ヴーアミタドレス山突入作戦 その二

 一九一九年六月 ハイパーボリア大陸周辺海域





 発艦したサニーストームは、敵艦の対空砲火に備え海抜七〇〇〇メートル近くまで上昇する。

 ここまで上昇すれば、敵艦の高射砲は先ず命中しない。


 機体内の温度は当然下がって来たが、今日一郎の背後には依然として高熱源体が居座っており丁度良い。


 草野 少佐が無線で連絡して来た。


『どうやら敵艦に発見された模様です。

 権田 夫妻と心強い援軍達に本領を発揮して貰いましょう。

 この機体は今からヴーアミタドレス山へと向かいます。

 電磁障壁内に侵入する為、一旦高度を落とします。

 その際敵艦からの対空砲火が予想されますが、余裕で振り切って見せますので御安心下さい。

 では、権田 夫妻と援軍達が接敵する迄の時間を稼ぐ為、暫くヴーアミタドレス山を周回します……』


 草野がそう豪語し、サニーストームはヴーアミタドレス山の周回軌道へと入った。





 ハイパーボリア大陸周辺海域を潜航中であるドイツ共和国の潜水艦U115‐1艦内では、これまでにない狂想曲が繰り広げられていた。


「艦長、クイーンエリザベス諸島沖方面から巨大な何かを探知。

 猛烈な速さで本艦に向かっています!」


「巨大な何かだと?

 鯨ではないのか?

 大きさ、数、速度を知らせ!」


「大きさ、約三〇メートル!

 個体数は二!」


「速度約三八ノット(およそ時速七〇キロメートル)!

 は、速すぎる……。

 白長須鯨しろながすくじら並みの巨体で鰯鯨いわしくじら並みの速さだ!」


 部下達の報告を聞いた艦長は、半信半疑で副長に号令する。


「副長、計器の故障かも知れん。

 再度確認を急がせろ。

 私は友軍艦のU160‐1まで連絡を入れる」


 艦長はU160‐1にも連絡を入れるが、向こうにも同様の事態が起きていた。


[註*U115‐1・U160‐1=ドイツ共和国が第一次世界大戦中に建造していた潜水艦。

 公式には建造途中で未完成に終わっている]





 打って変わって今度は海上、赤軍艦隊の旗艦ガングートでは。


[註*ガングート=ロシア帝国の級戦艦。

 作中の年代では赤軍艦隊に所属]


「艦長、上空に所属不明の航空機らしき機影を捉えました。

 クイーンエリザベス諸島沖から北極点に到達する進路です。

 いかがしますか?」


「単独飛行の話なんぞ聞いとらん。

 念の為、電測員にその機体を追跡させろ。

 艦隊の他の船にも通達」


 艦長の号令を復唱した後、副長が大層言いにくそうに口を開いた。


「あと艦長、見張りから奇妙な報告が挙がっています」


「何だ?」


「それが、海からバケモノががって来ると……」


「ふん、そんなもの大砲で吹き飛ばしてやると言え!

 全く、寝ぼけおっぉっ……⁈」


 艦長が艦橋の窓に目を移して直ぐ、見慣れた意匠デザインだが見慣れない寸法サイズのモノを見てしまった。



 銀色に輝く鱗に覆われ水掻きを持つ手。


 乳白色のブヨブヨとした管足かんそく


 海老茶色でキチン質の甲殻。


 白緑色びゃくろくいろで粘膜質の肌。


 鮮やかな櫛板列しつばんれつ


 真白な吸盤。



 ソレらは艦橋の窓にへばり付き、有ろう事か窓を破壊しようとしている。


 ひび割れ、崩壊してく日常と非日常との境界線。


 艦長以下、言葉を発する事の出来る者はこう呟いていた。


境界線が……境界線が‼」


深き者共ディープワンズ〉の宴――。


[註*白緑色びゃくろくいろ=ごく薄い、白に近い緑色]


[註*櫛板列しつばんれつ=クシクラゲ類に見られる微細な繊毛せんもうが融合して出来た櫛板。

 主に移動用として用いられ、光を反射し虹色に光って見える]





