いざ、重井沢へ その二

 一九一九年七月





 身重の綾の事もあり、重井沢へは二日がかりの道行きとなった。


 先ずは東北線で埼玉の大宮おおみやを目指し、大宮からは高崎たかさき線で群馬の高崎まで。

 高崎で一泊してからは、信濃しなの線で重井沢駅に到着した。


 次に一行いっこうは国鉄から草津重便くさつじゅうべん鉄道に乗り換え、新重井沢しんおもいさわ駅から三高みたかホテルそばの三高駅を目指す。

 重井沢は日本有数の保養地リゾートと云う事もあり、草津重便鉄道の客車は美しく装飾されていた。


 全面硝子ガラス張りの展望客車から、高原の眺めを楽しむ一行。

 綾と瑠璃家宮も、御忍び新婚旅行を満喫しているようだ。


 そして、当座の宿泊先である三高ホテルへと行き着く。


 三高ホテルは純西洋式の木造建築で、重井沢の鹿鳴館ろくめいかんとまで呼ばれる場所だ。

 開業当初こそ外国人客で賑わったが、大昇たいしょうの世に入ってからは国内の上流階級も頻繁に訪れ、高級社交場サロンとしての機能も果たすようになる。


 旅の道程で仮名を使わざるを得なかった一行だったが、この三高ホテルに一般市民は出入り出来ない為、本名でのやり取りが解禁された。

 一行は予約していた二階の客室へと集まり、瑠璃家宮の指示を仰ぐ。


「皆の者、ここまでの旅程は瑕疵かしなく終えられた。

 余からも礼を言う。

 これからの行動であるが、明日はひと先ず旅の疲れを癒そうではないか。

 各々おのおのの思うままに過ごすが良い。

 ただし、羽目はめを外し過ぎんようにな。

 特に宗像、頼むぞ」


 名指なざしで念を押された宗像は、ばつが悪そうにうつむいた。

 どうやら宴会は御預けのようである。


 多野 教授が一言付け加えた。


「ここ重井沢には、海外の魔術結社に在籍している外国人も多数生活している。

 その為、大昇帝 派の工作員達も無闇むやみに狙っては来んだろう。

 物的、人的被害が出れば事だからな。

 だが単独行動は慎んで貰いたい。

 必ずふたり以上で行動するように」


 先程さきほどの一言で行動する際の相棒はおのずと定まってしまった。

 綾と瑠璃家宮、多野と蔵主 社長、権田 夫妻、宗像と宮森の組み合わせである。





 一九一九年七月 重井沢 三高ホテル





 宮森は今日の行動指針を得る為、多野に相談している。


「多野 教授、宮司殿はここらの出身だそうですが、具体的な住所はどの辺りになるのでしょうか?」


「ふむ。

 ここから街まで降りて西へ行くと、標高二〇〇メートル程の低山がある。

 外吮山そとすやまと云う名だ。

 播衛門 殿が亡くなるまで、比星 一族はそこに屋敷を構えていたのだ。

 尤も、屋敷自体は既に取り壊され土地は蔵主ぞうす 地所じしょが買い取っているがね。

 明日はそこに向かう予定だが、何かあるのかね、宮森 君?」


「いえ。

 目星が付いているならいいのです。

 自分は只、宮司殿の一族の由来に興味が有りましてね。

 それだけです」


「研究熱心な君らしいな。

 比星 家がこの重井沢を離れて、まだ三年も経っておらん。

 当時の様子を知りたければ、地元の者に話をけば良かろう」


 そう云う事で、宮森の予定は決まった。


[註*蔵主ぞうす 地所じしょ=蔵主 財閥傘下の不動産会社。

 狙った土地は非合法な手段を使ってでも絶対に手に入れる、早い話が地上じあげ屋(作中での設定)]


 宮森と宗像が準備を整え客室から出ると、そろって外出する蔵主と多野に行き会った。


 宗像が行き先を問う。


「蔵主 社長、今日はどこに行きはるんか?」


「今日は小瀬おぜまで足を延ばそうかと思いましてねぇ」


「ああ、小瀬は確か温泉がるんやったな。

 ええなー。

 宮森はん、ワイらも温泉いかへんか?」


 宗像の提案をにべもなく断る宮森。


「自分は比星 家の調査をしたいので絶対に行きませんからね。

 それに、温泉はもうりですよ……」


「せやけど、そのお蔭でワイと出会えたんやないか!

