〈食屍鬼〉襲来! その四
一九一九年七月 帝居地下 小祭事場
◆
ここ、帝居地下の小祭事場には巨大水槽が準備されていた。
水槽に取り付けられた
綾が水槽のふちに立った所で、侍女達が彼女の着物を脱がせに掛かる。
綾はもう
腹の突き出た身重の綾を見て、つい笑みを浮かべてしまう頼子。
今が緊急事態である事は百も承知だが、それでも期待せずにはいられない。
水槽に満ちている水は勿論、邪念の浸透した海水である。
その邪念を吸収し、綾が〈
妊娠して腹が膨れているとはいえ、水中では自在に動けるらしい。
水槽を泳ぎ回る〈
「頼子さーん、もうーいいよー。
じゃんじゃん入れてー」
「
綾の変異を見届けた頼子は小祭事場の
内訳は、各種下働きの女性が二十名と建築作業員の男性が二十名。
彼らは部屋に入るなり、
「何だ、あのでっけえ水槽は?」
「中で何か泳いでるわ!」
「そういや、さっき
あれ何だったんだ?」
「あなたも薬飲まされたの?
滋養が付くからって言われたけど、夜勤だからかしら?」
初めは落ち着かない様子の用人達だったが、部屋内に待機していた大勢の帝宮警察官達を認めると直ぐに押し黙った。
頼子が集められた者達に指示を与える。
「皆さん良く集まってくれました。
今この帝居に
それらを
今から
頼子の発言の意味が理解できず、集められた者達は顔を見合わせるばかりだ。
帝宮警察官が睨みを利かせているので、勝手な行動を取る者は居ない。
だが、用人達の不信と不満は彼らの顔に有り有りと張り付いている。
頼子が帝宮警察官に命じた。
「その者達を水槽へ。
ひとりたりとも逃がしてはなりません」
頼子に命じられ、手近な者から捕まえ始める帝宮警察官。
「放してよ!」
下働きの女性などは腕を引っ張られ、むりやり
「何すんだよ!
くそっ、卑怯だぞお前ら」
建築作業員の男性に対しては、帝宮警察官ふたり掛かりで押さえ付ける。
「いったい私達が何をしたっていうの?
黙ってないで教えてよ!」
泣き叫ぶ者は平手打ちされる。
「こうなったら、逃げるが勝っ、ぢぃッ……」
逃げようとした者は、
「どうなってんだここの連中、普通じゃねえ。
早く外に出ねえと……あぁ外にもいやがる。
この畜生共め!」
運よく部屋の出口まで逃げ延びた者も外で待機していた帝宮警察官にこっ
反抗する者が居なくなった所で、用人達は
「やめてよ!
あたし泳げないのにっ……きゃっ⁈」
「俺たちを水に突き落として何しやが……ひぃっ⁈
ば、ばけもんだ、水槽ん中にばけもんがいるぞ!」
水槽内の〈
異形化した彼女の
「おー、お客さんがたくさんふって来る。
これは張り切って歌わなくちゃ。
じゃ、〈イダ゠ヤー〉の歌、聞かせてあげるね♪」
〈
彼女は再び水中に身を
人体の声帯とは別に、
用人達は、何かが体内で暴れているのを自覚した。
それは、先ほど葛湯と
その〈ショゴス〉が、〈イダ゠ヤー〉の歌によって強制的に細胞へと浸透させられているのだ。
当然強烈な拒絶反応が引き起こされるが、粉薬に偽装した
水中に放り出された用人達は聞く。
脳中を
水中に放り出された用人達は視る。
水中に放り出された用人達は嗅ぐ。
自身を包み込む異界の匂いを。
水中に放り出された用人達は味わう。
自身の身体に巻き起こる異変を。
水中に放り出された用人達は想う。
記憶の深淵に沈んだ異郷を。
水中から這い出て来た用人達は触れる。
邪神の
「上手く行きましたわね」
用人達の変異が完了した事を確かめた頼子。
早速〈母なるハイドラ〉の権能を用い、でき立てホヤホヤの〈
「男性陣は〈食屍鬼〉共を足止めしなさい。
倒せなくとも構わないわ。
時間を稼げればいい。
女性陣は、〈食屍鬼〉と戦闘している者達への弾薬補給と各種連絡任務。
補給の最優先は〈父なるダゴン〉と宮森 殿よ。
〈父なるダゴン〉には〘
[註*
服用したり身体に振りかける事により、異形化の促進や、傷、病気の治癒が可能。
定着している邪神や邪神眷属の系統により、効果的な成分は異なる。
瑠璃家宮 派は海水を触媒として用いる場合が多い(作中での設定)]
「ウウゥ……」
「お母さま。
お言い付けを遂行します」
「はぁ……はぁ……。
あたし、
なんて気持ちいいの!」
「お、おで、〈はいどら〉様の指図、聞く。
だって、おでは良い子だもん♪」
反応は様々だが、〈
水槽の水を
〈イダ゠ヤー〉の歌声で強制的に異形化させられた彼らの殆どは、数時間後には命を落とすだろう。
しかし僅かな利点も有る。
四肢の異形化が進んでいない者が多く、陸上での活動に支障をきたさない事だ。
人間との会話にも問題ない。
そして何より数時間後には大半の者が息絶えるので、その際に生み出される邪念を儀式で取り込める。
即席〈
「この場はもういい。
貴方達は所定の持ち場に戻りなさい」
帝宮警察官達が退室したのを見届けた頼子は、ウタが響き続ける水槽へと近付く。
「頼子さんも来てくれたんだー。
ねえねえ、どっちが速く泳げるか競争しよう?」
「いけません綾 様、御子に
いつ〈食屍鬼〉共が侵入してくるか判りませんし、元気はその時まで取っておかなくては。
まあ、綾 様は私が御守りしますのでその必要もないでしょうけど」
「もー、頼子さんばっかり活躍しようとしてるでしょ。
たまには綾も遊びたいの!」
「ふふ。
おいたはいけませんよ、綾 様……」
頼子が再び宙に身を躍らせ、水槽を跳び出てその身を
皮膚に
〈
「殺した〈食屍鬼〉の数で夫と競いたいのだけれど、綾 様を御守りする為ここに居なければならないのは不利ですわね。
どうせなら勝ちたいですし、勝負は又の機会に持ち越しましょう……」
そう言い乍らも彼女の魚眼には、殺戮への期待が暗く映し出されていた――。
◆
〈食屍鬼〉襲来! その四 了
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