井高上 大佐撃退作戦 前半 その四

 一九一九年六月 青森県 雪中行軍遭難記念碑前





 瑠璃家宮 陣営の魔術師による蔦地獄つたじごくが決まったかに思われたが、神行法での移動を平然とやってのけた井高上 大佐。


 明日二郎が宮森に疑問をぶつける。


『カマイタチ……。

 なんか聞いたコトあるぞ。

 でもよミヤモリ、風で物体を切断なんて出来んのか?』


『恐らくは出来ないだろう。

 出来たとしても、鋭利な刃物で切るようには行かない筈。

 古くから妖怪の仕業として語り継がれて来た鎌鼬現象だけど、近年では科学的な説が唱えられるようになった。

 その科学的な説とは、旋風つむじかぜの中心などに見られる真空状態に端を発している。

 真空状態を至極平易しごくへいいに説明すると、空気が無い、又は少ない状態の事だね。

 この真空状態に人体が触れると、急激な気圧差で皮膚を損傷する、そう云う学説だ。

 でも実際には、空気も何も無い絶対真空と云うのは自然界では有り得ないし、絶対真空ほどではない真空状態と云えども、その状態がそう長く続くとは考えにくい。

 人体の皮膚もかなり丈夫な組織だしね。

 何より、人体には傷痕が残るのに衣服や物品には傷が付かないと云うのはおかしい。

 大方、突風に巻き上げられた砂や小石で皮膚を切ったとか、若しくは低温で皮膚が乾燥すると起きやすくなる、あかぎれだろう』


『カマイタチの正体が、まさかのアカギレ……。

 あ~、また一つロマンが失われる~。

 じゃーさミヤモリ、どうやってイタカウエは蔦地獄を脱出したんだよ?』


『その皸さ。

 恥ずかし乍ら、自分は井高上 大佐周辺の温度変化にばかり気を取られていて、気圧変化を見過ごしていた。

 気圧変化にも注意を向けると、おのずと答えが見えてくる。

 自分の見解だと、先ず井高上 大佐お得意の冷気で、絡み付く蔦の水分を瞬時に凍結。

 次は風を操り気圧を変化させ、極度の低圧状態を作り出す。

 すると、凍結した水分は液体の状態を通さず直接気体になる。

 これを……』


『あー、オニイチャンから聞いたコトあるかも。

 昇華だっけ、ソレ?』


『そう、昇華。

 水分が昇華して乾燥し切った蔦の組織を、あの高速移動術式で一気に粉砕。

 魔術師達の傑作連携、蔦地獄から無事脱出した。

 でもそれだけじゃないぞ。

 水などが昇華する際は、その周囲から熱を奪って行く性質が有るんだ。

 これを昇華熱と云う。

 井高上 大佐はこの昇華熱を利用して、高速移動時に必ず発生してしまう摩擦熱の軽減までしているんだ。

 まさに一石二鳥の鎌鼬、だな』


『ふーん。

 冷気と気圧の同時操作に、ソレを利用した摩擦熱の軽減ね。

 あのプロペラ髭オヤジ、結構システマチックではないか。

 ミヤモリもゴリゴリの文系のクセに理系ぶりやがって』


ねるなよ明日二郎。

 尋常小学校の頃に理科が好きだったってだけさ。

 ちゃんと物理は苦手だよ』


『御両人とも、オイラに勝るとも劣らない器用さではないか。

 どうせオイラはソロバンが得意なだけの幼気いたいけなスタアですよ……』


『今日一郎と連絡が取れたらもっと詳しい解説が聴けたんだろうけど、連絡が付かないんじゃ仕方ない。

 今はお前が頼りだ、気張れよシショー!』


『弟子に頼りにされるのは正直ヘコむが、色々な意味で戦況がかんばしくない。

 気合を入れて対策を講じねば……』


 井高上の合理的な術式活用と宮森のカリスマ講師ぶりに、思わず腐った心境になる明日二郎。


 戦いの行方は、井高上の手番へと移る。


「あ~あ、せっかくの一張羅いっちょうらに穴開けてくれちゃってさ。

 もうボロボロではないかー。

 本気で許さんからな君達ぃ~。

 ではこれより、吾輩の手番ターン!」


 井高上は神行法で銃弾を躱した後、軽口を叩く間に続けて密印ムドラーを結んだ。


 右手を拳に握り人差指のみを立て、第一、第二関節共に深く曲げる。

 左手は人差指と中指を真っ直ぐに立て、薬指と小指を曲げた。

 伊舎那天印いしゃなてんいんが結ばれ、そこへ真言マントラも重なる。


「――ナウマク・サンマンダ・ボダナン・イシャナヤ・ソワカ――」


伊舎那天いしゃなてん衝撃法しょうげきほう〙の準備が整った。


 海軍陸戦隊員のひとりが減らず口を叩く。


「また得意の竜巻か。

 そんなものもう効かんぞ!

