煙草王の憂鬱 その二

 一九一九年七月 宮森の下宿先





 自室へと戻った宮森は、脳内居候いそうろうの明日二郎に確認を取る。


『明日二郎、女将が盗み聞きしている兆候ちょうこうは?』


 宮森の言葉にはわけが有る。

 女将は九頭竜会傘下の宗教団体会員であり、宮森の監視任務をおおせつかっているからだ。


『いんや。

 夕飯の買い物に出かけるみてーだ。

 クライのオッチャンの服装が地味だったもんで、財閥主とは気付かなかったんだろうよ』


『ありがとう明日二郎。

 そのまま部屋の周囲を見張っててくれ。

 頼むぞ』


 宮森は明日二郎に礼を言い、倉井との交渉に入る。


「ここまで御足労ごそくろう頂き有り難う御座います。

 安全な場所がここしか思い浮かばなかったもので、狭い部屋ですがしばら御辛抱ごしんぼう下さい」


「構わんよ。

 儂を呼び出すぐらいだ。

 有用な情報は持っているんだろう?」


「はい。

 いま用意しますので御覧下さい」


 宮森は、畳の上に数枚の地図を広げ始めた。

 地図は帝都の物だけでなく、近郊きんこう県の物も含まれている。


 宮森が解説に移った。


「自分が入門 先生から御聞き出来た事とは、ここ五年以内に関東一円を大地震が襲うと云う事です」


「何だと⁈

 そ、それは九頭竜会が引き起こそうとしているのか?」


「自分からは何とも申し上げられません。

 ですが、入門 先生の御託宣ごたくせんですのでほぼ確実かと……」


「むう……。

 大地震なんぞ起きれば、儂が持っとる製紙会社の工場は損壊。

 他の事業も大幅な赤字が出るな」


 宮森が更に追い打ちを掛ける。


「それだけではありません。

 九頭竜会の息が掛かった銀行が、帝都の土地を細かく買い漁っているようです。

 恐らくは、大地震後の都市再建時に高値で政府や他の企業に売り払い、利鞘りざやで儲ける算段でしょう。

 言う迄もなく政府もグルですね」


「なるほど。

 都市再建の口実を立てつつ利を得る。

 勿論もちろん、一般市民には黙っての事。

 他にも、非道な金儲け手段が隠されていそうだな」


「はい。

 大地震を見越しての地下鉄道計画も在るようです」


 ここで倉井が意見を述べた。


「しかし宮森 君、それでは政府に負担が掛かり過ぎないかね。

 莫大になると思われる復興費用をどう捻出するのか?」


「自分が小耳に挟んだ情報によりますと、政府発行国債を購入するなどの方法で海外資本が流入すると思われます」


 宮森の推測に倉井は頭を抱えた。


「この国が買い叩かれる、と云う事だな。

 出てくるのは、欧州の【ストーンチャイルド財閥】に米国の【ロックメイル財閥】、【ミリガン財閥】も出て来るだろう。

 この国はまだ金本位制をけているが、それが終わったら一巻の終わりだ」


「自分は経済にはうといのですが、相当危ないようですね」


「ああ、日本国内のきんが海外に流れるからな。

 奴らに借金したが最後、骨のずいまでしゃぶられるぞ……」


 何かに気付いたらしい倉井が目を見開く。


「こんな事が頭に浮かぶとは、儂は根っからの金の亡者だな。

 心がしんから腐っておる……」


「どうされたんです?」


「政府は都市再建、企業は金儲け。

 政治家と帝室連中は西欧列強に売国。

 九頭竜会を始めとした魔術結社は生贄儀式の成就じょうじゅ

 その犠牲となるのは、何も知らされない一般市民が大半だ。

 大地震が起きればあちらこちらで火災が発生し、市民は焼け出されよう。

 一家離散、全滅の家庭も珍しくないはずだ。

 当然住んでいた家、土地は無人となる。

 そこを火事場泥棒よろしく頂戴ちょうだいする訳だ。

 その行為に気付いて抵抗したとても、一般市民は泣き寝入りするしかあるまい。

 何故なぜならば、貧乏人は裁判費用を用立てる事が出来ないからだ。

 それだけじゃない。

 復興支援の名目でこの国に借金させ、欧米列強に陰ながら従属させる腹積はらづもりだな」


 倉井が語った奸計かんけいには、流石の宮森も絶句するよりない。


「大地震とそれに連なる災害で亡くなった者は生贄に。

 焼け出された者の土地は根こそぎ奪う。

 そして、武力ではなく経済を握っての侵略。

 自分もそこまでは考えていませんでした……」


「しかし宮森 君、儂がここまで算段するぐらいだ。

 九頭竜会の計画は完璧に近い筈。

 付け入るすきは在るのかね?」


 倉井の問いに、宮森は困惑ではなく不敵さをにじませ答えた。


「倉井さんが仰った通り、大地震後の都市再建計画での取り分は既に決められている事と思われます。

 地下鉄道関係も無理でしょうね。

 ですので、帝都の土地売買には参画できないでしょう。

 しかし御心配には及びません。

 広げた地図を御覧下さい」


「帝都、群馬、山梨、長野、千葉、埼玉、神奈川……。

 儂には見当が付かん。

 宮森 君、種明かしを頼むよ」


「では御言葉に甘えまして。

 都市再建には、当然土木建築工事が含まれます。

 工事をする場合、大量に必要な物とは何でしょうか?

 建材や人手は勿論ですが、それらと同等に必要な物が有ります。

 そう、水ですね。

 工事には大量の水がる」


 宮森の言葉に、倉井の目がにわかに輝いた。


「そうか、この地図は関東圏の水源。

 水源地や河川付近の土地を買い漁ると云う事か!」


「御名答です倉井さん。

 今は荒川あらかわ放水路工事をやっていますので、帝都の土地は駄目でしょう。

 帝都に流れ込む多摩川たまがわ、荒川などに関わる土地を買って下さい。

 それに、河川敷では膠灰こうかい(セメント)の材料となる粘土や石灰も取れるかも知れません。

 思わぬ副収入につながる事も予想されますので、九頭竜会に感付かれないよう、土地購入後にこっそりと調査して下さいね。

 大地震は関東圏全体におよぶようなので、千葉や神奈川の土地を手に入れるのも有効だと思われます。

 その際には倉井 銀行名義ではなく別の個人名義で購入し、足が付かないようにして下さい」


 宮森の策に感心する倉井。

 先程までは浮かぬ顔をしていたが、今は愁眉しゅうびを開いている。


「危険をかえりみずに打ち明けてくれるのは有り難いが、どうして儂にここ迄してくれるのかね?」


「今はまだ御答え出来ません。

 この計画が上手く行ったあかつきには、御礼を頂く時に御答えしましょう。

 いま言えるのは、貴方あなたが作った煙草はうまいと云う事。

 そして、その煙草を販売禁止にした奴らが憎いという事だけです」


 唐突とうとつに明日二郎から呼び出しコールが掛かった。


『おいミヤモリ、女将が帰宅した。

 そろそろ話を切り上げろ』


 明日二郎から急かされた宮森は、空の湯呑みのった盆を持って階下へと向かう。


「倉井さん、少々御待ち下さい。

 茶を淹れ直して来ますので」


 自室に戻った宮森は、約束のSUNSETサンセットを取り出し火を付ける。


 倉井が宮森と共に見た夕日は、過去の栄光を追憶するかの如く、ふたりの心に染み入った――。





 煙草王の憂鬱 その二 了

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る