第九節 外吮山頂上決戦 終盤

外吮山頂上決戦 終盤 その一

 一九一九年七月 長野県重井沢 外吮山頂上





ハイドラ頼子〉が中将を打ち破り瑠璃家宮 達の許へ到着した途端、戦況が動いた。


 普賢菩薩・延命法の三密加持を行なう武悪。

 すると、元々蔓触手が這い出ていた〈ヘルプラントロル型〉の背中が殊更ことさらに大きく裂け、そこからきのこ子実体しじつたいが幾本も飛び出した。


 それに合わせ天芭 大尉の造腕マルチアームも動く。


 頸横の造腕マルチアームは、右手の薬指と小指は立てたままで親指をてのひら側に折り、その上に人差し指と中指を第二関節から折り乗せる形の密印ムドラーを結んだ。


 そして『――ナウマク・サンマンダ・ボダナン・バヤベイ・ソワカ――』と真言マントラを唱え、風天ふうてん自在法じざいほうを成立させる。

 加えて、両膝横の造腕マルチアームが水天・自在法をやり直した。


 天芭の呼んだ風が〈ヘルプラントロル型〉を取り巻くと、その風は黄土色に変わる。


 その様子を観た多野 教授が味方に呼び掛ける。


「まずい、〈ミ゠ゴ〉の胞子が来るぞ!」


 瑠璃家宮は〈ハイドラ頼子〉に水管チューブ下賜かし


 多野は水管チューブで包まれている〈異魚〉と〈ハイドラ頼子〉、水中で治療中の〈ダゴン益男〉以外の頭部を、新しい水の全周囲兜フルフェイスヘルメットで覆う。


〈ヘルプラントロル型〉から生えた子実体の菌褶きんしゅうには〈ミ゠ゴ〉胞子がタップリと詰まっており、天芭の風天・自在法で撒き散らされると確信したからだ。


 飛行して距離を取る天芭を、水管チューブに包まれた〈ハイドラ頼子〉と〈異魚〉が追撃。

ハイドラ頼子〉がその甲殻装甲を活かして〈異魚〉を守り、隙を突いた〈異魚〉が音波攻撃で追い込む戦法だ。


 地上では〈ダゴン益男〉の治療が終わる。


「殿下、治療して頂き誠に有り難う御座いました。

 この御恩は戦果をもって代えさせて頂きます」


「ふむ。

 では、宮森と共に武悪を無力化せよ……」


 瑠璃家宮の命で武悪へと向かう〈ダゴン益男〉。

 当然、水管チューブに包まれその中を遊泳しての行軍だ。


 八対二。

 数の上では圧倒的に有利な瑠璃家宮 陣営だったが、この状況を素直に喜べない宮森。


⦅〈ヘルプラントロル型〉による胞子の拡散。

 これが外法衆の奥の手なのか?

 水の被り物で防がれる事は判っていた筈。

 それとも再度あの宝珠から熱波を放ち、水の被り物を強引に外させるとでも云うのか。

 念の為、そこから想定される事態と対応を瑠璃家宮に連絡しておこう……⦆


 武悪が普賢菩薩・延命法の三密加持を続けるかたわら、天芭も〈ハイドラ頼子〉と〈異魚〉を八臂の造腕マルチアームで捌きつつ三密加持に入った。


 左手の親指と中指はそのまま立て、中指の背に人差指を絡める。

 そして薬指と小指は第二関節から深く曲げる形の密印ムドラー

 帝釈天印である。


『ナウマク・サンマンダ・ボダナン・インドラヤ・ソワカ』と真言マントラを唱え、〘帝釈天たいしゃくてん雷撃法らいげきほう〙を成立させた。


 武悪と天芭の周囲を電光が駆け巡り、雷音と共に放出される。

 帝釈天・雷撃法は電撃を放つ単純明快な秘術だが、外法衆のふたりはどのように扱うのだろうか。


 武悪に向かっていた〈ダゴン益男〉に加え、天芭に向かっていた〈ハイドラ頼子〉と〈異魚〉にも電撃が命中する。


「電撃だとっ⁉

 ……ん?

 思いのほか威力が無い……」


「くっ!

 ……たったこれだけ?

