外吮山頂上決戦 中盤 その九

 一九一九年七月 長野県重井沢 外吮山頂上





 沸き立つ寸前の水中から姿を現した〈ハイドラ頼子〉は、天芭 大尉を無視して〈ダゴン〉の許へと急ぐ。

 中将に両足を斬り落とされた〈ダゴン〉が危機に陥っているからだ。


 水管チューブを纏っていないため走りでの移動となる〈ハイドラ頼子〉の容姿は、元の姿とは随分とかけ離れている。


 スラリとした流線型の肢体には幾ばくかの面影が在ったが、滑らかな皮膚は甲殻こうかくへと変化していた。

 両腕は特段厚い甲殻で覆われており、棍棒状の膨らみは紋花蝦蛄もんはなしゃこの捕脚さながらである。


[註*紋花蝦蛄もんはなしゃこ=ド派手なルックスに特大グローブ。

 いわずと知れた甲殻生物界のハードパンチャー!]


 全身が甲殻に包まれたその姿に中将も興味が湧いたのか、造床法を使い一直線に〈ハイドラ頼子〉の許へ跳んで来た。


 一方の〈ハイドラ頼子〉は、瑠璃家宮の念動術サイコキネシスで搬送途中の〈ダゴン〉と擦れ違う。


『あなた、私がいない間に手酷く……。

 いえ、足酷くやられたようですわね。

 でも安心していいわ。

 殿下から御力を頂いた私が、キッチリと成敗して見せます』


『頼子、君の声を聞けて安心した。

 それと、中将について一つ気になる事が有る……』


『何かしら?』


『奴が刃を交換してから、僅かだが足音が変わった。

 金属音に近いものを感じるんだが、正体が判らない。

 充分注意してくれ。

 殿下に治療して貰ったら、俺も加勢しに行く』


『分かったわ。

 もしその時まで中将が立っていたら、お願いしますね』


ダゴン〉の安否を確認した〈ハイドラ〉が、遂に仇敵きゅうてきとまみえる。


「ほう、随分と姿が変わった。

 その姿もまた美しい……」


「夫を不具ふぐにして頂いて有り難う。

 この御礼は、タップリとさせて頂くわ!」


ハイドラ頼子〉が中将へと向かい全力疾走。

 大型甲殻に包まれた右拳で突打ストレートを放つ。

 中将は都五鈷杵剣すべごこしょけんを交差させ真っ向から受け止めた。


 確かに〈ハイドラ頼子〉の拳は硬いが、最高の硬度と靭性を併せ持つ黒金剛石刃ブラックダイヤモンドエッジはビクともしない。

 中将が反撃に移る。


 双剣を逆手に持ち替え、細かな足捌きで〈ハイドラ頼子〉の周囲を巡り剣撃を繰り出した。

 そのことごとくが命中するものの、装甲に守られている彼女の急所には届かない。


⦅ほう。

 私の斬撃を防ぐとは、その甲殻は伊達だてではないようだ。

 しかし、体表を甲殻で覆っている以上、以前より動きが固くなっているぞ。

 敏捷性を犠牲にして防御力を上げる選択をしたのだろうが、どんなに硬い装甲だろうと所詮は生物由来。

 この豪剣で、削り斬ってくれる!⦆


 速さを重視した軽い剣撃では致命傷を与えられないと判断した中将。

 順手に持ち替え、威力重視の立ち回りで連斬ラッシュを仕掛ける。


ハイドラ頼子〉も中将に釣られて連打ラッシュ比べに入った。


「……」


「ドオオオオォッ、ドラドラドラドラッ、ドラドラドラドラドラドラドラドラッ、ドラドラドラドラドラド……」


 ふたりの連撃ラッシュは火花を散らし、周囲の空間にも余波をもたらす。


「ドラッ、ドラーーーーーーッ!」


ハイドラ頼子〉渾身の左鉤打フックで中将の一剣を弾き飛ばす。


⦅矢張り、衝撃では拳打の方が上か。

 であるなら、〈ハイドラ頼子〉の弱点を狙う迄よ……⦆


 中将は弾き飛ばされた一剣を取りに戻らず、造床法を駆使して翻弄する戦法に出た。

 中将が空中に造った足場を渡る度、陽光を反射して軌跡がきらめく。


 一方、自身の能力に驚く〈ハイドラ頼子〉。


⦅中将の剣も弾き返せる程の装甲と筋力。

 確かに素晴らしいわ。

 でも、余りにも強過ぎる。

 全力で打ち込んだ場合、私の身体が持つかどうか……⦆


 宙を跳ね回る中将を、水管チューブに包まれていない〈ハイドラ頼子〉は追いすがれない。

 一撃離脱を繰り返す中将に対し防戦一方となる。


⦅奴の移動が速過ぎて捉えられない。

 防御後に反撃しようにも、腕の射程が足りないわ。

 ただ奴の得物の握り幅は狭く、両手持ちが出来ないから押しが弱い。

 顔を狙って来た時が勝負ね……。

 後、夫の言っていた事が気になる。

 金属音に近い足音と言っていたわ。

 確かに革靴にしては金属質の……。

 そう、爪先や靴底に鋼板を入れた、作業靴のような音がする。

 そして、奴が未だにほっぽっている方の剣……。

 奴の狙いが判った!⦆


 中将の狙いに気付いたのか、瑠璃家宮に連絡を取る〈ハイドラ頼子〉。


『殿下、御願いが御座います!』


『どうした頼子』


『はっ!

 水を少し御貸し頂きたく存じます』


『水か……。

 今は天芭の術で高温になっておる。

 身体、特に頭部には長時間まとう事が出来んぞ』


『はい、その湯で構いません。

 むしろ、のです』


『何か考えが有るようだな。

 良かろう、湯をまわす……』


 頼子から提示された量の熱湯を、念動術サイコキネシスで届ける瑠璃家宮。


 その熱湯を頭部以外の全体に纏わせる〈ハイドラ頼子〉。


 攻撃を仕掛けていた中将は困惑する。


⦅湯など持って来て何をする積もりだ。

 あの湯に浸かり、短時間だけでも空中を遊泳しようとでも?

