北の邦(くに)から一九一九 結び その二
一九一九年六月 帝都 雑司ヶ谷旭出町墓地
◇
雑司ヶ谷旭出町墓地に出没した〈
その中の一個体に、白髪のモノがいた。
その個体に向け、〈影〉が
『御食事中のところ失礼します。
御久し振りですね。
御約束通り参上しましたが、私の事が判りますか?
食べ乍らでも良いので御聞き下さい。
このままでは後十年持たないかも知れません。
そうなったら、御大の悲願は水の泡ですね』
〈影〉からの進言に、白髪の個体は明らかな苛立ちを見せた。
通常の人間には到底理解できない〈
『ええ、そうですとも。
御大がそのような御身体になった所為で、
現に、九頭竜会はその反応を捕捉しました。
そうなれば大昇帝 派と瑠璃家宮 派の激突は必至。
あの書物が奪われでもすれば、御大の一族が日の目を見る事は……世の終わり迄ありますまい』
〈影〉は随分と挑発的な物言いをした積もりだったが、白髪の個体は目前の食事の方が気掛かりらしく、そっぽを向いてしまった。
〈
『ああ、
御大ともあろう者が、私の言葉も判らない程に
このまま〈食屍鬼〉を続ければ記憶も術も失いますぞ!
自慢の娘御も泣いておりますぞ!
御孫様からも
決して満たされない飢えに
まあ御大には、似合いの最後かも知れませんがね……』
〈影〉からの痛言が効いたのか、しゅん……としてしまった白髪の個体。
〈影〉は気付く。
その言語が、〈
白髪の個体が立ち上がった。
背筋が伸び、もう爪先立ちではない。
そして、〈影〉からの言葉に
『……起こしてくれて礼を申す。
それにしても、【
肉体はおろか精神の寿命をも越えてこの世にしがみ付ける代償に、まさかこの
お主が現われなんだら、儂は死ぬ迄こ奴らと屍肉漁りに精を出しておったやも知れぬ。
まっこと恐ろしい事じゃ。
で、儂が張った次元牢の封印が弱まっておるとの事だったの。
〈食屍鬼〉としての身体も維持しなくてはならない故、封印を張り直す事は叶わぬ。
又、あの書物を孫に据え付けるのもまだ早い。
お主、何ぞ良い案はないかの?』
正気に戻った白髪の個体からのに依頼に、〈影〉は嬉しそうに答えた。
『正気に戻られて何より。
御大が仰る通り、既に捕捉された後での封印張り直しは得策ではないでしょう。
加えて御孫様はまだ未成熟、壊す訳には参りませんからね。
私としましては、一時的な保管場所を提案したいのです』
『はて、一時的な保管場所とな。
次元牢より安全な場所が在るとでも?』
白髪の個体は疑うが、〈影〉は自信満々に返す。
『ええ。
その場所は誰にも手出し出来ません。
魔術に関わる者なら尚更です』
『詳しく頼む』
『はい。
瑠璃家宮 殿下子飼いの魔術師のひとりに、
この者は元々 瑠璃家宮 殿下の娘御を護る為の生贄として召し出されたのですが、術者としても頭角を現し始めました。
新参者ですが素質は折り紙付きです。
この者を利用してはどうかと……』
[註*
白髪の個体は顎を手で
〈影〉が続ける。
『実はこの者、御大の御孫様と大変に親しい間柄でして、その事は瑠璃家宮 殿下にすら知られておりません。
この者にあの書物を据え付けるのです。
御大であれば、この意味が御解りですね……』
『その者、聖霊と交信が出来るのだな。
然も瑠璃家宮の小坊主が
だとすれば、瑠璃家宮の小坊主にも手出し出来んか……。
そのような者が孫の前に現れるとはの。
しかし、どうやってその者を次元牢の封印まで来させる?
儂が〈屍食教典儀〉を使い〈食屍鬼〉となる為、封印は土地に
儂が直接その者の許に出向いて、
それに、儂は孫に嫌われておるでの。
言う事を聞いてはくれんじゃろうな』
話が弾んで来たのが楽しいのか、〈影〉は笑みを浮かべて自説を披露する。
『ええ。
封印の場所には九頭竜会両陣営の精鋭が集まるでしょうし、御孫様は御大の言う通りにはならないでしょう。
ですから、娘御を使われるのが宜しいかと……』
『読めたぞ。
我が娘を使い孫を
さすれば、孫を追ってその者も封印場所まで来るか。
肝心の孫がおらんのじゃ、瑠璃家宮の小坊主も反対は出来んだろうしの。
で、その者の名前は?』
〈影〉の笑みが白猫の
白猫は今やその体色を変化させ、黒い
『その者の名は、宮森 遼一と申します』
『我が孫が器として完成を迎える迄、その宮森 遼一 殿に護って頂かなくてはな』
食事が終わった三体の〈
口の周りを舐めずっては、
白髪の個体が、〈
「近いうちに馳走してやるでの。
お前達、手を貸してくれ」
白髪の個体からの御誘いに、御友達は喜んで鼻を鳴らした。
〈影〉が自虐混じりの思念を滲ませ白髪の個体に問う。
『随分と仲が
独りぼっちの私とはえらい違いだ』
『ははは。
まっこと
のう、リチャードにアプトンにピックマン……。
儂達はもう
今回は正気に戻して貰い感謝するぞ。
して、お主……いったい何が望みじゃ?』
金華猫から伸びる〈影〉が
『気に障る奴を、ぶん殴りたいだけですよ……』
〈影〉からの率直な答えに、白髪の個体も
『叶うと良いがの、その願い。
ではな……』
『有り難う御座います、
私も朗報を御待ちしておりますよ。
では、混沌の這い寄るままに…………」
〈
虫と蛙の大合唱は、いつの間にか閉演していた。
ようやっと、草木も眠る丑三つ時の開演である。
さも生命が停止したかのように静まり返る墓地。
虫も鳴かない、
蛙も鳴かない、
〈
この生命の停止した空間に佇む孤独の存在。
それは黒よりも暗く沈む
赤よりも
金華猫だけであった――。
◇
北の邦(くに)から一九一九 結び その二 了
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