灰色の夜明け その三

 一九一九年七月 帝居御所内 旬梅館





 旬梅館に到着した時、その凄惨せいさんな有り様に宮森は言葉が出なかった。


 言葉を失った宮森の代わりに、興奮の色が垣間かいま見える〈ダゴン益男〉が状況を代弁する。


「ものの見事にやられましたね。

 逃げ遅れた御雇い外国人や外国の要人、そしてその達がことごとく殺されている。

 肝心の〈食屍鬼〉共はもう居ません。

〈食屍鬼〉共が死体を置き去りにして姿を消すなど到底あり得ませんが、今回に限っては常識が通用しないようです。

 宮森さん、もう生存者は居ないかも知れませんが、一応捜索してみますか?」


「はい。

 二階へ向かいましょう……」


 一階に散乱する遺体は喰い掛けも喰い掛け。

 少々はしを付けた程度のモノだった。

 余りに上品過ぎて、〈食屍鬼グール〉の仕業にしては疑問が残る。


 何者かの意志が介在している事は間違いないと踏んだふたりは、二階へと移動した。


 二階も一階に負けず劣らずの惨状である。

 全ての遺体は四肢が千切れ飛び、血と脳漿のうしょうと排泄物が混じって悪臭を充満させていた。


 その光景を見た直後、宮森の脳中に奇妙な感覚が広がる。


『どうした明日二郎⁉

 流れて来るこの感情は何だ!

 お前に何が起こっている?』


 明日二郎に呼び掛けるが応答は無い。



 そして、明日二郎の存在自体が、宮森の脳中から消える――。



⦅明日二郎との精神感応連鎖が切れたのか?

 いや、この感覚はそれだけじゃない気がする。

 ここに何かが有るのか……⦆


 自問してはみるものの、答えを見出せない宮森。


 これまでにない緊急事態だが、中継役の明日二郎が消えた事で、今日一郎との精神感応テレパシーも出来なくなった。


⦅明日二郎の事は心配だが、今はやれる事をやるしかない……⦆


 そう気持ちを切り替えた宮森は、二階の部屋を一つ一つ回って行く。

 そして廊下奥の部屋に違和感を覚えると、その正体を〈ダゴン益男〉に問い質した。


「益男さん、一番奥のあの部屋は何です?

 接待部屋……ではないようですね。

 従業員の控室か何かですか?

 障子も破れてないし、あの部屋の前だけ〈食屍鬼〉の足跡が見当たらない。

 この状況で荒らされないのは明らかに不自然です」


「あれは確か……いえ、私の口からは何とも。

 とにかく入ってみましょう」


 口をにごす〈ダゴン益男〉をいぶかる宮森だったが、今は明日二郎が居ないので無理は出来ない。

 ふたりは警戒態勢を維持したまま、奥の部屋に突入する。


 コルトM1911を構え障子戸を開け放つ宮森。

 敵が飛び出て来た場合に備え、身を低くして障子戸の陰に隠れた。


ダゴン益男〉も素早く迎撃げいげきできるよう、ウィンチェスターM1912を構える。


「……どなた、ですか?」


 部屋内に〈食屍鬼グール〉はおらず、居たのはひとりの女性。

 納戸色なんどいろの地味なつむぎ姿で、非常に小柄な体格。

 真っ白な肌と髪が嫌でも目を引いた。


[註*納戸色なんどいろ=暗くくすんだ緑みの強い青色]


 宮森はこの女性を知っている。

 比星 兄弟ブラザーズと初めて会話した日、今日一郎が伝えてくれた場景イメージの中に彼女の姿が在った。


 彼らの母、比星 すみである。


 澄の持つ撫子色なでしこいろの瞳に、思わず見蕩みとれてしまった宮森。

 比星 兄弟ブラザーズの母御と云う事で、少々動揺どうようしたまま安否を尋ねる。


「そ、そこの御方、御怪我は有りませんか?

