第4話 大切な人
*
あの手紙を読んでから、わたしの涙腺は壊れていて、もうずっと泣きっぱなしだ。
「明里? 大丈夫か? なんか元気ないし… ぼーっとしてるけど…」
眉を下げて心配そうな顔を向けてくる深月。
それを見ただけで、また視界がぼやけてきて、気がつけば泣いてしまってた。
あの手紙を読んでから。
深月と、あと5日しか会えないという事実を知ってから、心の中はめちゃくちゃだった。
過去に戻りたい。そう願ったのは他の誰でもない自分自身なのに、深月に会えたことでわたしは自分を見失いかけていた。
「明里。今日は帰るか?」
深月の言葉に横に首を振ると、「泣いてるのにこのまま学校行くのは無理だろ」そう言って、わたしの涙を拭ってくれる。
それでもさらに溢れてくる涙。
蛇口が壊れたみたいに次から次へと涙が溢れてくる。
学校へ行くのは辛かった。
でも、深月に会えない方が、離れている方がもっともっと辛かった。
わたしに残された時間はあとわずか。
「その顔だと泣いたってバレるぞ」
「…でも、深月といたい。」
「明日も会えるだろ?」
「……深月と、離れたくない」
子供みたいに駄々をこねても深月を困らせるだけだと分かっているのに、今は大人になれそうになくて子供のように深月の手を掴む。
「離れたくないって言われて嬉しいはずなのに、明里が泣いてると心の底から嬉しくなれない。」
そう呟いた後、深月は空を見上げた。
待ち合わせ場所の神社。
朝、深月の顔が見えた途端に思い切り泣いてしまったわたし。
それからまだ一歩も動けていない。
「じゃあ、」そう言って深月が話しだす。
「学校行くか? まぁ、その顔じゃ教室は無理だろうからとにかく保健室行くか。 …それでもいい?」
コクン、と頷くわたしを確認した後、深月はまた涙を拭ってくれて、わたしの手を引っ張って歩いてくれた。
涙で視界がぼやけて道がゆらゆらと揺れているような感覚になって一瞬ふらつくけど、それを支えてくれる深月。
「もう少しペース落とそうか?」
わたしが横に首を振ると、頭をポンポンと撫でて、ほんの少しだけ歩幅を狭めた。
このスピードで学校へ行けば遅刻間違いないのに、深月は何も言わず何も聞かず、ただゆっくりとわたしの隣を歩いてくれる。
深月から見たわたしは高校二年のわたしであっても実際は「大学二年」のわたしがいる。
それなのに深月の方が大人っぽく見えてしまうのは、どうしてだろう。
───ううん。三年前のあの時から、深月はわたしよりもずっとずっと大人だった。それが今も変わらずあるというだけなんだ。
* * *
学校へ着くと教室ではなくそのまま保健室へと連れて行かれた。
「担任には俺から言っておくから」
と、またわたしの頭を優しく撫でる。
ベッドに座ったまま、まだ深月の手を離すことができないわたしは、ただの子供だ。
このまま深月がいなくなってしまうわけではないのに、深月がいない世界を知っているからこそ、この手を離してしまうのが怖かった。
「明里」と、優しい声で名前を呼ぶ。その声に反応したわたしは俯いたままの顔を少しだけ持ち上げた。
「1時間目が終わったらまた様子見に来るから。今はゆっくり休んでな」
「で、でも…」
「大丈夫。俺はどこにも行かないって」
「だ、けど……」
今日を含めて、残り5日間。
少しでも離れていたくないと思ってしまう。
過去を変えればいいだけの話かもしれないけど、どうやって変えたら深月はこれからもわたしの隣で笑っていてくれるんだろうか。
残り少ない時間の中で、わたしには何ができるのだろうか。
また深月と離れてしまう。
そのことを考えてしまうと勝手に涙は溢れてきてしまう。
「…明里。」
泣いているわたしに気づいた深月の声は、元気がなかった。
そして表情も、顔が切なそうにしてた。
「明里がどうして泣いているのか分からないけど、それを話すことはできる?」
深月の言葉に首を横に振る。
「そっか。」そう言って、わたしの涙を黙って拭って、「俺の勝手な推測だけどさ…」そう言って、また、ポツリと話し始めた。
「朝、明里は神社に着いてすぐに泣いた。それに離れたくないって言った。…もしかして泣いてることは俺と関係してる?」
深月にそう聞かれても答えることができずに俯いたまま、静かに待つ。
