第六節 井高上 大吾、現る!

井高上 大吾、現る! その一

 一九一九年六月 青森県田茂木野村





 一行は田茂木野村に到達し、そこで昼休憩を取る事となった。


「宮森 君、君も必ず食べておけ……」


 修業の一環で、普段は一日一食の宮森。

 今回は多野 教授の命令で、仕方なく食事を取る破目になった。


 この嬉しい出来事ハプニングに嬉声を上げるのは明日二郎。


『よ~し、久しぶりの昼飯だ。

 タノの命令じゃ仕方あんめ~』


『せっかく一日一食に慣れて来たのに調子狂うよ。

 明日二郎もこれ見よがしにはしゃぎやがって』


『いいじゃんかたまにはー。

 ……にしても、村人がヨソヨソしいな。

 全く近寄らねーどころか、こっちをにらんでるヤツまでいやがるぜ』


『昨晩の多野 教授の話を思い出してみろ。

 ここの村民が崇拝している山と風の神は、大昇帝 派に与する邪神だ。

 十七年前に引き起こされた、八甲川山雪中行軍遭難事件を以て邪霊としての召喚に成功。

 帝国陸軍将校で魔術師でもある、当時の井高上 大吾 中尉に定着が成功した』


『そうじゃったの。

 で、その邪神の影響下にある村民達は対立してる瑠璃家宮 派、あるいはタノを敵視しておると……』


 村民達からの視線を浴びている宮森は、『既に自分も山と風の神と呼ばれる邪神の標的になっているのではないか……』と危惧していた――。





 昼休憩が終わり、調査隊は雪中行軍遭難記念碑に向け出発。

 途中休憩を一回挟み、三時間半ほどで雪中行軍遭難記念碑に到達した。


 ここでまた休憩に入るとの御達おたっしが回り、各自思い思いに休憩する。


 ただ何やら、荷物運搬に使う馬の馬引うまひきと、猟犬の飼い主達が騒いでいた。

 馬と犬の両方が落ち着かないらしい。


 突然命令を発する多野。


「戦闘班は直ぐに冬服を着込め。

 着込む前には汗を拭き、下着を換えるのを忘れるな。

 でなければ凍死の危険が有るぞ!」


 時節柄じせつがら、多野の命令は恐ろしく場違いなものに思える。

 東北とは云え、今は六月後半。

 然も時刻は午後四時半で、日の入りすらまだだ。


 しかし宮森を含めた戦闘員達は手早く荷を解き、真冬の雪山にでも着て行けそうな防寒着を取り出す。

 一行が運搬していた荷物の正体の一部は防寒着だったらしい。


 汗をかいている者は素っ裸になり乍らも丁寧に体表をぬぐい、下着を換える。

 その様子を見ていた植生調査員や荷物運搬の為に地元で雇われた人足達は、何かの冗談か寸劇でも始まるのではないかと気楽に野次やじを飛ばしていた。


 特に戦闘班でないにも拘らず大慌てで脱衣し、ヒイヒイと防寒着を着込む宗像の姿は大変滑稽こっけいに映ったようで、周囲の民間人を爆笑の渦に叩き込んでいる。

 しかし、昨夜 多野から十七年前の真実を聞かされていた宗像は必死だ。


 着替え終わった宮森も表情が硬く、彼の脳中に居る明日二郎も警戒警報エマージェンシーアラートを絶賛発令中。


 彼らだけではない。

 多野と御付おつきの魔術師達も異変を感じ取り、戦闘に備え霊力を集中し始めた。


 魔術師達の戦闘準備が粗方あらかた完了した矢先、一陣の風が一行の間を吹き抜ける。


 風が吹き抜けた名残には、そこはかとない禍々しさが感じられた。

 先ほど燥いでいた者達も、その笑顔を恐怖に引きらせている。


 一行の前方に広がる林付近に、突然何かが姿を現した。

 その何かが一行の許へと近付くに連れ、辺り一帯を六月とは思えぬ程の冷気が包む。


 その何かの輪郭が段々鮮明になり、人間だと認識できる迄になった。


 正体不明の人物が隊に接近すると、馬が恐怖でいななき猟犬は混乱で吠え立てる。

 馬引きや猟犬の飼い主でも抑え切れない。


 人物の姿が更に鮮明となる。

 帝国陸軍の通常礼装に、特徴的すぎる容貌。


 その姿を視認した多野は、西洋杖ステッキを握る手に力を籠め、昂然こうぜんと独りちた。


「矢張り井高上 大佐本人が来よったか。

 瑠璃家宮 殿下の予想通りだったわい……」





 井高上 大吾、現る! その一 了

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