第3話 あの頃のきみ
*
翌日。
そわそわしてよく眠ることができなかったわたしは、朝早くに目が覚めた。
「…なんだか、まだ夢みたい」
もうすぐで会えるという不確かなものが、ふわりふわりと、わたしをくすぐるように身体の中を巡る。
「それにしても黒髪懐かしい。全然髪なんて痛んでないじゃん」
鏡に映る、未だに慣れない「高校二年」の自分を見て少しだけ笑った。
この頃は、わたしもよく笑ってた。
好きな人がいて、それが自分の彼氏で。そんな大切な人がいつも隣にいる幸せ。
それだけで笑顔になれていた気がする。
「会っても、普通にできるかな…」
今ここにいるわたしはわたしじゃない。
この世界のわたしじゃない。
今から三年も後の世界から来たわたしの隣に、きみはいない。
事故で亡くなってしまったから。
だから普通に接することができるかどうか、問題はそこだった。
「うわ、やばい。…なんかいきなり会うのが怖くなってきた…」
過去に戻りたいとあれほど願って、それが叶ったはずなのに、どうしても押し寄せてくる不安がわたしを襲う。
「過去」のわたしを演じることができるだろうか。この世界のわたしらしく彼の前で演じることができるだろうか。
怖い。
不安で手が震える。
だけど、やっぱり───…
「会いたい。きみに会いたい。」
そう思うわたしは、どこまでいってもきみの姿を探しているみたいだ。
壁に貼ってあるカレンダーを見ると、2月01日までバツ印がされている。ということは今日は2月02日で間違いない。
「大学二年」のわたしがいたさっきの日付が1月もあと数日で終わる頃だったから同じ日付なのかも…と予想してたけど、そういうわけではないみたい。
「…そもそもどうやって来たんだろう? それに何日くらいこっちにいる事ができるんだろう…? 」
誰かが教えてくれるはずないし、そんな預言者みたいな人がこの世界にいるとも思えない。
何かヒントとか手がかりになるものがあればいいんだけど……
───♪
スマホのアラームが鳴り、すぐにOFFをタップする。
と、ある事に気がついた。
それは「大学二年」のわたしが持っていたままのスマホと同じだった。
正確に言えば、今までついていたキズはどこにもなくて、まるで買ったばかりのようなスマホに見えるくらい。
「…ああ、そっか。わたし、この時から三年間ずっと同じスマホ使ってるんだ。てっきり一度は変えたと思ってたんだけど…」
そんな大きな独り言を呟きながら、手のひらにあるスマホを撫でる。
どうして今もまだ、このスマホを使い続けているのかというと、それには理由があった。
それは。
届くはずのない、きみからのメールをずっと待っているから。
三年も経つのに、電話帳には残されたままになっているきみの連絡先もあの頃と変わらずにそこに記されている。
たくさんやり取りしたメールだって、今も消去できずに残されたままになっている。
それくらい、まだ引きずったままだ。
一歩も前に進めていない。
「わたし、バカだなぁ。ほんと…」
スマホの中にあるきみの連絡先だけが、唯一わたしときみを繋いでいるような気がして、見えない鎖に縛られているような感覚だった。
「…泣き虫なところも変わってないし」
また、泣いている自分。
これじゃあ会った時に言われてしまう。
『ったく。明里は、ほんとに泣き虫だよなぁ』
そう言っていつも優しい顔で優しい声で慰めてくれて、そして大きな手がわたしの頭をいつも撫でてくれた。
三年も経つのに全然変われてない自分が情けなくも感じるけど、またきみと一緒に過ごすことができるのならそれでもいいやって思える。
「明里! ご飯できてるわよ」
一階からお母さんの声が聞こえてきてハっと我に返りスマホの画面を確認すると、起きた頃よりだいぶ時間が経っていた。
「今行く」
