はじめましての距離

増田朋美

はじめましての距離

はじめましての距離

今年はもう春になったというか、春を通り越して初夏が一気にやってきたような、陽気になった。もう外へ出たり、車の中では暑い暑いとみんながいっている。

実は洋服は確かに暑いのであるが、着物であれば意外に涼しいということを、ご存じだろうか。こんな暑い時に、着物なんてと思われる人が大半だと思われるが、袖口から身八つ口へ風が抜けるときの涼しさは、洋服には絶対真似できない涼しさである。

今日も何だか暑いくらいで、春というより初夏のような気候であったけれど、杉ちゃんを初めとして、着物を愛好する人たちは、着物姿で涼しんでいた。杉ちゃんも、着物を商売としているカールおじさんも、やっぱり着物を着ていると涼しいね、なんて言い合っていた。こういう便利なものがあるんだから、日本人はもっとそれを大事にしてもらいたいね、などとカールさんはつぶやいていたのであるが、

突然、店についていたカウベルが、カランコロンとなった。ということはつまり、お客さんが来店したということだ。二人が店の入り口のドアを見ると、客は中年の女性と、まだ若い女性であった。顔つきに何処か似ているところがあったから、多分親子とみて間違いなかった。

「あの、すみません。娘に着せる着物を探しているのですが。」

母親のほうが、カールおじさんに尋ねた。

「はい、着物と言っても、なにがご入用でしょうか。小紋ですか?それとも、訪問着ですか?」

カールおじさんがそう聞くと、

「はい。お箏を習うことになりまして、その時に着用したいというものですから。」

と、お母さんは答えた。

「分かりました。お箏教室と言えば、伝統的には色無地か江戸小紋ということになっております。もちろん、今の先生は、好きなもので来ていいという方も多いですけど。伝統にのっとるなら、そういうことになっています。どちらを希望されますか?」

カールおじさんがそう聞いても、二人は、それすらもよくわかっていないという顔つきをした。そういう客には慣れているので、カールさんは、嫌な顔をしないでこういうのだった。

「色無地というのはですね。柄を入れないで白か黒以外の一色で染めた着物の事です。江戸小紋は、小さな柄を隙間なくびっしりと入れた着物の事ですよ。お稽古の着用であれば、この二つが定番ということになっております。お箏教室の先生に、意味が分からなくても名前を聞いたことはありませんでしょうか?」

「そうそう、箏と着物が喧嘩しないように、着物は色無地か、江戸小紋を着るんだよ。」

カールさんの説明に、杉ちゃんが口をはさんだ。

「そうですか。分かりました。じゃあ色無地がどんな着物なのか、見せて貰えますか?」

今度は娘さんの方がいった。

「分かりました。今うちで扱っている、色無地はこちらですね。こちらのピンクの色無地等いかがでしょうか?」

カールさんは、売り台を調べて、綸子のピンクの色無地を、一枚取り出した。

「これはなんという生地でしょうか?」

光沢のある生地に、娘さんは、興味深そうな顔で見ている。

「はい、これは、綸子と申しまして、全体にも光沢のある、礼装用の生地です。さほど華やかではございませんが、元々格式のある着物ですから、結婚式等にも使うことが出来ます。軽い外出から式典まで使用できる良い着物ですよ。お稽古事にもよろしいのではないですか?」

カールさんがそう説明すると、娘さんはとても嬉しそうな顔をした。

「ありがとうございます。じゃあ、これを御願いしたいんですけど、おいくらになりますか?」

「ああ、ずっと売れずにいたものですから、千円あれば大丈夫です。」

カールさんがそういうと、

「ありがとうございます。じゃあ、これを頂いて帰ります。」

娘さんはそういって、千円をだした。カールさんは帯もご入用ですかと尋ねたのであるが、お母さんの方が、もう良いですと彼女をとめた。

「それでは帯は大丈夫ということですね。お宅になにかよさそうなものがあるんですか?合いそうな帯があると良いのですが。」

カールさんがそういいながら、色無地を紙袋に入れて、娘さんにそれを渡すと、お母さんはとうとう買ってしまったか、という顔をした。お母さんのほうは、もっとかわいい物を買って欲しいという気持ちだったのだろうか。