「明里を責めてるわけじゃないよ。ただ、そうなのかな…って思ってさ」
深月はよく周りを見ている。
『小さな変化でも些細な事でも見つけたいんだ。拾い集めたいんだ。明里のことなら何でも分かるようになりたいんだ』
───あの時。わたしは深月にそう言われた。その時からずっと、わたしは救われていた。
「明里、顔上げて」そう言われて、わたしは泣いたままの顔を持ち上げた。
「もしも明里が俺のために泣いてるのだとしたら、それは違う。 …俺は明里の泣いてる顔より、明るく笑ってる顔の方が好きだよ」
「無理して笑えって言ってるわけじゃないからな?」そう言って、切なそうに笑った。
わたしは深月のそんな顔が見たいわけじゃないのに、その顔をさせてしまっているのは間違いなくわたしだった。
「……ごめん、なさい」
ポツリと呟いたその声は、まるで魂も宿っていないようなか細い声。
「謝ることないって! いつでもいいよ。明里が話せるって思った時でいい。その時に俺のことを一番に頼ってくれたら嬉しいな」
深月が言った。
“いつでもいい”と。
だけど、わたしに残された時間はごくわずかで、それを待ってくれるほど神様はお人好しなんかじゃなかった。
運命に抗うことができるならそうしたい。
けど、こればかりはどうしようもないってこと、自分でも理解している。
あの手紙がなければ、わたしはこの先も深月と一緒にいられるんじゃないかって淡い期待を抱いてしまっていたくらいだ。
だからこそ、もどかしかった。
深月の運命はわたしに託されているようなものなのに、まだわたしは動くことすらできていない。
それ以前に迷惑をかけてばかりだ。
もしも、わたしが深月にこの話をすることができたら、深月は何て言うだろうか。 何て思うだろうか。
信じる? それとも、信じない?
この先に未来がないと知ったら人は誰だって生きたいと願うはずだ。
だから、きっと深月も───…
わたしが少し落ち着いたのを確認すると、深月は「また後でな」そう言って教室に向かった。
一人になった保健室。それはとても静かで寒くて、また泣いてしまいそうだった。
『俺は泣いている顔よりも明るく笑ってる顔の方が好きだよ』
さっきの深月の言葉が頭の中にこだます。
泣いてばかりじゃダメなんだ。前に進まないと何も変わらないんだ。
そう思ったわたしは溢れそうな涙を、グイっと袖で拭った。
過去に戻りたいと願った。命に代えてでも戻りたかった。
それは、過去をやり直したかったから。
あの時を、ずっと後悔してきた。
やり直すことができれば、深月の未来も変わるかもしれないと思ったから。
それなのに、今のわたしは……? 深月のために何かできてる? 前に進めてる?
何も変われてない。あの時と同じ。
これでいいわけがなかった。
やり直すチャンスをもらったからには、残り少ない時間で自分にしかできないことをすればいいだけなんじゃないか。
泣いていても解決しないし時間は待ってくれないし、刻々と迫ってくるリミット。
諦めていいわけなんかない。
最後のチャンスなんだもん。
誰がくれたチャンスなのか分からないけど、過去に戻ることができた今、わたしがやるべき事は一つだけだった。
* * *
「明里。調子はどう?」
「…う、ん。さっきよりは、いい」
「そか。よかった」
昨日の夕方から頭がパニックになっていたわたしは冷静になることができていなくて感情的になっていたけど、1時間保健室で休んだら、少しだけ頭の中がすっきりした。
「目、腫れてる。…ごめんな?」
そう言ってわたしの瞼を優しく撫でる。
「どうして深月が謝る、の…?」
「泣くまで明里の苦しみに気づいてやれなかったんだなって思って」
「深月は、…悪くないよ?」
「それでも。明里の一番近くにいたのは間違いなく俺なのに…」
「ごめんな」そう言って顔を歪ます深月。
過去に戻ってきてわたしは何がやりたかったのだろう? 深月にこんな顔をさせたかった? ……ううん。違う。深月の笑顔を見たかった。もう一度、眩しいくらいのあの笑顔を見たかった。
「…謝らなきゃいけないのはわたしの方。」
苦しい顔ばかりさせてしまうのは、わたしがこんなに情けないから。弱いから。
「ごめんね? 深月に迷惑ばかりかけて… ほんとに情けないなぁ、わたしって」
