火のない所に虚ろの煙は立つ

たれねこ

火のない所に虚ろの煙は立つ

「ねえ、知ってる?」

「何のこと?」


 横断歩道の信号待ちのために足を止めると、先に信号待ちをしていた制服姿の女子高生二人組の話が聞こえてきた。


「この横断歩道で前に人が殺されたことがあるって話」

「なに、それ? こわーい」

「ねえ、信じてないでしょ? でも、本当のことなんだよ。その証拠にほら」


 そう言って、女子高生の一人は横断歩道を渡った先にある電柱を指差す。


「あそこ、花が供えられてるでしょ?」

「ほんとだ。でも、事故かもしれないじゃない」

「ううん。けっこう前に女の人が殺されたんだって。ストーカーに刺されたらしいよ」

「まじで?」

「うん。その刺された人の恋人が今でも花を供えてるんだって」

「そうなんだ。死んでも愛されるって、ちょっと羨ましいかも」


 信号が変わり、横断歩道を渡りながらも、なお噂話は続いているようだった。


「でもね、犯人はまだ捕まってないんだって」


 そのことを聞かされた女の子は一瞬立ち止まり、言葉を失うもまたすぐに歩き出す。


「それでね、時々出るんだって――」

「なにが? もしかして、不審者?」

「ううん。殺された女の人の幽霊。でね、恨みを晴らすために犯人を探してるんじゃないかって」

「さすがにそれは嘘でしょ?」

「それが本当なんだって。近くの大学にお姉ちゃんが通ってるんだけどね、夜遅くにここで血まみれの女の人を見かけたとか、襲われた人がいるとか、大学内でもちょっとした噂になってるんだって」

「なんか怖いね」


 横断歩道を渡り終えると、その女子高生たちとは別の方に向かうことになった。噂話が好きな女子高生の話をもっと聞いていたいが、これ以上聞き耳を立てるために付いて行けば、不審者扱いを受けかねないので諦めることにした。

 そして、聞いたばかりの話を忘れないように頭の中で反芻はんすうさせながら、元々向かっていた場所へ急いだ。



「――というわけなんすよ、石榑いしぐれ先輩!」


 石榑の部屋に着くなり、聞いたばかりの噂話をしっかりと伝える。そして、鞄の中から数枚の紙をクリップで留めたものを取りだし、手渡した。


「そして、これが定期報告っす。オカ研OBでゼミで怪異の研究をしている先輩なら、何か分かるっすか?」


 石榑は受け取った紙に目を通しながら、数度頷いている。石榑は俺がキャンパス内で喋りかけるといつも迷惑そうな表情を浮かべるのに、このときばかりは楽しそうでとても集中している。やはりこの人も怪異とか不思議なものが好きなのだろう。


「ありがとな、鹿島かしま。あとな、何度も言うけど、俺はオカ研に所属したことなんて一秒たりともないからな。完全な部外者だ」

「そうなんすか? それにしても、前部長の相生あいおい先輩とよく一緒にいるっすよね? オカ研の飲み会の場にもいましたし」

「相生とはゼミが一緒なだけだ。大学で知り合って、お互いに怪異とかに興味あるって分かってからウザがらみされてるだけだ」

「つまり、仲がいいんすよね?」

「残念ながらな」


 石榑は深いため息をついた後、再度渡した紙に目を落とした。そして、近くに置いていたファイルからこれまでに報告で受け取った紙を取りだし、それをテーブルに広げ検討を始めた。


「なあ、明らかに目撃情報が増えてると思わないか? この女の幽霊」

「言われてみれば確かにそうっすね。SNSの方では、ここ一、二ヶ月で特に増えた気がするっす」

「それで鹿島。誰か写真や動画でこの幽霊を撮影できたやつはいないのか?」

「いないっすね。やっぱり遭遇すれば気が動転して、逃げることを優先するんじゃないっすか? たまに肝試しや興味本位で調べるヤツもいるみたいなんすけど、不思議なことにその時のことは覚えてなかったりするみたいなんすよ」

