〈食屍鬼〉襲来! その二

 一九一九年七月 帝都 宮森の下宿先





 ようやく梅雨明けを迎えたものの、相変わらずの熱帯夜が続く真夜中の帝都。

 路肩を歩く白猫も、気怠けだるさを隠そうとしない。


 そんな中、宮森の下宿へと急ぐ人影が在った。

 その人影は、下宿の玄関先で近所迷惑をかえりみずに大声で叫ぶ。


「ごめん下さーい。

 宮森 遼一さんはいらっしゃいますかー?」


 夜中の大音声だいおんじょうに下宿の女将が跳び起きる。


「いったいなんだい⁉

 こんな真夜中に……」


 襦袢じゅばん姿の女将は、薄物うすもの単衣ひとえを急いでまとい玄関口に立つ。

 太鼓腹たいこばらで帯が上手く結べないのは御愛嬌だ。


「はいはい。

 どなたで~」


「夜分遅くに失礼します。

 私、権田ごんだ 益男ますおと申します。

 宮森さんは御在宅でしょうか?」


「ああ、宮森さんね。

 ご在宅ですよ。

 呼んで来ますから、そのまま待っていて下さいね」


 二階に在る宮森の部屋まで女将が上がろうとすると、宮森が慌てて部屋から出て来る所だった。

 何故か普段着の着流しではなく、外出着の背広に着替えている。


「女将さん、自分これから出ますんで。

 戸締りの方、よろしくお願いしときますね」


「もう、予定が有るんだったら言っといてくれないと!」


 むくれる女将だったが、宮森は『すいませーん』と言ったっきり。


 宮森と益男は、共に熱帯夜へと駆け出す。





 並走している益男へと、緊急招集の理由を尋ねる宮森。


 魔術結社に所属する魔術師は、味方の魔術師達と連絡を取る為に特殊な精神感応網テレパシックネットワークを構築している。

 益男は下宿に向かう途中にも精神感応波テレパシックウエーブを宮森に照射し、緊急招集が掛かったむねを伝えていたのだ。


「ハッ、ハッ、益男さん。

 緊急招集の、ハッ、ハッ、理由はなんです?」


「はい。

 帝居が襲撃を受けました」


 体力がとぼしい宮森にとって、走行中の会話はこの上ない苦行くぎょうである。

 対する益男は息一つ切らしていない。


「ハッ、ハッ、襲撃?

