第三節 いざ、青森へ

いざ、青森へ その一

 一九一九年六月 宮森の下宿先





「宮森さ~ん……。

 お出迎えよ~……。

 ふぁあ~あ……」


 階下からはまだ眠そうな女将の声が弱々しく響いて来る。

 それもその筈、まだ夜が明け切っていない。


 宮森は今日、青森県の八甲川山へと旅立つ。

 その為に、九頭竜会が用意した特別列車に乗車しなければならないのだ。


「は~い。

 直ぐ行きま~す」


 宮森が階下へ降りると、玄関先で待っていた使者、宗像が挨拶する。


「おはようさん。

 元気にしとったか?」


「お蔭様で。

 じゃあ女将さん、青森まで行ってきます。

 お土産、楽しみにしていて下さいね」


「お土産だなんてそんな~。

 気を使わなくていいのよ~。

 期待してるからね~。

 じゃ、行ってらっしゃ~い……。

 むにゃむにゃ……」


 途轍とてつもない矛盾をはらんだ見送りの言葉に、宮森は苦笑交じりで手を振る。

 そして玄関先に出てみると、あの白猫が居た。


 白猫に対し、明日二郎が元気に反応する。

 なぜ夜も明けない朝っぱらから元気なのかと云うと、明日二郎は睡眠を取る必要が無いからだ。


『ほら、オイラが言った通りだろ?

 白猫君、やっぱ見送りに来てくれてんぜ。

 きっとお前さんの事が気にイってるんだな』


 明日二郎から促され、白猫にも『行ってきます』と声を掛ける宮森。


 明日二郎の声が聞こえた訳ではないのだろうが、宗像も白猫に向け、『ほな、行ってくるで~』と手を振る。


 青森へ出向くに当たり、宮森と明日二郎には心配事が有った。

 四日前から今日一郎との連絡が付かないのである。

 ふたり共思案に暮れていたが、今は動きようが無い。


 宮森と宗像が迎えの馬車に乗り込むと、白猫は当然のように路地裏の隘路あいろへと消えて行った――。





 一九一九年六月 東京駅





 始発前のこの時間帯、駅に着いた宮森 達は、組織の構成員達を探す迄もなかった。

 早朝にもかかわらず、多野 教授を始めとした組織の構成員が相当数見受けられる。

 その中には、強面こわもてで軍人ぜんとしたたたずまいの者も居た。


 多野に挨拶するふたり。


「おはようございます、教授」

「おはようさんです、多野さん」


「うむ、ふたり共おはよう。

 では行こうか」


 時刻表には載っていない列車へと乗り込む九頭竜会構成員達。

 この措置は、部外者の乗車を防ぐ為のものである。


 このような特別運行が可能なのも、結社の莫大な力あってこそだ。





 宮森は宗像と相席になり、車窓を眺め世間話をしている。


「宗像さん。

 奥さんやお子さん達は、東京の生活に慣れましたか?」


「いやいや、ワイも含めてちっとも慣れん。

 この前も粘菌見つけたろ思うてやぶん中入ってもうたら、なんや人んの敷地やってん。

 んで、直ぐに出て行け言われたわ。

 田辺たなべではそないな事なかってんけどな~」


「そ、そうですか……」


 相変わらず活発な宗像の研究意欲に、感心と呆れを共に抱く宮森。


田代平湿原たしろたいしつげんでの植生調査、楽しみですね」


「こないな機会なかなか無いから、気ぃ入れてやらさして貰いますわ。

 がっはっはっはっは!

 所で、宮森はんの任務は結界の奪取、やったか?