「何言ってんの! 迷惑なんて思ってない。思うわけないだろ!? 」
「だ、だって! 」
「ストップ。……明里のことを、迷惑だなんて思うわけないだろ。大切な彼女なんだぞ? 当然だろ」
「次、そんなこと言ったら一週間口聞かないからな?」と、言いつつも深月の手はわたしの頭を撫でていて、言葉と行動が矛盾してるなぁ…なんて思ってちょっと笑った。
「やっぱ、明里は笑ってる方がいい。笑ってる顔は何倍も可愛い」
「…っ」
「あ、照れた」
「ちょ…っ!」
「うんうん。その調子」
ほんの少し前までは苦しくて切ない感情ばかりだったのに、深月のその言葉で救われる。
夜空に輝く月のように、深月の言葉には照らす力がある。
少し笑うと、なんだか気が楽になった。
昨日からずっと肩に力が入りっぱなしで、「過去」をどうにかしなきゃいけない。変えなきゃいけない。そうやってずっと焦りばかりが先走って周りを見失っていた。
だから、今回もまた深月のおかげ。
「次、どうする?」
「…うん。行くよ」
「無理してない? 大丈夫? 」
「…うん」
「そっか」そう言った後に、頭を撫でた。
ベッドから立ち上がり少しシワになったスカートを軽く払ってみるけど、どうやらそのシワは今日一日直らないらしい。
椅子に置いてあった鞄をさりげなく持ってくれた深月。
ありがとう、と言うと「ん。」と、短く返事をして優しい笑顔を向けてくれた。
保健室を出ようとしたその時「…あ。そうだ」と言った深月が、その場にピタリと立ち止まる。
「山田には、腹痛ってことにしてあるから」
「あ…、うん。」
「あいつさー、すっごい明里のこと心配してた。『大丈夫? ほんとに大丈夫なの!? 』って」
「…そっか」
あずさにも心配かけちゃったなぁ……
「だから話、合わせといてくれな。」
「…ん。分かった」
「まぁ、でも… 山田に話せそうなら本当のこと言ってもいいとは思うよ。同性の方が話しやすいだろうし」
この話をあずさにしていいのだろうか。
あずさの未来が変わってしまわないだろうか。
わたしの言葉一つで、行動一つで、周りの人たちの世界が悪い方に変わってしまう可能性もゼロではない。
そうなるとこの話を躊躇ってしまう。
───でも、悩んだって仕方ない。今、自分にできることを精一杯やろう。そうしたらきっと何か見えてくるものがあるかもしれない。
さっき一人になって考えたはずだ。
もう二度と後悔しないように、前を向いて歩いていくしかない。
わたしの歩幅に合わせて歩く深月。
その姿を、わたしは、もう二度と失いたくないんだ────…
「明里! お腹痛いって聞いたけど大丈夫!? まだ痛い?」
教室に戻るとわたしの元に駆け寄って来たあずさの表情を見て深く反省した。
「もう大丈夫。痛くないよ」
「ほんとにほんと!?」
「大丈夫だよ」
「なら、いいけど…」
深月がわたしの傍から離れた。その瞬間、あずさは小さな声でわたしに呟いた。
「……もしかして、泣いてた?」
「…え?」
「瞼が腫れてるから…」
教室に戻る前にトイレに行って鏡で顔をチェックしてくるべきだった、と後悔してもすでに遅い。
「……真白くんには話せた? それとも話せてない? わたしでよければ話聞くけど…。多分今の明里は無理そうだよね」
「え、っと……」
「いや、いいの! 無理して話すことない! 明里がもう少し体調良くなってからでいいよ」
そう言って、無理して笑うあずさ。
本当にこのままでいいのだろうか。
せめて、何か言い訳でもすればそれを信じてくれるだろうか……
「ち、違うの! 昨日読んだ小説を、思い出したらね…少し泣いちゃっただけなの……」
突然そんな嘘が口から漏れた。
信じてもらえるわけないって、すぐに嘘だとバレるって知っているのに、それでも今何か言い訳をしたかったのは、二度と誰も悲しませたくなかったから。
「…小説?」
「主人公が過去に後悔を持っててね。…それで過去に戻ってやり直したい…っていう内容だったんだけど…」
そんな小説を読んで目を腫らすほど泣くと誰が信じるだろうか。
まるっきり今のわたしと小説の内容を重ねて、わたしはあずさにどうしてほしいのだろうか。
「……あずさは、過去に戻りたいって思ったことある?」
それを聞いてどうしたいのだろうか。
分からなかった。