「それは幽霊に会ったら記憶を失うってことか? いや、そうなら目撃情報なんて出てこないはずだよな。じゃあ、幽霊に会って、逃げないと襲われて、記憶を失うのか? そんな都合のいいこと……でも、怪異なんて、そんな理不尽や説明のつかないことの塊みたいな存在だし、ありえるのかもしれない」


 石榑はぶつぶつとひとり言を呟き始める。オカルト研究会の面々に色よい報告ができそうで、そのひとり言に聞き耳を立てる。

 オカ研の活動の一環で、普段から学食やなんかで変わった噂話を収集するために身についたあまり褒められない特技だが、こういうときに役に立つ。おかげで、相生先輩に重宝され、石榑先輩の部屋に入り浸るのを許されるくらいには認められているのだと思いたい。


「そろそろかもな……」

「何がそろそろなんすか?」


 石榑は口の端を釣り上げて、ニヤリと笑う。


「実地調査だよ。本当に女の幽霊が出るかを確かめるんだ。もちろん出会ったら即逃げる。貴重な調査の記憶を失うなんて嫌だからな」

「先輩……?」

「もちろんお前も手伝えよな、鹿島」

「で、ですよね……」


 思わずため息を漏らす俺を気にする素振りすら見せず、石榑は夕暮れ時の窓の外を見ながら、心底楽しそうな表情を浮かべていた。

 それから、石榑の家で夜までのんびりと過ごし、十一時を過ぎた頃合に石榑の家から歩いて数分もかからない、あの横断歩道にやってきた。

 もともと街灯のない場所のせいか、とても暗く感じた。また、この時間になると人も車もほぼ通らない。そのため、信号は黄色の点滅信号に変わり、辺りを不気味に薄っすらと明滅させていた。

 その明るい時間帯にはなんとも思わない横断歩道周辺を少し離れたところから観察した。

 日付はとうに変わり、これまで片手で数えれるほどの車と人が通り過ぎるのをただ見つめただけで、そろそろ帰りたくなってきた。そのとき、信号がフッと暗くなった一瞬で横断歩道の真ん中に女性の人影が現れた。そのことに驚いて、目を離せずにいると、次の明滅のタイミングで人影がこちらに視線を向けているのを直感的に感じ、背筋が凍り付く。そして、それから数度の明滅が繰り返され、横断歩道からこちらに明らかに近づいてきていることに気付いた。


「先輩……あれって……」

「ああ、そうだ。鹿島、走れ! 逃げるぞ!」

「はいっす!」


 そう返事をすると石榑と二人して真夜中の暗闇の中を全力疾走し、石榑の部屋に駆け込んだ。

 部屋の中に入ると安心したのか足に力が入らず、ぺたりと座り込んでしまった。首筋から背中にかけて寒気がひどく、手足は恐怖で震えていた。同時にオカ研部員として、怪異との接近遭遇に興奮している自分もいて、鼓動が驚くほど速くなっているのを全身で感じていた。

 石榑に目を向けると、こぶしを強く握りしめ、ガッツポーズをしていた。


「やった……やったぞ。俺の理論は間違ってなかった」

「石榑先輩……?」

「鹿島、お前も女の幽霊らしきものを見たよな?」

「はい、はっきりと」


 石榑は今までに見たこともないほど、嬉しそうで達成感に満ちた表情をしていた。


「先輩は怖くないんすか?」

「なんで怖がる必要がある? あれは、“俺が作った怪異”だ」

「先輩が作った?」

「そうだ。相生は近現代の怪奇譚かいきたんと古くから伝わる怪奇譚を比較して、現代の怪異を研究していたが、俺は違う。俺はいにしえの怪異を研究し、それを現代風に解釈し直すという手法で怪異そのものに迫ろうと考えたんだ」