と、返事をしてから壁に掛かっている制服に手を伸ばす。
中身は大学二年のわたしだからか、制服を着ていること自体が違和感しかなくてまるでコスプレでもしているかのような気分になる。
誰もわたしのことなんて気づかないことは知っているのに、それでも変なドキドキがうるさくてたまらなかった。
「おはよ。明里」
「お、おはよう」
すぐにバレてしまうんじゃないかって思うと、まともにお母さんの顔を見ることができなかった。
「ほら、早く食べなさい。今日は雪降るようなこと言ってたから早く出た方がいいわよ」
「…そうする」
テレビに釘付けなお母さんの横顔をじーっと見ていると、いきなりこっちを向いたお母さんと目が合った。
「お母さんの顔に何かついてる?」
「う、ううん。な、なにも!」
「 ? 」
お母さんが目を離した隙にチラっと盗み見たつもりだったのに…
逆に怪しませちゃったかな…
「じゃあ、もう行って来るね」
なるべく早く食べ終わり身支度を整えてローファーを履くわたし。
「行ってらっしゃい」
と、ニコリ笑顔でいつものようにお母さんはお見送りしてくれた。
* * *
「うう…さ、寒い…っ」
確かにこの寒さなら雪でも降りそう。
ハァーっと息を吐けば白い息が浮かび、すぐに消えてなくなる。
鼻で息を吸うと冷たく突き刺すような空気が一気に身体の中に取り込まれる。
一瞬、咳き込みそうになった。
スカートから出ている足が痛い。
突き刺すほどの冷たい風が足にまとわりついて離れない。
痛い。寒い。寒い。痛い。
そんなことを思いながら歩いていると待ち合わせ場所である神社にたどり着いた。
まだ、心の準備が………
フゥーっとゆっくり深呼吸をして、神社の鳥居を抜ける。するとそこには、立って誰かを待つ男の子の姿があった。そして、その姿をわたしは知っている。
「……み、深月」
小さく呟いたその声は彼に届いてない。
立ち尽くすわたしにようやく気づいた彼は、大きく手を挙げこう呼んだ。
「おはよ。明里」
あの頃と変わらないその声で、あの頃と変わらない優しい眼差しで、わたしを見つけてくれる。
──ああ…。ほんとに会えた。本物の、実物の深月に。あれほど会いたいと願った深月に会うことができたんだ…。
もう二度と会うことのできない人へ会うことができた喜びと、溢れてきそうな涙を、グっと堪える。
黙ったまま静かに立ち尽くす、わたしの元に駆け寄る深月。
「今日すっごい寒いな。明里、すでに寒くて限界だろ?」
そう言って、ニカっと笑う。
「寒い、よね。…スカートだと尚更だよ」
「女子はそれ可哀想だよな。男はズボンだからまだマシだけどさー…って明里、マフラーは?」
「……え?」
深月に言われて自分の首元を確認する。と、当然のように巻いてあるはずのマフラーが見当たらない。
……なるほど。だからこんなに寒いわけだ。
「ったく。明里ってドジっ子だよな」
そう言いながらクスクス笑っているけど、自分のマフラーを外して「ほら」そう言ってわたしの首元に灰色のマフラーを巻いてくれる。
「……あり、がとう」
照れくさくて小さくなる声。
聞き逃してしまいそうなほどの声だったのに深月はそれをしっかりと聞き取って「ん!」と、優しく頭を撫でた。
あの頃に本当に戻ったみたい。
懐かしい記憶と、忘れていた感情。
それを少しだけ取り戻せたというか、思い出した方に近いかもしれない。
この心地よい深月の隣が。
あの頃からわたしの居場所だった。
「いつもに比べて明里、静かだな」
「…え? そ、そう? 」
「うん。なんか、若干雰囲気変わった?」
「そ、んなこと、ないと思うけど…」
「だよなぁ。だって1日しか経ってないのにおかしいよな」
深月の中ではわたしとの空白の時間が、たった1日しかないという。
その1日で雰囲気が変わったというのはどうもおかしな話で。
