いざ、北極へ その三

 一九一九年六月 クイーンエリザベス諸島沖 試作型潜水艦IXSS‐0 Bowhead(ボウヘッド)艦内





[註*Bowhead(ボウヘッド)=北極鯨ほっきょくくじらの英語名]


 水深一〇〇メートルの海中。

 安全潜航深度ぎりぎりで航行中のボウヘッド艦内に、奇妙な四人組が突如として現れた。


 洋装の男女は権田 夫妻。

 和装で烏帽子えぼしカバー付きのリーゼントヘアーの中年は入門。

 斎服に刀を佩いた少年は今日一郎。

 その四人共が、発令所へと続く通路に転移出現した。


 転移が成功してほっとしたのか、益男が妻に語り掛ける。


「ふう……。

 転移は無事成功したようですね。

 頼子、大丈夫かい?」


「私は大丈夫ですけれど。

 それよりもあなた、気遣う相手を間違っているわよ。

 入門 殿、今日一郎 様、御変わりありませんか?」


 今日一郎は頷くのみだが、入門のデップリと肥え太った体躯たいくが通路を圧迫している。


「変わりないぞよ。

 只、潜水艦と云うのはえらく暗いの。

 それに、ちとせもう御座るな……」


 入門の泣き言に全員が苦笑し掛けていた所、発令所からひとりの人物が姿を現した。

 大日本帝国海軍の士官服。

 この艦に立会人オブザーバーとして乗り込んでいる、草野 磯六 少佐だ。


 草野が一同を歓迎する。


「ようこそボウヘッドへ。

 瑠璃家宮 殿下から事情は聞いています。

 皆さん、先ずは着替えを済まして下さい。

 その後私が艦内を案内しますので」


 権田 夫妻が運んでいた旅行鞄の中身は、主に各人の衣服である。

 流石に和装と斎服は艦内に相応しくない。

 今日一郎が佩いている刀などは特に邪魔だ。


 歓迎の挨拶もそこそこに、草野が一同を艦の休憩室へと連れて行く。

 艦内は狭く赤暗い為、注意して歩かなければならない。


 休憩室に到着した男性陣に着替えを促す草野。

 頼子と今日一郎には、艦長の個室をてがう。


 着替えが終わり皆が揃った。

 権田 夫妻は乗組員と同じ作業服だが、入門と今日一郎は極地探検用の防寒服である。


 今日一郎の防寒服は、幼児の体格に合わせてあつらえられた特別製らしい。

 その丸っこくて可愛らしい姿を母親の澄が見たら、どれほど喜ぶだろうか。


 一方の入門は上着を着る前から汗だくで、上着を着ずとも既に丸っこい。


 元よりここはディーゼル艦である。

 只でさえディーゼル燃料独特の匂いと乗組員の体臭が充満しているのに、入門の放つ油脂分タップリの汗が合わさって極悪連携コンビネーションが実現してしまった。


 正常な嗅覚を持つ者なら悶絶ものだが、幸いにもここの面子めんつは悪臭を物ともしない人外ばかり。

 極悪連携コンビネーションの片棒を担いだ本人以外は涼しい顔である。


 只、今日一郎だけは別の理由で顔をしかめていた……。


 草野が一同を発令所へと案内し、艦長と副長を紹介する。


「皆さん、【マーシュ艦長】と【ギルマン副長】です」


 権田 夫妻は共に流暢な英語で挨拶。

 彼らと握手を交わした。


 入門も握手はしたが、暑くて挨拶どころではない様子。


 今日一郎は艦長と副長の差し出す手は無視し、両目の間隔が開いた彼らの面相を見ていた。


⦅魚臭い。

 権田 夫妻と同種だな。

 あの艦長と副長だけでなく、この艦の乗組員全員が〈深き者共〉……⦆


 握手を求めても応じない今日一郎に対し、マーシュ艦長とギルマン副長は畏怖いふの念を抱いたかに見える。


 互いの紹介が終わり、草野は艦長と副長に合図した。


 艦長が号令を下し、副長が復唱する。


「浮上開始。

 かじ一〇度。

 潜望鏡深度まで」


「復唱します。

 浮上開始。

 上げ舵一〇度。

 潜望鏡深度まで」


[註*潜望鏡深度=海中に隠れたまま潜望鏡の先だけを海上に出して、周りを観察できるぎりぎりの深度]


