大昇〈食屍鬼(グール)〉後篇 結び その三

 一九一九年七月 長野県重井沢 外吮山頂上





 外法衆達が山を降りて暫く経つと、掘っ立て小屋からひと組の親子が出て来た。

 播衛門の娘であり、比星 兄弟ブラザーズの母である比星 すみと、その息子の今日一郎……。

 いや、蒼い顔の少年である。


〈白髪の食屍鬼グール〉が少年に語り掛けた。


「お前の為にお友達が来てくれたぞ。

 だが手酷くやられたようだのう。

 直ぐにでも帝居地下の集中治療室に送ってやらねばなるまいが、儂にも仕事が有るでな。

 しばし待て」


 そう少年を言い含めると、〈白髪の食屍鬼グール〉は再度次元孔ポータルを開く。

 そこから現出したのは、先程と同じ物々しい装幀の書物。

死霊秘法ネクロノミコン〉だった。


 少年が〈白髪の食屍鬼グール〉に問う。


「ソレをどうする積もりだ」


「どうする積もりじゃと?

 こうするのよ……」


〈白髪の食屍鬼グール〉から灰色の霊光オーラが放たれると書物の錠がひとりでに外れ、強風にでも吹かれているかのようにページり始めた。


『アーーーーブゥドュォドゥォオルルルゥゥーーーッ!

