比星 家について その二

 一九一九年七月 長野県重井沢





 宮森が遂に話の核心へと切り込む。


「それで、比星 一族が外吮山の頂上で行なっていた事とは何なのですか?」


「……交わっておったのじゃんだよ

 比星 一族は山の頂上で交わっておったと。

 そう聞いた」


 宮森は伝承学に精通しているのでこれらの逸話いつわに耐性が有ったが、黙って聞いていた宗像は目を丸くする。


「では、当時の集落の人達はどのような処置を講じたのですか?」


「比星のもん達の気がれたと思うたんだらず思ったのだろう

 名主なぬしから奉行ぶぎょうに訴え出たそうだ。

 しかし、これといった沙汰さた下らねんだ下らなかったらしい。

 その後は、浅間山の噴火でそれどころではなくなったしの」


「なるほど。

 そのお話が真実なら、比星 一族の所為で浅間山が噴火したと思われても不思議では有りませんね。

 他には何か有りますか?」


 宮森のうながしを受けた久蔵 翁の顔は深刻さを増す。

 明日二郎が後催眠暗示を掛けていなかったら、ここから先の話は聞けなかったかも知れない。


「儂は播衛門が生まれた時から知っとる。

 播衛門が嫁をもろうてあいさもなくまもなくの事だったか。

 儂は集落の祭りの件で比星 家を訪ねた。

 母屋おもやにおらんかったから、裏の畑にでもおるんかと思うて行ってみたらの、野良のら仕事に使う道具小屋でに及んでおった。

 ふたりは夫婦じゃし自然な事だから、儂は気まずくなって立ち去ろうと思うた。

 だが、運が悪いというか魔が差したというか、紗依さえさんと播衛門の言葉が耳に届いしまっての。

 悪いとは思うたんだが、つい聞き耳を立ててしもうた……」


「それでは、紗依さんの方は何と云う言葉を口走っていたのですか?」


「確か、兄様あにさま、と言うとった。

 の兄様と……」


「なおの兄様、ですか。

 他には?」


「播衛門の方は紗依さんを呼ぶ時に紗依、とは呼ばず……、と呼んでおったのよ。

 儂にはそれがひどく不気味で。

 うのていで逃げ帰ったわ」


 兄様、の意味はして知るべし。

 宗像は顔をしかめ、明日二郎の思考は硬直した。


 宮森は更に訊き込む。


「あいば、なお……。

 考えられる可能性は、播衛門さんや紗依さんを含む比星 一族が、戸籍名とは別の名前を持っていた、と云う事ですかね。

 それについては久蔵さん、何か心当たりは有りますか?」


「それがな、浅間山が噴火して直ぐの時分だったと聞いとる。

 ひとりの妙な雲水僧うんすいそうがやって来て、被害の大きかった嬬恋村つまごいむらで経を読み死者をとむらって行ったのよ」


「妙な雲水僧……。

 妙とは、奇妙だとか不思議だとかの意味ですか?」


「そうだ。

 坊さんの旅装、裳付衣もつけごろもだったか。

 あれは普通、墨色すみいろだろうだらず

 その雲水僧の裳付衣は、それは鮮やかな緑色だったそうだ。

 この国のもんではなく、支那しなかどっかから渡って来た僧かも知れん。

 それだけよ」


[註*裳付衣もつけごろも=主に僧が着用するすそが長い衣。

 大概の場合黒色である]


 宮森はその妙な格好の雲水僧にどこか引っかかるものを感じたが、今は話の続きを急ぐ。


「服装がこの国の僧とは違っていたと……。

 で、どうなったのです?」


「ああ。

 その雲水僧を嬬恋村まで案内したもんがおるんだが、そのもんが言うにはの、『この噴火を引き起こしたのは【上鳥居かみとりい】だ』、と雲水僧が漏らしたらしい。

 案内したもんが『上鳥居とは何か』と尋ねた所、『外吮山の麓に住む一族の事だ』と。

 比星家は噴火前に気の触れた行ないをしておったからの。

 話は直ぐ周辺集落にまで広がった。

 お役所にも話が行ったようだが、相手にはされんわな。

 それに、後に起こった飢饉で比星 家は多くの人々に食いもんを分け与えた。

 その事もあってか、雲水僧の言うた事はいつの間にか有耶無耶うやむやになってしもうた、という訳だ。

 今あんたさんが言うとった通り、人別帳にんべつちょうには比星の何某なにがしで付けられておったからな。

 別の氏名はあるやも知れねえ」


[註*人別帳にんべつちょう=簡単に説明すると、江戸時代中期以降の戸籍の事]