 ヴーアミタドレス山を周回飛行中のサニーストーム。

 辺りを覆っていた雲が晴れ、遂に黒い山が眼前に姿を現した。


 興奮し切った入門は、なんと歌い出す。



「は~~~~~~~~るばる~~来たぞよハ~イパボリア~~~~~~~~~~~♪

 さ~~~~~~~~~か巻く~海を飛~び越えて~~~~~~~~~~~~♪

 いつか戻ると言いなが~~ら♪

 遥か昔にほ~ろびたソコを♪

 振返ふりかえ~るたびてたくて~♪

 ね~~らう~はムー・トゥーランの~~~~~~~~~~~~♪

 エイ~~ボンの~~書~~~~~~~~~~~~~~~♪」



 いつもの粘着質でやや上ずった声色とは違い、はっきりとした発音にを利かせた歌声の入門。


 入門は明確に【ムー・トゥーラン】、【エイボンの書】と口にした。

 ムー・トゥーランはハイパーボリア大陸の地名。


 そこに居を構えた【魔道士エイボン】。

 その彼が著した魔導書が、〈エイボンの書〉である。


〈エイボンの書〉は、闇の勢力間で重要視される魔導書の一つだ。

 写本がそこそこの数存在しているらしいが、翻訳を重ね過ぎた所為で原書オリジナル精髄エッセンスが失われたとされる。


 入門は、原書のに心当たりが有るのかも知れない。


 何かと複雑な思いの今日一郎だったが、ヴーアミタドレス山からの強い電磁波反応を捉える。


⦅来た!

 ヴーアミタドレス山の電磁障壁。

 確かにこのまま突っ込めば塵になるな……⦆


 今日一郎の心中を察したかのように、草野から無線連絡が入る。


『御覧の通りヴーアミタドレス山です。

 侵入コースに乗る前に、権田 夫妻と援軍の闘い振りでも見物しましょうか』


 今日一郎は敵艦の対空砲火を案じていたが、草野は構わず高度を下げ、見物できる位置に進路を取る。


 そこで待っていたのは、科学と神話とがぶつかり合う光景であった――。





 潜航中だったU115‐1。

 その艦内は恐慌状態に陥っていた。


 艦長に報告が上がる。


「水測員からです!

 近付く物体から、こ、声が聞こえると……」


「だから鯨ではないのか!

 で、いったい何と?」


「そ、それが……『Blutbadブルートバッド.』と……」


 顳顬こめかみに血管を浮き出させた艦長が号令する。


「只今よりその不明物体を敵性目標として認識!

 艦首魚雷発射管、一番から四番開け!

 開放完了次第、目標に向け発射!」


 号令が響き渡り魚雷が発射された。


 水測員が自慢の耳を澄まして成り行きを見守る。


「…………!

 目標からも何か発射された模様。

 魚雷の進路とぶつかります!」


「向こうも潜水艦なのか?」


『……ボオォォーーーーン……』


 魚雷爆発の振動が艦内に響き、発令所では緊迫した遣り取りが行なわれる。


「命中判定知らせ!」


「一番、二番、目標の放った何物かに衝突した模様!

 先程の衝撃がそれです。

 三番、四番は命中せず。

 いや……これは、目標と一緒に、ほ、ほ、本艦に近付いて来ます!」


「何ぃ⁉

 真正面から突撃してくる積もりか!」


 艦長自身が混乱して上手く指示を出せない中、水測員からの報告は更なる混乱を招く。


「目標が進路変更。

 か、艦の真下に向かっています!」


「ま、まさか奴はっ!」


 艦の真下に着けた巨大な影。

 その影は、両手に握った二本の魚雷を船底のど真ん中に突き刺した。


『バゴオオオオオォォォォン!』


 魚雷の爆発により気泡膨縮運動バブルパルスが発生。

 船体が海面まで一気に浮上する。


[註*気泡膨縮運動バブルパルス=水中での爆発によって引き起こされる気体泡ガスバブルが、膨張と収縮を繰り返す現象。

 なお、『気泡膨縮運動』との漢字表記は作者の造語]


 海面に浮上したU115‐1は船底が真っ二つに折れ、艦首側には巨大な蛇体が絡み付いていた。


 艦が浮上し切ると、蛇体の抱擁ほうようを逃れた艦尾が、救いを求める乗組員達の悲痛な声と共に海底へと沈んで行く。


 巨大な蛇体が、甲板に在る潜望鏡のど真ん前に顔を覗かせた。


 わざとらしいその振舞いに、艦長がキレる。


「このバケモノがああああああ!

 ぶっ殺してやるぅぅぅぅぅぅぅぅ!」


 覗いていた潜望鏡から怒りつらを離し、昇降口ハッチを登って甲板に躍り出る艦長。


 艦長は甲板の機銃座に着き、怪物の顔面目掛けて機銃を撃ち続ける。

 怪物の大きさ故に銃撃は外れようもない。

 但し、蜂の巣とは程遠い蟻の巣穴を作っただけに終わったが。


 怪物は、艦首側の船体を更にきつく締め上げる。

 それも、艦長の泣きつらを眺め乍ら。


 その怪物、〈母なるハイドラ頼子〉は声を発する。

 今度は海水ではなく、大気が震えた。


Blutbadブルートバッド.」


 U115‐1は、圧壊した――。


[註*Blutbadブルートバッド.=ドイツ語で『皆殺し』、『虐殺』の意]





 ヴーアミタドレス山突入作戦 その二 了

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