 石榑が何を言っているのか理解できなかった。


「鹿島、怪異ってのはな、科学や知識で説明できないことの原因を得体のしれないものに求めた結果、生まれたものなんだ。それが人づてに伝わり、話が大きくなり怪奇譚になる。つまり、元を辿れば単なる噂話なんだよ。だから、俺は怪異を作れると思ったんだ」

「それって、どういう……?」


 石榑は興奮冷めやらぬというまま、何をしたのか説明してくれた。

 石榑の計画は二年半前にさかのぼる。まず、夜中に誰にも見つからないように横断歩道近くの歩道に血糊ちのりを使って、それらしい血痕と血だまりを掃除した痕を作った。数日後、横断歩道脇の電柱に花を供えた。それからしばらくは月一回程度の割合で花を供えていたそうだ。

 あとは横断歩道近くや大学などで、周りに人がいるタイミングで数度「横断歩道で女の人が刺されたらしい」と一緒にいた友人に話しただけで、あとは何もせずに見守っていたそうだ。

 すると不思議なことに、自分以外にも花など供え物をする人が現れ、噂話はゆっくりと確実に拡散していった。その過程で事件のストーリーが出来上がり、夜中に幽霊を見たと目撃情報まで出始めたそうだ。

 その経過を石榑はオカルト研究会を使い、ずっとモニターしていたそうで、今日ついに怪異を直接見ることが叶ったのだと言う。


「なんで、そんなことを……」

「俺はな、オカ研や相生みたいに、怪異譚を調べるだけで満足はできないんだ」

「だからって、怪異を作るだなんて……あの女の幽霊はどうなるんすか?」

「さあな。だけど、見守るだけさ。俺にとってあれ以上に価値のある存在はないしな。お前もそう思うだろう?」


 石榑は同意を求めてくる。たしかに、怪異を間近で見れたという経験は貴重だ。しかし、俺は怪異は正体が分からないということにロマンや価値があると思っている。

 だけど、石榑のやり方は、枯れ尾花を幽霊と誤認させるやり方に過ぎない。それなら幽霊の正体が枯れ尾花ではなく、スイートアリッサムでもよかったはずだ。その方が優美でより価値があるようにさえ思える。


「――そうですね。先輩、明日もよかったら実地調査しに行かないっすか? そうすれば、もっと色濃く怪異が根付いて広がるヒントが見つかるかもしれないっすよ?」

「鹿島にしてはいい提案だな」

「ありがとうございます、先輩――」



***



「ねえ、知ってる?」

「なんのこと?」


 大学の講義室で斜め後ろに座る女生徒の話し声が聞こえてくる。


「横断歩道の幽霊の話」

「ああ、知ってる、知ってる。それで?」

「あの、横断歩道の幽霊に刺されて殺された被害者、うちの大学の四年生の人なんだって」

「そうなの? なんか怖いから、夜は通らないようにしよ」

「だねー」


 そんな噂話に聞き耳を立てながら、ネットで『横断歩道の幽霊』にまつわるニュースや書き込みを眺める。

 一ヶ月前、深夜に横断歩道の真ん中でめった刺しで殺された男性の遺体が発見された。犯人、凶器ともに見つかっておらず、今なお捜査が続いている。しかし、現場が元々幽霊が出て、人を襲うと噂になっていたいわくつきの場所だったことから、ネットを中心に飛躍的に拡散し、今では全国区の怪異譚となっていた。


「さすがっすね、先輩。先輩の理論は正しかったみたいっす」


 そう呟いて、初めてあの怪異と遭遇した時の恐怖を思い出す。そして、その翌日の夜に石榑は亡くなった。俺も親交のある身近な人物ということで警察に話を聞かれたが、その日は早くに寝たのか夜中の記憶が全くなかった。


「今の方がより怪異らしくなったと思いませんか、先輩? これからは先輩の代わりに、俺が先輩の怪異を見守るっすよ」

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