第十節 大昇〈食屍鬼(グール)〉後篇 結び

大昇〈食屍鬼(グール)〉後篇 結び その一

 一九一九年七月 長野県重井沢 外吮山頂上





 掘っ立て小屋周囲の障壁バリアが解除されると、そこから突如として霧が広がり始めた。


 先程まで戦闘していた者達はその殆どが意識を失っており、正気を保っているのは多野 教授ただひとりである。


「……この霧は、播衛門 殿の仕業か。

 いかん……意識が……」


 多野が眠りに落ちたのを確認すると、外吮山頂上周囲の障壁バリアも解除した〈白髪の食屍鬼グール〉。


 真夏の静寂せいじゃく蝉時雨せみしぐれで引き立てた外吮山頂上。

 そこへ辿り着く者達の姿が在った。

 人数は三人。

 共に帝国陸軍の軍服を着込み、それぞれが面を着けている。


 中心に居るのは中肉中背の男性。

 面で顔を隠してはいるが、明るい金髪なので西洋人である事は間違いないだろう。

 その人物の面は、肉色尉にくしきじょう翁面おきなめんだ。


[註*肉色尉にくしきじょう翁面おきなめん=老人や神を表現した面で、〖おきな〗と呼ばれる特別な演目にのみ使用される。

 他にも白色尉はくしきじょう黒色尉こくしきじょうなどの種類がある]


 翁面の向かって右隣りには、小柄な体格の媼面おうなめん

 面も身体付きも女性で、面のわきからは白髪が覗いている。

 やや腰が曲がっている事からも、面と同じく老齢の女性なのかも知れない。


[註*媼面おうなめん=年老いた女性の面で、神の化身や老齢の巫女を表す。

 老女面ろうじょめんとは別物だが、演目によってはこちらの媼面を老女として使う場合もある]


 翁面の向かって左隣には、嘯吹面うそふきめんを着けた男性。

 七福神の大黒だいこく布袋ほていが担いでいそうな大きな袋を背負っている。


 常に膝を曲げており極度の猫背。

 胴の長さに対して手足が異常に長く、背筋を伸ばせば六尺(約一八一・八一八センチメートル)を軽く超えるだろう。


 毛髪には所々白髪が混じっているが、時折り『ぷ~ん、ぷんぷ~ん』などと呟いており、年齢の不詳具合に拍車はくしゃが掛かっている。


[註*嘯吹面うそふきめん=口をすぼめて口笛を吹いている様を現した面で、昆虫(蚊)、植物、魚介類(蛸)、亡霊などに使われる狂言面。

 ユーモラスな造形は、ひょっとこ(潮吹しおふき面)の原型であるといわれる]


 一行を代表していると思われる翁面の人物が申し出た。


「コンニチハ、比星 播衛門サン。

 ワタシハ外法衆ノ翁ト申シマス。

 以後、御見知リ置キヲ。

 コチラハ同僚ノ【おうな】サント【嘯吹うそふき】サンデス。

 今回ノ闘イ、天芭 隊長達ガ勝利シタ様子。

 早速デ悪イノデスガ、約束ノ品ヲ頂イテモ宜シイデショウカ?」


 明らかに英語なまりの日本語で交渉する翁。

 対する〈白髪の食屍鬼グール〉も御機嫌である。


「お主らの隊長さんがこの場に倒れとると云うに、ちとせっかちが過ぎるぞ。

 まあいいわい。

 ほれ……」


〈白髪の食屍鬼グール〉が左掌を掲げると、直径四〇センチメートル程の次元孔ポータルが開いた。

 そこから、一冊の書物が現出する。


 書物の四隅は金属で補強されており、背表紙からは盗難防止の鎖が、表紙には閲覧制限用の錠前まで設えられていた。


 表紙の材質は滑らかな光沢を放つ皮らしき物体で、闇がこごったかの如く、暗い……。

 また現在の気温と湿度の為か、薄らと湿っている。


 特筆すべきはその意匠デザインで、表紙には人間ヒトの顔を思わせる凹凸おうとつが在った。

 それを視認するだけで免疫の無い者は不安に陥り、読む前から神経をり減らす事だろう。


 物々しい装幀そうていに彩られた書物を、翁に手渡す〈白髪の食屍鬼グール〉。


「オォ、コノ手触リハ〘神皮じんぴ〙。

 マサシク〈死霊秘法ネクロノミコン〉デスネ!

 然モ、気温ガ高イ所為カ表紙ガ汗ヲ掻イテイマス。

 本物ノ証拠デス。

 確カニ受領シマシタ。

 有リ難ウ御座イマス。

 瑠璃家宮 殿下御一行ハ、皆サン眠ッテオイデノヨウデスネ。

 大変都合ガ良イ。

 コノ際、瑠璃家宮 殿下御一行ノ細胞採取ヲ……」


「欲張るでない。

 彼奴きゃつらが起きとると面倒じゃから術で眠らせておるだけじゃ。

 彼奴らに手を出すと、規則違反と見做みなし戦利品は返して貰うが構わんか?」


「……冗談デスヨ。

 本気ニシナイデ下サイ播衛門サン。

 デハ、事後処理ニ入ラセテ頂キマス」


 ふたりの交渉が終わると、嘯吹がさびしそうに言葉を漏らした。


「ぷ~ん。

 武悪しんじゃったぷ~ん。

 嘯吹かなしいぷ~ん……。

 翁、武悪なおせるかぷ~ん?」


「ドウデショウネ……。

 取リ敢エズハ遺体ヲ集メテ下サイ。

 コノ暑サデス。

 細胞ガ駄目ニナルノモ早イデショウ。

 望ミヲ繋グ為ニモ、早イニ越シタ事ハアリマセン」


 翁の言葉を聞くや否や、三密加持を執り行なう嘯吹。


 左手は人差し指、中指、小指を真っ直ぐに伸ばし、親指と薬指は曲げて先端を付ける。

 右手は拳の形から人差し指のみを立て、第一関節、第二関節ともに深く曲げる形の密印ムドラーを結ぶ嘯吹。


『ナウマク・サンマンダ・ボダナン・センダラヤ・ソワカ』との真言マントラが響くと、〘月天がってん凍光法とうこうほう〙が成立する。


 嘯吹が武悪の遺骸を拾うと、その遺骸は一瞬にしてしもが張った。

 凍ったのである。


 凍った遺骸を次々に袋へ放り込んで行く嘯吹。


「腐っちゃまずいから、凍光法でカチンコチんぷ~ん。

 ヒンヤリ涼しくて、今の季節にピッタリだぷ~ん♪」


 月天・凍光法は、対象の分子を振動させる日天・焦光法と真逆の性質を持つ。

 対象の分子運動を抑制し、凍らせる秘術なのだ。


 一般に広く流布るふしていない事実がある。

 月光の当たっている箇所は、当たっていない箇所よりも僅かだが温度が低くなるのだ。

 月光が物体の温度を低下させる事の証明なのだが、何故か詳しい研究がなされない。


 又、月光が日光の反射なら、昼間でも明るく輝く筈。

 しかし乍ら、昼間の月は太陽のように強く輝いてはいない。

 以上の事を踏まえると、月光は日光の反射ではなく、自発光している可能性がある。


 詰まりは、現在確立しているあらゆる学問に、邪神崇拝者達の嘘が紛れ込んでいると云う事だ。





 大昇〈食屍鬼(グール)〉後篇 結び その一 了

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