第一節 いざ、重井沢へ

いざ、重井沢へ その一

 一九一九年七月 帝居ていきょ歓談室





食屍鬼グール〉達による帝居襲撃から二日後、宮森みやもり宗像むなかた瑠璃家宮るりやのみやもとせ参じていた。

 帝居御所ごしょ中宮殿なかきゅうでんにある歓談室内には、瑠璃家宮の他にあや多野たの 教授、権田ごんだ 夫妻がすでに着席している。


 宮森と宗像の到着を確認し、多野が代表して今後の計画を語り始めた。


「宮森 君と宗像 殿が来たようなので、これからの事を説明したい。

 殿下や蔵主ぞうす 社長、渡米中で今はここにおられない草野くさの 少佐とした結果、宮司ぐうじ殿とその母御ははごであるすみ 殿の奪還を決定した。

 出発時刻は三日後の朝。

 行き先は、長野県の重井沢おもいさわだ」


 宗像が挙手して多野に質問する。


「多野 教授、そこに行けば宮司はんがおる確証が有るんでっか?」


「元来、比星ひぼし 一族は重井沢にきょを構えていた。

 帝都に移って来たのは播衛門ばんえもん 殿が亡くなってからになる。

 ゆえに、重井沢に戻った事は想像にかたくない。

 帝居襲撃を指示したと思われる〈白髪の食屍鬼〉は比星 播衛門を名乗っていた。

 奴が本当に播衛門 殿であるならば、重井沢に戻っている可能性は高い」


 瑠璃家宮が多野の説を補足する。


「それだけではない。

 帝居襲撃のその日から大昇帝 派の動きが活発化している。

 先ほど寄せられた報告では、外法衆げほうしゅう本部の高野山こうやさんから、幾人いくにんかの人物が重井沢に向け出立したとの情報が入った。

 となると、外法衆が出陣して来たと見て間違いあるまい」


「げ、外法衆⁈

 外法衆うたら、天芭てんば 史郎しろう率いる魔術実戦部隊やないですか。

 それも、正隊員ひとりひとりが軍の一個中隊に匹敵する化け物共や聞いてますけど……」


 外法衆と云う単語を耳にした宗像の怯えはもっともである。

〈ショゴス〉との細胞融合によって超人的な能力を得るに至った権田 夫妻でさえ、外法衆隊長の天芭 史郎ただひとりに半殺しにされたのだから。


 多野が瑠璃家宮の説明をぐ。


「その外法衆が出張でばって来たのであるならば、並みの術者では歯が立たんからな。

 こちらも全力をもって対抗せねばならん。

 その為、ここにいる全員と明後日到着する蔵主 社長の重井沢行きを決定したのだ」


 今度は宮森が挙手して多野に質問する。


「そ、それは、殿下も御一緒に、と云う事でしょうか?」


「そうだ。

 殿下だけではなく、綾 様も御一緒頂く」


「あ、綾 様もですか⁈

 身重みおもの綾 様に万一の事が有っては……」


 宮森が発する懸念けねんに、綾は臨月りんげつ間近の腹をさすなが屈託くったくのない笑顔で答える。


「大丈夫だよー。

 この子が守ってくれるから」


「し、しかし、大昇帝 派と会敵してしまった場合、綾 様が真っ先に狙われる恐れが有りますよ!」


 危惧きぐを表明する宮森だったが、瑠璃家宮が鷹揚おうように制する。


「宮森の杞憂きゆうもっともだ。

 だが、正体がほとんど判っておらん〈食屍鬼〉共に外法衆の手練てだれが相手では、其方そなた達だけではが勝ち過ぎる。

 と綾ばかりが、この帝居で拱手傍観きょうしゅぼうかんしている訳にもいくまい。

 綾ばかりを帝居に残しても、大昇帝 派に攻められれば押し切られようぞ。

 此度こたびにおいては、戦力の分断は悪手あくしゅだと余は判ずる。

 念の為、高野山周辺には海軍陸戦隊二千を配した。

 外法衆全員が出て来る事はあるまい」


「殿下の御考え、この宮森の身に染みました。

 つつしんで承服しょうふくいたします」


 多野が今回の遠征での注意点を挙げた。


「今回の旅程では、殿下と綾 様は当然身分を隠される。

 市井しせいの者達の前で、殿下、綾 様などと御呼びせぬようにな。

 これから仮名を教える故、そちらでの対応を頼むぞ。

 では、宗像 殿と宮森 君には三日後の朝に使いを寄越よこすので、それまで不摂生ふせっせいをせぬようにな」





 一九一九年七月 宮森の下宿先





 帝居での会合の後、宮森は自室で精神を集中していた。

 帝居への〈食屍鬼グール〉襲撃事件の際、宮森の脳中のうちゅうからいなくなってしまった明日二郎あすじろうを探すためである。


 探すとは云っても宮森 自身も監視されている身。

 外部へ向けての思念放射などは行なえない。

 あくまでも、自身の肉体と意識をさらうだけである。


 宮森は今日何度目かの精神集中を終えたが、一向に明日二郎の気配は無い。


 日も傾きかけた頃、階下から女将おかみの声がした。

 夕餉ゆうげの用意が出来たのだろう。


「宮森さ~ん、お夕飯できたわよ~」


「はーい、いま行きまーす」


いてもしょうがない……』宮森はそうりを付け夕餉に与る事にした。


 今日の献立は、胡瓜きゅうり胡麻和ごまあえにやっこ、野菜と鶏肉の煮物に麦飯むぎめしである。


「今日も暑かったからね~。

 さっぱりしたものがいいかと思って……あら、なんか宮森さんお顔が強張こわばってるわ。

 いったいどうしたの?」


 女将の呼び掛けなど耳に入らない様子の宮森。

 彼の脳中には、あの懐かしい思念が戻って来ていた。


ずは、滋味じみあふれる豆腐のうまみで舌を落ち着けたい。

 うん、疲れた(ミヤモリの)身体に優しく語りかけてくれるぞ。

 鰹節かつおぶしの風味がアクセントとなって、減退していた食欲も回遊し始めた。

 お次は胡瓜の胡麻和え。

 やっぱり夏は胡瓜、これに限る!