と、なると、やっぱりわたし自身が過去に戻ってきているということは事実みたい。
「でも、なんて言うか……落ち着いた? いや、うん。冷静っていうか物静かになったというか。……悪い。なんでもないや」
と、頭をガシガシとかいてその話を止める。
自分では「高校二年」のわたしを演じているはずなんだけど、深月に会えた嬉しさと動揺で、まだ「大学二年」のわたしが中心にいるような感じ。
だって、二度と会えない人に今会えているわけだから動揺するのは当たり前だし……
雰囲気も違って当たり前だ。
でも、ここにいる間はなるべくそれらしくしていないと、少しでも違和感があったり周りに気づかれたりでもしたらわたしがいる三年後の世界に影響を受けてしまう可能性もあるかもしれない。
そうしたら矛盾点が起こっておかしくなってしまいそう。
「明里? ボーっとしてるけど大丈夫か?」
「う、うん。大丈夫!」
笑って誤魔化した。
「この寒さでやられたかと思った」
「雪降るっぽいもんね」
「いいじゃん、雪」
「な、なんで?」
「昼休み雪合戦とかかまくら作ったりできるじゃん。それにほら、明里と雪だるま作れる」
「な? 楽しそうだろ? 」そう言って、わたしに視線を向けてくる深月。
「まぁ……楽しそう、だけど」
「だろ? 雪降ったら雪だるま作ろうな」
「それ、もう決定なの?」
「そ。決定!」
「わたしに拒否権はあるでしょ」
「ないない。そんなものあったら困る」
深月は、こういう人だった。
自分がやりたいと思った事や楽しそうなものは進んで自らする方で、いつもそれに付き合わされていた。──と言うよりは深月と一緒にする事なら何だって楽しく思えたんだ。
それが嫌だとか面倒くさいとか思ったことなんて一度もなかった。
むしろ、楽しいでいっぱいだった。
わたしの思い出の中には必ず深月がいて、たくさんの時間を一緒に過ごしていたんだ。
「雪だるま作ったらそれ写真に撮りたいな。なんかさ、記念になるものは全部残しておきたいじゃん!」
「…くだらない写真でも?」
「雪だるまはくだらなくないっつーの!」
「…ふふっ。深月、さっきから雪だるま雪だるまって。取り憑かれてるみたい」
わたしがそう言うと、ムスっと頬を膨らませてみせるけど、実際は怒ってなんかないってこと知ってる。
こういう時は照れ隠しの方が多い。
だから、きっと今も──…
「なんか俺、ガキみたいじゃん」
そう呟く深月の髪の毛の隙間から微かに見えた耳が真っ赤に染まっていた。
だけど外はこれだけ寒くて寒さのせいなのか照れてるせいなのかどちらなのか分からなかったけど、多分両方なんじゃないかな。
「…今は、こっち見んのなし」
深月の一つ一つの仕草が、話し方が、そのどれもが懐かしくて、ギューっと胸を締め付ける。
ツン…と喉の奥が苦しくなって、また、少しだけ泣いてしまいそうだった。
* * *
学校へ着くとクラスメートが次々と「おはよ」と声をかけてくる。
久しぶりにクラスメートの顔を見た気がして、その懐かしさにまた物思いにふけってしまいそうになる。
深月が亡くなったあの日から、わたしは学校を休みがちになって卒業できるか分からないといった状態だった。
だから今こうして大学へ行けてるのも奇跡に近いんだけど……
「明里、おはよー!」
その声とともにドンっと、わたしに軽くぶつかってきたのは友達のあずさ。
この頃から、あずさはわたしをずっと支えてくれている。
「二人ってさ、仲良すぎ。妬けちゃう!」
「わたしと深月?」
「そうそう! わたしの友達とられちゃった気分になる! あ、でもね、やっぱり二人見てると幸せな気持ちにもなるの」
「それ、矛盾してない?」
「いいの! ちょ、笑わないでよー!」
あずさと久しぶりに笑いあったのはいつ振りだろう……?