「まあ良いじゃありませんか。着物というものは沢山種類がありますから、次はきっとかわいらしい物を買ってくれると思いますよ。」

とりあえず、カールさんはそういっておく。

「それじゃあ、何か欲しくなりましたら、いつでも来て下さい。うちはリサイクル着物屋ですし、悪徳な商売もしませんので。」

カールさんは、娘さんに領収書を渡した。

「ありがとうございます。これで心起きなく、お稽古に出かけられます。」

娘さんは、カールさんに頭を下げた。お母さんの方は嫌そうだったけど、とりあえず娘さんと一緒に、店を出ていった。

それから、数日たったある日の事。

カールさんと杉ちゃんが、いつものように着物を売り台に置いたり、整理したりしていると、

「一寸失礼いたします。富士警察ですが、一寸お話しを聞かせてもらえませんでしょうか。」

二人の刑事と思われる男性が、カールさんの店にやってきた。

「ええ、はい。何かありましたか?」

カールさんがいうと、

「はい、先日、亡くなられた、菅野詩織さんの事件を調べておりますが、詩織さんはなくなる前日に、こちらの店に来られていることが確認できました。その時何をしたのか、教えて頂けますでしょうか?」

刑事たちは、そういうことをいうので、カールさんは、びっくりしてしまった。代わりに杉ちゃんが、

「ああ、あの女性は、菅野詩織さんという名前だったのか。」

と、いった。二人とも女性がそのような名前だったのは、もちろん知らなかったし、亡くなったというのも、驚愕の極みだ。

「ええ、確かにうちの店に来ました。お箏教室に着用するっていって、色無地を一枚買われていきました。」

カールさんはいわれた通りに答えた。

「その時、誰かと一緒でしたか?」

刑事に聞かれて、カールさんは、

「ええ、お母さまと一緒でしたけど?」

と答えると、

「ああそうですか。分かりました。ということは、母子の仲は良かったということですかね。」

若い刑事が年上の刑事にいった。

「一寸待ってください。一体どういうことなんですかね。事件のことを、詳しく教えて貰えないでしょうか?」

と、カールさんが聞くと、

「はい、富士川の河川敷で菅野詩織さんが遺体でみつかりました。遺書のような物もなく、凶器らしきものもありませんでしたが、現在、自殺と殺人と両方とみて捜査しています。」

若い刑事がそう説明した。テレビもあまり見ないし、新聞も読まないカールさんは、そんな事件があったなんて、全く知らなかった。杉ちゃんにいたっては、家にテレビがないので、知るよしもなかった。

「そうですか。それは知りませんでした。うちの店に来たときは、とても楽しそうでしたので、自殺をしたいようにはみえませんでした。むしろ僕は、母親の方が、心配でしたけどね。娘さんのほうはちゃんと、お箏教室へ行きたいという理由で、色無地を買われていきましたので、それは、しっかりした理由になります。でも、お母さんの方は、なんとなく不満そうな顔をしていましたので。」

カールさんはそう正直に答えた。

「そうですか。菅野詩織、お箏教室に行くと言っていましたか。」

年上の刑事が、カールさんに聞いた。

「はい、そういってましたよ。別に、お箏教室に色無地を着ることは、おかしな事ではありません。お箏教室では、色無地か江戸小紋というのは定番ですからね。それにとても楽しそうでした。」

確かにそうだった。とても楽しそうだった。でも、刑事たちは、なぜか、自殺のきっかけを知りたいらしく、店の中でどうしていたのか、しつこく聞いてくる。カールさんも杉ちゃんも、どういうことだと刑事に聞いてみた。

「すくなくとも、この店に来たときは、二人の仲は良かったということですな。分かりました。どうもご協力ありがとうございます。」

刑事たちは、必要な所だけメモをとって、カールさんの店を後にした。

「一体なぜ、刑事が僕たちのところに来たんだろうか?僕たちは、何をしたんだと言うんだろう?」

と、杉ちゃんとカールさんは顔を見合わせる。

「一寸、ニュースになっていないかどうか、調べてみるよ。」

カールさんはタブレットをだして、ニュースアプリを開いてみた。菅野詩織という名を打ち込んでみると、何だか色んなニュースが出てきて、どれが正しくて正しくないか、わからないくらいだ。

「はあ、なるほど。自殺か他殺かで意見が割れてるのね。それに、この親子、何だかうまくいってなかったみたいだよ。」

「そうか。娘の進路の問題かな。それとも好きな人が出来て、相手にされなかったとか、そういうことかな?」

杉ちゃんがカールさんに聞いた。

「そうだね、杉ちゃんの言うようなら、後者の方だな。なんでも、娘のほうが、好きな男性を見つけてきてからおかしくなった見たいだね。まあ、そういうことなら、もめる原因にもなると思うけど、しかし、あの女性は、結婚出来そうな男性ができてもおかしくない年だった。それに、そういうことが出来れば、親は大喜びするのが当たり前だと思うけど?」