でも、聞かずにはいられなかった。
運良く深月は近くにいない。小さな声で話しているから聞こえるはずはない。
今しかないと思った。
「過去、かぁ…」そう呟いたあずさは数秒難しい顔をした。
「まぁ、確かに後悔があれば戻りたいって思うよね。多分ほとんどの人がそうなんじゃないかな。……でも、選択したその時は後悔してなかったんじゃないかなぁ」
「──え?」
「今思えば後悔ってことになるけど、選択した時はそれが後悔になるなんて誰にも分からないじゃん? 」
あずさの言葉は、まるでわたしとは正反対で、眩しいくらいだった。
「…まぁ、でも、どうしようもないくらいその過去に後悔してるのなら話は別だろうけど…」
こんなこと聞いてもあずさを困らせてしまうだけだと分かっているのに、聞かずにはいられなかった。
「……じゃあ、どうしようもないくらい後悔してたら?」
あずさは「えっ?」と、小さな声を漏らす。そして「もしかして…」そう言って核心を突いてきた。
「…明里が言う、どうしようもないくらいの後悔って、人が亡くなったりっていうこと…?」
「…え、」
「それは小説の中の話だよね? 例えばの話だよね?」
「う、うん」
「どうなんだろ…」そう言って深く考え始めるあずさの顔を見て、申し訳なく思った。
「まぁ…。小説みたいに過去に戻れるのなら亡くなった人を救うことは可能かもしれないけど、そんなこと現実ではあり得ないもんねぇ……」
そう。普通ではあり得ない。
それなのにあり得ないことが、わたしの身の回りで起きていてこの状況に説明しろと言われても無理な話で。
小説のようなことが起きている今、過去をやり直すことは可能なんだ。
残りの5日間で。
「明里は?」
「…え?」
「もしも、その小説みたいなことが実際に起こったらどうする?」
「わ、たしは……」
鞄の中に入ったままになっている手紙。その内容を思い出して、ゆっくりとこう告げた。
「過去に戻れることができたら後悔したことをやり直したい。最後のチャンスをもらったんだもん。何が何でも変えたいよ。 ……だって、ずっと一緒にいたいから。」
「……ずっと、一緒にいたい…?」
「え!? あ、違う違う! 今のは小説の最後の言葉で……ちょっとマネしちゃった」
小説の話をしているのに、自分の現実と重ねてしまってポロリと漏れた本音。
それは間違いなく嘘偽りのない言葉だった。
「なんだぁ、びっくりしたじゃん」と言って笑ったあずさ。
「そんなにその小説面白かったんだ?」
「う、うん」
「じゃあ今度わたしにも貸して!」
「え!?」
「わたしも読んでみたい!」
その約束は果たされることはないだろうと思いながらも、目の前で目をキラキラ輝かせて楽しみにしているあずさを見たら『今のが嘘でした』なんて言えるわけもなく、「分かった」と言って頷いてみせた。
少し離れた席から深月が心配して、わたしのことを見ていたとも知らずに──…。
* * *
「おーい、真白。お前今日日直だったろ? ちょっと手伝ってくれ」
放課後、HRが終わった後に担任の先生が深月にそう言った。
「頼む! すぐ終わるから」
「いいですけど…」と先生に言った後、深月はわたしの方に目を向けた。
「明里、先帰っとくか?」
「ううん。待ってる」
「でも、教室寒いぞ?」
「大丈夫だよ」
「ほんとか?」
「待ってる。…だから一緒帰ろ?」
「ん。」そう言って深月は自分の鞄の中からマフラーを取り出してわたしに手渡した。
「寒いから暖房代わりに」
「…ありがと」
わたしの頭を撫でた後、深月は先生のあとをついて行った。
一人になった教室は静かすぎて少し寂しく感じたけど、深月が貸してくれたマフラーがある。
「…あ、深月の匂いする」
なんだかそれだけで安心してしまう。
「って、わたし変態みたいじゃん」
わたしの独り言に返事が返ってくるはずもなく、シーン…とした教室は寒かったけど、深月のマフラーのおかげで寂しくはなかった。
傍に深月がいるように感じる。
「シロのこと、よっぽど好きなんだな」
教室のドアから突然そんな声がして見てみると小林くんが笑って立っていた。
「それ、シロのマフラーだろ?」
「あ、えと…」
「別に匂い嗅いでたことなんてバラさないから安心してよ」
「……匂い嗅いでない、から」