思い出してみようとしても全然出てこなくて、ここ最近は心から笑ったことがほとんどなかったことに気がついた。
「お。コバ、おはよ」
「ったく。シロは朝から元気だなぁ」
深月のことを“シロ”と呼ぶのは小林翔太くん。深月の中学からの親友みたい。
で、どうして深月をそう呼ぶのかといえば、「真白」だから。
小林くん曰く、愛称としてそう呼んでいるらしい。
普通なら名前で呼びあったりするものなのに、わざわざ名字で、しかも真白の「マ」だけを取って「シロ」って。
たった三文字の名字を一文字取るあたりがちょっと…いや、だいぶ、わたしには理解できない。
「そういえば明里ってどうやって真白くんと仲良くなったんだっけ?」
突拍子もなく、あずさがそんなことを聞いてきて、わたしは何とも間抜けな声を漏らした。
「そのあたりわたし詳しく知らないからさ。いつのまにか仲良くなってたから ん!? ってびっくりしたよ 」
「仲良くなったキッカケ、かぁ……」
「今更聞くなって感じかもしれないけど急に気になりだしたの!」
「なにそれ」
「突然知りたくなることってあるでしょ?」と、あずさは身を乗り出してきた。
「ほら。先生来る前に教えてよ」
「え? ちょっと待って、思い出すから」
「え!? そこから?」
この頃のわたしからすればたった一年前の記憶であっても「大学二年」のわたしからすれば、それはもう四年前の話になる。
つまり、どうやって仲よくなったのか思い出す必要があるわけなんだけど……
──四年前。
高校に入学してまだ二週間くらいしか経ってなかった当時。
偶然にも深月と席が隣同士だった。その時はまだあいさつを交わす程度。
けど、数学の授業で小テストがあり、その時隣同士で採点は交換してやることになっていて、その時わたしの名前を見た深月がコソっと先生に気づかれないようにこう言ったんだ。
「成海明里さんと俺、仲間だね」
そう言ってニコリと笑った深月。
その時はよく分からなくて謎の疑問だけが残って自分の中で消化不良となった。
だから授業終わりにもう一度聞いてみた。
そしたら深月は。
「成海明里さんと俺、真白深月。ほら、同じ文字が一つだけあるじゃん」
「同じ、文字…?」
「そうそう。ほら、これ」
そう言って指差したその先は──…
「……月?」
「そう! ね? 仲間でしょ!」
なんだか、それがすごく印象的で、その場で思わずクスっと笑ってしまった。
男の子って少し苦手意識があったけど、男子高校生がこんなくだらなくて可愛らしいことを言うものだから、この時から深月だけは大丈夫だと思えるようになった。
──ああ。思い出すと、やっぱり懐かしくて、開花する花のように一気に記憶が浮かんでくる。
遠い遠い昔の、記憶が蘇る。
「──かり、明里!」
あずさの声で我に返ると、ものすごく近くにあずさの顔があった。
「今一瞬どっか飛んでた?」
「え? あー…、いや。ちょっと思い出してただけだから」
「仲よくなったキッカケ?」
「そ、そうそう」
「で、思い出した?」
「うん。思い出したけど、ほんとびっくりするくらいくだらないよ」
もちろんわたしにとってこれもかけがえのない大切な思い出のうちの一つだけど。
「ほら、わたしの名前の明里に“月”って文字があるでしょ?」
「うん、ある」
「で、深月にも“月”がある」
コクン、コクンと二度頷くあずさ。
「二人とも同じ月があるから『俺たち仲間だね』って言われたの。しかもそれ、数学の小テストの時」
「え、それほんとに高校生の言葉?」
「って思うよね。なんかさ、あの時の深月が可愛らしく思えて」
クスっと、また笑ってしまった。
何度思い出しても可愛らしい記憶。
きっとこれがなかったらわたしたちまだ話すことだってしてなかったかもしれないって思うと、このキッカケがあったらからこその出会いなんじゃないかなって思う。
「…あ。」と、あずさが固まる。
その表情はまるで“やばい”と言っているようなもので。
「何が、可愛いって?」
わたしのすぐ後ろから聞こえてきた声。
もちろん振り向かなくても誰の声なのか、わたしにはすぐ分かる。
「今、俺の話してただろ」
「み、深月…」
「ったく。そういうのは当人がいないところで話すだろ、普通は。…まぁ、別にそれは怒ってないんだけど…」
「けど、なに?」
「あん時、そんなこと思ってたのか!? 男に対して“可愛らしい”って。それ、褒め言葉じゃないからな!? 」
深月の言葉を聞いてわたしの隣でクスっと笑うあずさと、いつのまにか来ていた小林くんまでも笑ってた。
「別に思うだけは人の自由じゃん」
「そうだけど! 一年前のことを掘り返されると、なんか恥ずかしいし照れんじゃん。そんな言ったこと、もう忘れろよなぁ」
忘れろよ、って言われてもさぁ……
「わたしの中では結構記憶に残る思い出というか…、なんか、それ聞いて男の子でもこういう人いるんだなって。大丈夫かもって思えるようになったの」
「明里、男の子苦手だったもんね」
「あー、やっぱ? なんかそんな感じした」