 それを宮森はんは懲り懲りやと……」


 気色けしきばむ宗像だったが、蔵主が割って入る。


「いやぁ、温泉に入りに行くわけではありませんからねぇ。

 わたくしは鉱山も経営しておりますのでぇ、視察も兼ねて見て回ろうかとぉ。

 だからわたくし共に付いて来ても面白くないと思いますぅ」


「そやったんですか。

 ほなおふたりさん、行ってらっしゃい」


⦅さっきまであんなに行きたがってたのに、温泉に入らないとなった途端これだもん……⦆


 宗像の切り替えの早さがうらやましくなる宮森であった。





 多野の言い付けで宗像と行動を共にする(しかない)宮森は、街の商店で大小の菓子折かしおりと酒を買い求めていた。


 その様子を見た宗像が『待ってました!』と顔をニヤ付かせる。


「菓子折りに酒とは、宮森はんも気が利いとるのぉ。

 ほな、物見遊山ものみゆさんがてら一杯いくか!」


「これ、宗像さんと呑む為に買った訳じゃないんですよ。

 何か食べたいならご自分でどうぞ。

 あ、お酒は駄目ですからね。

 自分が多野 教授に叱られますから」


「ちぇっ、宮森はんもケチ臭いこと言いよってからに……。

 じゃあ、誰にうたんや?

 それ」


「これですか。

 これは取材の必要経費ですよ」


 そう言って宮森は、賑わう街から離れて農家の集まる集落へと足を向けた。


 街外れの集落では、繁華街の繁栄が嘘のように前時代的な……いや、重井沢の繁華街や帝都が異常なのである。

 この国には未だ大都市は少なく、大半の国民が第一次産業に従事していた。

 一極集中の政策で地方の工業化が後回しにされているからである。


 宮森 達はなるべく古そうな民家を見付け、比星 家の事を良く知っている人物を訪ね歩いた。


 方々ほうぼうを探し歩いた御蔭でその人物が見付かる。

 何でも、今年で九十歳を迎える町の古老だとか。


 宮森 達は早速その古老の許へうかがう。


「ごめん下さーい。

 こちらに佐藤さとう 久蔵きゅうぞうさんはいらっしゃいますでしょうかー」


「はーい、どちらさんで……」


 奥からは中年女性が出て来たのだが、見知らぬ書生しょせいと脂ぎった中年に警戒の眼差しを向けている。


 ここで宮森は伝家の宝刀である菓子折りを渡し、まんまと家に上げてもらう事が出来た。

 菓子折りを進呈された中年女性は久蔵 おうの孫の嫁であるらしく、ホクホク顔で宮森達を久蔵 翁の許へと案内する。


「初めまして久蔵さん。

 こちらにおられるのは、博物学者の宗像 先生です。

 自分は先生の助手を務めております、宮森と申します」


「あんだって?」


 耳に手を当てる久蔵 翁の仕草をみた途端、宮森に愚痴ぐちる宗像。


「あかん、この爺さん耳遠いで。

 満足に話聞けんとちゃうの?」


 しかし宮森は諦めない。


「はーじーめーまーしーてー、久ー蔵ーさーん。

 こーちーらーにー……」


 宮森が声を張り上げて久蔵 翁に語り掛けるが一向いっこうらちが明かない。

 その様子を見兼ねたのか、孫の嫁が申し訳なさそうに茶を差し入れて来た。


「ごめんなさいね~。

 うちのおじいちゃん耳が遠くて、えれえ大声を出さなくちゃかなりの大声を出さなくちゃ聞こえねえんじゃん聞こえないんですよ


「大丈夫ですよ。

 自分には心得がありますから」


 宮森は嫁御よめごが引っ込むのを待ち、精神感応テレパシーを使って久蔵 翁に語り掛ける。

 勿論もちろん、怪しまれないよう肉声も同時に発する事は忘れない。


「佐藤 久蔵さんですね。

 我々は、この土地の伝承、言い伝えなどを調べている大学の者です。

 自分は研究員の宮森と申しまして、お隣は博物学者の宗像 先生です。

 お話を伺ってもよろしいでしょうか?」


 宮森は大声を出していない筈なのに久蔵 翁が反応する。


「はー、学校の人。

 何の話を聞きてえのかね」


「はい。

 ほんの最近まで外吮山のふもとに住んでいらした、比星さんのお話を聴きたいのです。

 宜しいですかね?」


 比星、と耳にした久蔵 翁は一瞬表情を曇らせたが、宮森が脇に抱えていた一升瓶いっしょうびんを眺めては、元の晴れやかな表情へと戻った。


「比星さんの事か、構わんよ」


「ありがとうございます。

 あ、これをどうぞ」


 持参した地酒を進呈し、久蔵 翁の機嫌を取る事に成功した宮森。

 愈々いよいよ訊き取りに入る。





 いざ、重井沢へ その二 了

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