外吮山頂上決戦 終盤 その五

 一九一九年七月 長野県重井沢 外吮山頂上





 次々と色彩を変化させ宙に蠢く触手の群れ。

 その触手の群れが、武悪を一瞬でほふったのだ。


 触手表面が目まぐるしく点滅しているのは、表皮に埋没した色素胞中の、赤色、黄色、褐色の弾性小嚢だんせいしょうのう膨縮ぼうしゅくを繰り返す為である。

 そればかりでなく、虹色素胞にじしきそほうの効果で金属質の輝きをも放っていた。


 その輝きは陽光の当たり具合で色彩を千変万化せんぺんばんかさせ、まるで無数の極小豆電球が馬鹿騒ぎしているかのようである。


[註*色素胞・弾性小嚢だんせいしょうのう虹色素胞にじしきそほう=生物の色素細胞の一種。

 弾性小嚢とは色素が入った袋の事で、筋繊維によって支えられている。

 筋繊維が収縮すると弾性小嚢が広がって色が着き、筋繊維が弛緩すると弾性小嚢は縮んで色が抜ける。

 烏賊いかを例に挙げると、新鮮なほど黒色、褐色と色付いているが、鮮度が落ちるに従って白くなるのはこのため。

 虹色素胞とは、微小な板状構造の集まりを持つ皮膚細胞が光を反射して生まれる構造色の事。

 玉虫たまむしや蝶のはね、青魚の体表などがそうである]