あずさと小林くんまでも会話に加わり、結果四人で一年前の出来事を掘り返す始末。
わたしにとっては四年も前の出来事だけど。
「…あの大したことない、俺がくだらないこと言ってるのでも明里にとっては大切な思い出なのか? 」
どうしてそんなこと聞くの? そう思ったけど、わたしは当然のように頷いた。
「あ、当たり前じゃん。あのやり取りがなかったらわたしたちまだ話してないかもしれないんだよ? あのキッカケがあったから今があるんだと思うんだ」
──そう。今があるのは奇跡みたいなこと。
くだらないことなんて一つもない。小さなことでも、それは全部大切な思い出であり記憶なんだ。
過去に戻ってきてしまっているわたしからすればその思いはとても大きくて、一日一日をもっともっと大切に過ごしていかなければいけないって強く思う。
失ってからでは遅いから。
言いたいこと言えないまま後悔するはめになるのは、もう嫌だから。
あの頃、言えないままだったこと。
ちゃんと言いたい。
もう二度と後悔しないために──…
「いや〜、なんか朝っぱらから惚気聞いた気分なんだけど」
「あ、それわたしも!」
結局最後は、あずさたちに茶化された感じで終わり、そのあとすぐに担任の先生がやって来てHRが始まった。
* * *
お昼休み。
幸せそうに購買の数量限定のクリームパンを頬張るあずさ。
「今年わたしたち受験生になるんだね。明里はもう進路決めた?」
「う、うん。一応」
「飛鳥大学だったよね? じゃあ、わたしたち同じ大学受験するんだね! よかったぁ。明里もいたら安心。絶対楽しいね」
あずさは満面の笑みで喜んでいる。
遠くの景色を眺めながら大学生活を思い出す。
浮かび上がるのは深月がいなくなったという現実を受け止めることができないわたし。
そして感情を無くしたみたいに、色を忘れたみたいにロボットのように与えられた日々をただ黙々と過ごしているだけだ。
そしてあずさもまた、わたしを心配するあまり心の底からは楽しめていないといった表情をしていた。
「──明里! 」
「……え? どう、したの?」
「またボーっとしてたけどほんとに大丈夫? 何か悩み事でもある? 」
「う、ううん。なんでもないの」
「そう? ならいいの」
この場の雰囲気をなんとかしなくては。そう思ったわたしは無理に笑って「あずさなら飛鳥大学 余裕で受かるね!」と、言った。
これ以上心配をかけないように。
これ以上同じ後悔を繰り返さないために。
「何の話してんの?」
パンがたくさん入った袋をぶら下げながら帰って来た深月と小林くん。
「進路の話」と、あずさが答えると「俺も混ぜて!」そう言って椅子に座ってパンを食べ始める小林くん。
「もう決まってんの?」
「わたしと明里は飛鳥大学だよ」
「あ、じゃあ俺も仲間だ」
わたしの左隣に座る深月が言った。
あの時と同じように進路の話になったのも全く同じだった。
だから知ってる。深月がわたしたちと同じ大学へ行くってこと聞いていたから。
聞くのは、これで二度目になる。
──でも、それが叶うことはなかった。ここにいる三人は知らない。知っているのは、たった一人。わたしだけ。
「明里と同じ大学に行きたかったから?」
突拍子もなくあずさがそう言った。
「いや、まぁ、もちろんそれもあるけど…、家からそこの大学が一番近いから」
あの時も深月は同じことを言っていた。
その胸の奥の方に家族を大切にしている深月だからこその思いが隠されていることをわたしは知っている。
「ふーん。じゃあ離れんのは俺だけかぁ。中学からシロとは同じだったから若干寂しくなるな」
「そんなこと思ってないだろ」
「いや思ってる! まじで! シロとは中学の時だってほとんど一緒にいたんだぜ?」
あずさが二人のやり取りを見て「あのさー」と、話し出す。
「小林くんは、どうして真白くんのことシロって呼ぶの?」
「は? 話、とびすぎじゃね? 」
「いや、だって気になるんだもん!」
バンっ、と机の上を叩いて立ち上がる。
「まぁ。別に話してもいいけど」そう言って、わざとらしく咳払いをする小林くん。
「真白って名字わりと珍しいじゃん? でも、そこをそのまま呼んでも面白くないし。俺が小林で『コバ』って呼ばれてるから、俺も二文字で呼べるやつがいいなーって思ったわけよ。」
「…だから、シロってこと?」
「そ!」
「まぁ、でも…」そう言って、チラっと一瞬、深月を見た小林くん。
「初めは名前で呼んでたんだけどさー、シロに止められたんだよねぇ」
「止められた?」
「そ。ほら、みずきって女の子に間違えられるじゃん? だから名前では呼ぶな! って中学ん時に言われたんだよね」
「ちょ、それ言わない約束だろ! 」
ガタっと椅子を立ち上がり小林くんに詰め寄る深月の顔は、かなり赤かった。
あの時は、この話題はなかった。
だからわたしもそれを知らない。
まさかシロと呼ぶ、その深い意味を今、初めて知ることになるなんて。
あの時と全く同じ会話が繰り返されると思っていたけど、そういうわけではない…?