 今から我々が安全な場所まで護衛しますので、付いて来て下さい」


「……はい」


 澄は、小動物にも負けそうなか細い声で承諾する。

 立ち上がった彼女が宮森の差し出す手を取ろうとしたその時、〈ダゴン益男〉が緊迫した声で叫んだ。


「ふたりとも伏せて!」


 ふたりが畳に伏せるのと同時に、外に面した窓硝子ガラスが粉々に割れた。


 突如として窓辺に現れたのは、黒衣の怪物〈夜鬼ナイトゴーント〉。

 のきを両足で掴み、逆さにぶら下がった格好である。

 その冒涜的な様相はまさに【吊られた男ハングドマン】。


夜鬼ナイトゴーント〉の派手な登場に驚いた宮森と澄は後退。

ダゴン益男〉は前に出て、ウィンチェスターM1912を派手にぶっ放す。


ダゴン益男〉が銃把筒ハンドグリップを操作すると、銃口からは次々と散弾が撃ち出された。

 喞筒操作式散弾銃ポンプアクションショットガン十八番おはこ連続射撃スラムファイアである。


 いま発射されている散弾は、魔術師が使用する前提で調整された爆裂弾だ。

 例えさいわにの皮膚だろうと、飛びぜる事はまぬがれない。


 その爆裂弾を装弾数五発とも全て叩き込む〈ダゴン益男〉。

 流石の〈夜鬼ナイトゴーント〉も飛び立てず、両腕を交差させ防御姿勢を取る。


ったか……⦆


ダゴン益男〉が希望を抱く中、爆裂弾の燃焼による煙が晴れる。


 窓辺から姿を現したのは、無傷の〈夜鬼ナイトゴーント〉。

ダゴン益男〉の希望は、煙と共に消え去った。


 宮森は気付く。

夜鬼ナイトゴーント〉が〈鎧食屍鬼アーマードグール〉と同じく、限度指定障壁リミテイションバリアを展開していた事に。


『しまった!』と宮森が思った時には既に遅く、〈夜鬼ナイトゴーント〉が部屋内に侵入してしまった。

ダゴン益男〉は弾切れのウィンチェスターM1912を畳へ放り出し、〈夜鬼ナイトゴーント〉に組み付こうと体当たりタックルを仕掛ける。


 欲を言えば水刃ハイドロブレードを展開したかった〈ダゴン益男〉だが、狭い部屋内では宮森や澄を傷付けてしまう恐れが有る為にそれは諦めたらしい。


夜鬼ナイトゴーント〉は器用にも、組み付こうとする〈ダゴン益男〉の両手に自身の両手を被せようとする。

ダゴン益男〉も手首を掴まれる事を警戒し、〈夜鬼ナイトゴーント〉の手の指に自身の指を絡ませた。


 互いの両手指が掴み合う、いわゆる手四てよっつの形が出来あがる。

ダゴン益男〉と〈夜鬼ナイトゴーント〉の力比べは、互いに譲らず膠着こうちゃく状態に陥った。


 それを好機と捉えた宮森は、最大限の霊力を次弾につぎ込むべく精神集中を開始。


 宮森が直ぐ射撃に移らなかったのには理由が有る。

 直ぐに射撃したとしても、〈夜鬼ナイトゴーント〉周囲に展開される限度指定障壁リミテイションバリアに阻まれ跳弾する危険性が有ったからだ。


 又、コルトM1911用の弾薬には細胞融解素が使用されている。

 跳弾が澄に命中でもしたら、それこそ取り返しが付かない。


 今日一郎とは連絡が取れず明日二郎も居ない今、宮森は次弾に賭けるしかなくなった。

 よって彼は残存霊力の殆どを貫通力に変換、次弾に付与する。

 至近距離なので狙いを外す事は無い。


 射撃体勢に入った宮森。

 渾身の霊力を込めた弾丸を放つべく、引金トリガーを引き絞った……


『タッ!』


 が、宮森の策に気付いた〈夜鬼ナイトゴーント〉が尻尾を振るい、彼の手からコルトM1911を叩き落したのである。

 貫通力が極限まで高められた銃弾は部屋の畳を貫通し、一階の床板はおろか、旬梅館のベタ基礎きそまでをも貫き通した。


[註*ベタ基礎きそ=建築物の直下全面を板状の鉄筋コンクリートで構成して、建築物を面で支える基礎をいう。

 地震や湿気に強く、木造建築では非常に有効]


