第七節 灰色の夜明け

灰色の夜明け その一

 一九一九年七月 帝居 大盟殿中庭





鎧食屍鬼アーマードグール〉を下した益男と宮森は、正殿裏の中庭を歩んでいた。


 中庭には噴水が設えてあり、奥には饗宴所きょうえんじょ(食堂)である中殿ちゅうでんが見える。

 天気の良い日などは中殿の扉を開け放ち、中庭を望んで豪華な食事会などが催されていた。

 勿論、その費用は国民の納めた税金である。


 月光が差す中庭の噴水前に、一つの人影がうずくまっていた。

 その人影は歩いてもいないのに左右へフラ付き、安定感は皆無かいむ


食屍鬼グール〉の可能性も有るので、明日二郎が付与してくれている暗視ダークビジョンを使い人影を認識する宮森。


⦅男が手に持っているのは……酒瓶さかびんか。

 恐らく宴会の最中〈食屍鬼〉達に乗り込まれ、酔いが回っていたので逃げ遅れたんだろう。

 今まで殺されなかったのは僥倖ぎょうこうとしか言いようがないな。

 いつまた〈食屍鬼〉達が襲って来るか判らない。

 早くこの場から避難させた方がいいだろう⦆


 酒瓶を持った男は日本人男性平均よりやや小柄で、体格は宮森と同等。

 上等な生地の着流しに、雪駄せったきの出で立ちだ。

 立派な鼻髭はなひげを生やしているので素面しらふではそこそこ威厳を感じるかも知れないが、酔っているため目が定まっていない。


 足元も覚束おぼつかない様子の男に、宮森は仕方なく話し掛けた。


「そこの御方、この場は化け物が居て危険です。

 いま正殿の方に作業員の方々が来られていますので、彼らと一緒に避難して下さい。

 益男さん、構いませんね?」


 益男は何故か口を開かない。


 そのまま宮森にからむ酒瓶の男。


「うぃーっくっ……。

 余にこの場を去って~むにゃむにゃ……。

 ……退却せよ!

 と申すのか~?

 そちは……そちは誰じゃ?

 余か?

 余は~……この国のっ!

 大日本帝国のっ!

 たっ、太帝たいていであるっ!

 ほんでもってこの酒はな~、ウヰッ、ウヰッ、ウヰスキーとか云う舶来はくらいの酒だぞ!

 美味しいんだぞ!

 珍しいんだぞ!

 余しか、うぃーひっくっ……呑めんのだぞ!」


 完全に酔っぱらっていると判断した宮森は、再度 益男に助力を乞う。


「益男さん、この方を護衛して宮内省くないしょうの宿舎まで連れて行って下さい」


「放って置きましょう。

 このようなやからに割く時間も人員も有りません」


「しかし、この方も九頭竜会員なのですよね。

 死なれてはまずいのでは?」


「問題ありません。

 この程度のやからなど吐いて捨てる程おりますので。

 それよりも宮森さん……来ますよ!」


 酒瓶の男にこうまで強硬な態度を取る益男は不可解だったが、異質な気配を察し弾かれたように空を見上げる宮森。


 途端に月光が遮られ、新たな異形がその姿を現した。


「なんだ~あれは~。

 うっぷっ……。

 余をっ、空中旅行に案内してくれるのか~。

 気が利くの~。

 ほれー、こっちじゃこっちじゃー!」


 空の上でも酔いたいのか、酒瓶の男は空飛ぶ異形に向け手招きしている。


 宮森は暗視ダークビジョンを駆使して異形の形貌けいぼうを検分しようとしたが、なにぶん高空を不規則に飛び回っている所為で眼が追い付かない。

 感覚拡張の術式で視力を増そうかとも考えたが、いっそ益男に振ってみる事にした。


「益男さん、〈食屍鬼〉って空飛びますか?」


「私の知る限りでは飛びませんね。

 いま空を飛んでいるアレ。

 アレは間違いなく〈夜鬼やき〉です」


「〈夜鬼〉……。

 それはいったい何なのですか?」


「簡単に云うと、〈食屍鬼〉のお友達みたいなモノです。

 いま詳しく説明している暇は……ないようですね!」


 地上に興味が出て来たのか、〈夜鬼ナイトゴーント〉は段々と旋回半径を狭める。


 対する宮森と益男は、銃を構えて待ち受けた。


「こら~、余を連れて行け~。

 連れて行かんか~。

 ゔぉえぇっ!