それとも「過去」が変わった…?
「明里だけが名前で呼んでるって。もう、これ特別すぎるでしょ! ラブラブだなぁ! 」
「ちょ、あずさ!? 」
焦るわたしを見てニヤリと笑うあずさ。
たった数分前までは進路の話をしていて、ああ、あの時と同じだなぁって懐かしく思って聞いていたのに…
どういうわけか、今は全く進路に関係のない話で盛り上がっている。
三人の顔はとても明るかった。
楽しそうに笑う姿が広がっている。
それがなんだか眩しくて、そして嬉しくて、また涙が溢れそうになった。
この幸せがずっと続いてほしいと思うのに、この幸せは「大学二年」のわたしが住んでる世界にはない。
キラキラと輝く青春があともう少しで終わりを迎えようとしていること、三人は知らない。
それをどうにか変えたい。
深月にこれからも笑っていてほしい。
亡くなった人を蘇らせることは不可能だけど、過去に戻っている今なら、もしかしたらそれができるんじゃないかと願ってしまうんだ──…
* * *
「明里、帰ろう」
「あ、うん!」
鞄の中に荷物を詰めるわたし。
目の前にいる深月が、未だ信じられない。朝も一緒にいたしお昼休みも一緒にいたのに…と、無意識のうちに深月を見てしまってた。
「俺の顔になんかついてる?」
「え!? …あ、いや。なにも!それより帰ろう!」
そう言ってその場を何とか気に抜けようと、慌てて鞄を持つ。
……ダメだ。深月がいることに、まだ慣れない。たくさん話してるのに、それでもまだその存在がわたしだけが見えている幻想にすぎないんじゃないかって思ってしまう。
過去に戻ってきていることを一瞬忘れてしまいそうになる…。
「明里。ほら、これ」
そう言ってマフラーを渡そうとする深月。
「外、寒いから」
「そ、それじゃあ深月が風邪ひく! 朝だって借りちゃったし。 …放課後まで借りたら絶対深月風邪ひく! 」
「俺より明里が心配なんだって」
「わたしは深月が心配…!」
不意に視界に入った購買横の自販機。
そこで何か温かい飲み物でも買ってカイロ代わりにしよう、と勝手に決めて鞄から財布を取り出そうとした──…
「あ、やば。ごめん深月! 忘れ物したから取りに行って来る!」
「俺も行こうか?」
「ううん、大丈夫! ここで待ってて!」
教室に戻るとすでにクラスメートは残っていなくて、二つの鞄だけが置かれていた。
きっと、委員長と副委員長の鞄だろう。
「あ、あった。」
机の中を覗くと、ポツンと取り残されているスマホがあった。
「……ん? 何、これ」
スマホの下に置かれていた手紙。
今どき、ラブレター? いや、そんなはずないって。三年前を一度経験してるわたしにそんな記憶は残っていない。
だとすると、少し過去が変わってる…?
