外吮山頂上決戦 序盤 その六

 一九一九年七月 長野県重井沢 外吮山頂上





 戦闘開始から間もなく、中将は摩利支天・隠形法で姿を消す。

 天芭 隊長からの指示でもあり自身の望みでもある、〈異魚〉と〈ハイドラ頼子〉を仕留める為だ。


異魚〉と〈ハイドラ頼子〉の異相を眺め心中で呟く中将。


⦅美しい……。

 見れば視る程に焦がれてしまう。

 あのうろこえらひれ瞬膜しゅんまく……。

 観たい。

 彼女らの泳ぐ様を。

 彼女らの舞う様を。

 触りたい。

 彼女らの内面を。

 彼女らの中身を……⦆


 半ば恍惚こうこつの表情だった中将は素面しらふへと戻り、密印ムドラーを結び始めた。


 両手を軽く握り親指の爪と人差し指の爪の先端を合わせる。

 左拳は伏せ、右拳のてのひらを顔に向けるは金剛薩埵印。


 中将は『――オン・バサラ・サトバ・アク――』と真言マントラを唱え、〘金剛薩埵こんごうさった豪剣法ごうけんほう〙を成す。


 中将は、腰の留め具ホルダーにぶら下げていた都五鈷杵すべごこしょ二つを左右の手に握った。

 彼が霊力を注入すると、都五鈷杵の片側中央から刃渡り二尺(約六〇・六〇六センチメートル)ほど有る鋼鉄製の両刃が伸長する。


 単純明快な武器錬成術式。

 これが金剛薩埵・豪剣法なのだろうか。


 双剣を錬成した中将は、隠形法で姿を消したまま〈ハイドラ頼子〉へと走る。


⦅少々呆気あっけないが、このまま彼女の首をねるか。

 この方法が、彼女の美しさを最も保ったままほふれる……⦆


 中将が双剣を眼前で交差させ斬首に及ぼうとしたその時、突然に外吮山頂上の大気が振動した。


「ラ~~~~~~~~~~~~~~~~~♪」

「ラ~~~~~~~~~~~~~~~~~♪」

「ラ~~~~~~~~~~~~~~~~~♪」


異魚〉の音波放射である。

 それにより周囲の反響音を受信した〈異魚〉は、隠形法で身を隠していた中将の位置を瞬時に割り出した。


 当然、〈異魚〉と霊的共有状態にある〈ハイドラ頼子〉もそれを確認。

 すんでの所で中将の都五鈷杵剣すべごこしょけんを防ぐ。


「防がれてしまったか。

 なるべく貴方の美を汚さずに終わらせたかったのだが……。

 仕方ない。

 別の表現を模索するとしよう」


 隠形法の最中、対象である術者の声が周囲に聞こえる事は有り得ない。

 だが〈異魚〉の音波放射とその受信により、中将の肉声は〈ハイドラ頼子〉にも届いていた。


「コソコソと闇討ちするわ御下げ髪だわ。

 まるで女の腐ったような御仁ごじんですわね。

 恥を知りなさい!」


 このまま隠れていても霊力の無駄と悟り、中将は隠形法を解除する。


「初めまして〈ハイドラ頼子〉。

 貴方は美しい。

 だから私が殺す」


「美しいのは百も承知ですわ。

 でも、貴方にこの私が殺せるかしら?」


ハイドラ頼子〉が微笑むと、顎杖ジョーズロッドで防いでいた双剣を力任せに押し返す。

 神力の共有で、普段の膂力りょりょくとは段違いだ。

 これなら外法衆にも遅れは取らないと、〈ハイドラ頼子〉は気炎を上げ意気込む。


 顎杖ジョーズロッドは都五鈷杵剣より尺が長い分、間合いを取って打ち込める〈ハイドラ頼子〉。

 対する中将は一剣いっけんで彼女の突きを往なし、また別の一剣を返す。


 膂力で勝る〈ハイドラ頼子〉と手数で勝る中将。

 凄まじい速さで剣戟ラリーを繰り返す……。