「がっつり見てたから」
小林くんが深月にバラすとか考えてはないけど、マフラーを嗅いでいたのが見られていた方がよっぽど恥ずかしい。
「ところで小林くんどうしたの?」
「ん? ああ、忘れ物取りに来た」
「…ふーん」
「えー? そんな興味ない? 成海ってさ、ほんとにシロのこと大好きだよなぁ」
「いきなり何言うの!?」そう言って慌てていると小林くんは至って普通で「あはは」と笑っていた。
「シロのどこが好き?」
「や、やだ。言わない」
「別に本人には言わないって! すっげー気になるんだよね! 俺、好きな人いたことなかったからさ、好きってどんな感情なんだろうなぁって。」
忘れ物を取りに来ただけのはずなのに、いつのまにか椅子に座って話を続ける小林くん。
「二人見てると俺まで幸せになるんだよ」
「それは、どうも…」
そんなこと言われるなんて思っていなくて、少し照れたわたしは一瞬だけ視線を逸らす。
「シロのどこが好きなのかそれは言わなくてもいいからさ。好きってなんなのか教えてよ」
そう言った小林くんは、冗談なんかを言っているとは思えなかった。
「その人のこと考えたり、その人といると嬉しいって思ったり、苦しかったり。好きって人それぞれかもしれないけど……、その人のことだけを考えて、その人の幸せを願って そしてこれからもその人とずっと一緒にいたいって思ったら、もう好きなんじゃない?」
だからわたしも、冗談なんかではなく真面目に自分が思う「好き」を答えてみた。
人それぞれ好きの思い方は違うだろうけど、そのひとのことを大切に思う気持ちだけはみんな同じなんじゃないかなぁ…
「なんか深いね。…好きかぁ。俺はこの先そういう人に出会えんのかなー…」
「で、出会えると思う…!」
「だといいけど」
「…自分では気づかないうちに好きになってる可能性だって、きっと…あると思う」
バチっと目が合い、すぐに逸らす。と、突然「あははっ」と、笑った小林くん。
「やっぱ、男子苦手そうだね。だから俺ともまともに話したことはないもんね!」
「あー…、うん。…でも深月の友達だし、他の男の子とは違って話やすいから、かな…」
「やっぱシロが関係してるんだね」
「…深月が、小林くんのことすごく信頼してる、から。……だから、大丈夫なのかも」
「信頼されてんのは嬉しいな!」そう言ってニカっと笑うと、八重歯が見えた。
それがなんだか可愛らしくて男の子ではあるけど、大丈夫。そう思えた。
「あ。じゃあ俺、そろそろ行くわ!」
「またなー」そう言って、わたしに手を振ると教室を出た。
突然やって来て突然帰って行く。まるで嵐のような人だなぁ…
でも、ずっと一人で待っているよりは話し相手がいるだけでだいぶ違った。
「……深月、まだかなぁ…」
あれからまだ20分も経っていないはずなのに、すごい長い時間離れているように感じてしまうのはどうしてなんだろう。
深月が貸してくれたマフラーを巻いて、そのまま机に突っ伏した。
* * *
「明里! 遅くなってごめん!」
その声とともに身体を揺すられて気がつくと、目の前に深月がいた。
「待たせてごめんな?」
「…ううん。大丈夫だよ」
教卓上にある時計は、まだ16時過ぎ。
深月が行ってから30分くらいしか経っていなかった。
「一人で寂しくなかったか?」
「あー、うん。それに一人じゃなかったから、大丈夫だよ」
「 ? 」
「小林くんがね、忘れ物取りに来たの。それで、少し話し相手になってくれたよ」
「そっか。ならよかった」
と、わたしの頭を撫でた。
「あ。これ!」
深月にマフラーを手渡すと首に巻いた。その後「あ」と言った。
「明里の匂いする」
「…え!?」
「あ。今のはちょっと変態っぽいな」
そう言ってクスクスと笑う深月。
「も、もう…っ!」
「自分のものに彼女の匂いついてるってなんかいいな。近くに明里の存在を感じられるような気がして癒される」
隣で笑う深月が、好き。
優しく笑い返してくれる深月が。
この時間を大切にしたい。
できることなら、この先もずっと深月と一緒に過ごしていきたい。
「明里、香水とか付けてる?」
「香水とかじゃないけど…なんかフレグランス的なものなら」
香水って匂いが強い。だからわたしは苦手で、なるべくつけたくない。
