北の邦(くに)から一九一九 結び その二

 一九一九年六月 帝都 雑司ヶ谷旭出町墓地





 雑司ヶ谷旭出町墓地に出没した〈食屍鬼グール〉達。

 その中の一個体に、白髪のモノがいた。


 その個体に向け、〈影〉が精神感応テレパシーでの会話を試みる。


『御食事中のところ失礼します。

 御久し振りですね。

 御約束通り参上しましたが、私の事が判りますか?

 食べ乍らでも良いので御聞き下さい。

 御大おんたいの大切な御孫様が九頭竜会に酷使されています。

 このままでは後十年持たないかも知れません。

 そうなったら、御大の悲願は水の泡ですね』


〈影〉からの進言に、白髪の個体は明らかな苛立ちを見せた。

 精神感応テレパシーではなく、肉声を発して〈影〉をまくし立てる。


 通常の人間には到底理解できない〈食屍鬼グール〉の言語だが、〈影〉には問題ないらしい。


『ええ、そうですとも。

 御大がそのような御身体になった所為で、次元牢じげんろうの封印が弱まっているのです。

 現に、九頭竜会はその反応を捕捉しました。

 そうなれば大昇帝 派と瑠璃家宮 派の激突は必至。

 あの書物が奪われでもすれば、御大の一族が日の目を見る事は……世の終わり迄ありますまい』


〈影〉は随分と挑発的な物言いをした積もりだったが、白髪の個体は目前の食事の方が気掛かりらしく、そっぽを向いてしまった。


食屍鬼グール〉を支配する食欲に打ち勝とうと、〈影〉は更に侮蔑ぶべつの感情を交えて言い含めてみる。


『ああ、御労おいたわしい!

 御大ともあろう者が、私の言葉も判らない程に耄碌もうろくしたのですか?

 このまま〈食屍鬼〉を続ければ記憶も術も失いますぞ!

 自慢の娘御も泣いておりますぞ!

 御孫様からもわらわれますぞ!

 決して満たされない飢えにおののき、隣にいらっしゃる御友達と屍肉を漁る毎日が待っておりますぞ!

 まあ御大には、似合いの最後かも知れませんがね……』


〈影〉からの痛言が効いたのか、しゅん……としてしまった白髪の個体。

 ねぶっていた鉤爪を口から離し、ブツブツと何やら呟き始めた。


〈影〉は気付く。

 その言語が、〈食屍鬼グール〉のものではない事に。


 白髪の個体が立ち上がった。

 背筋が伸び、もう爪先立ちではない。

 そして、〈影〉からの言葉に精神感応テレパシーで応えた。


『……起こしてくれて礼を申す。

 それにしても、【屍食教典儀ししょくきょうてんぎ】は効いたぞ。

 肉体はおろか精神の寿命をも越えてこの世にしがみ付ける代償に、まさかこのわしが正気を失ってしまうとはな。

 お主が現われなんだら、儂は死ぬ迄こ奴らと屍肉漁りに精を出しておったやも知れぬ。

 まっこと恐ろしい事じゃ。

 で、儂が張った次元牢の封印が弱まっておるとの事だったの。

〈食屍鬼〉としての身体も維持しなくてはならない故、封印を張り直す事は叶わぬ。

 又、あの書物を孫に据え付けるのもまだ早い。

 精神こころが壊れるでな。

 お主、何ぞ良い案はないかの?』


 正気に戻った白髪の個体からのに依頼に、〈影〉は嬉しそうに答えた。


『正気に戻られて何より。

 御大が仰る通り、既に捕捉された後での封印張り直しは得策ではないでしょう。

 加えて御孫様はまだ未成熟、壊す訳には参りませんからね。

 私としましては、一時的な保管場所を提案したいのです』


『はて、一時的な保管場所とな。

 次元牢より安全な場所が在るとでも?』


 白髪の個体は疑うが、〈影〉は自信満々に返す。


『ええ。

 その場所は誰にも手出し出来ません。

 魔術に関わる者なら尚更です』


『詳しく頼む』


『はい。

 瑠璃家宮 殿下子飼いの魔術師のひとりに、持衰じさいの霊質を持った者がおります。

 この者は元々 瑠璃家宮 殿下の娘御を護る為の生贄として召し出されたのですが、術者としても頭角を現し始めました。

 新参者ですが素質は折り紙付きです。

 この者を利用してはどうかと……』


[註*持衰じさい=本作品での意味は『第二章 邪神学講義 第三節 邪神復活阻止計画 前編 その三』を参照されたし]


