井高上 大吾、現る! その三

 一九一九年六月 青森県 雪中行軍遭難記念碑前





 突拍子もない宮森の回答に、多野 教授を始めとした瑠璃家宮 陣営の魔術師達は皆絶句してしまう。


 それとは逆に、嬉々とした表情で宮森へと賛辞を贈る井高上 大佐。


「ブラボー!

 ブラボーだよ君!

 君が愛しのマイハニー史郎をに合わせてくれた眼鏡君。

 確か宮、なんちゃら~」


「調べれば直ぐに判る事なので名乗らせて頂きます。

 宮森 遼一です」


「そうそう、宮森 君だった。

 でもよく生きていられるねー。

 愛しのマイハニー史郎が、大威徳明王護摩だいいとくみょうおうごまで呪殺まで試みたのに~。

 外法衆準隊員みんなで頑張ったのに~」


 井高上の告白に、今度は宮森が絶句し掛かる。


「そ、それは知りませんでした。

 龍泉村騒動の後、自分と同姓同名の方が亡くなっている事は耳にしましたが……呪殺ですか。

 それに、矢張り生きていたんですね、天芭 中尉。

 まあ、自分は随分と嫌われたようですが」


「天芭 史郎にライバル登場! ってとこかな。

 あ、それとね。

 マイハニー史郎は中尉から大尉に昇進したから。

 君に復讐したがってた事も含めて覚えておいてあげてね♥」


 瑠璃家宮 陣営とその他一同、井高上の独特な感性にドン引きしている事は井高上 自身も気付いている。

 だが、そんな事は意に介さないのが井高上 大佐と云う人物だ。


 一度 天芭ともやり合っている為か、冷静な態度で宮森が続ける。


「井高上 大佐がそう仰るからには、自分はこの場を見逃して頂けるのですか?」


 井高上との軽い遣り取りが気にさわったのか、多野が怒気を強めて宮森に釘を刺す。


「宮森 君、解って言っておるのだろうな。

 あ奴は敵なのだぞ。

 瑠璃家宮 殿下への忠誠をくつがえすような言葉を吐きよってからに!」


 多野の苦言に思わず笑ってしまう井高上。


「この程度のジョークも理解できないとは、学者とは本当に詰まらん人種だ。

 それにー、学長殿は随分と宮森 君に御執心ごしゅうしんのようだしー。

 周りのみんなに聞かれちゃうよー?」


 井高上の言に、宮森はハッとして周囲を見回す。


 この場には井高上や多野、瑠璃家宮 派の魔術師と軍人の他に、植生調査員や人足達が百八十人以上。

 それなのに、シベリアから飛んで来たの大威徳明王護摩で呪殺まで試みたのと言合いいあってしまう。


 それらの文言を聞いた民間人がこの場から逃亡し、見聞きした事を逃亡先で言触いいふらしでもしたら厄介やっかいだ。

 聞いた者全てを、何らかの理由を付けて粛清しゅくせいせねばならなくなる。


 九頭竜会の魔術師達は良心なぞうに捨てているだろうが、この場は人数が多過ぎるし、近くの町村にでも逃げ込まれたらそれこそ大惨事だ。


 その事について宮森と明日二郎が大層気を揉んでいる中、多野は笑みを浮かべ海軍陸戦隊の民間人統率班に命令を下す。


「用意していた水樽みずだるを出せ」


 多野の命を受けた統率班は、人足達を使い荷馬車から次々に水樽を下ろさせる。

 四斗樽(容量約七二リットル)で二〇本以上もの大量の水で、多野はいったい何をしようと云うのだろうか。


 四斗樽が出揃ったのを見計らい、多野が更なる命令を下す。


「……手筈てはず通りに遂行せよ」


 命令を聞いた多野 配下の魔術師達は、霊力を開放して念動力サイコキネシスを発動させる。

 すると四斗樽のふたが勢い良く吹き飛び、中の水が間欠泉の如く宙に噴出した。


 噴出した大量の飛沫しぶきは滞空し、他の飛沫と同化し続ける。

 そして遂には、空中に川が流れた。


 その様子を窺っていた井高上は、自慢の回転羽根プロペラ髭をいじり乍ら多野に問い掛ける。


「その大量の水で何をしようと云うのかな。

 まさか吾輩を攻撃しようとでも?