 その馬鹿騒ぎ電球で飾り立てた触手群が、天芭 大尉と中将にも襲い掛かった。

 天芭は飛行法、中将は造床法を使い迫る触手から逃げ惑う。


 幾ら油断していたとは云え、武悪とて最低限の障壁バリアは張っていた筈。

 それをいとも容易く引き千切ったあの触手がどれほど規格外な一品か、ふたりは既に察していた。


『天芭 隊長、あれはいったい……』


『瑠璃家宮 殿下が本気を出したのですよ。

 私がいま精査した所によると、あの巨大な触手群には常に霊力流動が感じられます。

 強大な霊力で障壁を中和しているようですね。

 ですので、耐衝撃の為の障壁は無意味です。

 防御よりも回避を優先して下さい』


 天芭の強さを支えるものの一つに、阿閦如来・障壁法の堅固けんごさが有る。

 しかし今回ばかりはその堅固さも役に立たない。

 また障壁バリアで身体を覆えないとなると、韋駄天・神行法も封じられてしまう。


 神行法は肉体を高速化クロックアップさせ移動する秘術だ。

 その際に発生する摩擦熱を軽減する為、外法衆は耐熱服などの特殊装備を纏っている。

 神行法を使用するには、耐熱服を纏っていない頭部などを障壁バリアで覆わねばならない。

 そうしないと、大気との摩擦に肉体が耐え切れないからだ。


 その障壁バリアを瑠璃家宮の触手が中和してしまうのである。

 絶対の防御と回避を封じられた天芭は、この状況をどう攻略するのだろうか。


 地上では瑠璃家宮が神力を開放。

 頭部を含めた半身から触手群をはみ出させている。

 その触手群が禍々しい赤い霊色オーラを纏い、空中の天芭 達に襲い掛かっていた。


 外法衆両人は回避をより確実なものとする為、いま闘っているこの場所から更に上昇してみる。


『ガッ……』


 何かに阻まれこれ、以上上昇を続けられない両人。


『天芭 隊長、矢張り逃げられません……』


『比星 一族の特殊障壁ですか。

 水や空気は通しますが、客人は出られないようにしてあるのでしょう』


 戦闘領域外に出る事が叶わず、両人は仕方なく触手群をやり過ごした。

 触手も無限に伸長する訳ではないようで、回避行動に若干の余裕が生まれる。


 天芭はこれを機に攻勢に転じようと戦輪チャクラムを投擲してみたが、例の触手に触れた途端ことごとく消失させられてしまった。

 そればかりか、触手に触れた造腕マルチアームさえも破壊されて行く。


『天芭 隊長、攻撃も無意味なようですね』


『はい。

 戦輪も破壊され、同じく霊力で生成した造腕も駄目のようです。

 中将さんの都五鈷杵剣すべごこしょけんは分解を免れるかも知れませんが、触手の斬り払いは止めた方がいいでしょう。

 一度掴まったらそこで終わりですからね』


『では隊長、このまま打つ手なしでしょうか?』


『なに、いかに瑠璃家宮と云えど長時間の異形化は無理と云うもの。

 これを切り抜ければ、奴は石化し行動不能になるでしょう。

 その時を狙います』


 瑠璃家宮の異形化は今の所右半身のみで、その右半身から大量の触手が溢れ出していた。

 それ故に右半身の体積は左半身の十倍を優に超え、二十倍に届かんとしている。


 人間ヒトの半身に異形ケモノの半身。


ダゴンとハイドラ権田 夫妻〉、〈異魚〉とはまた違う不気味さを放つその姿は、余りにも不均衡アンバランス涜神的とくしんてきだ。

 まともな精神の持ち主ならば悪夢にさいなまれ、精神に異常をきたした画家なら喜んで絵筆をはしらせるだろう。


 瑠璃家宮は移動する際にも触手を履帯りたい代わりに使い、外法衆両人を戦車の如く追撃した。


 触手戦車が通った後は冒涜的なわだちが有るばかりで、草木一本残っていない。

 触手で分解、吸収しているのだろうか……。

 だが、逃げに徹する外法衆を捉える事は出来ず空振り続き。


 外法衆両人に触手が群がるも、彼らはもう飽きたと云わんばかりの表情。

 触手群の動きは機械的で、動作類型モーションパターンを見切った彼らには通じない。


⦅霊力中和作用を持つ触手を生成しているようだが、一定の動きを繰り返しているだけか。

 恐らく、機能不全を防ぐため自動追尾にしているのだろう。

 このまま時間切れまで粘れば……⦆


 余裕を感じている天芭だったが、直ぐに中将へと精神感応テレパシーで命令する。


『中将さん、直ぐに障壁を張りなさい!』


『⁈

 はっ!』


 条件反射で前面に障壁板バリアプレートを展開する中将。

 すると、展開した障壁板バリアプレートが真っ黒に染まる。


 中将はその真っ黒を浴びずに済んだが、天芭はまんまと食らってしまった。

 その真っ黒の正体は直ぐに判明する。


⦅何だ?

 腕の動きが鈍いぞ……。

 こ、これでは密印が結べない!⦆


 真っ黒の正体、それはすみである。

 触手先端が漏斗ろうと状器官に変容し、墨を吐き出したのだ。


 その墨は石炭乾溜液コールタールのような性質を持っており、粘性が高く天芭の胴体にベットリとくっ付いている。

 然も極短時間で乾燥、固形化し、天芭の腕の動きを封じてしまった。


 天芭は絶対的な防御力を誇る阿閦如来・障壁法を体表に沿って展開した為、触手から吐出としゅつされた墨が体表に沿って広がってしまったのである。

 もし体表から離して展開しておけば、このような事態は避けられた筈だ。


⦅くそっ、私とした事が抜かった。

 阿閦如来・障壁法の展開方法が裏目に出るとはな。

 両腕が封じられたからと云って秘術が使えない訳ではないが、素早い術式展開を阻害されてしまう。

 瑠璃家宮も考えたものだ……⦆


 天芭は造腕マルチアームの先に戦輪チャクラムを生成。

 それを駆使して固形化した墨をこそぎ落とし、何とか両腕の自由を取り戻す。


 しかし、天芭の様子を地上から眺めていた瑠璃家宮は、不気味な笑みを浮かべていた――。





 外吮山頂上決戦 終盤 その五 了

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