 だ、大日本帝国の、たっ、太帝の命であるぅ~。

 ゔぉえぇっ!

 ぐふ~ぅ……むにゃむにゃ」


 止せば良いものを、騒ぎ立てて〈夜鬼ナイトゴーント〉の関心を引いたのみならず、大声を出した弾みで嘔吐する酔っ払い。

 それに反応したのか、〈夜鬼ナイトゴーント〉は完全に酔っ払いへと的を定める。


夜鬼ナイトゴーント〉は一度高度を上げ、大きく旋回してから地上へと急降下して来た。

 先ずは、〈夜鬼ナイトゴーント〉を有効射程に捉えた宮森がコルトM1911で射撃。


夜鬼ナイトゴーント〉は右翼後部を背中側に折り曲げ、反対の左翼後部を腹側に折り曲げる。

 すると両翼間に揚力差ようりょくさが発生。

 急激な右傾転ロールで宮森の射撃を躱す〈夜鬼ナイトゴーント〉。


 続いて益男のウィンチェスターM1912が火を噴く。

 今度は両翼だけでなく、尻尾をも扁平へんぺいに変形させた〈夜鬼ナイトゴーント〉。

 後方宙返りの形で散弾を躱しそのまま着地すると思いきや、〈夜鬼ナイトゴーント〉は地面れ擦れを滑空。

 酔っぱらいを両腕でさらって行った。


 酔っぱらいを抱えているにも拘らず、〈夜鬼ナイトゴーント〉の飛行速度は殆ど低下せずに再び夜空へと舞い上がる。


 意表を突かれ、視点さえ満足に動かせなかった宮森と益男。

 夜空をあおいだまま地団太じだんだを踏む。


 ふたりは射撃体勢を取り続けるが、射程外まで上昇した〈夜鬼ナイトゴーント〉相手に取れる攻撃手段は無い。


 そこで宮森は暗視ダークビジョンと感覚拡張を使い、〈夜鬼ナイトゴーント〉の容姿をつぶさに観察した。


⦅先ず目に付くのは、蝙蝠こうもりに良く似た皮膜状の大翼たいよく

 翼の他には、四肢と長い尻尾。

 尻尾の先端は鋭い棘になっているのか。

 体表は滑らかな護謨ゴム状の質感で、くじらの皮膚にも似ている。

 そして全身が黒色、と云うより漆黒しっこく

 頭部には山羊やぎを思わせる角。

 最も不気味なのは顔面だな。

 目も耳も鼻も口もない。

 どうやって周囲を認識しているんだろう……。

 空を飛ぶ為か細身に見えるが、自分の体感ではかなり大きな体格だった。

 あの体格で飛行可能な生物はいないだろう。

 今更だが、こうも出鱈目でたらめな存在が頻出ひんしゅつするとはね。

 両腕は人間のものに近いけど、両足は樹上生活を営む猿に似て物を掴め……いけない!

 あの酔っぱらいを両足で掴み直したぞ!⦆


 はるか上空の〈夜鬼ナイトゴーント〉は、酔っ払いの両腕を両足で掴み宙吊りにした。

 そしてなんと、酔っ払いの脇腹わきばらを自由な両手でくすぐり始めたのである。


「だははは!

 よせ、よさんか、この黒坊主め。

 よ、余を誰だと思うておるのだ!

 ひひひひっ。

 く、くすぐったいではないか……」


夜鬼ナイトゴーント〉の意味不明な行動に疑問符しか浮かばない宮森。

 堪らず益男に質問する。


「益男さん。

 奴は、〈夜鬼〉は何をしているんですか?」


「私にも〈夜鬼〉の行動は理解できません。

 人間をどう思っているのか、明確な意思が在るのかすら判らないのです」


 空を見上げる事しか出来ないふたりだったが、聴覚感度を上げ酔っ払いの譫言うわごとを聴き取ろうとする。


「のう、黒坊主よ……。

 ん?