 綾 様、御無事ですかっ!」


「きゃっ⁉

 ちょっとビリッてきただけで、とくに何ともない、けど……」


 食らえば負傷を免れないと思われた電撃に、三人は全くの無傷である。


 三人の無事を確信した蔵主 社長が、天芭 達めがけ思念で高言した。


『彼らの纏っている水は塩水ですよぉ。

 確かに電気の通りは良いですがぁ、その分威力が散らされてしまいますぅ。

 残念でしたねぇ』


 雷撃法が大した事ないと判明し、〈ダゴン益男〉達は外法衆ふたりの狩りを続行……出来なかった。


「な、なんだこれは⁈

 うああああああああぁぁ……」


「こ、これはまさか⁈

 綾 様、早く御戻りを……」


「きゃあああああぁ⁈

 な、何なの?

 この気味悪いヤツは……」


 武悪が蔵主の高言こうげんに答える。


『ぐへへへへっ。

 電撃があんたらに届かないのは承知の上よ。

 届けたいのはな、あんたらが被ってる水に付着した雑仏の胞子にだ!』


 武悪の言葉を合図に、天芭が上空から次々と雷を落とす。


 大量の水を侍らせていた瑠璃家宮と多野は言うに及ばず、蔵主、宮森、宗像も落雷の餌食えじきとなってしまった。


『まさかぁ、電気刺激で〈ミ゠ゴ〉の胞子を活性化させるとはぁ……』


『電気刺激だけじゃねえぜ。

 天芭 隊長が風天・自在法を使って、雑仏の細かい残骸も一緒に吹き付けてくれたからな。

 そのお蔭で、あんたらの身体や頭を覆っている水には栄養分がタップリよ!』


 武悪の言う通りだった。

 瑠璃家宮 陣営全員の体表から〈ミ゠ゴ〉胞子が発芽し、その柔組織が彼らの体表に広がる。


 勿論、天芭の水天・自在法で余分な塩分などを排出。

 細かい配慮も抜かりない。


 衝撃を防ぐ為の障壁バリアも胞子には無力だ。

 水管チューブに包まれ空中遊泳していた、〈ダゴン益男〉、〈ハイドラ頼子〉、〈異魚〉の三人は特に繁殖がいちじるしく、あっと言う間に〈ミ゠ゴ〉の柔組織に全身を包まれ地上へと落下してしまう。


 ちょうど目の前に落下して来た〈ハイドラ頼子〉を、武悪が試しに足蹴あしげにした。

 すると、足蹴にした部分がボロッ……と崩れ落ちる。

〈ミ゠ゴ〉胞子に侵食され、甲殻装甲が分解してしまったのだ。


 加えて、三人の口からは例の呟きが漏れ出す。


「頼子……ヰェルクェニッキ…………綾 様……ヰェルクェニッキ……意識が。

 の……乗っ取ら、ヰェルクェニッキ……れる」


「綾 様……ヰェルクェニッキ………あなた………ヰェルクェニッキ……逃げて。

 か……身体が、ヰェルクェニッキ……崩れる」


「助けて……ヰェルクェニッキ…………お兄様……ヰェルクェニッキ……こわい。

 お……お腹の、ヰェルクェニッキ……赤ちゃん」


 三人が口走る譫言うわごとは、〈ミ゠ゴ〉に精神まで乗っ取られた時のもので間違いない。


 瑠璃家宮も精神の安定を失ったのか、周囲に侍らせていた大量の水を地面に落とした。

 多野、蔵主、宮森、宗像も、地面に突っ伏して藻掻もがき苦しんでいる。


 一気に形勢を逆転させた外法衆のふたり。

 天芭は念の為に精神感応テレパシーで武悪に指示を送る。


『武悪さん、万全を期して回復役から始末しましょう。

 私が瑠璃家宮をります。

 貴方は多野 教授を御願いしますね』


『分かりましたぜ天芭 隊長。

 ぐへへ。

 どうしてくれようか……』


 天芭は戦輪チャクラムを準備して地上へと降り立ち、武悪は准胝観音・母宮法の三密加持をやり直してそれぞれの標的へと近付く。


 武悪の使った母宮法は、雑仏や〈ミ゠ゴ幻魔〉の生成と操作を行なう秘術だ。

 瑠璃家宮 陣営が〈ミ゠ゴ〉に充分侵食されれば、武悪の思うがままとなる。


 武悪は多野に近付き操作を試みた。


「多野 教授、万歳ばんざいしてみろ」


 武悪の命令を受け、地面に突っ伏していた多野が諸手もろてを上げ始めた。

 勿論、例の台詞せりふのおまけ付きである。


「――飯綱いづな御祖みおや 建御雷たけみかづち……ヰェルクェニッキ…………氷の御祖 月読つくよみ……ヰェルクェニッキ……わざの御祖 經津主ふつぬし 布瑠部ふるべ……由良由良止ゆらゆらと、ヰェルクェニッキ……布瑠部――」