外国人だったカールさんは、日本のしきたりというか、そういうものが理解できないせいか、そういうことを言ってしまう。大分日本人化してきているカールさんであるが、そういうところで外国人の本性が出てしまうようである。

「つまり、その相手の男性に何か問題があったんだろうかな?」

杉ちゃんがそうつぶやくと、又、店のドアに吊り下げられていたカウベルがカランコロンとなった。

「すみません、雨コートを一枚頂けないでしょうか。外へ出たら雨が降りそうだったものですから。」

やってきたのは、花村義久さんだった。

「はい、じゃあ、こちらでよろしいでしょうか。花村さんは男性としては小柄な方ですから、比較的小さい寸法でも大丈夫でしょう。」

カールさんは気持ちを切り替えて、売り台から、一枚の男性用の雨コートを取り出した。

「ああ、ありがとうございます。おいくらでしょうか?」

花村さんがそう聞くと、

「はい。2000円で結構です。」

と、カールさんはそう返した。花村さんは、カールさんに二千円を渡した。

「花村さん。一寸お尋ねしたいことがあるんだけど?」

と、杉ちゃんは、そう聞いた。

「あの、菅野詩織という生徒が、お前さんの教室に来なかっただろうか?」

「ええ、来ましたよ。」

花村さんはあっさりと肯定した。

「居場所がどうしても欲しいので、外へ出るきっかけとしてお箏を習おうと思ったようです。私たちの間ではそういうことはよくある事なので快く入門を承諾いたしました。」

「じゃあ、お前さんが、色無地か江戸小紋を用意してくるようにと指示をだしたのか?」

と杉ちゃんがまた聞くと、

「ええ、言いました。それはお箏教室には当たり前の事ですので、良く出す指示です。」

花村さんはあっさりと答えた。カールさんも杉ちゃんも、花村さんが男性である事に気が付いた。それに、まだ、40代から50代そこそこという、関係を持ってもおかしくないという年でもある。

「そうか。そういうことだったか。」

と、杉ちゃんは腕組みをした。

「花村先生、先生のお宅に警察が来ませんでしたか?彼女、菅野詩織さんが亡くなったということで。」

と、カールさんが聞く。花村さんは、

「ええ。私の所にも来ましたが、私は、事件に関わるようなことは、何一つしてはおりません。それに、彼女が死亡した時刻を聞かされた時、私は、静岡のお箏屋さんに出向いていました。それは女中の秋川さんも一緒なので、消しようがありません。」

と又あっさりと答えたのである。

「はああ、、、。なるほどね。」

「つまりだよ。花村さんが、あの、菅野詩織さんの好きになった人ではないだろうかな。」

杉ちゃんとカールさんは顔を見合わせた。

「私が、ですか?しかし、菅野さんと私は、一度しかお会いしておりませんし、私は、彼女と恋愛関係を求めたことはありません。彼女には次の稽古までに、お箏を習う心がまえを示すために、着物を用意してこいと言っただけの事ですよ。」

花村さんは、そういうことを言った。

「それに、私は、彼女とは、20年近く年が離れていますし。」

「いやあ、それはどうかな。今のカップルはさ、親子ほど年が離れているカップルはいっぱいいるよ。それで結婚しちゃう人だっているじゃないの。親子だと思ったら、夫婦だったという二人組はいっぱいいる。テレビのタレントばっかりじゃない。彼女が花村さんに恋心を抱いたとしても、不思議じゃない。」