だから柔軟剤的な優しさの衣類に付けるタイプのやつを持っている。
「俺、その匂い好きだなぁ」
と、自分の巻いているマフラーに顔を埋める深月は、若干変態っぽく見える。
のに、それすらも可愛く見えてしまう。
「香水って匂いキツいよな。たまに通りすがりで、うわ…って思う人いるけど。明里のは好き。」
深月の言葉にドキドキしてしまう。
照れくさくて恥ずかしい。それなのに深月の隣は心地よくて安心してしまう。
「……わたしも、深月の匂い、好き。」
だからかな。
普段言わないようなこと、言えなかったこと、言葉にして伝えたいって思った。
後悔しないために。
「急にどした? 明里普段そんなこと言わないじゃん。どっかで頭打った?」
「あの…、えっと。……伝えたいって思ったの。普段全然言えなくて、深月に伝えられてなかったから…」
「俺のために頑張ってくれたの?」
───深月のため、っていうのは少し違う気がする。
過去に伝えられなかった思いを伝えるために、自分が後悔しないために伝えてるだけであって。
だけど、隣で優しい笑顔を向けてくれる深月を見ていると無意識に頷いてしまった。
「明里ってさー、たまにずるいよな」
「…え?」
「や、違う。もちろん無自覚だってのは分かってるんだけど、その不意打ちがハンパなく破壊力あるからさぁ」
「え、っと…?」
「あーいや。こっちの話」
コホンっと、わざとらしく咳払いをしてその話を誤魔化す深月。
その後も教えてくれるわけでもなく、結局わたしには何のことなのかさっぱり分からなくて、疑問だけが残った。
「それよりコバと話せた?」
「小林くん? …うん。話してみたら意外と、大丈夫だった」
「そか。なら、よかった! あいつ、ちょっと気にしてたからさー」
「何を?」
「明里に避けられてるのかな、って」
自分ではそんなつもりないし態度も普通にしてるつもりなんだけど、小林くんにはそんなふうに見えてたんだ……
なんか、申し訳なかったかな…。
「ま、でも大丈夫だろ。普通に話せたんなら、これからは問題ない」
落ち込むわたしの頭を優しく撫でて、いつものように優しく微笑んでくれる深月。
その顔を見るだけで、笑顔になれる。
「まぁ、でも…」と、口ごもると、一瞬チラっと、わたしの方を見て、また目を逸らす。
「……友達と彼女が仲良くなるのは嬉しいけど、やっぱ、妬けるなぁ」
「え?」
「二人が仲良くなるのは嬉しい。もちろん嬉しいんだ。…ただの嫉妬だよ」
「え、と……」
「何で人の心ってこうも矛盾だらけなのかね。自分でもわけ分からなくなる」
はははっ、と笑う深月だけど、その姿は無理に笑っているように見えた。
「み、深月…」
こういう時、何て言葉をかけてあげたらいいんだろう。
何か言わなきゃ。そう思うのに、喉の奥に何かが張り付いたように言葉が詰まる。
「そんな顔すんなって。別に仲良くするなって言ってるわけじゃないよ? コバとはこれからも仲良くしてほしい」
「う、うん」
「で、今のは忘れてくれ!」
「え。それは、無理だよ」
「だよなぁ。なんで俺、今言っちゃったんだろう。…嫉妬とか女々しすぎだろ」
深月はいつもわたしにたくさんの言葉をくれて安心させてくれているのに、わたしは深月に何もしてあげられないの…?
また、何も言わずに後悔するの? 同じ苦しみを繰り返すだけなの?
────いや、違う。後悔しないために、最後のチャンスをもらったんだ。だったら前と同じままじゃダメなんだ。わたしが変わらなきゃ…
「深月!」
今までこんなに大きな声を出したことは一度だってなかった。自分でも心底驚いた。
そして何より、自分自身が大胆な行動に出たってことに一番驚いた。
「──え?」
わたしよりも遥かに身長の高い深月。
思い切り背伸びをしてギリギリ届いた深月の頬に、ちゅっ…とキスをした。
時間で例えると、およそ3秒程度。
自分からしたくせにドキドキが鳴り止まなくて、心の中が騒がしい。うるさい。
外で、しかもこんな大胆な行動をして自分何やってるんだ。そう思うけど、今した事に後悔はない。そう確信が持てた。
「明里、」
深月の顔を見ると、見たことのないくらい真っ赤になっていた。
それを見て自分が今何をしたのか思い出すと、ブワーっと顔が熱くなるのが分かった。
外は、寒い。
はずなのに、全身が暑かった。