 コルトM1911を取り落とした宮森は狼狽うろたえたが、せめて澄だけでも守ろうと、畳に伏していた彼女に覆い被さる。


 しかし〈夜鬼ナイトゴーント〉はそれを許さない。

 尻尾を使い、宮森をむりやり澄から引き剥がした。


 狙いを察知した〈ダゴン益男〉が行動に移る。

夜鬼ナイトゴーント〉と手四つで組み合ったまま、畳を蹴立てて背後の窓枠から外へ飛び出したのだ。


ダゴン益男〉捨て身の行動が功を奏し、中空にその身を投げ出された〈夜鬼ナイトゴーント〉。

 大翼を目いっぱい羽撃はばたかせて気流を掴み、地面との接吻は拒否した。


 何とかその場で停止飛行ホバリングに移った〈夜鬼ナイトゴーント〉は、安定飛行できる高度にまで上昇。

 その後は、両足の鉤爪と鋭利な棘を有する尻尾で〈ダゴン益男〉を攻め立てる。


夜鬼ナイトゴーント〉からの苛烈な攻撃に対し、〈ダゴン益男〉はたまらず両かかとから水刃ハイドロブレードを展開した。


 鉤爪、水刃ハイドロブレード有棘尾ゆうしびの応酬。

 本数で劣る上、両足と尻尾を器用に操る〈夜鬼ナイトゴーント〉に苦戦する〈ダゴン益男〉。


 何とか水刃ハイドロブレードをぶつけても、限度指定障壁リミテイションバリアに阻まれ攻撃が通らない。

 瞬く間に劣勢となり、身体のあちこちを負傷し始めた。


「宮森さん、その方を連れて逃げて下さい!

〈夜鬼〉は私が何とか抑えます!」


 威勢のいい台詞だが、〈夜鬼ナイトゴーント〉にそれを許す気は無いらしい。


夜鬼ナイトゴーント〉は〈ダゴン益男〉の両足を自らの両足の鉤爪で抑え込み、有棘尾を彼の左手首へと突き刺す。

夜鬼ナイトゴーント〉が突き刺した有棘尾を振り抜くと、彼の左手首半分がえぐれ飛んだ。


「ぐあぁっ……」


 長掌筋ちょうしょうきんなどの前腕動作に関与する筋肉が断裂してしまった事で、満足に握力を保てない〈ダゴン益男〉。

 文字通り無力になった左手をぶら下げた彼の顔は苦悶に歪み、今や右手一本で宙吊りになっている。


夜鬼ナイトゴーント〉は非情にも同様のやり方で〈ダゴン益男〉の右手を壊し、両手両足を総動員して彼を地面へと投げ落とした。


 その光景を見ていた宮森は、澄を連れ部屋を脱する。


ダゴン益男〉を倒し、再度侵入して来た〈夜鬼ナイトゴーント〉は彼らを追跡。

 廊下に出るも追い付かれた宮森は、澄を守るようにして〈夜鬼ナイトゴーント〉の前に立ちはだかった。

 しかし〈夜鬼ナイトゴーント〉の膂力は凄まじく、宮森はいとも容易く尻尾であしらわれ、隣の部屋まで派手に弾き飛ばされる。


「や、止めて……」


 隣室で伸びている宮森には目もくれず、澄を両腕で抱え再び空へと舞い上がる〈夜鬼ナイトゴーント〉。


 せいこん万策ばんさくも尽き果てた宮森。


 今の彼には、月を背に飛び去る〈夜鬼ナイトゴーント〉を、ただ眺める事しか出来なかった――。





 灰色の夜明け その三 了

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