 それとも目潰しの類か?⦆


 中将は念の為に、〈ハイドラ頼子〉の体内を精査スキャンする。


⦅先程の闘いで使っていた、杖などの武器を体内から出す訳ではないらしい。

 只、全身の筋肉が収縮している。

 私が顔を狙うと読み、交差反撃を狙っているのがバレバレだ。

 主要臓器の位置は……人体とほぼ変わりない。

 あと気になるのは湯だが、仕掛ければ自ずと判る……⦆


ハイドラ頼子〉が講じる策の見極めと自らの策の完遂を同時に狙う中将は、彼女の真正面に突進した。


 斬撃が駄目なら刺突しとつ

 甲殻に覆われていない〈ハイドラ頼子〉の顔部目掛け、左腕で突きを繰り出す中将。

 交差反撃クロスカウンターを狙っているかに思えた彼女だったが、実はそうではなかった。


ハイドラ頼子〉は両前腕を眼前に並べ完璧に防御。

 勿論、中将は単純な攻撃が彼女に効かぬのは百も承知。

 甲殻椀に弾かれ体勢を崩したかに思われた中将は、弾かれた勢いを殺さず右腕を振り下ろす。


 中将の右手には、先程〈ハイドラ頼子〉に弾き飛ばされた筈の都五鈷杵剣が逆手に握られていた。

 念動術サイコキネシスで密かに取り寄せ、左刺突の最中に腰の後ろで握っていたのである。


 装甲の薄い首筋を狙う一撃だったが、その振り下ろし突きに対し左前腕の甲殻を当て、内側にはたき落とす〈ハイドラ頼子〉。

 これは、拳闘ボクシングなどで受け流しパーリングと呼ばれる技術である。


ハイドラ頼子〉が都五鈷杵剣を受け流すと、纏っていた熱湯で中将の上半身を包み込んだ。

 丁度、彼女の上半身と中将の上半身に熱湯の橋が架かったような按配あんばいである。


 中将は熱湯で火傷しないよう障壁バリア構成を調整したが、視界と呼吸の乱れ迄は補えない。

ハイドラ頼子〉の受け流しパーリングで右腕をはたき落とされ、その反動で体勢を崩してしまう。


 体勢を崩し熱湯で視界、呼吸ともに乱されている筈だが、中将は全く慌てていない。

 それどころか、着けている面の下には笑みすら浮かんでいる。


⦅矢張り、湯は目潰しの類だったか。

 湯で混乱させて打撃を叩き込もうと云う算段だろうが、甘い。

 この程度で私が動じるものか。

 そして、先程の振り下ろしも囮。

ハイドラ頼子〉は左腕で私の振り下ろしを受け流し、その大きな腕部甲殻で死角を作ってしまった。

 私はこちらこそが……本命!⦆


 中将は豪剣法を用い、長靴ロングブーツ表面に付着させておいた鉱物粒子を瞬時に薄刃状はくじんじょうへと変化させた。

 完成した足刃フットエッジには金剛石ダイヤモンド粒子が固着しており、〈ダゴン益男〉に斬られた元々の都五鈷杵剣と遜色そんしょくない斬れ味を有する。


 確かに〈ハイドラ頼子〉の全身を覆う甲殻は硬い。

 だが、感覚器が集まる顔部と身体を稼働させる為に必要な関節や装甲の隙間は例外である。


 特に中将が注目していたのは、胸郭からはみ出る毛束状もうそくじょう組織。