 白髪の個体は顎を手でさすり関心を表した。


〈影〉が続ける。


『実はこの者、御大の御孫様と大変に親しい間柄でして、その事は瑠璃家宮 殿下にすら知られておりません。

 この者にのです。

 御大であれば、この意味が御解りですね……』


『その者、聖霊と交信が出来るのだな。

 然も瑠璃家宮の小坊主がこしらえた娘の為の持衰。

 だとすれば、瑠璃家宮の小坊主にも手出し出来んか……。

 そのような者が孫の前に現れるとはの。

 しかし、どうやってその者を次元牢の封印まで来させる?

 儂が〈屍食教典儀〉を使い〈食屍鬼〉となる為、封印は土地にひも付けておいたのだぞ。

 儂が直接その者の許に出向いて、じかに次元牢を開放する事は出来ん。

 それに、儂は孫に嫌われておるでの。

 言う事を聞いてはくれんじゃろうな』


 話が弾んで来たのが楽しいのか、〈影〉は笑みを浮かべて自説を披露する。


『ええ。

 封印の場所には九頭竜会両陣営の精鋭が集まるでしょうし、御孫様は御大の言う通りにはならないでしょう。

 ですから、娘御を使われるのが宜しいかと……』


『読めたぞ。

 我が娘を使い孫をおびき寄せる算段じゃな。

 さすれば、孫を追ってその者も封印場所まで来るか。

 肝心の孫がおらんのじゃ、瑠璃家宮の小坊主も反対は出来んだろうしの。

 で、その者の名前は?』


〈影〉の笑みが白猫の範疇はんちゅうを超える。


 白猫は今やその体色を変化させ、黒い金華猫きんかびょうへと変貌していた。


『その者の名は、宮森 遼一と申します』


『我が孫が器として完成を迎える迄、その宮森 遼一 殿に護って頂かなくてはな』


 食事が終わった三体の〈食屍鬼グール〉達。

 口の周りを舐めずっては、精神感応テレパシーで話す白髪の個体と黒猫を不思議そうに見詰めている。


 白髪の個体が、〈食屍鬼グール〉語で彼らに呼び掛けた。


「近いうちに馳走してやるでの。

 お前達、手を貸してくれ」


 白髪の個体からの御誘いに、御友達は喜んで鼻を鳴らした。


〈影〉が自虐混じりの思念を滲ませ白髪の個体に問う。


『随分と仲が御宜およろしいですね。

 独りぼっちの私とはえらい違いだ』


『ははは。

 まっことい奴らじゃよ。

 のう、リチャードにアプトンにピックマン……。

 儂達はもうねぐらに戻る時間だで、そろそろ戻らせて貰う。

 今回は正気に戻して貰い感謝するぞ。

 して、お主……いったい何が望みじゃ?』


 金華猫から伸びる〈影〉がわらう。


『気に障る奴を、ぶん殴りたいだけですよ……』


〈影〉からの率直な答えに、白髪の個体もわらう。


『叶うと良いがの、その願い。

 ではな……』


『有り難う御座います、比星ひぼし 播衛門ばんえもんさん。

 私も朗報を御待ちしておりますよ。

 では、混沌の這い寄るままに…………」


食屍鬼グール〉達が去った後の墓地。

 虫と蛙の大合唱は、いつの間にか閉演していた。

 ようやっと、草木も眠る丑三つ時の開演である。



 さも生命が停止したかのように静まり返る墓地。


 虫も鳴かない、


 蛙も鳴かない、


食屍鬼グール〉すらも、かない――。


 この生命の停止した空間に佇む孤独の存在。


 それは黒よりも暗く沈む体躯たいくに夜をみ込ませ、


 赤よりもかがや独眸どくぼうに闇だけを映し出す、


 金華猫だけであった――。





 北の邦(くに)から一九一九 結び その二 了

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る