いや、でも、変わるようなこと何もしてないからおかしい……。
誰かの落とし物を間違えてわたしの席に入れちゃったって可能性もあるだろうし、そもそもこれはわたし宛ではないんじゃないかな。
それ以前にラブレターかどうかも不明。
外側には何も書かれていないから、机の中には入っていたけどわたし宛じゃくて別の誰かかもしれないのに勝手に開けちゃったら申し訳ないだろうし……
「って、それどころじゃない。深月待たせてるんだった…! 」
一旦考えるのを中断して、その手紙を鞄の中に無造作に押し込んだ。
「ご、ごめん! 遅くなっちゃった」
教室から全速力で走って来たせいで、はぁ、はぁ、と息が上がる。
「そんな走って来なくてよかったのに」
「だ、だって…」
校内だからって暖かいわけじゃないし、むしろ購買横は外と近いから寒い風が結構入り込んでくる。
「ん。」と言ったあと、深月が手渡してきたのは温かい紅茶だった。
「外寒いじゃん? これ飲みながらなら少しはマシになると思って」
「ありがとう。…あ、お金!」
「いいってそんくらい」
「で、でも…」
「俺が勝手にしたことだからいいの!」
カチっ、とペットボトルのキャップを開けてミルクティーを飲む深月。
──ああ、懐かしい。深月は甘党で、いつもそれを飲む姿ばかりを見ていた気がする。
見ることのできなかった懐かしい姿。
また、胸がギューっと締めつけられる。
「…わたしが好きなもの、ちゃんと覚えててくれたんだね」
なんだか、それだけで嬉しくて幸せで、胸がいっぱいになる。
「当たり前だろ! 彼女の好きなものとか忘れるわけないじゃん! 」
そう言って、わたしの頭を撫でる。
その大きくて優しい手が、わたしはずーっと大好きだった。
「ってことで、はい。マフラー」
「え!? だからそれはダメだって! 」
「俺がいいって言ってんだからいいの」
「で、でも深月が──…」
その言葉の続きを言うことができなかった。のは、すでに深月がわたしの首元にぐるぐるとマフラーを巻き始めたから。
「俺、体温高いから大丈夫」
ニカっと笑って、そう言った。
ずるい。深月のその笑顔を見るたびに、胸がドキっと高鳴る。
「ああ、でもその代わり…」
そう言って不意にわたしの左手を掴むと、「手は繋いでいいだろ?」と、照れる様子もなくさらりとそう言った。
「み、深月!?」
「明里がマフラー忘れたおかげで手を繋げる口実ができたってことで結果オーライ」
「ま、待って。ここ、明るいし人も通るから…」
左手に繋がれてある手の熱を感じて、さらにドキドキする身体の中。
「うん。でも今、明里と手繋ぎたいから離したくない」
そう言って、ニカッと笑った深月。
初めて話したあの時からずっと深月は、明るかった。
わたしが素直になれない性格を知ってるからなのか、その代わりに深月はとことん真っ直ぐに気持ちを伝えてくれる。
恥ずかしがる様子もなく動じることもなく、嘘偽りのない言葉をわたしにくれる。
だから、わたしばかりがドキドキする。
なのに、そのドキドキすらも心地よくて、深月の隣にいるだけで幸せに感じてしまうのは、それくらいわたしも深月が大好きだってこと。
「過去」のわたしは、なかなかその気持ちを伝えることができなかった。
最後まで。
それを、ずっとずっと後悔してた。
何度も何度も、自分を責めた。
やり直すチャンスをもらったからには同じ後悔をしないために、変わらなきゃいけない。
わたしが。自分自身が。
「大学二年」のわたしが生きている「現在」を、もう二度と見失わないように。
あずさに、幸せになってもらうために。
わたしがわたしらしく生きるために。
* * *
外はかなり寒い。
そのはずなのに暖かく感じるのは、マフラーを巻いているから。
そして、左手に繋がれている深月の手の温もりが、深月の存在が、わたしを温かく包み込んでくれるようだった。
「じゃあ、また明日な! 」
わたしの家の前に着くと、そのまま手を振って帰ろうとする深月。
「あ、ちょっと待って! 」
自分の首元からマフラーを外す。
「これ。ありがとう! おかげで暖かかった!」
「ん。明里を守るのが俺の役目だから!」
「わ、わたしだって同じだよ。…深月を守りたいんだからね!」
そう言ったあと私は照れくさくなって俯くと、「…その不意打ちは反則だろ」と深月の声が聞こえた。
その瞬間、グっと近くなる距離。
“ちゅっ”と頬に軽く触れた。
そして「ここ、外だから。」と言った後に、わたしの唇に人差し指を添えると。
「ここにする時は、二人っきりの時な? 」
照れたわたしは声を出すこともままならくて、コクンと小さく頷いた。
「じゃ、また明日な」
「…送ってくれてありがとう。 深月も、気をつけて帰ってね」
わたしの言葉に振り向くことなく左手を上げて、それに返事をした。
「ところでこれ、何だろう…」
部屋に入って制服を脱いでいる時に思い出した鞄の中身。忘れかけていた手紙がそこには無造作に入っていた。
教科書で挟まれたせいか少しシワがよっているのを見ると、なんだか申し訳なく感じる。
それにしても…
あて名なんてどこにも書いていなくて、表も裏も白紙のただの真っ白な手紙。
わざわざスマホの下に置くくらいだから落ちてたって事はまずないのかな……?