 毛束状組織は鰓に当たり、その奥に心臓が位置する事も精査スキャンの結果判明していた。


 その隙間に金剛石足刃ダイヤモンドフットエッジを蹴り込み、奥の心臓を突く。

 それこそが中将の真の狙いだったのだ。


 造床法で足場を造り、右回し蹴りで胸部装甲の隙間に足刃フットエッジじ込まんとする中将。

 頼子の心臓目掛け足刃フットエッジを振るう。


⦅〈ハイドラ頼子〉、実に美しい獲物ひとだった。

 これから先、もう貴方のような獲物ひとに出逢う事はあるまい。

 この中将、今回の闘いを心から楽し……⦆


「……メッ⁉」


 文字通り息の詰まるような衝撃を受けた中将。

 熱湯に包まれた視界に水泡の発生を確認した刹那、名の由来でもある十六中将面が割れ、更なる衝撃が中将を襲った。


『ゴッ……』


 鈍い音が響いたかと思うと、中将は衝撃波と共に真後ろへ吹き飛ばされる。


 衝撃波で熱湯が吹き飛び、両腕で顔面を堅く防御する姿勢の〈ハイドラ頼子〉が浮かび上がった。

 彼女の身体からはモクモクと水蒸気が立ち昇っていて、特に右腕は蒸気機関車並みに放出が激しい。


 ふたりにいったい何が起こったのだろうか。

 その場面を解説と共に振り返ってみよう。


 中将の金剛石足刃ダイヤモンドフットエッジで心臓を狙われた〈ハイドラ頼子〉は、至極単純な手を使う。

 拳打パンチを放ったのだ。


ハイドラ頼子〉の放った拳打パンチは威力を求めたものではなく、威力よりも速さ。

 それも相手に当てる速さではなく、当てた後の戻しの速さを追求した突打ストレート


 全身の筋肉を引き絞って打った割には軽打ジャブ程度の威力だったが、その拳の戻りが余りにも速かったため水が減圧され蒸発。

 気泡まで発生した。

 元々熱湯だった事も後押しし、この工程はとどこおりなく進む。


 そして気泡が潰れて消滅する瞬間、莫大な衝撃波が発生した。

 その衝撃波は中将の胸骨を一瞬で粉砕。

 周囲の肋骨や鎖骨にも損傷を与えたのである。


 この気泡の発生と消滅を、空洞現象キャビテーションと云う。

 そう、纏っていた熱湯で〈ハイドラ頼子〉自身と中将の上半身を包み込んだのは、空洞現象キャビテーションを引き起こしその衝撃を伝達させる為だったのだ。


 自らの骨が砕けた音を聞く破目になり、大の字に倒れ泡を吹いている中将。


 そこへ〈ハイドラ頼子〉が捨て台詞を吐く。


「あら。

 面で隠していたからさぞかし醜男しこおだと思いきや、中々の色男じゃない。

 だけど、蟹みたいにだらしなく泡を吹いていては折角の色男も台無しね」


 猫拳ねこパンチならぬ蝦蛄拳しゃこパンチでノックアウトされた中将を尻目に、〈ハイドラ頼子〉は瑠璃家宮 達の加勢へと向かった――。





 外吮山頂上決戦 中盤 その九 了

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