第2話 懐かしい居場所



「…ただいま。」



家に帰り着くとリビングからお母さんが現れた。



「おかえり。外は寒かったでしょ」


「うん」


「風邪引かないうちにコタツにでも入りなさい。すぐに温かい飲み物用意するわ」



大学生にもなってこの構い用は、少し過保護すぎじゃないかと思ってしまう。

けど、それは仕方ないのかもしれない。


わたしはあの時から光を、希望を、失ってしまったのだから。



「ああ、そうだ。」



そう言ってリビングへ行く前に、わたしの方を振り返りこう続けた。



「今日は明日に備えて早く寝るのよ? 明里は高校二年生なんだから自分の体調くらい管理しなきゃだめよ?」


そう言い残すと、リビングに消えた。



「──え…?」



自分は今、一体何を言われたのかすぐには理解できなかった。



“明里は高校二年生なんだから”


確かに、そう言ったお母さん。



ドクンドクンっ、と恐怖が襲うような感覚の鼓動を抑えながら二階へ駆け上がる。


ドアを思い切り開けて、鏡の前で自分の姿を確認する。──と、ついさっきまで外を歩いていた自分、現在を生きていたはずの自分とは違う姿が、鏡の向こうには映されていた。



「ど、どういう事……?」



混乱する頭の中。


鏡の前の自分を見ても受け入れることができず、ましてや理解することもできず、この状況をどう解釈すればいいのか今のわたしには無理な事。



「さっきまでは大学二年のわたしだったのに、どうして黒髪に戻ってるの…?」



あり得ない現実。

起こりうるはずがない現実。


それが今、目の前で、自分の周りで起きているわけだ。



お母さんがおかしくなっているわけではない。


今日までお母さんはいつも通りだった。



わたしがさっきまで生活していた「現在」と「今」が同じ時間軸ならば、の話だ。



──でも、さっきの話ではまるで違う。


だとすると、これは………



「過去に…、戻ってる……?」



容易な想像をしているって分かる。くだらない夢か何かにすぎないって思ってる。それなのに、頬をつねっても頭を叩いてみても目覚める様子のない自分は、おそらく夢ではないということ。



──つまり、わたしはどういうワケか過去にタイムリープしてきているということになる。



「…でも、どうやって? どうやって過去に戻ってきたの? 方法は? 」



鏡の前の自分に問いかけてみても当然答えなんて出てくるはずない。



「意味が、分からない…」



大学二年のわたしが、今いるところは高校二年の自分の居場所で。


三年前に戻ってるってこと。



じゃあ、もしかして…


彼は、生きてるってことになる……?


じゃあ、わたしは──…



「会える、の……?」



何度も会いたいと願ったあの人に。



鏡に映る「高校二年」の自分の瞳からは、いつのまにか溢れた涙が頬を伝っていた。



何度も願った。過去に戻りたい、と。


何度も願った。きみに会いたい、と。



三年もの間、ずっとずっと願った。


それが叶う日が来るとは思っていなかった。


だって無理だと分かっていたから。知っていたから。そんなこと、ずっと理解してた。



だけど、会いたい想いは変わらなかった。


例え、命を落としたとしても。命に代えてでも過去に戻りたいと願っていたから。



どうして今のタイミングで過去に戻っているのかは分からない。説明できそうにもないし理解できそうにもない。


でも、それでもいいと思った。


きみに会えるなら、それだけでいい。



理由なんていらない。


会えるという現実だけあればいい。



大学二年のわたしが生きているあの場所へどうやって帰ればいいのか、帰る方法すら分からないけど、今は、目の前の現実だけでよかった。


会ってそれから考えたらいい。



三年間、ずっと苦しかった。後悔してた。自分を何度も責めた。

それでも何も変わることはなく、苦しい現実だけがわたしを待っていた。


そんな世界から抜け出して、今、少しだけ感情が戻ったような気がした。



* * *



頬に伝った涙を袖で拭って、泣いたことが気づかれないように洗面所で顔を洗いリビングへ向かう。



「さっきは慌ててどうしたの?」


「なんでもない」


「そう? それよりココア入れてあるわよ」


「…うん。ありがと」



そう言ってわたしはココアを飲んだ。


どことなく懐かしい味がして、凍った心を少しだけ溶かしてくれるようだった。



「それより明里。あなたコンビニには寄らなかったの?」


「え?」


「え?って…シャーペンの芯がないから買いに行くって。だったらついでに肉まんでも買ってこようかなって言ってたじゃない」



お母さんは高校二年のわたしに接している。


でも、実際は大学生なんだけど……って、そんなこと言えるはずもなくて困惑する自分。



「……う、売り切れてたの」



苦し紛れの言い訳をする。



「どっちも売り切れてたの? そんなことってあるの?」


不思議そうにしながらもおかしそうに笑った、お母さん。



「この時期は肉まん売り切れるらしいよ。それにね、シャーペンの芯も今日はたまたま売り切れたみたい」


「まぁ、寒いと温かい物食べたくなっちゃうものよね」


「そ、そうなの!」



最後は笑って誤魔化した。



「せっかく寒い中歩いて行ったのにそれは残念だったわねぇ…」


「う、ううん! 全然大丈夫! むしろ少し暖かかったくらいだよ」



……そんなはずはない。外はとてつもない寒さだった。



「そ、それにほら。わたし体温高いじゃん? だから大丈夫!」


「ふふふっ。確かにそうね、明里は小さな子供みたいな体温だから寒さは平気かもねぇ」


「こ、子供って…わたしもう、だい……高校生だよ!」


「高校生もまだまだ子供よ?」



そう言って、ふふふっと笑うお母さん。



………危なかった。


今、当たり前のように大学生って言おうとした自分がいた。


無意識って恐ろしい……。


気をつけないと深月やあずさの前でもポロっと大学生って言ってしまいそう。



……それよりも、この現実に驚いているというか、もう何というか頭がパンク寸前だ。



でも、この世界ですることは決まっている。


お母さんの前でわたしは「高校二年」の自分を演じること。


中身が「大学二年」のわたしなんて気づくはずがないし、普通に生きていたらそんなことを考えるはずがないから──…。



「明日も待ち合わせしてるんでしょ?」


「え…?」


「あら。もう忘れたの? 今日の朝言ってたじゃない。明日も朝、あの神社で彼と待ち合わせして学校へ行くって」


「…あ、ああ。うん、そうなの」


「外を歩いてたら忘れちゃったのかしら」


「……それくらい寒かったからね」


「あら? さっき暖かいくらいって言ってたじゃない。おかしな子ねぇ」


「あ、いや…え、っと……」



……ダメだ。まともな答えが全く浮かんでこない。



「まぁ、でも風邪には気をつけなさいよ?」


そう言って、お母さんもココアを飲んだ。



……助かったみたいで胸をなでおろす。



それにしても、すでに懐かしい。


懐かしい記憶が蘇ってくる。



毎朝必ずあの神社で待ち合わせをして一緒に登校するのが日課になっていた。


それをわたしは思い出すこともなくなってきて、最近のわたしは楽しかった思い出、嬉しかったこと。全て思い出さないように頭が拒否していた。



だから、すごくすごく懐かしい。


また、あの日常を過ごすことができる。



「……嬉しいなぁ」


「ん? 明里、何か言った?」


「…な、なんでもない」


「なんだかそればっかりねぇ」



あの頃を繰り返しているわけじゃない会話。


あの頃と同じ感情ではない自分。



懐かしくて、久しぶりで、そしてこの温かい居心地のいい場所がわたしにとってはかけがえのない居場所だったことを、


何年振りに思い出しただろうか──…


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る