 何十回目かの応酬を終え、互いの実力を把握したふたりは打ち合いを止めた。


 膠着こうちゃく状態に入って直ぐ〈ハイドラ頼子〉の脳内に珍客の姿が投影され、頭部には胞子除けの効果を持つ水の全周囲兜フルフェイスヘルメットが装着される。

 宮森と宗像の戦場から、珍客が侵攻を開始したのだ。


 珍客は〈ヴーアミ族〉に似た姿だが、身体の所々から木の幹に似た柔組織が覗き、特異な形状の傘も確認できた。

 そして、頭部が在るべき場所には短い突起を生やした渦巻き状の円盤。

〈ミ゠ゴ〉が幻魔の死骸を苗床として成長した、〈ミ゠ゴ幻魔〉である。


〈ミ゠ゴ幻魔〉の〈ヴーアミ族タイプ〉が二体、頼子の許へ跳び掛かって来た。

 敏捷性は元の〈ヴーアミ族〉よりやや劣っているものの、警戒心や恐怖心と云うものが無いため行動に迷いが無い。


 水分を送り込まれた顎杖ジョーズロッドが高速回転。

 珍客の胴体へと打ち込まれ、上半身と下半身を泣き別れにした……。


 珍客をあしらった〈ハイドラ頼子〉に更なる珍客。

〈ブホールタイプ〉の〈ミ゠ゴ幻魔〉二体だ。


〈ブホールタイプ〉は互いに申し合わせたかの如く稲妻形ジグザグ走行し、〈ハイドラ頼子〉へと迫る。

〈ブホールタイプ〉が鎌首をもたげ〈ハイドラ頼子〉へと襲い掛かった瞬間、中将はそれを見逃さず同時攻撃へと踏み切った。


ハイドラ頼子〉は同時攻撃を捌き切れないと判断し、〈ブホールタイプ〉から間合いを取る。


 そこに罠が在った。


 先ほど泣き別れになった〈ヴーアミ族タイプ〉二体の上半身が、有ろう事か〈ハイドラ頼子〉の両脚に組み付いて来たのである。

 顎杖ジョーズロッドを回転させ〈ヴーアミ族タイプ〉二体の腕をじり飛ばすも、そこへ中将が瞬時に肉薄。

 双剣で斬り込んだ。

 彼女は咄嗟とっさ顎杖ジョーズロッドで受けるが体勢を崩してしまう。


『ここで芋虫もどき(〈ブホールタイプ〉)に手間取ると終わる……』と、思念を発する〈ハイドラ頼子〉。

 すると、〈ブホールタイプ〉が居る一帯の大気が鈍く振動した。


 その振動は強力で、〈ブホールタイプ〉頭部の渦巻き状円盤が粉々になる。

 上体を起こしていた一体はそのまま地面に突っ伏し、もう一体は激しく体節を仰け反らせ半狂乱のていだ。


 どうやら、あの渦巻き状円盤が〈ミ゠ゴ幻魔〉の思念送受信器らしい。

 そこを破壊されてしまったので武悪からの命令を受け付けず、肉体の制御が出来ていないのだ。

 この情報は勿論、瑠璃家宮 陣営で共有される。


〈ブホールタイプ〉が役立たずとなるも、歯牙しがにも掛けず斬り込んで来た中将。

ハイドラ頼子〉を救う為、今度は中将 目掛け指向性音波を放射する〈異魚〉……。


 それを察知した中将は、〈異魚〉とは反対側に位置する〈ハイドラ頼子〉側面へと逃れる。

 こうする事により、〈異魚〉の放つ指向性音波と自身とで〈ハイドラ頼子〉を挟み込んだのだ。


 先の配置は中将にとって理想の布陣である。

 何故ならば、〈ハイドラ頼子〉を押し切って指向性音波に突っ込ませれば中将の勝ち。

 たとえ押し込めなくとも、〈異魚〉が〈ハイドラ頼子〉の身を案じて指向性音波の放射を止めるだろうし、仮に中将自身が危うくなった場合でも安全に後方へと逃れられる。


 中将は双剣を斜めに交差させ十字の構え。

 ここぞとばかりに〈ハイドラ頼子〉へと斬り込んだ。


 その時、〈ハイドラ頼子〉は内心で北叟笑ほくそえむ。


⦅かかった!