「い、いきなり、ごめんね! …でも、その…深月の不安を取り除いてあげたかったの。深月を安心させて、あげたかったの」
過去に戻るまで、深月が不安になっているなんて全く知らなかった。
わたしの前ではいつも明るかった。
でも、それは、わたしに心配かけないようにしてくれていたのかもしれないと。
今、初めて気づいた。
「…不意打ちすぎ」
ボソっと呟いた深月の顔は真っ赤になっているものの、さっきの無理して笑っている感じは消えていて、その表情を見て今の行動が間違いではなかったと実感した。
「最近の明里、やっぱちょっと変わった」
「え? 」
「少し前まではこんなこと自分からするタイプじゃなかったもん」
「あー…うん」
人の目が気になったり、自分からそういうことをするのが恥ずかしくて、いつも深月からのことがほとんどだった。
「…でも、」そう言って一瞬目を逸らし、そして、わたしの目を真っ直ぐ見つめてこう続けた。
「すげぇ嬉しい。…明里の気持ちがそのまんま伝わってくる感じがして、嬉しいよ」
わたしが深月の不安を取り除いてあげたくて、安心してほしくてしたことなのに、それ以上のものを深月はわたしにくれる。
わたしの方がたくさんもらってる。
「ありがとう、明里」
その言葉を聞いて胸がいっぱいになった。
* * *
「ねぇ、ちょっとここ寄らない?」
帰り道の途中にある小さな公園。
残された時間の中でわたしは何ができるだろうと考えた末。まずは深月がこれからの事についてどんなことを考えているのかを知りたかった。
あの時、知ることができなかったものを少しでも多く聞きたかった。
そして、深月を救うために───
「外だと寒いぞ? フード店行くか?」
「ううん。ここで、大丈夫」
静かな場所で深月とゆっくり話したかった。
「何か深刻そうな顔してるけど大事な話? …まさか別れ話とかじゃないだろ? 」
「そんなわけないじゃん」
「だよなぁ。…でも明里がそんな顔するの珍しすぎるから、ちょっと緊張する」
「そう?」
ブランコに座り空を見上げると、そこには空一面がオレンジ色に染まっていた。
空も、雲も、全部が綺麗なオレンジ色で思わず見入ってしまった。
空を見るとか何年ぶりだろう……
深月がいなくなってから、わたしは泣いて俯いてばかりだったから。
久しぶりに見た空の景色は忘れることのできないくらい綺麗で、美しかった。
「明里?」
「あ、ごめん。…ちょっと久しぶりに空を見たから……」
「久しぶりに?」
「え? あ、なんでもない」
ブランコに座っているとなぜか漕ぎたくなってしまうのはなぜだろう。
きっと幼少期に馴れ親しんだ遊具だからなのかもしれないと、容易に納得できた。
「深月はこれからのこと、何か考えてる?」
「これから? 」
「うん。大学行ってその先、何したいとか何か目標がある、とか」
「そうだなぁ…」
ブランコを漕ぐたびに、ギィギィ…と鎖の擦れる音がして、うるさくて漕ぐのを止めた。
「まだ何したいとかは決まってないけど、一つだけ譲れないものはある」
そう言った深月の横顔は、大人っぽくて、だけどどことなく幼さの残る姿。
「譲れない、もの…?」
って何だろう。
あの時、聞くことのできなかった思いを、しっかり聞いてあげたい。
「明里」
「ん?」
「そう。明里だよ」
「───え?」
「俺が譲れないものっていうのは明里。どんなことがあっても例え離れ離れになるようなことがあったとしても、明里だけは手放したくない。今も、そしてこの先もずっと明里とは一緒にいたいんだ」
わたしの目を真っ直ぐ見て、そう言った。
「俺にとって一番大切なのは明里だから何があっても守ってあげたい」
「そ、それは、わたしもだよ」
「うん。でも、やっぱ男である俺が明里を守ってやりたいんだ」
「男も女も関係ないよ?」
「まぁ、そうかもしんないけど…俺にとってやっぱ特別な人だからさ。命をかけてでも守ってあげたい人なんだよ」
「それが今ある目標、かな?」そう言って、柔らかく笑った深月。
それにつられるように、わたしも笑った。
「明里は?」
「え!?」
「俺も聞いてみたい。こういう時しかそういうの聞けないじゃん」
「まぁ、そうだけど…」
わたしの目標って何だろう。
あの時は、何を思ってた? 考えてた?
