井高上 大吾、現る! その二

 一九一九年六月 青森県 雪中行軍遭難記念碑前





 士官用冬服姿の軍人を確認した人足達は、口々に呟いたり声を振り立てて叫んでいた。


「もう夏前だっていうばってのに、なんでこったこんなからっ風が吹いで来るんだよ……」


「た、祟りだ!

 十七年前の遭難事件で、死んだ軍人さんらが化げで出だんだ!」


「ああああ~っ。

 たけぇ日当さ釣らぃでまった釣られてしまった~。

 ガクジュツキカンさ騙さぃだに騙された~」


 彼らのひと言が背中を押したのか、手綱たづなが繋いである杭を引き抜かんばかりの勢いで馬が暴れ出す。

 猟犬の方はと云うと、謎の人物に対し敵意をあらわにして一斉に吠え猛った。


 防寒着を着込んだ多野 教授は、動物達の様子を見て手持ちの西洋杖ステッキを威圧的に振るい命令を下す。


「馬も犬も絶対に放すな。

 放したら日当は払わんと馬飼い犬飼い共に伝えろ!」


 多野の命令が伝わる迄もなく、馬引きや猟犬の飼い主に加え、関係ない人足達も馬と犬を抑えに掛かる。


 一行が混乱にあえいでいる最中さなか、謎の人物の容貌が鮮明になって来た。


 背丈は日本人の成人男性平均。

 しかし、特徴的に過ぎる特徴が有る。


 鼻下に翼を広げている回転羽根プロペラ髭だ。

 片方の長さが三五センチメートル程も有る。

 邪魔にならないのだろうか……。


 案の定、その回転羽根プロペラ髭を認めた民間人達が騒ぎ出す。


「あ~ははははは!

 冬服まで着だ兵隊さんの幽霊がど思ったっきゃかと思ったら、髭のお化げだ!」


「よさんか!

 祟らぃるど祟られると髭伸びでまるぞ髭が伸びてしまうぞ~」


「そのおがすなおかしな髭で、お空でも飛ぶのが?

 ブルルルルーーーーーーーーン!」


 辺りに漂う冷気は未だに健在だが、回転羽根プロペラ髭の御蔭で恐怖心が一掃された民間人は笑い転げている。


 それを知ってか知らずか、回転羽根プロペラ髭から大音声だいおんじょうが発せられた。


「ハッハーーーーー!

 皆さんこんにちは。

 吾輩わがはいが~、かの有名な浦塩うらじお派遣軍の参謀、井高上 大吾 大佐であ~る。

 おや?

 貴方あなたしや若しや若しや~。

 真道院しんとういん大学の学長であらせられる、多野 剛造 教授ではありませんかな~?

 な~ぜ~に~、このような場所におられるのかぁ……」


 大音声から急に声を絞り、嫌らしい声色で多野に問い掛ける井高上。


 流石の多野も(馬鹿長い回転羽根プロペラ髭を見て)顔色が青褪あおざめている。


 宮森は多野が青褪める所など初めて見たが、緊切きんせつな事態故、無礼を承知で(馬鹿長い回転羽根プロペラ髭を無視して)多野に質問する。


「教授、いったいどうなっているのです?

 井高上 大佐はシベリアに駐留している筈。

 眼前の人物が井高上 大佐の偽物でないとすれば、彼はシベリアに出征しゅっせいしていない事になります。

 今回の件、大昇帝 派に一杯食わされたのでは?」


 多野はさして驚きもせずに宮森に説明する。


「いや、本人で間違いない……」


 宮森は多野の言葉の真意を図りかねたが、取りえず御霊分みたまわけの術法を発動し、表から裏への人格変換を終える。

 明日二郎との相談の為、思考と感覚の高速化クロックアップも施した。


『多野 教授はああ言ってはいるが、眼前の人物は井高上 大佐の偽物じゃないのか?

 明日二郎センセーの意見を聴きたい』


『おう。

 あんなプロペラ髭ほかにいねーだろっちゅーのは冗談で。

 おそらく、タノに着いてる邪神がイタカウエに着いてる邪神を良く知ってんだろうよ。

 お互いの邪神同士がオ・シ・リ・ア・イって訳だ。

 もちっと詳しく説明するとだな、全ての霊的存在には〘霊紋れいもん〙っちゅうヤツがあんのよ。

 ホラッ、邪霊が物質界に顕現した時に出る悪臭がその片鱗へんりんだ。

 タノがイタカウエをどういう風に感じてんのかまでは知らんけど、それで判断してんだろ』


『霊紋……指紋みたいなものか。

 それぞれの邪霊や魂魄こんぱくごとの、固有の匂いから判断していると?』


『そゆこと。

 まあ、ニオイだけとは限らんけどね。

 邪神が定着してるモン同士、通じ合う何かが有るんだろうよ』


[註*霊紋れいもん=聖霊と邪霊が融合した魂魄こんぱくには固有のカタチがあり、一定の霊感があれば見分ける事が可能。

 見分け方は個人の能力によって差があり、ある者は色や形で、ある者は音として認識できるという。

 霊感の感度が低い者は、匂いや気分として受け取る事が多いようだ。

 交霊術における審神者さにわは、この霊紋を読む感覚が秀でていなければならない(作中での設定)]


『霊紋に関してはだいたい解った。

 じゃあ次の疑問。

 井高上 大佐は何故この場に居るんだろう。

 まさか、天芭 史郎みたいに瞬間移動の術式を使えるのか?』


 宮森と同じ質問を井高上に投げ掛ける多野。


「ひとりか……。

 貴官が阿弥陀如来あみだにょらい転移法てんいほうを使えるとは聞いておらなんだが?」


[註*阿弥陀如来あみだにょらい転移法てんいほう=いわゆるテレポート。

 大掛かりな儀式魔術で発動させる場合を除き、ごくひと握りの魔術師しか使用できないらしい(作中での設定)]


 対して、歩みを止めた井高上が居丈高いたけだかに答える。


「ふ~ぅ、やれやれ。

 これだから学者は困るのだよ。

 何でもかんでも難しく考え過ぎーる。

 もっと単純な事だよ学長殿~。

 お宅の優秀な弟子は感付いているようだがね」


 矛先ほこさきは宮森へと向いたが、当の本人は臆せずに答える。


「シベリアから遥々はるばるやって来たのですね。

 ……」





 井高上 大吾、現る! その二 了

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