 アェラゥレッハゥッズベゥゥルエェェドドォォムゥラァ……』


 翁は神皮と呼んでいたが、装幀である筈の顔が苦悶くもんに満ちた叫びを上げる始める。


 面妖な書物の叫び声を聞くまいと両耳を塞ぐ澄。


 少年は平然としていたが、〈白髪の食屍鬼グール〉は僅かに興奮気味。


〈白髪の食屍鬼グール〉が霊力を集中させると、ページが表紙から外れ宙を舞い出す。

 ページは千々に破れ……それ以上に、構成する繊維一本一本に戻るかの如くほどけて行った。


 解けた繊維は更に分解を進め、僅かな微粒子となってある人物の許へと流れ着く。

 そして、その人物の右眼窩を埋めるように吸い込まれて行った。


 この光景には、今まで無表情だった少年も眉根まゆねを寄せる。


「いったい彼に何をした?」


「この者の頭に、書物の内容を据え付けておるのじゃよ」


「何の為に?」


「お前の為じゃ。

 いずれお前にもやって貰うが、今はまだその時ではない。

 であるから、中継なかつぎとしてこの者を選んだのよ……」


 魔導書の内容を人体に刻み付けると云うおぞましい所業に、吐き気を催し口を押さえている澄。


〈白髪の食屍鬼グール〉が澄をさとす。


「お前の息子の為じゃ。

 それにこの者は瀕死の重傷。

 書物の力が無ければ救えんだろうしの。

 書物の据え付けには、どのみち片目は抉らねばならんかった。

 外法衆の隊長さんがやってくれたもんで、儂の手間が省けたわい」


 愉快そうに御託ごたくを並べる〈白髪の食屍鬼グール〉に少年が問い質す。


「いずれは僕も据え付けねばならないその書物とは何だ?」


「神々と繋がる方法が書かれた書物。

〈死霊秘法〉よ」


「その書物は先ほど外法衆に渡していたようだが?」


「外法衆に渡した方は偽物で、今この者に据え付けておる方が本物じゃ」


〈白髪の食屍鬼グール〉がそう言い放つと、〈死霊秘法ネクロノミコン〉の不気味な人面表紙もちりかえって行く。

 そして、ページと同じく宮森の眼窩へと流れ込んだ……。


 怪訝けげんな眼差しで〈白髪の食屍鬼グール〉を見遣った少年が再度問う。


「偽物だとバレる可能性は無いのか?」


「〈死霊秘法〉には幾つかの写本が存在しとるが、どれも神々の崇拝規則や神霊の召喚方法が記してあるだけの偽物じゃよ。

〈死霊秘法〉の真価は、書かれている文面ではない。

 真価が宿るのは、使われておる紙やインキ、四隅を補強しておる金属や錠、鎖、神皮を材とした表紙。

 詰まり、書物ソノモノなのじゃ……」


〈白髪の食屍鬼グール〉の説明に納得したのか定かではないが、少年は問い続ける。


「では、偽物だとバレる事は無いと……」


「書物の文面にこだわっとる限りは、真偽の判別は無理じゃろうな。

 それに、外法衆に渡したのは〈屍食教典儀ししょくきょうてんぎ〉と呼ばれる別の魔導書よ。

〈死霊秘法〉には劣るが、彼奴らの計画にはこれ以上なく役立つ筈。

 よしんば偽物だとバレたとて、一向に構わん」


 問答が終わると、〈白髪の食屍鬼グール〉が仕上げに入った。


死霊秘法ネクロノミコン〉を構成しているあらゆる材質が、宮森の肉体に渦を巻いて侵入、浸透する。


死霊秘法ネクロノミコン〉全ての粒子が浸透し終えると、宮森の身体が黒い霊色オーラに包まれた。


 そして、眩いばかりの発光。


「むっ!」


「……」


「ああっ……」


 宮森から発せられた霊色オーラは極彩色に煌めき、観ているだけで脳が焼き付く程である。

 少年と澄、〈白髪の食屍鬼グール〉でさえも手で顔を覆うが、宮森から発せられる光には全く意味を成さない。


 このままでは光に飲み込まれてしまう……。

 誰もがそう思う程の強烈さだ。

 幸か不幸か、光は誰も飲み込む事なく収まり、〈白髪の食屍鬼グール〉は一息つく。


「ふう……。

 ようやっと肩の荷が降りたわい。

 さあ、据え付けは終わったぞ。

 お前達は帝居へと戻るが良い」


「母さんを攫ったのはこれが理由か?」


「そう、この者に〈死霊秘法〉を据え付ける為じゃよ。

 この者の中が一番安全な隠し場所じゃからな。

 お前とこの者をここ外吮山に来させる為、帝居を襲撃してお前の母を攫ったのよ。

 我ながら上手く行ったわい。

 かぁーかっかっかっか!

 ……ほれ、早くせんとこの者が死んでしまうぞ。

 次元孔を開かんか」


 無表情に戻った少年が、〈白髪の食屍鬼グール〉に言われた通り次元孔ポータルを開く。

 今頃帝居地下施設のどこかにも、同様の次元孔ポータルが開いている筈だ。


 帝居へと戻るのに用意が要るのか、掘っ立て小屋へと急いで戻る澄。

 戻って来た彼女が抱えていたのは、風呂敷に包まれた小箱……。


 その小箱を認めた〈白髪の食屍鬼グール〉は、澄に向け罵詈ばりを浴びせる。


「まだそんなこだわっておるのか!

 どれほど悔いたとて、お前の罪が消える事は無い。

 どうせこの先も過ちを犯し続けねばならんのじゃ。

 はよう楽になれ……」


 普段は飄々ひょうひょうとして落ち着き払っている〈白髪の食屍鬼グール〉だったが、澄の持つ小箱に関しては例外らしい。


 きつく小箱を抱きしめた澄が、〈白髪の食屍鬼グール〉を睨み付け宣言する。


「わたしがを想い続ける限り、貴方の言いなりにはなりません!」


見物みものよな。

 どこまで抗えるか、試してみるが良い……」


〈白髪の食屍鬼グール〉の冷たい言葉に、澄は肩を震わせる。

 だがその眼差しは未だかつてない程に力強く、自身と子を守り抜こうとする気骨に満ちていた。


 ふたりの会話が終わると、念動術サイコキネシスを発動させた少年。

 触手を現出させた状態で石化している瑠璃家宮を含む、瑠璃家宮 陣営全員を次元孔ポータルに通す。


 瑠璃家宮 達の通過を確認すると、澄の手を引いた少年も次元孔ポータルに足を踏み入れた。

 その際に澄がビク付いていたのは、少年の手に宮森の顔皮が握られていたからである。


 次元孔ポータルが消えるのを確認した〈白髪の食屍鬼グール〉は、口元を邪悪に歪めひとりちた。


「また会える日を楽しみに待っておるぞ。

 宮森 遼一。

 我が娘【りん】。

 我が孫であり※※でもある、【維婁馬いるま】。

 そして、よ。

 ふぇーーーーーーーっふぇっふぇっふぇっふぇっふぇっ……」



 夕暮れに差し掛かる外吮山。


 仕組まれた戦いの残滓ざんし


 そこには〈白髪の食屍鬼グール〉の奇怪なかすれ声が、何時いつまでも吹きまっていた――。





 大昇〈食屍鬼(グール)〉後篇 結び その三 了

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