第十二節 北の邦(くに)から一九一九 結び

北の邦(くに)から一九一九 結び その一

 一九一九年六月 帝都 雑司ヶ谷旭出町墓地ぞうしがやひのでちょうぼち





 草木も眠る丑三うしみどき

 雑司ヶ谷旭出町墓地に、一匹の白猫が訪れた。


 帝都はここ最近湿っぽい夜が続いているが、東北は例年に無い程の快晴続きらしい。

 何でも、大陸からの高気圧が東北地方をすっぽりと覆っている為だとか。


 一方で、関東地方は梅雨のど真ん中。

 然もここ三日は雨が降らず、湿気ばかりが増す毎日である。


 虫と蛙の大合唱が鳴り響く中、白猫は墓地の中を悠々と歩いていた。


 大合唱と言えば聞こえは良いが、元は繁殖行動である。

 求愛の嬌声と情交の淫声とが何十何百と重なり合い、草木も未だ眠らせては貰えないようだ。


 ここは墓地である。

 草木も眠らないのならば、墓地に眠る死者はどうだろう。


 風は無く、空気も淀む霊園に異質な音がし始めた。

 乾き切らず、蛞蝓なめくじ山蛭やまびる闊歩かっぽする地面を蹴る音が複数。


 音の重さの割には軽快な拍子テンポ

 だが駆け抜けて行く、と表現するよりは、跳ね抜けて行く、とした方がしっくりくる。


 虫と蛙が異変に気付き、大合唱は小休止に入った。


 息が上がっているのか興奮しているのか、異質な音源達の息遣いが次第に荒くなる。

 どうやら、円匙えんしで地面を掘り起こしているらしい。


[註*円匙えんし=シャベルやスコップの事]


 そう、異質な音源達は墓を暴いているのだ。


 不意に円匙が地面にほっぽり出され、掘削くっさく音が消える。

 暫くして聞こえて来たのは、木材の破壊音。

 力任せに剥がされた板切れが、盛り土の上にこれ又ほっぽり出された。


 異質な音源達は、協力して何かを引きり出している。


 再開した虫と蛙の大合唱に紛れ、異質な音源達は声を上げた。

 細く泣くようなその声は、人間ヒトの会話を早回ししたものに似ている。


 その独特な声で意思疎通を図っているらしい異質な音源達。

 会話から、四体いる事が判った。


 異質な音源達の会話が止む。

 きっと話が纏まったのだろう。


 異質な音源達は、引き摺り出したモノに殺到し始めた。


 そこへあの白猫がやって来て、異質な音源達にその〈影〉を落とす。


 白猫の落とす〈影〉は、異質な音源達をさげすうたを唄い始めた。


 いや、違う。


 その唄は、道を踏み外し神の摂理をけがした者達を、憐れむ唄であった――。



 ――根掘り葉掘りと土を掘る。


 ――早桶はやおけ壊して引き摺り出して、


 ――衣擦きぬず阿婆擦あばず世間擦せけんずれ。

 

 ――よだれ垂らして我慢が出来ぬ。


 ――との声が出ぬ。


 ――えにえたる獣の如く、


 ――かじる噛み付く喰らい付く。


 ――噛みこなすのも億劫おっくうと、


 ――呑み丸呑み喇叭らっぱ呑み。


 ――骨の髄まで穿ほじくり出して、


 ――ねぶるしわぶるしゃぶり付く。


 ――どれだけろても満足できぬ。


 ――との声が出ぬ。


 ――出るのは怨言えんげんばかりなり。


 ――未練の糞尿ばかりなり。


 ――そのさま哀れな餓鬼のよう。


 ――爪先立つまさきだちする餓鬼のよう。


 ――――。



[註*早桶はやおけ=桶型の座棺ざかん

 人が亡くなると急いで作らなければならなかった為にそう呼ばれた]


 ひづめ状の足跡が入り乱れる中、食事を楽しむ異質な音源達。


 犬に似た口部が多分を占める面貌めんぼう

 骨をくわえ、奥の臼歯きゅうしで噛み砕く。


 指先には長い鉤爪かぎづめ

 それを器用に使って骨髄をこそぎ取り、先端をチュロチュロと吸っている。


 彼らは一応、服を着てはいた。

 只どれもがボロボロで、雑巾の方がまだましに思える。


 その襤褸らんるから覗く地肌は護謨ゴムの如き弾力を感じさせ、大変な膂力りょりょくが窺えた。


 えらく前かがみの姿勢からは、忌避すべき存在としての警告色めいたものをも感じる。


 加えて、どこまでも漂う屍臭――。



 ここに居るモノ達は、清浄をうとんじ不浄をとうとぶ。


 墳墓の邪神カミを崇め、物質界と幻夢界を行き来する。


 いにしえよりその存在は、〈食屍鬼グール〉と呼ばれた――。





 北の邦(くに)から一九一九 結び その一 了

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