 奴は綾 様の放った指向性音波を、芋虫もどきを破壊した攻撃音波と同様に考えている。

 しかしその実は、私に力を与える為の振動波。

 振動波が私に到達すれば、私自身の身体を通じて闘杖とうじょう顎杖ジョーズロッド)が振動するよう調整されている。

 その振動波と闘杖の回転が合わされば……⦆


ハイドラ頼子〉は中将の接近に伴い、顎杖ジョーズロッドの柄より上部を高速回転させる。

 体内の水分を凝集して顎杖ジョーズロッド芯部にまで送り込み、圧力を増し加えるのも忘れない。


 そして〈異魚〉が指向性音波を〈ハイドラ頼子〉に向けて放ち、顎杖ジョーズロッドを激しく振動させた。

 瑠璃家宮の神力を共有している今なら、厚さ一五センチメートルの鋼鉄板をも易々とブチ抜けるだろう。


「中将と云いましたね。

 私達の美しさを目に焼き付けて……砕け散るがいいわ!」


 裂帛れっぱくの気合と共に打ち出された〈ハイドラ頼子〉必殺の突きが、十字に構えた中将の双剣と激突する。


『ブシイィィィーーーーーーッッン……』


 激突した瞬間、内部に充填されていた水を噴き出して顎杖ジョーズロッドが砕け散った。


「何ですってっ⁈」


ハイドラ頼子〉が驚愕している最中、中将は更に都五鈷杵剣へと霊力を流し込む。

 それにより、彼女を覆う障壁バリアさえも斬る力を得た双剣がはしった。


「こぉっ⁉」


 双剣は〈ハイドラ頼子〉を覆う障壁バリアを大胆に斬り取り、彼女の胸郭きょうかく大輪たいりんの花を咲かせる。

 肺や心臓を斬られた事を認識しつつ、血と粘液の池に倒れた〈ハイドラ頼子〉。


『頼子がやられた……』、その感覚を共有した瑠璃家宮 陣営に戦慄が走る。


ハイドラ頼子〉は薄まる意識を必死で呼び戻し、中将の都五鈷杵剣を詳細に精査スキャンしていた。


⦅普通の金属で私の闘杖を破壊する事など、出来るはずもない……。

 いったい奴はどんな方法で……。

 奴の剣の刀身が……光っているわね。

 まるで……天の星々をちりばめたみたいに、小さい光が沢山。

 キラキラして……とっても綺麗。

 あの輝きは、まさか……⦆


 都五鈷杵剣の刀身に宿る光。

 その正体は金剛石。

 詰まりはダイヤモンドである。

 では、斬れ味を鋭くする為に金剛石ダイヤモンドで全刀身を作るとどうなるか。


 金剛石ダイヤモンドは硬度こそ最高だが靭性じんせいがそれ程でもなく、翡翠ひすい鋼玉こうぎょく(コランダム)に劣る。

 又、劈開性へきかいせいも高いため特定方向に対して割れ易い。

 それゆえ衝撃に大変弱く、金剛石ダイヤモンドの刀身など一撃のもとに砕け散ってしまうだろう。


 中将はこの性質を逆に利用したのである。

 鋼鉄の刀身表面に微細な金剛石ダイヤモンド粒子を固着させ、折れにくさと斬れ味を両立させたのだ。


 そして〈ハイドラ頼子〉の顎杖ジョーズロッドと打ち合わせる度、細かい斬れ目を数多く刻み込んで行ったのである。

 それにより無数の斬れ目が入った顎杖ジョーズロッドは、〈異魚〉の放った振動波と〈ハイドラ頼子〉が水を流し込んだ際の圧力に耐え切れず、些細ささいな衝撃で破砕してしまったのだ。


 これが、金剛薩埵・豪剣法の能力である。


[註*靭性じんせい=材質の粘り強さ、壊れにくさの事]


[註*劈開性へきかいせい=鉱物の特定方向に対する割れやすさの事]


『〈ハイドラ〉を斃した』、思念のやり取りで喜悦きえつに満ちる外法衆。


『頼子が倒れた』、感覚共有でそれを味わう瑠璃家宮 陣営。


 彼らに迫る絶望の足音。


 瑠璃家宮 陣営は、その足音を掻き消す事が出来るのであろうか――。





 外吮山頂上決戦 序盤 その六 了

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