 よう判らんけど、えらい大変そうやな。

 もしかすると又、天芭みたいなんが出て来よったりして……」


「お、脅かさないで下さいよ宗像さん……」


 怯えた素振りを見せる宮森だったが、内心では既に覚悟を決めている。


⦅瑠璃家宮が重要とうたうぐらいだ。

 大昇帝 派の妨害が有るのは確実だろう。

 それに、『権田 夫妻では相性が悪い』とも言っている。

 権田 夫妻の変身が理由なのかも知れない。

 どちらにしろ、派手な闘いにならなければいいが……⦆


 宮森が意見を求めようと宗像に視線を移すと、彼はうつらうつらと舟を漕いでいた。


『あれだけ朝が早かったのだから、起こすのも可哀想だ』と、徒然つれづれに車窓を眺める宮森。

 すると、彼の目に異様な光景が飛び込んで来た。


 宮森は直ぐさま愛用のオペラグラスを覗く。


⦅何やら人が集まっているな。

 あれは、帝国海軍の制服。

 それに、彼らが打ち立てている長い竿さおは何だ?⦆


『明日二郎、長さを測ってくれ』


『オイラはメジャー(巻尺まきじゃく)じゃねーっての!

 まあ、可愛い弟子の頼みだ。

 計測してやろう。

 え~と……おおよそ五〇しゃく(一五・一五メートル)だぜ。

 竿自体は多分木製だけど、テッペンには金属の棒みたいなんが付いてる。

 竿テッペンの金属んトコから、ちょこっと横にも伸びて「ト」の横棒を水平にした形になってら。

 んで、その下にはガラスの部分があってそっから下が竿ってワケ。

 それに、地面にもなんか置いてあるぞ。

 金属の横棒んトコから、地面に置いてある謎の機械まで線が伸びてる。

 ありゃ銅線だな』


『確認した。

 作業員が、棒……を地面に打ち込んでるな。

 あれは何だと思う?』


『あれも金属なんじゃないか?

 地面に置いてある謎の機械と銅線で繋がってるみたいだし。

 電気と関係あるのか、一応オニイチャンにいてみる。

 出てくれっかな~』


 明日二郎が精神感応テレパシー回線を繋ぎに掛かる。


『……ダメだ宮森。

 今日もオニイチャンがでねー……』


『なんだってー!

 済まん……。

 取り乱してしまった。

 矢張り、今日一郎に何か有ったのかも知れない』


『わかんねえ。

 命の危険が有ったらオイラにも判るから、そんな事じゃねーとは思うんだけどよ。

 体の具合が悪くても返事ぐらいはすると思うんだけどな。

 最近どうしちまったんだ?』


『今日一郎、何も無ければいいが……』


 同憂の士が今日一郎の身を案じる中、多野は軍人達の作業をただ満足そうに眺めている。


 宮森 達の憂心と多野の確信を乗せ、汽車は一路青森を目指した――。





 一九一九年六月 青森県青森市





 一行は東京駅から丸一日掛けて青森県に入った。

 その後、青森市駅手前の浦町うらまち駅で降車する。


 浦町では、今回の植生調査に参加する人員が既に待機していた。

 植生調査員は在野の研究者や学生が大半で、教授クラスは何故だかひとりもおらず、宮森はその事に疑念を感じている。


 ここ浦町では、調査準備や人足にんそく雇用の為に二泊する事となった。


 浦町を出発した調査隊は田茂木野村たもぎのむらを目指す。

 田代平湿原での植生調査へと向かう調査班、結界奪取の為に八甲川山へと向かう戦闘班、共に朝から移動を開始した。


 調査班と戦闘班、地元で雇った運搬係の人足を合わせれば、二百人を超えている大所帯。

 そして異常な多さの荷物。

 多数の荷馬車や大八車だいはちぐるまも見える。


 多野と宗像を始めとした魔術師連中には、個別に人力車が用意されていた。

 宮森にも人力車の用意が有ったが、怪我人などが出た際の予備に使って欲しいと嘆願し、彼自身は徒歩移動を選ぶ。


 多野の乗る人力車を中心に据えた隊列が移動する姿は、さながら大名行列か兵隊の行軍を思わせた。


 人足や調査団と共に、自身も行軍の一部となって歩く宮森。

 眼前には山々の緑が眩しく輝き、空は雲一つない青天井だ。

 それに、六月後半にしては考えられないほど乾燥している。


 実はこの天候にはが有り、宮森と宗像は昨夜、多野からそれを聞かされていた。





 いざ、青森へ その一 了

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