 他の、ハッ、魔術、ハッ、結社ですか」


「いいえ。

 襲撃者は、〈食屍鬼しょくしき〉だと思われます」


 どこかで聞いた事の有る響きに宮森の脳内は目一杯回転するが、なにぶん今は走行中の身。

 全身の細胞に酸素を送らねばならないので、生憎あいにく脳ばかりを依怙贔屓えこひいきする余裕は無い。


 宮森の窮状きゅうじょうを見かねたのか、頼もしい居候が声を上げる。


『おいミヤモリ。

〈食屍鬼〉っていやー、前にオニイチャンが話してた血吸チスイとかヂスイって呼ばれる魔物だよな』


『ハッ、ありがとう、ハッ、明日二郎……』


 明日二郎の御蔭おかげで〈食屍鬼グール〉に思い至った宮森が益男に返答する。


「〈食屍鬼〉。

 ハッ、思い出しましたよ。

 死肉を、ハッ、喰らう奴らですね。

 そんな奴らが、ハッ、なぜ帝居を、ハッ、襲撃するんですか?」


「それを調べて頂く為に宮森さんを御呼びしたのです。

〈食屍鬼〉がまとまって出現した模様でして。

 宮森さんも戦闘に参加する可能性が高いですから、気を引き締めて望んで下さい」


「ハッ、はい。

 解り、ハッ、ました」


「後、宮森さん宜しいですか?」


「ハッ、はい、ハッ、なんでしょう」


「走り乍ら喋らずに、精神感応で会話すればいいのでは?」


「ハッ、忘れてた、ハッ、……」


 宮森が無駄な体力を使い微々びびたる霊力を節約した所で、ふたりは現場に到着する。


 そしてそんな彼らの後ろには、気怠げな白猫が付き添っていた――。





 一九一九年七月 帝居 奥宮殿おくきゅうでん応接室





 太帝一族の住居である奥宮殿に呼ばれた宮森と益男は、そのまま奥宮殿内の応接室へと通される。


 応接室の内装は、普段出入りする歓談室よりも更に柔らかい印象を宮森に与えた。

 紅色の絨毯カーペットや薄紫色の窓掛けカーテンはやや派手で、どちらかと云えば男性よりも女性が好む配色である。


 応接室の長椅子ソファーには既に瑠璃家宮と綾が並んでおり、多野 教授と頼子よりこかたわらに控えていた。


 瑠璃家宮に最敬礼した宮森と益男が長椅子ソファーに腰を下ろすのを見計らい、多野が現在の状況を両人に述べ伝える。


「〈食屍鬼〉どもが帝都の地下坑道から帝居地下へと雪崩なだれ込んだ。

 その際に坑道の作業員達を殺害している。

〈食屍鬼〉共の数は確認している個体だけで八体。

 更に増える恐れも有る」


「多野 教授、その〈食屍鬼〉とやらが帝居を襲うのは今回が初めてなのですか?」


「そうだ。

 最も、奴らは死体さえ在ればどこにでも現れる。

 その所為もあって、帝居地下には奴らが寄り付かないよう常に巡回警備をしとった筈なんだが、今回に限っては警備を振り切り侵入して来た。

 今は事態が切迫せっぱくしておる。

 詳しい〈食屍鬼〉の生態は、後で益男 君に説明して貰いたまえ。

 宮森 君と益男 君はこれから地下へとおもむき、奴らの狙いを探って貰いたい。

 その際は戦闘になるだろうが、君達なら何とか切り抜けられるだろう。

 今現在は、配下の軍人や魔術師からなる部隊を要所に配置して対応している。

 今のところ部隊に大きな被害は出ていないが、どうも〈食屍鬼〉共の動きがきな臭い。

 部隊と密に連携れんけいを図り、奴らの狙いが判り次第報告を頼む」


 宮森 達に大まかな指示を出した多野は、今度は綾と頼子に矛先ほこさきを向けた。


「頼子 君は綾 様に同道し、地下の小祭事場しょうさいじじょうへと向かってくれ。

 邪念を満たした水槽を用意してある。

 先ずはそこで、綾 様に変異して頂くように。

 そして綾 様。

 御身体の変異が完了されましたら、用人ようにん達を〈深き者共〉へと異形化させて下さい」


 多野の指示を綾が確認する。


「ねー多野せんせー。

 用人さん達ってさー、〈ショゴス〉と一緒になれるか試してないよねー。

 適性なしでむりやり異形化させたら、すぐ死んじゃうよ。

 それに、〈ショゴス〉と肉人にくじんの粉がもったいないんじゃない?」


「綾 様の御考えはまことに正しゅう御座いますな。

 しかし乍ら、今は少しでも手勢が欲しいのです。

 水中での戦闘が期待できない以上、益男 君達の補助か牽制けんせいぐらいにしかならんでしょうが、それで充分」


「そだねー。

 下民なんていて捨てるほどいるしー、アタシ達の盾になって死んでもらおうかな。

 カナカナ♥」


 この綾の発言には、宮森も苦虫にがむしを噛みつぶしたような心持ちになる。

 彼女らはその心根こころねから邪神に毒され、どれだけ民間人の犠牲が出ようと歯牙しがにも掛けない。


 今度はその綾が表情を一変させ、彼女にとって唯一の存在をうれう。


「あ、でもお兄様はどうするの?