 艦首が上に傾き、浮上しているのが感じられる。

 ややあって、計器を見ていた航海士が目的深度に到達した事を告げた。


 潜望鏡を覗き込み、海上の敵影を確認する艦長。

 敵影が無い事を確認し、新たな号令を発する。


「海上に敵影なし。

 電波探信儀レーダー水中聴音機パッシブソナー、共に感なしか。

 ……良し。

 潜望鏡深度保て。

 潜舵の水平確認。

 水平確認ができ次第、テレビジョン用電波受信装置アンテナの伸長を開始せよ」


「復唱します。

 潜望鏡深度保て。

 潜舵の水平確認。

 水平確認ができ次第、テレビジョン用電波受信装置アンテナの伸長を開始せよ」


 乗組員達が操作盤コンソールを操作すると、各設備の稼働音が響き始めた。


 その様子を眺めていた草野が、一同の方に顔を向ける。


「そろそろ準備が整いますので、どうぞ御楽しみに。

 面白いですよ」


 草野はそう言って、心底愉快そうな笑みを浮かべた。





 ボウヘッド内の発令所では、瑠璃家宮 派がこれから実行する作戦の説明がなされようとしていた。


 瑠璃家宮から全権を委任されている草野が口火を開く。


「先ずはあらましから御説明しますと……。

 北極大陸、横文字で言い表しますとハイパーボリア大陸ですな。

 今はその大部分が海中に沈んでおります。

 しかし、全てが沈んでいる訳ではありません。

 海中からは僅かに陸地が露出し、その中心部には黒い山、ヴーアミタドレス山がそびえています。

 転移して頂く場所は、このヴーアミタドレス山近くの陸地。

 転移はここにおられる宮司殿が、ヴーアミタドレス山内部での儀式は、入門 殿に担当して頂く。

 儀式終了後、宮司殿には再び転移を行なって頂き本艦へと帰還。

 陽動と護衛任務を終えた権田 夫妻もこの艦で合流。

 その後、更なる転移で帝居地下神殿まで御帰り願い、四人全員の帰還を以て作戦終了となる訳ですな」


 草野が語った概略について、入門が実務的な問題点を述べる。


「幾らこちらに空間転移の達人がおると云うても、この距離からの転移ではヴーアミタドレス山周辺に張り巡らされた電磁障壁に引っ掛かり、転移術式の構成自体を崩壊させてしまうぞよ。

 そんな簡単に転移できるのなら、ヴーアミタドレス山はとっくの昔に誰かが制圧しとる。

 もっとも、ヴーアミタドレス山そのものに近付く事が叶えば、宮司殿が展開した転移術式の崩壊前に転移が可能かと思われるぞよ。

 ヴーアミタドレス山に近付ければ良いのじゃろうが、いま北極点周辺にはドイツ共和国の潜水艦と赤軍艦隊が哨戒しょうかいしておる模様ですな。

 仮令たとえこの艦が最新鋭の潜水艦でも、もし見付かってしまえば多勢に無勢。

 妨害され転移が叶わぬか、最悪の場合はこの艦が沈められるぞよ……」


 艦の沈没、との言葉を受けた権田 夫妻は、護衛対象のふたりを守り抜くと強く念を押した。


「その点は御心配に及びません。

 この艦は最新鋭で乗組員も優秀。

 それに周りは海。

 妻も私も存分に実力を発揮できます」


「ええ、夫の言う通りです。

 チャチな潜水艦に図体ばかり大きい艦隊など、物の数では御座いませんわ」


 権田 夫妻の自信に満ち溢れた宣誓だが、入門は不安を隠せないようである。


「なるほど。

 和仁わにと宮司殿の命は保証して下さるとな。

 随分と自信が御ありのようで、何ぞ秘策でも?」


 入門の質問に対し、権田 夫妻は黙して微笑むのみ。


 丁度そこへ乗組員のひとりが現れ、草野に耳打ちする。


「はは。

 入門 殿の言われる事は御尤ごもっとも。

 しかし解決策は有ります。

 準備が出来ましたのでこちらにどうぞ」


 草野は発令所の一画に一同を案内する。

 そこの操作盤コンソールには、テレビのブラウン管受像機ディスプレイが埋め込まれていた。


 勿論この時代の軍艦、ましてや潜水艦では有り得ない。

 だが、この艦の建造には九頭竜会が関わっている。

 潜水艦の操作盤コンソールにブラウン管受像機ディスプレイを取り付ける事など、朝飯前でやってのけるだろう。


 艦長が操作盤コンソール前の通信兵に号令を掛ける。


「電波受信開始。

 受信確認後、受像機ディスプレイに映せ」


「復唱します。

 電波受信開始。

 受信確認後、受像機ディスプレイに映せ」


 通信兵が操作盤コンソールをいじると、現代人には御馴染みのアレが始まった。





 いざ、北極へ その三 了

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