だとすると、やっぱり意図的に誰かがわたしの机の中に…?
「と、とにかく開けてみよう」
手紙を開けると、その中には、たった一枚の便箋が入っていた。
そして便箋の一番上には【成海 明里 さん】と、わたしのフルネームが書かれていた。と、なると、これはやっぱり誰かがわたしに書いたラブレター?
そう思って書き綴られている文字に目を向けてみると──…
「…え? なに、これ……」
【成海 明里 さん】
「過去」に後悔があるあなたの強い思いが、「現在」と「過去」を繋いでいます。
大切な人がいる「現在」を失わないためにも、あなたがあなたらしく生きられるように、「過去」の後悔をやり直す最後のチャンスを与えました。
ですが、あなたは、この世界に7日間しかいることができません。
もう二度と戻ってくることはできません。
大切な人をもう二度と失わないためにも、自分が自分らしくあるためにも、「後悔」のないように過ごしてください。
あなたの人生を、明るい未来にするために前に進んでください。
人は一人では生きられません。
誰かの支えが必要です。
一番近くで支えてくれている人の大切さを、どうか思い出してください───…
「…え? どういう、こと? この手紙はどうやってここに? …それに7日間って? たったそれだけしかこの世界にいられないの? 」
手紙の内容が衝撃的すぎて、それを飲み込むことも嘆くこともできなかった。
「たった、7日間…」
過去に戻ってきていると知ったのが昨日。
そして、もうすぐ今日が終わる。
残された時間は、あと5日間。
さっき家の前で別れた深月と、あと5日しか会うことができないなんて……
「短すぎる、よ……」
会えなかった時間の方がはるかに長い。
そして、元の世界に戻ったら、それはこれからも永遠と続く現実だ。
過去を変えることができるのなら深月の人生を変えたい。
これからもずっと一緒にいたい。
そう思うのに、どうやって変えたらいいのか方法が分からない。
それでも時間は止まってくれないし進んでいくばかりだ。
「…嫌だ。深月とまた会えなくなるのは、もう嫌だよ……っ!」
部屋に響き渡る、切なすぎる感情。
さっきまで幸せな気持ちで深月と過ごしていたのに、身体はこんなにも冷え切っていて、まるで外にでもいるようだった。
誰にも相談することができない。
話してしまえば未来が変わってしまう。
周りを巻き込んでしまう。
「ねぇ、神様。どうかお願いします。 深月を救ってください! …お願い、します…っ」
「過去」に戻りたいとあれほど願って、戻ることができた今。
わたしは、その大きな現実の渦に逆らうことができるのか不安だった。
「過去」を変えることができるのは、三年後から来た自分だけなのに、どうすることもできない自分の無力さが情けなくなる。
神様に願っても無理だってこと知ってる。
自分の運命、こればかりは自分がどうにかしなきゃいけないってことちゃんと分かってる。
強く握ったままの便箋がクシャっ、と微かな音を立てた。
そしてその上に、ポタリ、ポタリと、静かに涙が落ちてゆく───…
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