 ブツブツと呟く多野が可笑しいのか、蟹股がにまたで歩み寄る武悪。


「教授さんよお。

 よく聞き取れねえんだが、辞世じせいまで祝詞のりとなのかい?

 信心深い……いや、あんたは伝承学者だったな。

 なら研究熱心な人だねえ。

 まあ、ここで死んじまうけどよ!」


 武悪は障壁バリアを纏わせた右手刀で、多野の脳天を叩き割ろうとする。


 多野は万歳の動作を止め、西洋杖ステッキに手を掛けた。



『ズアアアアアアァァッ!』



 瞬間、眩い橙色だいだいいろの雷光が奔り抜ける。


 武悪の名の由来となった面が宙を舞い、着けていた面と大して変わらない下卑げびた素顔があらわになった。


 面と同じく宙を舞っている物体が在る。

 それは、武悪の良く知る物体だ。


 見間違える筈もない。

 武悪自身の、右手だった。


「な、なにぃっ⁉

 お、俺の右手があああああああああぁぁぁ!」


 瞬電の残り香を漂わせ、丁寧に納刀のうとうする多野。

 そう、多野 教授のトレードマークである西洋杖ステッキは、仕込しこづえだったのである。


 武悪の異変に気付いた天芭は、戦輪チャクラム一枚を多野へ投擲。


 多野は戦輪チャクラムを引き付け居合一閃いあいいっせん

 難なく両断した。


 白霞しろがすみと雷光を纏い濡れる刀身。

 抜けば玉散たまちる氷の刃とはまさにこの事。


 右手を斬り飛ばされた事と、余りの抜刀ばっとう速度に腰を抜かす武悪。


「……っがあぁ!

 このじじい、なぜ動ける……」


「確かに、お前達が〈ミ゠ゴ〉の胞子を操れるのには驚いた。

 だが、私共は優秀な人材を揃えておる……」


 大技を繰り出した反動で疲労困憊ひろうこんぱいの多野。

 納刀した後、ヨロヨロと地に膝をつく。


 だが威圧的な眼差まなざしは未だ変わらず、隻手せきしゅとなってしまった武悪へと注がれていた。


 一方で武悪の失態を知った天芭は、多野と彼の仕込み杖を精査スキャンする。


⦅くそっ、後もう少しと云う所で!

 まさか多野にあのような隠し技が在ったとは……。

 いったいどうなっている?

 ……ふむ、そう云う事だったか。

 先ず、杖の鞘内さやないと刀身に通電させ磁界を発生させる。

 次に特殊な金属で精製された刀身を極限まで冷却し、電気抵抗を皆無にした。

 最後は、神の記憶から技を読み取り神速の抜刀を可能にする。

 げに恐ろしき技よ……⦆


 天芭の言葉を補足したい。

 多野の居合斬りは、いわゆる超伝導現象を活用したものである。


 仕込み杖の鞘内にはニオブチタン合金製の超伝導磁石が埋め込まれ、刀身にもニオブチタン合金を使った焼き入れが施されているのだ。

 ニオブチタン合金は超伝導磁石にも使われている素材で、現代ではリニアモーターカーなどに利用されている。


 当然の事ながらこの技術は一般公開されておらず、九頭竜会を始めとする魔術結社が独占していた。


 多野から少し離れた位置でもうひとりが動く。


 彼の頭部を中心に繁茂はんもしていた〈ミ゠ゴ〉の柔組織は、緋褪色ひざめいろ綿埃わたぼこりへと姿を変えて崩れ去った。


 彼は、口の中に入った綿埃を吐き出し満面の笑みを浮かべる。


 そう、素顔を覗かせたのは宗像だった。





 外吮山頂上決戦 終盤 その一 了

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