 見ればお主、顔が無いではないか~。

 あははっ。

 黒坊主と云うより、黒のっぺらぼうじゃ!

 あはははっ。

 すまんがお主、うぃ~ひっく……。

 空を飛んでくれるのは嬉しいんだがの。

 ういっ、スキー……。

 そうそう、ウヰスキーの瓶を地面に置いて来てしもうた。

 ちょ、ちょっと取って来てくれんかのう?

 アレがあると、モット気持ち良くなれるんじゃあ~。

 むにゃむにゃ……」


 その言葉に反応したのか定かではないが、〈夜鬼ナイトゴーント〉は擽りを止めて上昇。

 帝居東に位置する外苑がいえんへと飛び去った。


 外苑の森に消え去る〈夜鬼ナイトゴーント〉。

 宮森と益男は、視力を最大限に拡張してその様子を見守る事しか出来ない。


「何で中庭から遠ざかるんじゃぁ!

 ひっく……。

 よ、余は、アレがないと困るんじゃ!

 ふ、震えが収まらんのよ。

 うぅっ……。

 酔いがめてきたせいか、ちと冷えるの。

 ん?

 地上に戻してくれるとな。

 そうかそうか、そちは物わかりが良いの~、黒のっぺらぼうのくせして。

 で、黒のっぺらぼうよ、ここはどこなんだ?

 何でお前はそんなに黒くてのっぺらぼうなんだ?

 なぜ余は空を飛んでいるんだ?

 あ……」


 外苑の森に到達した〈夜鬼ナイトゴーント〉は、酔っ払いを空中で解放する。

 その様は、興味が無くなった玩具を放り出す子供の如く無造作だった。


 酔っ払いは希望通り地上へ戻る事が叶う。


 そして地面に激突する寸前、次元孔ポータルが開き……。





 酔っ払いを外苑の森に捨てた〈夜鬼ナイトゴーント〉はきびすを返し、大盟殿上空を通り過ぎて更に西側へと進路を取る。

夜鬼ナイトゴーント〉はどうやら、大盟殿から西に付設してある国賓の宿泊施設、旬梅館しゅんばいかんに向かっているようだ。


 酔っ払いの最期を見届けた宮森と益男は、直ぐに〈夜鬼ナイトゴーント〉の後を追い旬梅館へと足を向ける。


「奥宮殿じゃないのか……。

 益男さん、瑠璃家宮 殿下は奥宮殿にいらっしゃるんですよね?」


「その筈です。

 障壁も張ってあるようですし、この状況で動かれるとは考えられません」


「〈夜鬼〉の狙いは殿下ではないと……。

 だとしたら、あそこに何の用が有るんだ。

 益男さん、心当たりは有りますか?」


「私にはとんと判りませんね。

 いや、まてよ……。

 宮森さん、今は急ぎましょう」


 益男が意味深げな思案顔を見せたものの、このまま手をこまねいていては〈夜鬼ナイトゴーント〉との差が開くばかり。

 ふたりは一刻も早く旬梅館へ向かう事に決めた。





 宮森と益男が去った中庭。

 今迄の騒動が嘘のように静まり返り、噴水が静かに水音を奏でては、月光が優しく降り注いでいる。


 噴水脇で月光を浴びているのは、一匹の迷い猫。

 決まりきった日常業務なのか、月に向かって退屈そうに口を開けている。


 月の精を充分に吸い込んだ白猫は口を閉じ、視線を月から外して噴水の向こう側へと回り込んだ。

 そこには一本の酒瓶が倒れており、中身が少し零れている。


 黒猫は零れている酒を舐めてみたが、独特の風味が口に合わなかったのだろう。

 これ以上ないほど顔をしかめた。

 苦手意識が付いたのか怨みでもつのったのか、倒れていた酒瓶を転がして貼り紙ラベルを見る金華猫きんかびょう


 月光のもとに引っ立てられたその貼り紙ラベルには、〘EMPERORエンペラー〙の文字が記されていた――。





 灰色の夜明け その一 了

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