 胡瓜はいま旬真っ盛り。

 瑞々みずみずしくもたくましいお姿だが、これだけだと青臭いかんぼうになってしまう。

 しか~し!

 その利かん坊に寄り添ってくれるのが胡麻の老兵。

 この老兵がワンパクざかりの若武者を時に制し、時に導く。

 若武者が一人前の武士もののふに成長した時、そこに老兵はいない。

 香ばしい風味を残してただ、消え去るのみ……。

 御涙頂戴おなみだちょうだいの一大歴史スペクタクルを堪能たんのうしたら、お次はド派手なバディ物だ!

 煮物の甘辛い味付けが暑さに耐え忍んだ身体を巡っては、身体中の細胞一つ一つに宿っているミトコンドリアを目覚めさせる。

 自らの使命に目覚めたミトコンドリアは相棒を指名するのだ。

 だが、その相棒は危険な奴だぜ壊し屋なんだぜ。

 どんな奴なんだ、だって?

 フフフ……それは酸素だ。

 めったやたらに反応して細胞を劣化させたり、ヒドイ場合は機能不全に追い込む悪魔。

 しか~し!

 ミトコンドリアはその危険な奴を相棒にしてエナジーを生み出す!

 ミトコンドリアと酸素のアブナイ関係。

 それはまさしく、タカとユージの……』


『おい』


『へっ?』


『へっ?

 じゃないよ。

 明日二郎、お前いま何やってる』


『ナニって、食のよろこびを体現しておる所よ』


『じゃあ、今までどこ行ってたんだ』


『ミヤモリの言う所の、今までって何?』


『お前な~!』


 顔面が憤怒面ふんぬめんに変わりそうになるのを必死でこらえる宮森。


 宮森の表情筋に極度の異常を見出みいだした女将が心配そうにのぞき込む。


「宮森さん、お顔が大変なことになってるわ。

 具合悪いの?」


「い、いえ……。

 あ、暑さで頭の方がやられちゃったのかな~」


「いけないよ宮森さん。

 熱射病かしらね。

 お水飲む?」


「女将さん大丈夫です。

 そこまでではありませんよ……」


 女将には何とか言いつくろっているが、脳中の相棒には歯にきぬ着せぬ物言いをぶつける。


『ホント心配させやがって。

 自信過剰で、自己愛傾向のある自称プレイボーイが!

 そうか、プレイボーイだからどこぞの邪霊としけこんでいたのかなー』


『んにゃろ!

 言いたい放題いいやがって!

 オイラには宮森がナニ言ってっか解んねーっつうの!』


『あーそうですか、しらを切りますか。

 じゃ、明日二郎が嫌がる事しちゃおー』


 宮森は胡瓜の胡麻和えを麦飯の上にぶっかけ、しきりにき込み始めた。

 それだけではなく、冷や奴と煮物も一緒くたにして胃にぶち込む。


 普段は早食いなどしない宮森を見て、本当に大丈夫かと不審がる女将。


「宮森さん、もうちょっと落ち着いて食べなさいな。

 咽喉のどに詰まらすわよ……」


ふぃえいえふぉれべぇふぃいんでふこれでいいんです!」


 その惨状に耐え切れない明日二郎が慟哭どうこくした。


『やめて、お願いだからやめて~。

 ちゃんと味わって食べて~。

 食の悦びを恵んで~!

 ってか、オイラが何したって云うんだ。

 いつも通りだろ……』


もふぃふぉがまべふぃふぁご馳走様でした!」


 本気でションボリしている明日二郎を尻目に、宮森は冷酷にもそのまま食事を終わらせ自室へと戻る。





 御互おたがいに不本意な形での夕食を終え、ふたりはこれまでの経緯いきさつを擦り合わせていた。


『だとすると明日二郎。

 お前は、澄さんの居た旬梅館しゅんばいかんに入る前からの記憶が無い事になる』


『そう、なるかな。

 何で自分の記憶が無いのか解らん。

 さっき戻って来るまで、どこに居たのかすらもな……』


『あの〈白髪の食屍鬼〉の仕業なのかも知れないが、確証は無い。

 それに自分らが旬梅館の二階に上がった時、お前から言い表しようのない感情が流れて来た。

 奥の部屋には澄さんが居たんだから彼女に関係するんだろうけど、消えてしまうとなると自分じゃお手上げだ』


『オイラにも何が何やらさっぱり解らん。

 オニイチャンもジイ様を名乗る〈白髪の食屍鬼〉に付いてったって云うしな。

 どの道オニイチャンを救出しに行くんだろ?

 行って確かめるしかねーな』


『明日二郎、故郷の重井沢の事は憶えていないのか?』


『それも憶えてねーんだな、これが。

 オニイチャンに何かされてる可能性はあるけど、信じたくはねーな……』


『そうか。

 ならばもう言う事はない。

 三日後に備えよう』


 疑問の残る結果となったが、明日二郎が戻って来て一安心した宮森。


 微々たる時間ではあったが、ふたりは再会を喜び重井沢行きの決意を新たにした。





 いざ、重井沢へ その一 了

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