 それともまた逃げるのか?」


 井高上は減らず口を叩いた隊員に狙いを付け、ニコニコ顔でを放つ。

 井高上は両手を腰の後ろへと回し直立するのみで、予備動作は無い。


『シュッ……ドォーーーーン!』


 耳をつんざく、が飛んだ。


 井高上の回転羽根プロペラ髭は微動だにしなかったが、彼が狙いを付けた隊員は、吹き飛ぶ。


 隊員自身は何が起こったのか理解できず、ただ吹き飛ぶ。


 吹き飛ばされた隊員は鼻から血と脳漿のうしょうを吹き出し、絶命した。


 隊員、残り六人。


 いま何が起こったのだろうか。


 本能的に危機を察した宮森を含む魔術師達は、自身の霊力を用いて鼓膜の保護に努める。

 同時に、口を開け大声で叫ぶのも忘れない。

 こうしないと、衝撃波で鼓膜や視神経が破壊されてしまうのだ。


 遅れて事態を察した分隊長も、魔術師達と同じ行動を部下に取らせる。


 分隊長は魔術師達へ対応を嘆願した。


「耳栓とぉ鎧をぉ、ぉ御願いしまぁぁすっ!」


 衝撃波対策の為にどうしても怒号交じりになってしまう分隊長の要請で、こけ植物の耳栓と木製の鎧を生成する魔術師達。


 それらの装備には尤もな理由が有る。

 乾燥した苔は脱脂綿の代用や荷作り時の緩衝材かんしょうざいとしても利用され、木材はその構造上、衝撃吸収性に優れる。

 ライフル銃の銃床じゅうしょうに木材が使われている事からも、その性能を窺い知る事が出来るだろう。


「各自、耳栓と鎧の準備ができ次第、大声で叫び乍ら射撃開始!

 全弾撃ち尽くせ!」


「うおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」

「ダアーーーーーーーーッ!」

「おりゃりゃりゃりゃりゃりゃりゃりゃりゃりゃりゃ……」

「ア~タタタタタタタタタタタタタタタ、アタ、アタ~ッ!」

「ソイヤッソイヤッソイヤッソイヤッ!」

「死ね死ねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ、ダン!」


 万全を期した隊員達が井高上へ、そして命を散らした朋輩ほうばいへ向け、大呼たいこして銃弾を撃ち込む。

 その鎮魂歌レクイエムの如き銃声に、宮森も胸が熱くなるのを抑え切れなかった。



 多数の銃弾が迫る中、井高上が消える。

 不可視の轟音が飛ぶ。


 隊員のひとりが有り得ない姿勢で吹き飛んだ。

 隊員達は構わず再装填リロードを試みる。

 のどが引き攣った。


 隊員、残り五人。


 彼が吹っ飛んだ後には、白い球と赤い線が棚引たなびいていた。

 再装填リロードを完了、索敵に移る。

 それでも叫んだ。


 隊員、残り四人。


 残りの隊員達が白い球と赤い線を目で追った。

 その先に井高上が居る。

 叫び続けた。


 隊員、残り三人。


 誰かの手足が出鱈目でたらめな方向を向いていた。

 二射目を行なう。

 声も引金トリガーも引き絞った。


 隊員、残り二人。


 血にまみれた、切歯せっし犬歯けんし臼歯きゅうしが砕けた。

 吹き飛ばされた隊員を誤射してしまう。

 味方を撃ってしまった事ではらわたが縮み上がった。


 隊員、残り一人。


 視神経の尾を引く眼球が飛び出した。

 またたく血色の風塵ウインドダスト

 絶叫に変わった。


 隊員、残り……。


 倒れ込んだ彼らの耳からは、脳髄と脳漿が溢れ出ていた。

 鬼哭きこく

 止んだ。


 数瞬での全滅。


 衝撃波で骨肉を潰され、あらぬ方向に捻じ曲げられた五体で踊る隊員達。


 死地ダンスホールに舞い落ちた彼らはまるで、場違いな円舞曲ワルツを踊る、新貞羅シンデレラのようであった――。





 井高上 大佐撃退作戦 前半 その四 了

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