝動にかられる。


その本を持ったまま、他にも気になる数冊の本を手に取り深月がいる場所にわたしも座った。


非科学的現象はなぜ起こるのか──?


それは、まだ解明されておらず謎が深まるばかりだが、ブラックホールが時空の歪みを生み出し、その引力に引き寄せられ────つまり別の世界にやって来てしまうという言い伝えもある。


ブラックホール? 時空の歪み? ……それじゃあ、気がつかないうちに、わたしはその引力に引き寄せられてこの世界に……?


……って、そんなこと、現実で起こるもの?


技術が進歩しているにしても現時点の段階では、まだまだ解明は無理だとされ、色々な諸説が出回っているがどれも正しいものだとは言い難い。


ただ、それがゼロだという可能性もまだ不明なため肯定も否定もできぬまま。


……あずさが言ってたみたいに、やっぱりどの本も同じこと書いてあったり、実際にタイムリープを経験したことがないから何も分かってないままってこと、かぁ……


この本にはタイムリープって言葉自体出てないし、その謎まで追求されてないのかも。



次のページをめくる。



………ん?



ブラックホールが生み出す時空の歪みが、いわゆるパラレルワールドというもう一つの世界に繋がっている。


仮に、過去に戻り何かをやり直したとしても、それがそのまま元いた世界に引き継がれるかどうかは今のところ不明。



──じゃあ、やっぱり、この世界で深月を救ったとしても元いた世界と繋がっていなければ深月は亡くなった、まま…?


小さな期待を抱いて図書館にやって来たのに、その期待さえ打ち砕かれてボロボロ寸前の心。



「明里すっげー難しい顔してる」


「……え!?」



一瞬、聞き逃してしまいそうになるくらい本に夢中になっていたわたしの隣で、笑いながらあくびをする深月の気の抜けた顔を見ると、張り詰めた心がなんだかスーっと軽くなった。



「ここにシワ寄ってた」そう言って、わたしの眉間に指でツンツンと押す深月。



「おばあちゃんになっちゃうぞ」


「なっ…! ま、まだ若いから! おばあちゃんとか酷いからね」


「だってずっとそれ読んでると難しくて頭痛くなっちゃうだろ?」



「俺なんて肩凝った」と、肩を回して、またあくびをする。



「まだ、それ見る?」


「う、うん。……もう少しだけ」


「ん。分かった」



ポンポン、と頭を撫でた後、微笑んで、「俺トイレ行ってくる」そう言って立ち上がり足音だけが遠ざかる。



深月が隣にいないだけで一気に静かになる。


それだけでなんだか寂しく感じて、喉の奥がギューっと苦しくなった。



「……弱気になっちゃ、ダメ。深月のために、わたしが、なんとかしないと……」



泣きそうなのを我慢して、ページをめくっては読み、めくっては読み、を繰り返す。


そして、それを読み終えると今度は違う本に手を伸ばす。


前半に書かれている内容は、言葉の表現が違うだけで意味はほとんど同じようなことが書かれていた。


やっぱり、タイムリープとかパラレルワールドとかの謎について詳しく書いてある本ってあんまり無いんだなぁ…


どれも曖昧というか、『○○と思われる』とか『○○だと推測される』とか決定的に断言している記載がどこにもない。


だとすると、この本に書かれてあること自体が正しいわけではないよね……?



この世界で深月を救ったとしても、パラレルワールドがある限り、わたしの元いた「現在」に深月は亡くなったままっていうそれも、まだ決定ではないってことになる。



「…じゃあ、まだ望みはあるじゃん。」



わたしが諦めてどうすんの。


パラレルワールドとかブラックホールとか、どれも非科学的現象で存在するかも分からないそれに不安になるより、わたしがここに存在してるだけでもっと別の希望があるじゃん…!