よく思い出すことができないけど、きっとわたしも同じだった。
「……深月と、同じだよ」
「ん?」
「この先何があってもずっと深月と一緒にいたい。わたしにはそれしか、なくて…それだけでいいの。深月とこれからも一緒にいたいの……」
過去へ戻ることができた今だからこそ、同じ後悔を繰り返さないために、思っている事を一言一句漏らさず伝える。
深月に伝わるように。届くように。
「まじか。なんか、やばいな」
「え?」
「そういうの言葉で聞けると嬉しいじゃん? それに明里も俺と同じ気持ちでいてくれてるってのがすっごい嬉しい」
「ほんと? ……ちゃんと伝わってる?」
「伝わってるよ。大丈夫」
「よかった。……今までずっと言えなくて、きっと深月ばっかり不安だったよね…」
「もうそれはいいって! ただ俺が女々しいってだけじゃん」
「ほら、おしまい!」そう言ってこの話を無理矢理にも終わらそうとする深月は、ブランコを軽く漕ぎ始め「寒っ」と顔を歪める。
「ねぇ、深月。……わたし、頑張るから」
あなたのために、わたしができること全て試してみる。
だからこれからも、二人でいろんな景色を見ていこう。いろんな思い出を作ろう。
「だから、待ってて」
ブランコを漕ぐのを止め、「ん?」と、わたしの顔を見る深月に「なんでもない」そう言って微笑んだ。
「変な明里」
「変じゃないってば」
「この寒さでやられたんじゃない?」
「その可能性も、あるかもね」
くだらないことを言って二人で笑った。
外の寒さなんて全然気にならないくらい深月といれば何だって楽しく感じるんだ。
ふわり、ふわり、と落ちてくる。
軽くて真っ白なそれは、まるでわたあめのように。一瞬で溶けてなくなる。
それは次第にたくさん落ちてきて、空を見上げると、そこは幻想的な世界が広がっていた。
「深月、見て! 雪だよ。今日雪降るなんて言ってたかな?」
「言ってなかったな」
「じゃあ、これもう奇跡だね!」
わたしがそう言って喜んでいると、「奇跡?」と言って笑う深月。
「だって、天気予報でも分からなかったんでしょ? だったらもう奇跡じゃん。ね?」
「それは奇跡って言わなくないか?」
「じゃあ、何て言うの?」
「ただの偶然」
「……それよりもさー、小さな偶然が重なってできたのが奇跡…って方がしっくりこない?」
「なにそれ」と言って笑う深月。
いつのまにか二人してブランコから立ち上がり、空を見上げていた。
偶然って言うわりには、深月の表情はどこか嬉しそうで、その顔を見てクスっと笑うと「何で笑うんだよ」そう言って髪をぐしゃぐしゃにされた。
まるで小さな子供が雪に大はしゃぎしているような雰囲気が深月から伝わってきて、とにかくわたしも嬉しかった。
「もっと雪降ったらいいね」
「何で?」
「だって、雪だるま作るんでしょ?」
「それまだ覚えてたのか? 恥ずかしいから忘れてよ」
「いいじゃん、楽しそうで。思い出たくさん作るんでしょ…?」
「そうだけど…」そう言って、わたしからフイっと視線を逸らす。
その瞬間、髪の毛の隙間から覗く耳が、微かに熱を帯びているのが分かった。
わたしはこの姿を、あと何回見ることができるんだろうか……?
あと、何回? ……いや違う。これから先も、ずっとその姿を見ることができるように、深月の事故を未然に防げば問題ない。
大丈夫。わたしなら、きっとできる。
「…絶対、雪だるま作ろう。約束だよ?」
「この前は乗り気じゃなかったのに?」
「うん。……今は、状況が変わったから」
「ん?」
「約束だからね?」
「ん。分かった」
まだ、そっぽを向いたまま。
わたしの方を向いてくれる気配はないけど、きっと同じ気持ちでいてくれてると信じてる。
「明日…どのくらい積もる、かなぁ……」
わたしには時間がない。
残された、時間が。
後悔をやり直すための時間でもあるけど、深月と約束したものもちゃんとやり遂げたい。
わたしが、ここにいるその時までに。
ボーっと、空を見上げていると頭に浮かんだ一つの疑問。
「雪って誰が降らせてるんだろうね…」
どうしてそんなことを思ったのか自分でもさっぱり分からなかった。
それを聞いていた深月が「はははっ」と笑って、いきなりわたしの方を見た。
「もう、何なんだよ! 明里そういう不思議なこと言うとこ、可愛すぎる」
「え!?」
「ったく。俺ばっかり好きになんじゃん」
「み、深月!?」
「ほら、頭雪積もってんぞ」そう言って、わたしの頭の上の雪を払いのけて優しくポンポン、と二度撫でてくれた。
「そろそろ帰るか」
「うん。…そうだね」
「ん。」と、わたしの目の前に手を出して、それをゆっくりと握り返すと嬉しそうに微笑んだ。
寒空の下、公園でこの先の未来の話をしたわたしと深月。
絶対に、救う。
絶対に、救ってみせる。
わたしがいた三年後に深月はいない。
それをどうしても変えたかった。
三年後も、こうして二人で並んで歩けるようにするために───…
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