 久蔵 翁の話に納得したのだろうか、宮森は又も質問の矛先を変える。


「播衛門さんや澄さんに、他の兄弟はいらっしゃいましたか?」


「いや、おらんかった。

 播衛門はひとり息子だったし、播衛門の子供もお澄坊だけだな。

 後、紗依さんの親戚が訪ねて来る事もなかったの」


「そうだったんですか。

 では、最近の事をお尋ねしますね。

 澄さんの出産の事はご存知でしょうか?」


「ああ、知っておるよ。

 男の子を出産した」


「薬売りは来ましたか?」


「そういえば来んかったな。

 偶々たまたまかの……あっ!」


 何かを思い出したのか、不意に声を上げる久蔵 翁。


 宮森がここぞとばかりに食い付く。


「久蔵さん、何か有ったのですか?」


「そうそう、来た、来よったわ薬売りが!」


「では矢張り、澄さんの出産時に薬売りが来たのですか?」


 久蔵はしきりに手を振りそれを否定する。


「違う違う、お澄坊の出産の時じゃねえ。

 播衛門が死んだ時よ、死んだ時にあの薬売りが来よったわ!」


「播衛門さんが死んだ時に……。

 では久蔵さん、今までのお話を改めて整理させて下さい。

 薬売りは通常、比星 家でお産がある場合に現れていた。

 でも何故か、播衛門さんが死んだ時にも薬売りが現れた、と」


「そうだ。

『お産でもないのに何で薬売りが来るのか』と、儂は不思議に思うとったからな」


 謎の薬売りと云う新たな因子いんしが加わった為に、比星 一族の謎は今まで以上に深まる。


 それを少しでも解明しようと訊き込みを続ける宮森。


「澄さんの旦那さんはどういう方でしょうか」


 よほど答えたくない問いだったのか、今年九十歳を迎えるとは思えない機敏きびんさで顔をそむける久蔵 翁。

 しかし明日二郎の後催眠暗示には逆らえないようで、若干苦しむ素振りを見せて語り始めた。


「……判らん。

 くちさがないもんは、ある事ない事言いよるから。

 ほれ、この町は何年か前から外国人宣教師どもが教会なんぞ立てて住み着いておるだらずだろう


聖架教せいかきょうの神父や牧師達ですね。

 彼らと関わりが?」


「播衛門はそ奴らから西洋医術を学んでおったからの。

 舶来はくらいの医学書やら何やらも読みよったし、外国語も少し話せたようだ。

 だから、宣教師とその仲間達とも懇意こんいにしておったのよ。

 それであのような噂が立てられたんだらずなだろうな


「あのような噂、ですか」


「お澄坊が野良仕事で山に入った時に、その外国人共に手籠てごめにされた、とか云う噂だ。

 まあ、本当にそうなら播衛門が黙っておらんわ。

 あの男は気性が激しく執念深いからの。

 いくら外国人でも、只では済まさんて」


「播衛門さんは家族を大切にされる方だったようですね」


「そうだ。

 播衛門はひとり息子だったし、何と云うか、一族に誇りを持っておったよ。

 お澄坊があんな身体だったから、幼少の時分はいじめられておっての。

 そん時も播衛門は、相手が子供でも容赦なく叩きのめしておったな」


 久蔵 翁の明かした播衛門の一面に、何故かしっくり来る宮森と明日二郎。

 しっくり来ないのは宗像だ。


「幾ら自分の娘いじめられた云うたかて、子供叩きのめす事までするんでっか、その播衛門っちゅう奴は!」


「播衛門が娘を苛めた子供らに暴力を振るう事件は何回か起こったがの。

 播衛門は腕のいい医者だったし、集落のもんは格安でもろとったから、周りも強くは言えんかった。

 そのお蔭か、直接お澄坊を苛めるもんも居なくなったしの」


 未だ怒りが冷めやらぬ宗像の代わりに宮森が応答する。


「では、澄さんの父親が外国人と云う線は無さそうですね」


「外国人は宣教師達だけでねえからの。

 素行の悪いもんも多い。

 お澄坊の話からはれるが、外国人が住むようになってから幽霊を見ただの、化けもんを見ただのという話も聞くようになった……」


「幽霊と化け物、ですか」


「すまんすまん、お澄坊の話とは関係ねえからの。

 で、お澄坊の旦那の事だがな。

 播衛門に直接きいた事がある」


 久蔵 翁のげんに宮森は大仰おおぎょうに反応した。


「直接お訊きになったんですか⁈

 それで……」


「何でも、大層な家柄のお大尽だいじんだと言うておったの。

 普段は仏頂面ぶっちょうづらの播衛門がやけにニコニコしとったもんだから、気持ち悪くてしょうがなかったわい。

 本当に嬉しそうな表情だったからの、外国人や破落戸ごろつきに手籠めにされてはおらんだらずだろうな」


「それは良かった。

 では、澄さんが無事に出産された時には播衛門さんの喜びも一入ひとしおだったでしょうね」


 宮森の言葉で、久蔵 翁の表情には物悲しさがつのる。


「実はな、お澄坊が出産してからしばらくして……紗依さんが亡くなった。

 元々身体も丈夫な方じゃなかったしの。

 仕方ねえ事かも知れんが……」


「久蔵さん、浮かない顔ですね。

 何か有るんですか?」


「紗依さんが亡くなっておかしくなったのか、それとも気丈に振る舞った末なのか……。

 播衛門がの、紗依さんの死をまあず全く悲しまんのじゃんだよ


「え⁉

 それはどういう……」


「言うた通りよ。

『孫が生まれた以上、比星 家は益々安泰あんたいだ!』と喜んでばっかばかりおった。

 儂には何が何だか解らんかったわ」


「播衛門さんは複雑な人だったと……。

 それで、澄さんの産んだ男の子の名は……」


 久蔵 翁が答えようとした時、嫁御が昼食の膳を持って来る。


 嫁御が来た以上、もう重要な話は訊けまい。

 明日二郎も諦めて後催眠暗示を解いた。


「もうお昼ですから、お客さん方も食べて行って下さい」


「おお、もう昼飯時か。

 あんたら、こんな老い耄れの話を長々と聞いてもろうて済まんかった。

 それにそこのあんた、先生の方だ。

 あんた、さっきから一升瓶の方をチラチラと見とったの。

 酒に目がねえんだらずないんだろう

 あんたらが持って来てくれた酒だ、一杯やらんかね?」


 久蔵 翁の誘いに目を輝かせる宗像。

 宮森も仕方なし、と云った風に折れる。


 こうして、宮森 達は比星 一族の片鱗へんりんとらえる事が出来た。


 しかし、これらの片鱗がどのような全貌ぜんぼうを見せるのか、まだ彼らは知らない――。





 比星 家について その二 了

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