過去に戻るっていうタイムリープの謎はまだ証明できないけど、そんなことどうでもよくて、深月さえ救うことができれば。


きっと、それが「現在」に繋がる。


自分だけでも、そう信じよう。



──トンっ。



「ぅわっ…!」



微かに重みを感じる肩に手が見えて、頭だけ少し振り向くと、深月が飲み物を持っている姿がそこにはあった。



「はい、これ。明里の分」


「…あ、ありがと…ってお金!」


「いいってそんくらい」



この図書館に併設されているカフェで買って来てくれたのか、そこのロゴが入っていた。



「山田がなんか言ってたんだよね」


「あ、あずさが…?」


「そ。ここの図書館カフェが入ってるとかで学生のデートスポットだとかなんとか。」



まさかそんなことを深月に言っていたなんて…、あずさってば油断も隙もあったもんじゃない。



「俺たち高校生からしたらここはありがたい場所ではあるよな。図書館とカフェしかないけど、十分楽しめるし腹減ったら食べれるし、ほんといいとこだわ」


「う、うん。そうだね」



深月の笑顔が見られるなら、それだけでなんでもよかった。


嬉しかった。



「まぁ、でも…」と、小さな声でポツリと呟いた深月。



「……明里が本読んでる間、俺に構ってくれないから若干寂しかったけどな」



それだけを早口で言った後、プイっと顔を逸らした。


髪の毛の隙間から覗く耳が、微かに赤く染まっているのをわたしは見逃さなかった。



「ね、ねぇ、深月」


「なに?」


「……何で、こっち向かないの?」


「…明里の邪魔したくないから今はあっち向いてるだけ」



そんなの嘘だとすぐに分かり、なんだかその嘘が可愛らしく感じて、ふふふっと笑ってしまった。



「ちょ、…笑うのなし!」


「だ、だって、今の深月が可愛らしくて愛しく感じたの」


「こんなん可愛くねえって。……つぅか、可愛いって思われるより かっこいいって思われたいっつーの」



小さな声で、ボソっと呟いた。



──ああ、ほんとに。どうしようもないくらい好きが積もっていく。



「わたし、深月のことかっこいいっていつも思ってるよ? だからね、深月の隣にいるだけでドキドキしてばかりなの…」



恥ずかしい。


嬉しい。


照れくさい。


だけど、心地良い。



「深月は気づいてないかもしれないけどね、わたし、教室で深月のこと何度も見ちゃうの。…もうね。目が深月を探しちゃうの」



会えなくなった期間を埋めるように、一秒さえ無駄にはしたくないと思ってしまうくらい、きみのことを探してしまうんだ。


あの頃のわたしは恥ずかしくてそんなこと言わなかったし、素直になることができなかった。


そんな自分を何度も責めて、何度も後悔して、それでも深月が戻ってくるわけじゃないのに…



だからこそ、今、会うことができてるこの喜びを幸せを、言葉で伝えたいんだ。



「深月がわたしの隣にいてくれるだけで嬉しいの。幸せなの。」



それ以上は望まない。


欲張らない。


だから、わたしの隣から深月を奪わないでほしいの。



「…もう。まじ、何なんだよ」



ハアーっと息を吐くと、わたしの手に自分の右手を添える。



「可愛いこと言い過ぎ。……ここが図書館じゃなければその唇すぐにでも奪いたくなっちゃうじゃん」


「なっ…!」


「今はおとなしくしてるから。……だからあとで俺にご褒美頂戴…?」



コテン、と首を傾ける深月。


その姿があまりにも色気がありすぎて、わたしの胸の中はドキドキとうるさかった。


普段ならこんなことにおとなしく頷くことはしないのに、今のわたしはまるで魔法にかかったかのようになって、小さく頷いてしまった。


それを見た深月は一瞬だけ微笑んで、添えていた手を解放し、自分の目の前に置いてある本に目を向けた。


さっきの言葉を思い出してしまうと、なかなか本に集中することができなくて隣にいる深月の存在を意識してしまった。




───その日の夜。



わたしは、「現在」の自分へ手紙を書いた。



それが届くか、届かないか、


分からないけど何もしないよりマシだとあずさが教えてくれたから。


「過去」から「現在」へ、ちゃんと繋がっていますように、と願いを込めながら。



そして、


深月が生きていますように、と。



今と変わらずに


楽しい日々を送れますように、と。



そして、最後の行に


その日の日付けを記した───。

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