杉ちゃんが直ぐそれを打ち消すように言った。カールさんも確かにそうですね、見覚えはありますよ、と、付け加える。

「花村さんがもうちょっとそれを自覚してくれれば、彼女は自殺しないで済んだかもしれないね。」

「日本人は相手の気持ちを読み取るのが、本当に苦手だというが、その通りなんですね。」

西洋人らしく、カールさんは、思わずつぶやいてしまった。花村さんは、杉ちゃんたちの発言を聞いて、何か考えている様子だったが、

「そうですか。分かりました。彼女の住所は、入会申込書に書かれているはずです。私が、彼女の家に行って、お線香でも挙げようと思います。」

と、偉い人らしく、しっかり言った。そういう時に、行動ができるのが、地位のある人とない人の違いかもしれない。

「じゃあ、その時、僕も一緒に連れて行ってくれるか。」

杉ちゃんがそう言いだした。杉ちゃんというひとは、そういうことを、言いだしたら聞かない人であることは、ちゃんと知っている花村さんは、

「それならば三日後に、富士駅で落ち合いましょう。私も、準備がありますので、今日ではなく三日後にしようと思います。」

と、しっかりと結論をだした。カールさんは、店の仕事があるので、参加しなかったが、日本人でもこうして行動を起せる人がいるんだなと一寸感心したようである。

さて、三日後。

杉ちゃんと花村さんは、富士駅でタクシーを拾って、彼女、菅野詩織が住んでいる所に向った。菅野詩織の自宅は、富士市の富士川の近くにあるという。運転手が連れて行ってくれた、菅野詩織の自宅は、平凡な二階建ての一戸建てだった。普通の家と違うのは、家の前に広い畑がある事だった。多分農家なのだろうか、大根やら、ほうれん草やらが大量に植えられている。花村さんが、ありがとうございます、と言って、タクシーにお金を払い、帰りも又乗せて行ってくれと頼んだ。杉ちゃんは運転手に下ろしてもらった。花村さんが急いで、玄関のインターフォンを押す。

「はい、どちら様でしょうか?」

と、玄関ドアが開いて、お母さんが出てきた。間違いなく、お母さんは、あの時のお母さんだった。でも、何か腰が抜けたような、そんな感じの顔だった。

「あの、詩織さんが亡くなられたと報道で聞きました。それでお線香でも挙げさせていただきたいんですが。」

と、花村さんがいうと、

「ああ、あの、詩織とは、」

お母さんはそういうのだった。お母さんは花村さんの事をしっかり知らなかったようだ。詩織さんが黙っていたのかもしれない。

「ええ。詩織さんが、先日私のお箏教室に習いに来たんです。私は、お箏教室に正式に入門するというのなら、色無地か江戸小紋を入手してくるようにと、指示をだしました。」

と、花村さんは言った。

「ということは、先生が、詩織にそうしろといったんですか。」

とお母さんは大いに驚いたような顔をしている。そんな事、知らなかったという顔で。

「ええ。私がそう彼女に指示しました。お箏教室なら定番の事です。」

花村さんがそういうと、

「詩織は、そのような着物を用意するようにと、先生から言われたとひとことも言いませんでした。それなのに、何も柄のない着物が欲しいと言い張るものですから、私は、詩織が、地味すぎる物を欲しがるので、病状が悪化したのではないかと思ってしまいました。」

と、お母さんは驚いたというか、公開しているような感じで、花村さんに頭を下げるのである。

「なるほど、肝心なことを言わないで、二人の主張がぶっかりあって、それゆえの自殺か。どうも最近の若い奴は、そういう簡単な事で逝っちゃうだよな。なんでかな。」

杉ちゃんが、腕組みをして、考え事をするように言った。

「本当に申しわけございません。先生が、そのようなことを言ったとは全く知らず、私は、娘とつまらんないことで言い合いになり、、、。」

お母さんは、申し訳なさそうな顔をしてそういっている。

「私に謝られても困りますが、もう少し、娘さんと距離を縮めても良かったのではないでしょうか。もしかしたら、お母さまと娘さんはいるようでいない関係というか、距離が遠すぎたのではありませんか?」

花村さんがそういうと、

「ほんとだほんとだ。花村さんと初めましての距離ではなくて、詩織さんとの距離を縮める方に持っていけば良かったんだ。それが何だっていうんだよ。簡単な事じゃないか。」

と、杉ちゃんが言った。それは確かにそうなのだ。もしカールさんがここに居たら、日本人は変なところに敬意を払って、肝心なことを忘れてしまうんだなとか、そういう批判をしてくれたに違いない。「それでは、詩織さんにお線香を挙げさせて頂けませんか。彼女を自殺に追いやった現況をつくったのも、私何ですから。」

花村さんが優しく言った。

「申しわけありません。家元の先生にそんなことまでしていただけるなんて。」

お母さんはそういうことをまだ言っている。

「そうじゃないだろ。家元というのは偉そうで冷たい奴ばっかりじゃないんだよ。なんでそんな上っ面ばっかり気にしてるんだ。それより、娘さんの詩織さんに自殺をするなととめてやれなくてすまんと謝るべきじゃないのかな。」

杉ちゃんにそういわれて、お母さんはその場に崩れ落ちた。もう疲れたという顔で。

「お母さん、気にしすぎないでください。家元というのは大した立場ではないです。それに、私の責任でもあるわけですから。私が、もう少し、伝統について説明していれば、こうはならなかった。申しわけありませんでした。」

花村さんも謝罪をするが、お母さんは泣くばかりだった。

「一体、どうやったら、通じたんだろうかな。ただ一つ言えることは死んでから分かったんじゃ遅いんだな。」

杉ちゃんが小さい声でつぶやいた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

はじめましての距離 増田朋美 @masubuchi4996

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