 おひとりだと心配だわ……」


 この問いに、深刻さをしわに変換して顔に刻んだ多野が答える。


「殿下の警護につきましては、この多野 剛造ごうぞうが責任を持って務めますので御安心を……」


「そだねー。

 多野せんせーに任せれば安心♪」


 綾も納得した所で、多野は頼子への指示を追加する。


「頼子 君、用人達の異形化が完了したら、君が〈深き者共〉を動かせ。

 益男 君達の補助をさせるのだ。

 やり方は任せる。

 解っているとは思うが、君自身は綾 様の御側を離れんようにな」


委細いさい承知しました」


 頼子の返答をもって、全員に多野の思惑おもわくが行き渡る。

 早速 宮森と益男が行動を起こすべく立ち上がったが、それを瑠璃家宮が制した。


「ふたり共、そうくでない。

 ここまで走ってさんじたのであろう。

 のどぐらい潤してから行け」


 そう言って瑠璃家宮は手を叩き、侍女じじょ西洋風茶道具ティーセットを運ばせた。


 西洋盆トレーには、まだこの国では馴染なじみの薄い魔法びんが二つ載せられている。

 又、把手とっての無い縦長の硝子碗ガラスコップも在った。


 瑠璃家宮は侍女に指示し、縦長の硝子碗ガラスコップに蒼い花模様の魔法瓶から茶を注がせる。

 注がれた液体は無色透明で、茶と云うよりも水に近い。


「では、頂きます」


 当然の如く硝子碗ガラスコップを掴んだ益男が、液体をグイッと飲み干した。


「ふ~っ、生き返りますね」


 益男は御気に召したらしい。


 続いて侍女は、紅茶をたしなむ時に使う普通の西洋茶碗ティーカップに、赤い花模様の魔法瓶から茶を注ぐ。

 今度は紛れもなく紅茶の色だ。


 瑠璃家宮からうながされ、宮森が西洋茶碗ティーカップに口を近付ける。


⦅これは普通の冷製紅茶ではない。

 明らかに血が混じっている。

 では、先ほど益男が飲んだ水は若しや……。

 邪念の浸透した、海水?⦆


 冷製紅茶の真実に気付いた宮森は、即座に御霊分けの術法を発動。

 霊性がけがれぬよう、人格を裏に切り替えた。


「じ、自分も頂きます……」


 瑠璃家宮、綾、頼子、多野、益男の視線が宮森へと注がれた。

 彼の反応をうかがう為である。


 邪神崇拝者達にとって、血は重要な祭具さいぐだ。

 生贄から得られる血の高揚によって、邪神崇拝者達はその霊力を高めるからである。


 当然、冷製紅茶に混ぜられている血は普通のモノではない。

 拷問ごうもん、強姦の末に殺された、若い女性か子供のモノだ。

 ソレは邪神崇拝者達にとって、僅かしかかもせない貴重な美酒なのである。


 宮森が血入り冷製紅茶を流し込むと、胃腸で吸収する迄もなく邪念が浸透して来た。

 彼は無理に抗おうとはせず、生贄になっただろう人物の恐怖や苦痛に心をひたす。


 ちからへの誘惑に身をゆだねると、丹田たんでんから邪念が染み出し心身へみなぎる。


 普通はひと口でもこんが揺らぐものだが、宮森は魂とはくを分割している。

 その効能により、善性のもといである魂は血の穢れから護られた。


 耐性の無い人間ならば、直ぐにでも邪悪にしてしまう代物。

 ソレをひと口で飲み干して見せた宮森。


『宮森は完全に堕ちている……』、瑠璃家宮 達はそう判断したようだ。


 宮森と益男に発破を掛ける多野。


「今回の〈食屍鬼〉の襲撃。

 誰とは判らんが、何者かの意思が介在かいざいしていると予想される。

 益男 君、宮森 君、気を引き締めて行け!」


「行って来るよ頼子」


「御任せ下さい」


 悪党どもをあざむく事に成功した宮森は立ち上がり、〈食屍鬼グール〉達が跋扈ばっこする地下へと歩を進めた――。





〈食屍鬼〉襲来! その二 了

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