 その程度の量、吹き飛ばすのはワケないよ~。

 それともあの権田 夫妻同様、お魚人間にでも変身する積もりかね?」


 井高上の口からまろび出る調子外れの挑発には乗らず、多野と配下の魔術師達は集中を続ける。

 そして、並々ならぬ霊力を充填させた多野が命じた。


「やれい!」


 号令の後、空中の川が一般人と動物達に覆いかぶさる。

 水を浴びてずぶ濡れになった二百人弱の民間人は、驚きを通り越しポカンとした表情だ。


 統率班員も水を浴びているが、こちらは取り乱していない。

 中には、川に呑まれる前に手投げ弾を取り出している隊員も居た。


 民間人達が声を上げ始める。


「ど、どうなってらんだ?

 わっきゃ、いま水ん中にいるのが?

 犬っころも馬っ子もみんな水ん中だ!」


塩辛ぇす塩辛いし、擦りむいだ所さ染みる。

 こぃはこれは塩水でねのが?

 わっきゃおか溺れでまってらのがおぼれてしまったのか……」


「何だ?

 水が、体の中さ勝手さへえって来る……。

 と、取れねっ⁈

 水があっちに行がね行かない

 か、っちゃ、おっかねよ~」


 犬は吠え馬は嘶き、民間人達も極度の混乱に耐え兼ね暴れ回る。

 その所為で、彼らを覆っている川が水泡で乱れた。


 空中の川から押し寄せた水は、民間人ひとりひとり動物達一匹一匹の身体全周囲を、頭頂から爪先つまさきまですっぽりと包み込んでいる。

 殆どの者が身体を覆う水の牢獄から脱出しようと動き回ったが、水はピッタリと身体の輪郭に沿って離れない。

 それどころか、彼らの体内に侵入しあらゆる空洞部分を埋めに掛かった。


 多野の術式は次なる段階へと移る。

 彼らの肉体へと侵入した水に、酸素や二酸化炭素を始めとした、体内のあらゆる瓦斯ガスが急速に溶け出したのだ。


 水に包まれ動転して逃げ出す民間人を、同じく水に包まれた統率班員達が抑える。

 なるべく一箇所に固めたいらしい。


 一方、途轍もない輝きが多野を包み、バチバチと火花を散らした。

 この霊力変質は、多野の帯電を表す。


 そして、多野は祝詞のりとを上げる。


「――大宇宙の根源に連なりたる 石の御祖みおや 石土毘古いわつちびこ 砂の御祖 石巣比売いわすひめ いかづちの御祖 八雷やくさのいかづち 御力みちからで難敵打破の大願たいがん 成就じょうじゅなさしめ給えと祈願こいねがたてまつる 布瑠部ふるべ 由良由良止ゆらゆらと 布瑠部――」


 祝詞を唱え終わった多野から眩いばかりの閃光が放たれる。

 その閃光は幾筋にも分裂し、互いに絡み合う蛇の如き螺旋を描いて水の牢獄へと喰らい付いた。


 余りの眩しさに宮森は目を覆う。

 井高上も閃光を軍帽で防ぎつつ、障壁バリアを展開して警戒態勢を取った。


 閃光が収まったのでうっすらと眼を開け始める宮森。

 初めに目にしたのは、井高上が眼前に伏せている帝国陸軍の軍帽。

 その頭頂部には、五芒星の刺繍ししゅうが施されている。


 宮森は異変に気付いた。


⦅あれ程ザワついていた民間人の声がせず、犬の吠え声や馬の嘶きも聞こえない。

 辺りを包むこの静寂は……⦆


 宮森が目を開けた時そこにあったモノは、騒がしくもたくましい市井しせいの人々や愛らしい動物達ではない。


 ギリシャ神話に登場する、ゴルゴーン三姉妹が住み着く神殿に飾られたモノと同じ、物言わぬ石の彫像達であった――。





 井高上 大吾、現る! その三 了

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